第65話「天下の大悪人、異民族への使者になる(11)」
「がはぁっ!? があああああぁっ!!」
介州雀の喉から、絶叫がほとばしった。
奴の身体はそのまま、床へと崩れ落ちる。
「倒した……のか?」
俺は介州雀の腕から、『白麟剣』を抜いた。
奴の傷口から血が噴き出す。
奴は床に腕を押しつけながら、無事な方の腕で胸を押さえてる。
苦しんでるのは、たぶん、腕の痛みのせいだけじゃない。
『天元の気』が奴の体内を駆け巡ってるからだ。
『四凶の技・窮奇』は『毒の気』をあやつる。
奴はそれを使って、壬境族の兵士たちを異常な状態にしていた。
俺の『天元の気』は、その「毒の気」を中和して、兵士たちに痛みを思い出させた。
介州雀はその『毒の気』の大元だ。
そこに薬となる『天元の気』を注ぎ込んだもんだから──
「こいつの身体の中で……『毒の気』と『天元の気』が戦っているのだよ」
気づくと、すぐ側に秋先生がいた。
藍河国の兵士に身体を支えられて、ここまで来たみたいだ。
「『四凶の技・窮奇』とは、使用者の体内に『毒の気』を生み出すものなのだろう。使用者は他人に『毒の気』を注ぎ込んだり、他人の『気』を喰らったりできる。おさないころの冬里が大量の気を食われて、経絡に傷を負ったのもそれが原因だ」
秋先生は冷たい目で、介州雀を見下ろしている。
「『毒の気』に慣れたこいつにとって『天元の気』は有害なのだろう。突然、大量の解毒薬を投入されたようなものだからな。しかも天芳の『天元の気』は濃密で強い。今はこいつの身体全体に、激痛が走っているはずだ」
そう言って、秋先生は介州雀に近づく。
とどめを刺すのかと思ったけど……違った。
秋先生は包帯を手に取り、介州雀の血止めをはじめる。
「まずは上腕を縛って、『気』の流れを一時的に止めるとしよう。そうしないとこいつに触れることもできないからね」
秋先生は包帯に結び目を作って、それで介州雀の腕を縛っていく。
結び目でツボを圧迫することで、奴の気の流れを止めているらしい。
それによって『毒の気』の流れを止めて、気を食らう力を封じることができるそうだ。
「鍼があれば一番いいのだが、残念ながら用意がない。これで代用だ」
つぶやきながら、秋先生は手早く治療をしていく。
「こいつの治療をするのは不本意だが……死なせるわけにもいかない。本当に嫌な作業だ。長い間、遍歴医をやっているが、こんなに気分の悪い治療ははじめてだよ。まったく……」
「先生。聞いてもいいですか?」
声をあげたのは、小凰だった。
「秋先生はこいつを倒すために、ずっと旅をしてきたんですよね? なのに、助けるのですか?」
「倒すのは、弟子の君たちがやってくれたからね」
秋先生は擦り傷だらけの顔で、苦笑いしていた。
「それに、私は藍河国の使節の一人として、ここに来ている。こいつを見つけ出せたのは王弟殿下のおかげでもある。だから……私は自分の復讐心を満足させるために、こいつを殺すことはできない」
「……秋先生」
「この男が藍河国の敵についての情報を持っているのなら、それを引き出してから処分するべきだろうね。さて……こんなものかな」
先生は、手早く介州雀の治療を終えた。
血止めをして、ついでに手足を拘束して動けないようにしてる。
経絡を封じてあるから、『毒の気』を使うことも『気』の吸収もできない。その上、体内にある『天元の気』はそのままだ。
だから介州雀は、うめき声をあげながら苦しんでる。
縛られて動けなくなった分だけ、辛そうだ。
そんな介州雀を、秋先生はまた、静かに見下ろしていた。
でも、すぐに興味を失ったように、肩をすくめた。
それから秋先生は、俺たちの方を見て、
「ありがとう。天芳、化央。私は君たちを誇りに……っと」
立ち上がろうとした秋先生の身体が、ふらつく。
俺と小凰は慌てて駆け寄り、先生を支える。
「……弟子に助けられてばかりだよ。まったく、しまらないなぁ」
秋先生は照れくさそうな顔で、言った。
「本当はきちんと、足止めの役目を果たして、集団でこいつを倒すつもりだったんだけどね」
「秋先生は十分、足止めしてくれました」
「こいつらと戦えたのは、秋先生に教わった点穴の技のおかげです。ありがとうございました」
「そっか。うん。今は弟子の優しさに甘えよう」
秋先生は、笑った。
