第25話「天下の大悪人、兄弟子の秘密を知る」
「火を起こせてよかったですね」
「……そうだね」
俺と師兄は洞窟の入り口で、焚き火をはさんで座っていた。
洞窟には、枯れ枝が落ちていた。
ここは、旅人が雨宿りする場所として使われているのかもしれない。
いや……もしかしたら、ここが『セーブポイント』の可能性もあるな。
ゲーム『剣主大乱史伝』ではキャラクターが焚き火をかこんで休む場所があった。そこが、セーブポイントだったんだ。
その場所では装備の入れ替え、キャラクター同士の会話、ステータスの確認が行われていた。
同じ場所が、この世界では旅人の休憩所になっているんだろう。
感謝して、帰り道には枯れ枝を足しておこう。
「それにしても……内力で火って、おこせるものなんですね」
俺は火に枯れ枝を足しながら、言った。
「『四神剣術』の『朱雀大炎舞 (朱雀は火炎と共に大いに舞う)』で、木をザクザクする必要があるんですけど。それで火が点くのはすごいですよね」
「…………そうだね」
「…………」
「…………」
師兄は焚き火の前で膝をかかえたまま、うつむいてる。
気まずい。
……というか、せっかく火をおこしたんだ。服を乾かそう
帯をほどいて……と。
あ、やっぱり、服がかなり水を吸ってる。
雨に打たれたし、水たまりの上で転がっちゃったからな。
まずは洞窟の外に出して、軽く絞って、と。
あとは焚き火の近くで、広げておけばいいな。
「師兄。濡れた服のままだと、風邪を引きますよ」
「…………ん」
師兄がやっと、俺を見た。
「……服? 僕も……脱いだ方がいいのかい?」
「はい。そのままだと身体が冷えちゃいますから」
「…………そうか」
「師兄?」
「…………うん。そうだね。天芳なら……いいかな」
少し間があった。
化央師兄は俺の方をちらりと見て、それから、視線を逸らした。
ゆっくりと帯を解いて、濡れた道着を地面に落とす。
白い肌が見えた。
化央師兄は顔を真っ赤にして、また、膝を抱えてしまった。
見えるのは師兄の細い腰と……胸元に巻かれた布と……あれ?
気のせいか、師兄の胸が、ふくらんでいるように見えるんだけど。
「……師兄。あの……」
「朋友に……隠し事をするのは、つらかったな」
師兄は、長いため息をついた。
「改めて名乗ろう。僕の本名は、奏凰花。奏真国王の……末の娘だよ」
師兄は顔を伏せたまま、そんなことを言ったのだった。
「……今まで黙っていてごめんね。天芳」
炎の前で膝を抱えて、師兄……奏凰花は言った。
「僕が女の子だってことを知ってるのは家族と、藍河国の国王陛下と、燎原君と雷光師匠だけだ。朋友の君にも、教えるわけにはいかなかったんだよ。ごめんね……びっくりしたよね?」
「…………はい」
「でもね、天芳だって悪いんだよ? 僕のことを師兄って慕ってくれるんだもん。それがうれしくて……心地よくて……本当のことを教えたくなっちゃったんだ」
「………………そうですね」
「でも、秘密が漏れたら……って思うと言えなかった。天芳を疑うわけじゃないよ? 君は僕の味方だってわかってる。でも、秘密はどこで漏れるかわからないからね……」
「……………………ですよね」
「だから、雷光師匠の『お役目』は好機だと思ったんだ。藍河国のために仕事をすれば、それは奏真国の王女が、藍河国に尽くしたことになる。その功績があれば、母さまを奏真に還してあげられるかもしれない。ああ、言ってなかったね。母さまは僕が女の子なのを嫌がってるんだ。僕が男子だったら国王陛下の後嗣ぎになれた。国を出されることもなかったってね……」
「…………………………いえ………はい」
「天芳? やっぱり、びっくりしたかい?」
「……びっくり……しました」
「そうだよね。君は僕のことを、師兄って慕ってくれていたものね……」
違う。驚いたのは、そのことじゃない。
いや、そのことに驚いてないわけじゃないけど。問題はそこじゃない。
奏真国の王女、奏凰花は『剣主大乱史伝』のメインヒロインなんだ。
10年後、ゲームが始まるころまでに、奏真国は大きく発展する。
山を採掘して鉱山を開き、肥沃な土地を開拓して、藍河国と対等にわたりあえる国になる。
けれど、奏真国を舐めきってる藍河国は、無理難題をふっかけてくる。
鉄や鉱石をよこせとか、食料を貢げとか。
そんなあつかいに耐えきれず、打倒黄天芳を掲げて国を飛び出すのが、第二王女の奏凰花だ。
彼女は主人公と一緒に仲間を集めて、黄天芳を討ち果たす。
そんな奏凰花の口癖は「君側の奸、黄天芳の首を取る!」だ。
