第41話「天下の大悪人、遍歴医の玄秋翼と交渉する」
「いえ……お見苦しいところをお見せしたのは、ぼくの方です」
俺は一礼した。
俺が目の当たりにしたのは、導引の達人だった。
『獣身導引』をしている冬里さんは、自分自身が人間だということを忘れているように見えた。
だから、俺の目にも、猫そのものであるかのように見えたんだ。
それに『獣身導引』の後に見せてくれた、あのかたちはなんだろう。
猿か?
でも、どうしてそんなものが追加されているんだ……?
もしかしたら大師匠は、新たな導引法を編み出したんだろうか。
それを身に着けたら、俺の内力──『気』の力も強化されて、壬境族やゲームに登場する英雄たちと、対等に戦えるようになるんだろうか。
「ありがとうございました。冬里さん」
俺はまた、冬里さんに頭を下げた。
「冬里さんのおかげで、ぼくは自分が未熟だということを知りました。『獣身導引』の精度をここまで上げられるなんて知りませんでした。正直、感動しています」
「黄天芳さま……」
「ぜひ、師嬢として指導してください!」
「それは私の問いに答えてからだよ。黄天芳くん」
秋先生はにやりと笑って、
「冬里が見せた『獣身導引』の正式名称を、すべて言ってみたまえ」
「猫のかたちの『猫超伸縮』『猫丸鞠如』『猫液状化』です」
「最後のものは?」
「……わかりません」
「なるほど。やはり雷光どのには、あの導引法は伝わっていないのだね」
そう言って、秋先生は手を差し出した。
俺は反射的に、その手を取る。
すると、秋先生は俺の手首に指を当てて、
「君の内力の状態を確認してみよう。君は目を閉じ、自分の中の『気』の流れを感じ取りなさい」
直後、秋先生の指先から──炎のような熱が伝わってくる。
それが過ぎ去ったかと思うと、水……氷のような『気』がやってくる。
すごい。秋先生は、内力を自由に変化させることができるのか。
俺と小凰は『五神剣術』の木・火・土・金・水の属性の技が使える。
でも、秋先生は当たり前のように『気』を火のように、あるいは水のように変化させてる。
これが内力の専門家の力なのか。
「君の中には『天元の気』があるのだね」
秋先生は言った。
「雷光が、内力の師匠を探すように言ったのもわかる。体内の『気』が、純粋な『天元の気』だけでできている。こんな人間ははじめてだ……」
「秋先生。聞いてもいいですか?」
「なにかな」
「『天元の気』というのは、なんなんですか?」
「仰雲師匠は『あらゆるものに変化することができる「気」だ』と言っていた」
「あらゆるものに?」
「火にもなれるし、水にもなれる。木にも土にも金にもなれるそうだ」
「ですが、秋先生も今、内力の属性を変化させましたよね」
「『天元の気』は、複数の属性を同時に発現できるのさ。鍛えれば、五行の全属性を同時に使えるようになるそうだよ」
「全属性を!?」
「『やろうと思えば、剣から炎を発したり、身体を金属のように強靱にできる』と、仰雲師匠はおっしゃっていた。わかるかな?」
「イメージ……じゃなかった、想像はできますけど……」
俺は手から炎を生み出そうとしてみた。
なにも起きなかった。そりゃそうだ。
そんな内力があるなんて実感がないし、使い方もわからない。
「秋先生。ぼくに『天元の気』の使い方を指導していただけないでしょうか」
俺は姿勢を正して、秋先生を見た。
そのまま、深々と頭を下げる。
「お礼はします。多少の武術は学んでいますから……護衛や、あるいは荷物運びなど、先生のお手伝いができると思います。ですから、どうかぼくに『天元の気』の使い方を教えていただけないでしょうか」
「教えることは、できると思う」
「本当ですか?」
「ただ、君はその力をなんに使うつもりなんだい?」
「自分と、家族を守るために使います」
俺は迷わずに答えを返す。
「ぼくは北の地で、異民族と戦いました。なんとか撃退したのですが……同門の師兄がいなければ、敵に殺されていたかもしれません。同じことが起きないように、力の使い方を学んでおきたいんです」
そうすれば乱世になっても、星怜や小凰を連れて逃げられる。
父上や兄上、母上や白葉も救うことができる。
本当は……『四神歩法』を覚えるだけのつもりだったんだけど。
でも、ゼング=タイガが登場してしまったからな。
これからも同じような連中が現れないとも限らない。
10年後の乱世を生き延びるために、準備しておかなきゃいけないんだ。
「これが、ぼくが『天元の気』の使い方を学びたい理由です」
しばらく、間があった。
秋先生は考え込むようなしぐさをして、それから、横にいる冬里さんを見た。
彼女の手首に触れて、目を閉じて──なにかを探るような表情になる。
そして──
「いいだろう。私が君を指導してあげよう」
「ありがとうございます!」
「ただし、条件がある」
「うかがいましょう」
「私と、娘の冬里を藍河国へ連れていってくれないか」
秋先生は言った。
「私は遍歴医だからね。そろそろ、移動を始めようと思っていたところだ。君が藍河国から来たのならちょうどいい。しばらくの間、そちらで仕事をするとしよう」
「それは……ありがたいお話です」
予想外だった。
今回は内力の指導者を見つけて、指導の予約だけするつもりだった。
その後、父上や玉四母上の許可を取ってから、奏真国に留学するつもりだったんだ。
秋先生が藍河国に来てくれるなら、留学の必要はなくなる。
雷光師匠のときと同じように、自宅から通いで指導を受けられる。
それは俺にとって、願ってもない話なのだけど──
「わかりました。ただ、ぼくは公用で奏真国に来ておりますので、同行の者たちに話を通さなければいけません。その後、お迎えに来るということでいいですか?」
「構わない。それと、もうひとつお願いがある」
そう言って、秋先生は冬里さんの肩を押した。
「君はこれから、冬里と一緒に導引をしてもらえないだろうか?」
「お、お願いします!」
冬里さんは筵の床に額をつけた。
「この子は昔、大きな怪我をしてね。そのせいで内力に問題が出ているのだ」
秋先生は言った。
「ほとんど治ってはいるのだが、完全ではない。だが、君と内力のやりとりをすれば、それを取り除けるかもしれないのだ」
「秋先生でも取り除けない内力の問題……ですか?」
「そうだよ。もともと冬里の身体を癒やすために、私は仰雲師匠に弟子入りしたのだよ。それで一命は取り留めたのだが……」
内力の異常を完全に取り除くことはできなかった。
そのせいで、冬里さんは時々、体調が悪くなるそうだ。
原因は、体内の『気』の流れ……いわゆる経絡にダメージが残っていること。
それで冬里さんは健康維持のために、仰雲師匠直伝の導引法をしているそうだ。
「君の『天元の気』の力を借りれば、冬里を完全に癒やすことができるだろう。代わりに私は、君の内力の指導をする。どうかな? この条件を受け入れてくれるだろうか」
真剣な表情で、秋先生はそんなことを言ったのだった。
次回、第42話は、日曜日くらいに更新する予定です。