「あのね、天芳……私は君に、とても感謝しているんだよ」
「ぼくに、ですか?」
「私がこうしていられるのは、君が滴山に訪ねてきてくれたおかげだ。そうじゃなければ私と冬里は、今も仇を求めてさまよっていただろう」
静かなため息が、聞こえた。
「運良くあの男……介州雀を見つけて、戦いを挑んだとしても……私は敗れていただろう。運良く、勝てたとしたら、今度は生きる目的を失って……ただ、さまようだけの人生になっていたかもしれない」
「……秋先生」
「でも、今は違う。私は居場所を見つけた。冬里も藍河国で自由に生きることができる。私たちに道を示してくれたのは君なんだよ。ありがとう。天芳」
「ぼくの力じゃないです。ぼくが秋先生と出会えたのは、雷光師匠が『内力の師匠を探せ』と言ってくれたおかげなんですから」
「そうかな?」
「そうですよ。それにぼくも、秋先生と出会えてよかったと思ってますから」
秋先生のおかげで、『天元の気』の使い方がわかった。
『天地一身導引』を覚えることもできた。
介州雀の『破軍掌』を無効化できたのは、そのおかげだ。
秋先生と出会わなければ、介州雀を倒すことはできなかった。
というか、秋先生がいなかったら、『戊紅族』と友好関係を結ぶこともなかったはずだ。
燎原君が友好の使節を送ると決めたのは、秋先生というコネがあったからなんだから。
秋先生がいなかったら……たぶん、『戊紅族』は、壬境族に取り込まれていただろう。
その運命を変えられたのは、秋先生のおかげなんだ。
「そう言ってくれるのはうれしいけどね。天芳、君はもっと偉そうにしてもいいと思うよ。なぁ、化央くん」
「はい。天芳はもっと、まわりの人間の気持ちに敏感になるべきだと思います」
「まぁ、謙虚なのは天芳くんのいいところでもあるけどね」
「ですね」
「そんな天芳くんと化央くんには、いいものを見せてあげよう」
秋先生は懐から書状を取り出した。
血の跡がついてる。これは──
「あの男……介州雀を治療しているときに、見つけたものだ」
──やっぱり。
「奴がなにを企んでいたのか、どうやって『四凶の技・窮奇』を修得したのかわかるかもしれない。後で調べてみよう」
「「はい。先生」」
俺と小凰がうなずく。
その直後、大勢の人たちの足音が近づいてきた。
警戒はしなかった。
炭芝さんやガク=キリュウが俺たちを呼ぶ声が、聞こえていたからだ。
「秋どの! 天芳どの化央どの! ご無事ですか!!」
「敵は!? 我が部族の敵は──」
飛び込んできた炭芝さんとガク=キリュウの動きが止まる。
彼らは倒れている壬境族の兵士たちと、介州雀を見た。
「……『四凶の技』の使い手に、勝ったのですか!?」
ガク=キリュウが目を見開く。
炭芝さんも藍河国の兵士たちも驚いた顔だ。
『戊紅族』の兵士たちなんか、がたがたと震えはじめてる。
びっくりするのも無理はない。
介州雀は壬境族と組んで『戊紅族』の集落を襲い、砦を奪った。
しかも、介州雀は強い。『毒の気』を使って、壬境族の兵士たちを強化していた。
そんな人間が倒されて、もだえ苦しんでるんだ。
そりゃおどろくよな。
俺だって、勝てたのが信じられないくらいなんだから。
「……炭芝どの、玄秋翼どの。黄天芳どのに翠化央どの」
ガク=キリュウは、静かに、床に膝をついた。
隣にいる族長も、『戊紅族』の兵士たちも、それにならう。
「一族を救ってくださったことに感謝いたします。このご恩は、われらの身命を賭けて、返させていただく!」
「「「藍河国の方々に、全身全霊の感謝を!!」」」
ガク=キリュウと『戊紅族』の人々は、一斉に声をあげた。
「我ら『戊紅族』は藍河国に臣従し、その力となることを、ここにお約束します。また、玄秋翼どのと黄天芳どの、翠化央どのは我らの恩人であります。このことは、一族あげて語り継ぐでしょう」
「「「戊紅族はなにがあっても、未来永劫、あなた方の味方であります!!」」」
戊紅族の人たちは興奮した表情で、そんなことを誓ってくれたのだった。
いつも「天下の大悪人」をお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回、第66話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。