つまり、化央師兄──奏凰花は、俺の天敵なんだ。
……師兄が性別を偽っていた理由は、なんとなくわかる。
藍河国は大国だ。太子狼炎のように、奏真国を見下す者もいる。
その国から人質として王女がやってきたら、よからぬことを企む奴もいるだろう。
だけど、それが男子で、しかも燎原君の客人の弟子なら、手出しできなくなる。
異国で少女が身を守るには、格好の手段だ。
「…………天芳……なにか言ってくれないかな」
気づくと、師兄……奏凰花が不安そうな顔で、こっちを見ていた。
大きな目がうるんでいる。
湿った栗色の髪が、白い肌に張り付いてる。
どうして俺は……今まで自分が師兄を男性だと勘違いしていたんだろう……。
どう見ても師兄は女の子だ。ゲームでは傾国の美女である柳星怜と対をなす、絶世の美女奏凰花。天下の大悪人、黄天芳を討ち果たすのに命を賭ける……英雄のひとりで──
「やはり、女の身では……君の朋友にはなれないのか……?」
師兄の目から、涙が落ちた。
「……そうだよね。君が見ていたのは、師兄の翠化央なのだから。今まで通りに側にいて欲しいと言っても……難しいのかもしれないね」
「い、いえ、師兄……あの」
「ごめんね。最近の僕は少し……おかしいんだ」
師兄はため息をついて、岩壁に背中を預けた。
「試験で無茶をしてしまったのもそうだ。師兄として君に立派なところを見せたいという思いと、母のために『お役目』を受けたいという思いと……母を故郷に帰したあとで、君に本当の僕を知ってもらいたいという思いが入り交じって、頭が混乱してしまったんだ。それで『どうしても勝たなきゃ』と思って……無茶をして……結局、君に迷惑をかけることになってしまった」
「……師兄」
「でも、君が離れてしまうことが……こんなにつらいとは思わなかったよ」
「……いえ、離れてはいませんよ。師兄」
「そうかな。なんだか、距離を感じるよ。君がまるで……僕におびえているように見えるんだ」
「すみません。師兄が……奏凰花という女性だと聞いて、びっくりして……」
「やっぱり、師兄じゃなかったのがいけなかったか」
「そういうことじゃないんです」
「でも、君は僕の正体を知ってびっくりしたんだろう?」
「はい。師兄の正体を知って、びっくりしました」
「それは僕が奏凰花という女性だったからだよね」
「そうですけど! そうじゃないんです!!」
……なんて説明すればいいんだろう。
目の前にいるのは、俺の師兄だ。
そして、黄天芳の天敵、奏凰花その人でもある。
ゲームの彼女は黄天芳を殺すために故郷を捨てて、剣ひとつで乱世を戦い抜くことになる。
朱雀をかたどった剣術を使い、ザコ敵を一気に切り伏せる剣姫でもある。
今考えると『剣主大乱史伝』で奏凰花が使ってた技は『四神剣術』のひとつだったんだろう。
ゲームの彼女は四神のうち、朱雀だけを使いこなしていた。
でも、師兄が得意なのは朱雀の剣術だけじゃない。白虎や青竜の剣も使える。
それに、ゲームの奏凰花は男嫌いだった。
肌を見られるのも嫌いで、衣服や甲で覆い隠していた。
俺の前で自分をさらして、涙ぐんでいる師兄とは別人だ。
ここにいるのは、ゲームに登場する剣姫、奏凰花じゃない。
俺の朋友で……真面目で不器用で……信頼できる師兄だ。
「師兄は師兄です。なにも変わりません。ぼくの朋友のままです」
俺は深呼吸して、師兄の顔をまっすぐに見つめて、言った。
「ごめんなさい。ちょっとびっくりしただけです。もう、大丈夫ですよ」
「本当かい? 天芳」
「本当です。あ、でも、師兄って呼ぶのはおかしいですか? これからは師嬢って呼びましょうか?」
「……天芳」
師兄は不安そうな顔で、じっと俺を見つめていた。
俺はまっすぐに、その視線を受け止める。
師兄は、ゆっくりと、にじり寄ってくる。濡れた下着が肌に張り付いているのが気になるけど──胸元を隠す布が、ほどけそうになってるのもわかるけど、今は、どうでもいい。
師兄は、俺の朋友だ。
この世界の奏凰花は、俺の天敵じゃない。
俺が尊敬する師兄で、雷光師匠の元で一緒に修行をして、毎日一緒に『獣身導引』をやってきた仲間だ。勝ち気で誇り高くて……でも、新入りの弟弟子にも親切にしてくれる、そんな人なんだ。
正直、まだ少し、怖い。
──師兄の側にいることで『黄天芳破滅エンド』を回避できなくなるのかもしれない。
──どうにもできない事件が起こって、その結果、師兄が俺を殺しに来るのかもしれない。
それでも──
「…………師兄に命を取られるなら、仕方ないかな」
「天芳?」
「……あ」
しまった。声に出てた!?
