第54話「天下の大悪人、評価される」
──天芳視点──
王宮で宴席があった日の翌日、俺は家で書状を書き写していた。
兄上からの書状を、太子狼炎に送るためだ。
兄上は字がうまくない。
でも、失礼にならないように、太子狼炎にはきれいな書状を送りたい……ということで、兄上の書状は、俺が清書をしたものを王宮に送っていた。
それらの書状は太子の元には届かず、行方不明になった。
けれど、原本は残っている。
俺はそれを改めて清書して、太子狼炎のところに送ることにしたんだ。
太子狼炎は、海亮兄上のことを大切な友人だと思っている。
それは今も変わっていない。
ふたりのやりとりが止まっていたのは、誰かが妨害していたからだ。
犯人については、燎原君が調査してくれると言っていた。
今のところ、俺にできることはない。
だから、まずは兄上の書状を、太子狼炎に送り直すことにしたんだ。
そんなことを思いながら、俺は作業を進めていた。
そうして、しばらくすると──
「失礼いたします。芳さま。王弟殿下のお使いの方がいらっしゃいました」
不意に、白葉が俺を呼びに来たのだった。
黄家にやってきたのは、燎原君の部下の炭芝さんだった。
客間にやってきた炭芝さんは、使者としての礼をしてから、
「これから太子殿下に書状を送られるときは、こちらにご一報をお願いしたいのです」
──真面目な表情で、そんなことを言った。
「黄海亮どのの書状が届かなかった件については、王弟殿下が調査されることとなりました。王宮での調べは進めておりますが、念のために、書状を出されたことを記録しておいた方がよろしいでしょう」
「配達記録を残すということですね」
「天芳どのはうまいことを言いますな」
「ただの思いつきですけど」
俺が元いた世界では、重要な手紙を出すときに記録を残しておいたからな。
それと同じようなことを、燎原君がやってくれるってことか。
「これは犯人が見つかるまでの処置です。お願いできますかな?」
「承知いたしました」
俺は一礼して、
「兄上の書状を王宮にお届けする際には、炭芝さまにお知らせいたします」
「よろしくお願いします」
「このことは、太子殿下も?」
「むろん。承諾をいただいております」
「わかりました。ちょうど今、兄上の書状の写しを清書しているところです」
俺は言った。
「午後には、王宮にお届けできると思います。その後、お屋敷に報告に参ります」
「お願いいたします。ところで天芳どの」
「はい。炭芝さん」
「実は……天芳どのがおっしゃったことが、王宮で話題になっているのですよ」
炭芝さんは声を潜めて、
「宴席でおっしゃったそうですな。『戊紅族を味方につけるべき、と」
「はい。申し上げました」
「あの話が、国王陛下の耳に入ったのです。王弟殿下によりますと、陛下は、天芳どののご意見を気に入られたそうで」
「国王陛下が!?」
予想外だった。
あの場で口にしたことは、前世の知識を元にした思いつきだ。
それが国王の耳に入るとは、思ってもいなかったんだ。
「ですが太子殿下は、あれは宴席の場での雑談だと……」
「わかっております」
炭芝さんはうなずいた。
「それが国王陛下のお耳に入るとは、私どもも予想しておりませんでした。陛下が天芳どのの提案に興味を持たれたのは……おそらくは、ある事情のためでしょう」
「事情ですか?」
「高位の武官の中に『壬境族の領地に攻め込むべし』と主張する者たちがいるのです」
炭芝さんは説明をはじめた。
太子狼炎が襲われたことをきっかけに、王宮では『大軍を率いて攻め込み、壬境族に罰を加えるべき』という意見が出てきているらしい。
いわゆる、主戦派というやつだ。
彼らは『藍河国の力なら、壬境族など一気に攻め滅ぼせる』と主張している。
けれど、壬境族の領地に攻め込むのは危険が大きい。
奴らの領地は遠い。兵士を送り込んだ場合、補給を維持するのが難しい。
足の遅い輜重隊は、騎兵の格好の的だ。
守るために、護衛の兵士が大量に必要になる。
また、奴らの領地は土地が険しく、道も細い。
こちらは大軍のメリットを活かしにくい。
その上、地図がない。攻め込む場合は、手探りで進むしかない。
逆に壬境族は地形を熟知している。
いつでも奇襲できるし、こちらの兵士をさらに奥へと引き込むこともできる。
だから父上や燎原君は、慎重にことを進めるべきだと主張してきたんだけど……ここに来て、主戦派が強気に出てきているのか。
「もちろん、壬境族が危険であることに代わりはありません。必要ならば軍を率いて、攻め滅ぼすべきでしょう」
炭芝さんは続ける。
「ですが、その前に十分な準備が必要です。遠征しての長期戦は危険です。戦うならば、一度の戦いで決着がつけられるようにするべきなのです。私も王弟殿下も、そう考えております」
「ぼくも同感です」
俺は答えた。
「それに、父上は常々、壬境族を倒すためには、周囲の異民族を味方につけるべきだと言っています。それは異民族を通して、壬境族の領地の情報を得るためでもあるのでしょう」
「おっしゃる通りです。王弟殿下が北の地に調査員を派遣しているのも、壬境族の情報を得るためですから」
炭芝さんはうなずいた。
