第26話「奏凰花、誓いを立てる」
──数時間後──
「ふたりとも、よくがんばったね」
「はい。師匠」
「…………はい。師匠」
俺と師兄は午後の早い時間に、穂楼の町に到着した。
師匠は町の門の前で、俺たちを待っていた。
町の門にたどりついたのは、師兄より俺の方が先だった。
洞窟で休憩したあと、俺たちは「いちにのさん」で走り出したのだけど……『歩法』は、俺の方が速かった。目算で20メートルから30メートルの差をつけて、俺は師匠と合流した。
といっても、時間で言えば師兄との差は十数秒程度。
長距離を移動した俺たちにとっては、誤差みたいなものだ。
そうして師匠と合流した俺たちは剣術の試験のため、移動をはじめたのだった。
「それにしても、ずいぶん早かったね」
町の片隅……小さな広場で足を止めて、師匠は言った。
「日暮れまでかかると思っていたよ。ふたりとも、無理したんじゃないか?」
「少し近道をしました。でも、大丈夫です」
「…………だいじょうぶ、です」
師匠の問いに答える、俺と師兄。
師匠は安心したようにうなずいて、
「そうか。それはよかった。ところで、化央」
「……師兄。呼んでますよ?」
「…………」
「化央?」
「師兄?」
「………………は、はいぃっ!」
俺の後ろにいた師兄──小凰が、慌てて姿勢を正す。
「な、なんでしょうか。師匠」
「ぼーっとしてるね。疲れたのかな?」
「僕は大丈夫です。問題ありません」
「そうか。ところで、ずいぶんとすっきりした顔をしているね?」
「え?」
「身体の気も充溢しているようだ。長距離を移動してきたのに、不思議だね。それに、服があまり濡れていないね。雨やどりでもしてきたのかい? それに……」
「師匠! そ、それより、試験の話をしてもいいでしょうか!」
小凰は気をつけの姿勢のまま、声をあげた。
それから、師匠に向かって拱手して、
「師匠に申し上げます。僕は『歩法』の試験で天芳に敗れました」
「そうだったね。でも、僅差だったからね」
師匠は優しい笑みを浮かべて、
「あれくらいの差なら、『剣術』の試験で取り返せるんじゃないかい」
「いいえ」
小凰は頭を振った。
「僕は『剣術』の試験を、辞退したいと思います」
「辞退? 理由を聞いてもいいかな?」
「僕は生涯、天芳に刃を向けないと決めたからです」
小凰は師匠の顔を見つめたまま、宣言した。
「誓いを立てたこの日に、天芳に剣を向けることはできません。たとえ、それが訓練用の木剣であってもです。明日以降ならば、木剣で立ち合うことはできるでしょう。ですが今日だけは、いかなる武器であっても、天芳に向けたくはないのです」
「それでも私が立ち合えと言ったら?」
「僕は棒立ちのまま天芳の剣を、この身に受けましょう」
「化央。聞いてもいいかな?」
「はい。師匠」
「鳳凰はその翼を天芳に見せたのかい?」
師匠はたずねた。
鳳凰とは、たぶん、凰花のことを示している。
師匠は『凰花は自分の正体を、天芳に教えたのか?』と聞いているんだ。
「はい。天芳は『それでも朋友です』と言ってくれました。僕は彼の真心に応えたいのです」
自分を偽り、他人を騙し、正体を隠していた自分を、天芳はまるごと受け入れてくれた。
そんな彼に、刃を向けることはできない。
──小凰は師匠の前に膝をついて、そんなことを言った。
「お許し下さい。師匠」
「試験を放棄しても構わないのだね?」
「はい」
「ごほうび……つまり、私が伝えるはずの技は、天芳のみが会得する。それでも?」
「はい。師匠」
「……ふむ」
「ちょっと待ってください師匠! 師兄も!!」
え? なんでこんな話になってるの?
