第52話「天下の大悪人、王宮の宴席に参加する(4) -天芳と狼炎-」
「いけません太子殿下」
太子狼炎を止めたのは、兆石鳴だった。
「無位無冠の者に直言をお許しになるなど、前例がありません」
「なにを言う石鳴。私は黄家の者と話をするために、招待状を出したのだぞ」
「黄天芳への用件は済んでおります」
「ふざけるな石鳴。黙って聞いていれば、なんだ、さきほどの話は!」
太子狼炎は、兆石鳴をにらみつけた。
「この狼炎は…………北の地で…………黄家の者たちに助けられた。それは……事実だ。認めたくないが……事実なのだ」
その言葉の後、広間に、沈黙が落ちた。
太子狼炎は袍の袖に爪を立てながら、絞り出すような声で、
「なのに貴公は黄天芳に『北の地に太子殿下とともに戦い、異民族を追い払った』などと……貴公は私をばかにしているのか!?」
「そ、それは、太子殿下のために……」
「『不吉の太子』の名を消し去るのは、この狼炎自身が立てた功績でなくてはならぬ!」
太子狼炎は叫んだ。
「私にはそれができぬというのか!? 石鳴よ!」
「で、殿下! その言葉を口になさっては──」
「私が『不吉な太子』と言われていることなど、皆が知っていることだ。もう、隠すのもばかばかしい!」
「……殿下」
「汚名は存在する。だが、それを拭い去るのために他者の功績を奪ったりはせぬ! 汚名を拭い去るのは、私自身の功績でなければならぬ!」
「ですが殿下、配下の功績は将に帰するもので──」
「壬境族と戦ったとき、部隊の将は我が友、黄海亮であった」
「……う」
「配下の功績が将に帰するのであれば、すべての功績は海亮に帰するものであろう。貴公は私に、友の功績を奪えと言うのか!?」
……そういえば、藍狼炎はこういう人だったっけ。
とにかく、プライドが高い。他人を見下す癖がある。
けれど、能力があるのは間違いない。
ゲームに登場する狼炎王は、間違いを認めない人だった。
たぶん、高すぎるプライドが邪魔していたんだろう。
でも、太子時代の狼炎はプライドのせいで、他人の功績を奪うことが許せないみたいだ。
「我が友の弟である黄天芳に告げる」
もちろん、太子狼炎が俺にいい感情を持っているわけじゃない。
俺を見る太子狼炎は、苦々しい顔をしてる。
「壬境族との戦いでのことは、感謝している」
「もったいないお言葉です」
「だが、あれは一度だけのことだ」
太子狼炎は歯噛みしながら、告げる。
「貴公に救われることは、二度とないようにする。さもなければ、我が直属の『狼騎隊』の者たちに申し訳が立たぬからな」
「殿下のおっしゃりようこそ、尊いものだと考えます」
「……そういえば貴公は、壬境族の王子の名を知っていたな」
ふと、太子狼炎は、なにかに気づいたように、
「噂話で聞いたと言っていたが、相違ないか」
「おっしゃる通りです」
本当はゲーム『剣主大乱史伝』の知識だけど。
それは口に出せないからな。
ゼング=タイガの情報は、噂話で聞いたことにしたんだ。
「ぼくの父と兄は、北の地の守りについております。微力ながらその手助けができればと思い、様々な情報を集めておりました」
「そうか。貴公はそういう人物であったか……」
「太子殿下?」
「なんでもない。ならば、貴公を事情通とみて、たずねる」
太子狼炎はまっすぐに俺を見た。
「我が国が壬境族の脅威に対抗するには、どのような手段があると思うか」
「──殿下!?」
「無位無冠の者に訊ねることでは──」
「壬境族と戦ったとはいえ、黄天芳は若輩者ですぞ!」
広間に集まった人々が、口々に声をあげる。
俺もびっくりしている。
まさか、太子狼炎が俺に軍事について聞いてくるとは思ってなかった。
変なことを言ったら、父上と兄上に迷惑がかかるな。
ここは無難に、父上の言葉を借りることにしよう。
「壬境族への対策につきましては、我が父、黄英深と同意見です」
俺は答えた。
「壬境族の動きを抑えるために、彼らのまわりにいる異民族と協力するべきだと考えております。壬境族は好戦的な者たちですから、他の民族も被害を受けております。使者を送り、よしみを結べば、協力することは可能でしょう」
「海亮も、同じことを言っていたな」
「はい。兄上はぼくの目標です」
「だが、壬境族のまわりには複数の異民族がいる。最初に結ぶべきはどこだろうか?」
「……殿下」
「雑談だ。国の方針を決めようというわけではない」
そう言われても困る。
俺が知っているのは10年後の『剣主大乱史伝』の情報だ。
当時、北の地には壬境族しかいない。
今いる異民族たちは、すべて壬境族に征服されてしまったのだろう。
ゲームの世界では、藍河国が大混乱していたからな。
壬境族としては、攻められる心配がない。だから遠慮なく、他の異民族を侵略できたのだろう。
その証拠に、ゲームに登場する壬境族のキャラには、一風変わった人たちがいた。
壬境族とはまったく異なる装束をまとっている者たちだ。髪の色も違ってた。
彼らは壬境族の中では下っ端だった。なのに、能力値が高かった。
だから不思議に思っていたんだけど……もしかしたら、彼らは壬境族に征服された、異民族の人だったのかもしれない。
ゲーム画面では赤い髪で、襟巻きをつけていたのを覚えている。
そういう姿をしていて、現在、藍河国のまわりにいる異民族といえば──
「──戊紅族を味方につけるべきでは、ないでしょうか」
俺は答えた。
戊紅族とは、北西の山に住んでいる人々だ。