「ですが、それでは満足しない者たちもいるのです。大国である藍河国が、壬境族の処理に時間をかけているのが許せない。そう考えているようでして」
「そうだったのですか」
「そこで、天芳どのの提案が重要になってくるわけです」
そう言って炭芝さんは、笑った。
「『戊紅族』を味方につける。あるいは、使者を送って友好を結ぶ……これはすぐにできることです。実行すれば、主戦派に対して、壬境族対策が進んでいると主張することができます。我々は異民族を味方につけて、壬境族を包囲しようとしているのだ、と」
「主戦派の人たちをおさえられる、ということですか?」
「そうです。天芳どのの発想はたいしたものですよ」
「とんでもありません」
俺は慌てて頭を振る。
「あれくらいのことは、誰でも思いつくんじゃないでしょうか。偶然、ぼくが口にしただけで」
「それをおおやけの場で述べられたことと、殿下が興味を示されたことが重要なのです」
炭芝さんは真剣な口調で、言った。
あの宴席には、多くの武官や文官たちが出席していた。
そういう人たちの前で、俺は太子狼炎に『戊紅族と結ぶべき』と口にした。
太子狼炎もそれを否定しなかった。
だから、武官や文官たちも、それを真面目に考える必要がでてきた。
結果として国王の耳に入って、実際の検討課題になった
──つまりは、そういうことらしい。
「我が国は近いうちに、『戊紅族』の元へ使者を送ることになると思います」
炭芝さんはそう言って、拱手した。
「その際は、天芳どのに同行をお願いしたいのです」
「ぼくがですか!?」
「国王陛下と王弟殿下は、そのようなお話をされたようです。『戊紅族』の使者には、黄天芳を加えるのがふさわしい、と」
「ぼくが『戊紅族』と結ぶことを提案したからですか?」
「いいえ」
炭芝さんは、首を横に振った。
「天芳どののおかげで、我々が『戊紅族』の知人を仲間にできたからですよ」
「『戊紅族』の知人……とおっしゃいますと?」
「玄秋翼どのです」
──玄秋翼どの。つまり、秋先生。
え? 秋先生が『戊紅族』の知人だったの?
「玄秋翼どのは周辺国を旅しながら、人々を治療してきました。その中に、『戊紅族』の族長に近い立場の者がいたそうです。彼らの村には入れてもらえなかったそうですが、それでも、非常に感謝されたと」
「……秋先生が」
「玄秋翼どのは『戊紅族』との間を取り持ってくださるそうです。ならば、今後のことを考えて、玄秋翼どのの弟子である天芳どのにも、同行していただくのがいいと思うのですよ」
「それは、秋先生が遍歴医だからですか?」
「そうです」
「秋先生は『戊紅族』に信頼されている。でも、秋先生は藍河国の人間じゃない。これから『戊紅族』と付き合っていくのであれば、秋先生の弟子で、藍河国の人間であるぼくが、使者になるべき、ということでしょうか……?」
「さすが天芳どの。話が早いですな」
炭芝さんは感心したように、うなずいた。
「そうですか。秋先生は、『戊紅族』を助けたことがあったんですね……」
ゲームでも秋先生は、大陸中のあちこちを移動していた。
『戊紅族』の治療を行っていても不自然じゃない。
燎原君が『戊紅族』と友好関係を結ぶことを考えるなら、国中を回っていた秋先生に相談するのは当然のことだ。
秋先生は義理堅い人だから、それに協力するのも当たり前。
でも、秋先生は遍歴医として、また旅に出るつもりでいる。
彼女がいなくなった後で、『戊紅族』とよしみを結べる人材が必要になる。
一番いいのは冬里さんだけど、彼女は身体が弱い。
あまり無理はさせられない。
となると、次に秋先生に近い立場の俺が、『戊紅族』の使者になるのがふさわしい……ってことか。
……仕方ない。
『戊紅族』と結ぶことを提案したのは俺だからな。
言ったことには責任を取ろう。
それに『戊紅族』と結ぶことは、『藍河国破滅エンド』を避けるのに役立つかもしれない。
『戊紅族』と友好関係を結ぶことができれば、優秀な人材が、藍河国の味方になる。
壬境族の情報を得ることもできる。
その実績を盾に、主戦派を抑えることもできる。
主戦派が暴走して、北の地に攻め込んで大敗……ってこともありうるからな。
そうなったらまた、父上と兄上が危機にさらされることになる。
そういう事態は避けたい。
俺にできることがあるなら、やるべきだろう。
「承知いたしました。炭芝さま」
俺は炭芝さんに向かって、拱手した。
「『戊紅族』への使者の役目、よろこんで受けさせていただきます」
「うむ。期待しておりますぞ」
炭芝さまは安心したような息をついた。
それから、俺をじっと見て、
「その報酬というわけではないのだが、王弟殿下はおもしろいことをおっしゃっておりましたぞ」
「おもしろいこと、ですか?」
「『黄天芳に部隊をひとつ任せてみたい』と」
炭芝さんは、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「王弟殿下は、天芳どのを中心とした部隊を作られたいようです。天芳どのが自分で部下を集め、自身の裁量で動ける部隊を。それを王弟殿下が全面的に支援されたいと」
「ぼくが、自分の部隊を……?」
「先の話になると思いますが、考えておいていただけないでしょうか」
おどろく俺に向かって、炭芝さんはそんなことを告げたのだった。