小凰が試験を放棄って……そりゃ駄目だろ。
だって小凰はお母さんを故郷に帰すために、『お役目』を受けたがっていたのに。
試験を放棄したら……その機会を失ってしまうじゃないか。
「では師匠! ぼくは試験そのものを辞退します。『お役目』とごほうびは師兄にあげてください!」
「天芳!? なにを言う!?」
「お願いします。師匠」
しばらくの間、沈黙が落ちた。
ここは穂楼の町の片隅だ。
『剣術』の試験を行うために、師匠が人目につかない場所を選んだのがよかった。
ここでなら、堂々とお願いごとができる。
「…………まったく、君たちは。ふふ。ふふふっ」
師匠の口から、笑い声が漏れた。
「おたがいに譲り合う武術家など、はじめて見たよ。まったく……君たちときたら……まったく」
「師匠?」「どうされたのですか?」
「君たちが弟子でよかったと言っているのさ」
ひとしきり笑ったあと、師匠は言った。
「あのね化央、天芳。どうして『四神剣術』『四神歩法』の伝承者が私しかいないのか、知っているかな?」
「……いいえ」
「……考えたこともなかったです」
俺は首を横に振った。小凰も同じだ。
『剣主大乱史伝』で『四神歩法』が使えるのは雷光師匠だけだった。
だから俺は師匠に弟子入りしたんだけど、よく考えると不自然だ。
俺に師兄がいるように、師匠にだって兄弟弟子がいてもおかしくはないのに。
「その秘密はね。『獣身導引』にあるんだ」
「『獣身導引』に、ですか?」
「『四神剣術』と『四神歩法』を使うには、『獣身導引』で内力を高める必要がある。けれどあの導引法は、ひとりでやっても効果が薄い。あの導引法で強い内力を手に入れるためには、ふたりで一緒に導引をして、おたがいの気をやりとりする必要があるんだ」
この世のものは、二対で成り立っている。
──陽と陰。
──天と地。
──太陽と月。
──昼と夜。
──男性と女性。
それらがめぐり、交わることで世界は成り立っている。
『獣身導引』は、その原理を元にした導引法だそうだ。
そのため、ひとりで導引をやっても効果は薄い。
真の効果は、若いころから、ふたり同時に行うことで発揮される。
ふたりの人間が触れ合い、『気』をやりとりすることで、おたがいの内力を高めていく。
それが師匠の流派に伝わる、『獣身導引』の真の使い方らしい。
「ふたり同時に『獣身導引』をすることで、はじめて『四神剣術』『四神歩法』の真の力を使うことができるようになる。だけど……それは強い人間をふたり同時に生み出すということでもあるんだ」
武術家は、自分ひとりが最強になりたがる。
けれど、『獣身導引』で強くなるのは2人だ。
修行を続ければ続けるほど、強力なライバルを生み出すことになってしまう。
「だから我が流派の者は強くなればなるほど、おたがいに争いはじめてしまうんだよ。私の師匠も、それで道を誤った。同門の仲間を再起不能にしてしまったんだ。あの人は、ずっとそのことを後悔していたよ」
雷光師匠は遠い目をして、そんなことを言った。
「それで師匠は私に『獣身導引』『四神剣術』『四神歩法』を伝授したあと、自分は武術を捨てたんだ。まぁ、仙人になると言って山に入り、そこで亡くなってしまったんだけどね」
「……そうだったんですか」
「だが、君たちなら、おたがいに争ったりはしないだろう」
師匠はそう言って、笑った。
「というよりも、君たちは相手に『お役目』とごほうびを譲ろうとしてるんだからね。こんな武術家は他にいないよ。まったく……化央と天芳は……」
そう言って師匠は、お腹を抱えて笑い出した。
目に涙を浮かべて、心底楽しそうな顔で。
それから、ひとしきり笑った師匠は、顔を上げて、
「さてと、試験はこれで終了だ。君たちの成長は、十分に見せてもらったからね」
「はい。それで師匠。『お役目』のことなんですけど……」
「燎原君に伝えておくよ。化央と天芳。ふたりで『お役目』を果たします、とね」
あっさりだった。
拍子抜けするくらい軽い口調で、師匠は言った。
「君たちは勘違いしてたんだよ。私は君たちに『お役目』を果たす能力があるか試すと言ったんだ。だけど、お役目を果たすのがひとりだとは、一言も言っていないよね?」
……そういえばそうだった。
師兄は『君たちに仕事を任せられるか、私が試験することになった』と言った。
仕事を任せるのがひとりだけとは、一言も言ってなかったんだ。
「…………え」
あ、小凰が呆然としてる。
そうだよな。お役目を受けるのがひとりだと思って無茶したんだもんな。その結果、俺に正体を明かすことになっちゃったわけだし。
勘違いだってわかったら、力が抜けるのもしょうがないよな……。
「師匠。やっぱり、ごほうびは師兄にあげてください」
「それは駄目だ! 天芳。約束したからには……」
「はいはい。ごほうびはふたりにあげようね」
そう言って師匠は、笑った。
「君たちは武を競って、敵対したりはしない。それがわかっただけでも十分だ。ごほうびとして、第五の型『麒麟』を君たちふたりに教えよう」
そうして師匠は、俺と小凰に麒麟のかたちの『剣術』と『歩法』を教えてくれた。
師匠の流派の武術は、麒麟の型を学ぶことで完成するそうだ。
『四神剣術』と『四神歩法』では、青竜が五行の木、朱雀が火、白虎が金、玄武が水を意味する。
それに麒麟の地が加わったことで、木・火・土・金・水が揃うらしい。
「これらを使いこなすことができれば、変幻自在の攻撃や移動ができるようになるだろう。私が仕事にでかけている間、きちんと修行をしておくように」
「「はい。師匠!」」
「仕事から戻ってきたら、成果を見せてもらおう。特に天芳」
「なんでしょうか。師匠」
「君の内力は見違えるほど強くなっている。これからも『獣身導引』は続けるように。私が戻ってきたとき、どんな内力ができあがっているか、楽しみにしてるからね」
師匠のその言葉で、試験は終了となった。
その後、俺たちは穂楼の町で宿を取り、翌日、北臨の町に帰ったのだった。
次回、第27話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。
 