閉鎖的だけど、藍河族に敵対したことはないはず。
「戊紅族か……ふむ」
太子狼炎は、考え込むようなしぐさをした。
「意外な言葉を聞いたな。どう思う。石鳴よ」
「これは雑談でしたな。殿下」
「ああ。宴席での雑談だ」
「ならばお答えいたします。特に検討する必要のない提案だと考えますが」
「根拠は?」
「戊紅族は周辺の異民族の中で、もっとも勢力の弱い者たちです。山中で暮らしており、他者と関わることも少ないと聞いております。そのような者と結んだところで、我が国の力にはならないと心得ますが」
「なるほど」
太子狼炎はうなずいて、それから、俺の方を見た。
「石鳴はこう言っているが、貴公の意見はどうだ? 黄天芳」
「戊紅族は弱小勢力ということですね」
「ああ。そうだ」
「すごいですね。そのような小勢力が、壬境族の近くで独立を保っているのですから」
ゲームで、壬境族の配下になっている赤毛のキャラ──戊紅族は、強かった。
武力でゼング=タイガにおよばないけれど、それなりの武力を持ち、知力の高い将軍もいた。
10年前の現在、そういう優秀な人物がいるおかげで、戊紅族は独立を保っていられるのかもしれない。
「小勢力でも壬境族に対して独立を保っております。そのことこそ、戊紅族に強力な人材が揃っている証拠ではないでしょうか」
「だが、小勢力は小勢力だ」
「我が国が礼を尽くして交流を結ぶほどの相手ではない、ということですか」
「ああ。そう思う」
「確かに、藍河国から見れば戊紅族は小さいかもしれません」
俺は一礼して、答える。
「ですが、壬境族にとっては取り込む価値のある相手です」
「……む」
「壬境族が戊紅族を征服すれば、それだけ彼らの勢力は大きくなります。より強力になり、藍河国に向かってくるかもしれません」
「……ううむ」
「戊紅族は確かに小勢力です。だからこそ、こちらは大国としての器量を示すべきかと考えます。戊紅族が藍河国の味方になれば、壬境族をおそれる他の異民族が、藍河国に朝貢に来ることも考えられます。大きな味方を増やすために、まずは小さな味方を増やすのはいかがでしょうか」
「……前にも貴公は、同じことを言ったな」
太子狼炎は、苦いものを噛んだような顔になる。
「相手が雛鳥であれば、それに手を貸し、守り合う関係になればいいと。貴公は……そのようなやり方を好むようだな」
「おそれいります」
「話は……わかった。ここまでにしておこう」
太子狼炎は軽く手を振った。
「大儀であった。やはり……黄家の者と話すのは楽しいな」
「もったいないお言葉です」
「海亮も、最近は書状をくれぬからな。つい、貴公と話したくなったのだ。黄天芳よ」
「……え」
それはおかしい。
兄上からの書状は王宮に送っているはずだ。
なのに、太子狼炎のもとには届いていないのか?
「おそれながら申し上げます」
俺は平伏して、声をあげた。
最後に、一言くらい付け加えてもいいだろう。
「我が兄、黄海亮のことです。兄からの書状には、常に太子殿下のことが書かれております。兄が太子殿下を心配しているのは、間違いございません」
「海亮ならばそうであろうな」
「そして兄は、太子殿下にお送りした書状にお返事をいただけないのが残念だと、母に申しておりました」
「──なに?」
太子狼炎の顔色が変わった。
「海亮は書状を寄越していたのか!? だが、届いておらぬぞ!?」
だと思った。
太子狼炎は兄上のことを気にかけている。「我が友」と呼んでいる。
この人が兄上の書状を無視するとは思えない。
たぶん、兄上の書状は、どこかで止められている。
そういうことをする人間が、太子狼炎の側にいるということだ。
「どうなっているのだ? 我が友からの書状が届かぬとは……」
「王宮には、日々多くの書状が届いております」
言葉を発したのは、兆石鳴だった。
「重要な書状、北の地からの報告書などもあります。その中に紛れてしまったのでしょう。私の方で調査を行いましょう。よろしいですかな。太子殿下」
「いえ、調査はこちらで行いましょう」
庭園の入り口の方から、声がした。
振り返るとそこには王弟殿下──燎原君の姿があった。
「私的なものとはいえ、国境を守る者からの書状です。それが失われたというなら看過できません」
「……叔父上」
「遅れて申し訳ありません。殿下」
燎原君はおだやかな笑みを浮かべたまま、
「今回の件は、私に調べさせてはいただけませんか?」
「王弟殿下のお手をわずらわせるほどのものでは……」
「北の地に関わる情報をあつかうのは、私の仕事です。兆石鳴どの」
「……そ、それは」
「部下に調査させます。よろしいですね」
「…………承知いたしました」
兆石鳴は答えた。
それを合図に、俺は自分の席へと戻ったのだった。
その後は、普通に宴席が続いた。
太子狼炎はしばらくの間、不機嫌そうな顔をしていた。
そうして、宴が盛り上がる前に、退出してしまった。
宴の途中で燎原君は、待合室でのできごとを教えてくれた。
星怜が礼儀正しく、待合室で過ごしていたこと。
燎原君の娘の夕璃が、星怜と仲良くなったことを。
「近いうちに妹君を屋敷に招待させていただきたい。そのときに、君の兄君の書状についての調査結果を伝えよう」
そう言って、燎原君は退出していった。
その後は、なにごともなく宴席は続いて、終わって──
「お待ちしていました。兄さん」
「お役目、おつかれさまです。芳さま」
俺は無事に星怜たちと合流して、黄家へと帰ったのだった。




