第53話「兆家(ちょうけ)の親子、語り合う」
──宴席が行われた翌日──
「狼炎殿下は、黄家にお心を寄せすぎではないだろうか」
王宮で宴席が開かれた、翌日の朝。
兆石鳴は自室で、そんな言葉をつぶやいていた。
「殿下の『不吉の太子』の名を消すことに尽力してきたのは、我が兆家だ。なのに、どうして殿下は……」
「父上のおっしゃる通りかと思います」
若い声が、それに応えた。
兆家の嫡子、兆昌括だった。
「齢が近いというだけで、狼炎殿下は黄海亮を『我が友』と呼び、厚遇されております。本来ならば『我が友』と呼ばれるべきは、この昌括であるべきなのに……」
「不満か。昌括よ」
「恐れ多いことながら」
「気持ちはわかる。我が姉──太子殿下の母君が亡くなられていなければ、こうはならなかっただろうに」
兆石鳴の姉は、藍河国王の正妃だった。
彼女は国王に寵愛され、後宮に入った翌年に狼炎を産んだ。
そして、ちょうどその翌年に、病で命を落とした。
彼女が死んだのは、太子狼炎の1歳の誕生日のことだった。
彼女の死もまた、狼炎が『不吉の太子』と呼ばれている理由のひとつだ。
彼が生まれた日に、天に凶星が流れたこと。
それを見た学者が『狼炎殿下は不吉な星をもって生まれてきた』と告げたこと。
翌年の誕生日に、正妃であった母親を亡くしたこと。
すべてが、太子狼炎が不吉な人間であることを指し示しているのだった。
「だからこそ、太子殿下には『不吉の太子』の汚名を払拭するほどの功績を立てていただかねばならぬ」
兆石鳴はため息をついた。
「私は殿下が幼いころから、そう申し上げている。太子殿下の名を上げるために、兆家は協力を惜しまぬと。なのに、どうして太子殿下は、兆家を頼ってくださらぬのか……」
「太子殿下は武を尊ばれるお方です」
昌括は唇をかみしめて、
「ゆえに、壬境族と戦った経験を持つ黄家を重んじているのかもしれません」
「実績か。だが、それは敵がいてこそだ。王都にいる我らには、どうしようもないではないか」
「どうして国王陛下は、父上に北の守りを任せてくださらぬのでしょう」
「ああ。私が北の守りについたなら、壬境族など攻め滅ぼしてみせるものを」
『奉騎将軍』である兆石鳴の役目は、王都とその周辺を守ることだ。
だから、彼と彼の部下は、王都周辺の砦を任されている。
兆家は、太子狼炎の外戚にあたる。
それゆえに国王は兆家を信頼し、王都の守りを任せているのだろう。
そのことは兆石鳴もわかっている。
けれど、焦りを感じるのも確かだ。
王都周辺に配備されている将軍が、華々しい戦果を上げるのは難しい。
北の地で異民族と戦っている黄英深に対して、どうしても引け目を感じてしまう。
それが、悔しかった。
「『飛熊将軍』の黄英深は壬境族を撃退するという功績を立てた。彼の子である黄海亮も、壬境族から民を守り抜いている。その上、黄天芳までもがおおやけの場で、狼炎殿下からおほめの言葉をもらうとは……」
「必要なのは機会です。父上」
昌括は父の前に進み出て、告げる。
「機会さえあれば、太子殿下の関心を、我が兆家に取り戻すことができましょう」
「その機会がないから嘆いておるのだ」
「では、申し上げます」
昌括は、父石鳴の前で平伏した。
「この昌括は、常に各地の情報を集めております。その中で、気になるうわさを見つけました」
「申してみよ」
「北の地に流れるうわさです。『壬境族は、北の地を守る将軍が、兆石鳴に替わることを恐れている』と」
昌活はよく通る声で、そんなことを告げた。
「北の地にいる友人から聞いた話です。彼は、こうも言っていました。『黄英深が消極策を採っている間に、壬境族は力をつけるだろう。それは長い目で見れば、壬境族にとっての利益になる』『壬境族は、北の地の守り手が黄英深でよかったと言っている。兆石鳴将軍ならば、壬境族の領地に攻め込み、彼らを滅ぼしてしまうからだ』と」
「ただのうわさであろう」
兆石鳴は、うっとうしそうに手を振った。
「そのようなものに踊らされてどうする。お前がそんなことでは困るぞ、昌括よ」
「踊らされるつもりはありません」
昌括は得意げな表情で、
「ですが、私以外のものが、うわさに踊らされることもありましょう」
「……なんだと?」
「うわさを止めようとするのは、河の水をせき止めようとするようなもの。いずれは溢れ出し、国を動かすことになるでしょう。近いうちに、必ず」
「昌括よ」
兆石鳴は鋭い目で、嫡男をにらみつけた。
「お前は一体、なにをするつもりなのだ?」
「兆家が功績を立てること。それによって太子殿下の『不吉の太子』の名を払拭すること。私は常に、それを第一に考えています」
「……しかし」
「黄海亮からの書状を処分するようなことは、もうできませんよ。父上」
「…………わかっている。だからといって」
「兆家は功績を上げるため、手を尽くすべきなのです。いずれはそれが、太子殿下のためになるのですから」
昌括はまた、平伏する。
床に額をこすりつけながら、昌括は、
「責任はすべて、私が取ります。父上はなにも知らなかったことにしてください。すべては国を守り、太子殿下の『不吉の太子』の名を消し去るために必要なことなのです。大いなる成果を上げて、兆家が、太子殿下をお助けするために」
決意を込めた声で、昌括はそんなことを宣言したのだった。