まずいまずいまずい! 思ってたより動揺してた!
しかも「命を取られるなら仕方ない」ってなんだよ!? 痛すぎるだろ!?
師兄、変に思ったりしないかな? もしかして、今のセリフで俺が師兄にとって未来の天敵だって悟ったりしないよな? どうする? どうやってごまかせば……?
「……僕も……天芳になら、命を取られてもいいと思っているよ」
いきなりだった。
師兄は胸を押さえて、そんなことを言った。
……って。
「いや、ぼくが師兄を殺すわけないでしょう?」
「僕だってそうだ。なんで僕が天芳を殺すみたいな話になってるんだよ!?」
「いえ、あれはその……師兄……」
「わかっている。僕も少し、おかしな気分になっていたようだからね」
師兄は唇に指を当てて、
「だから、ないしょだ。今の言葉は、他の誰にも言わないよ」
「……よかったです」
「まったく。本当に予想外なひとだな。君は」
師兄は俺の隣に腰を下ろした。
「君にはおどろかされてばかりだよ。まったく」
「すみません。師兄……って、また師兄って呼んじゃいましたね。えっと、姉弟子って呼べばいいですか? それとも師嬢の方が?」
「人前では師兄でいいよ」
「そうでしたね。師兄の正体は秘密ですから」
「ふたりきりのときは、小凰と呼んでくれ。母上には幼いころ、そう呼ばれていたからね」
「わかりました。えっと……小凰」
「ふふっ。天芳がいつも通りで……安心したよ」
そう言って師兄は……じゃなかった、小凰は長いため息をついた。
小さな頭を、俺の肩に預けてくる。
それから小凰は少しずつ、自分のことを話し始めた。
幼いころから母親に『あなたが男の子だったら……』と言われ続けたこと。
そんな言葉にさらされていた小凰が『男の子より強くなれば、母さまは満足するはず』と思い始めたこと。
そのため、奏真国にいたころから、武術を学び続けていたこと。
男の子の服を着て、武術の練習をしている間は、母親がよろこんでくれたこと。
「だから僕は、燎原君と面会してすぐに『藍河国の進んだ武術を学びたい』と願い出たんだ。でもね……」
藍河国に来てから、小凰の母親はおかしくなりはじめた。
奏真国王の心の中から、自分の存在が消えることを異常なくらいに恐れ、他の妻が王に近づくことに怯え、眠れぬ夜を過ごすようになった。
時を同じくして、小凰の身体つきが、女の子っぽくなりはじめた。
それから小凰の母は『小凰が男の子だったら。太子だったら』『人質として故郷を出されたのは、小凰のせい』と、彼女を責めるようになった。小凰を裸にして、その胸に爪を立てたこともあったらしい。
……でも小凰。それを俺に言ってもいいの?
え? 傷はもう消えたから大丈夫?
そういう意味じゃないんだけど……いや、今確認しなくていいから。
「師匠から『お役目』の話を聞いたとき、これで母上を故郷に帰してあげられると思ったんだ」
小凰は弟子入りしてすぐに、『お役目』のことを聞いたらしい。
役目を果たせば母を故郷に帰せる可能性についても、確認していたそうだ。
「でも、師匠は燎原君の客人だ。未熟な者にお役目を任せたりはしない」
「こうして、試験をしているわけですからね」
「だけど……試験は僕の負けだね。天芳に助けられちゃったんだから」
「ここからやり直しでもいいですけど」
「それはだめ」
「ですよね。小凰なら、そう言うと思ってました」
「ふふっ。やっぱり天芳は、僕のことをわかってくれるんだね」
俺と小凰は顔を見合わせて、笑った。
雨は、まだ止まない。
でも、焚き火が消えそうになってる。枯れ木も枯れ葉も、足りなかったみたいだ。
「雨……なかなか止まないね」
「夕方までには、穂楼の町に着けますよ」
「そうだけど。少し寒いかな。無理をして気も乱れちゃったし……そうだ」
小凰は、ぽん、と手を叩いた。
「ふたりで『獣身導引』をしよう。そうすれば、気がめぐって温かくなるだろう?」
「そうですね。いつものように──」
俺はうなずきかけて、気づいた。
師兄──小凰は女性で、下着姿だ。
確かに『獣身導引』で内力を循環させれば体温は上がる。下着も乾きやすくなる。
合理的だけど、いいのか?
「……にゃーん。にゃん」
と、考えてるうちに、小凰が猫になっていた。
爪を立てないように、かりかりと俺の背中を掻いている。
『獣身導引』の猫のかたち。『猫寂寥時 (猫はときどきさびしんぼ)』だ。
小凰は完全に猫になりきって、俺の背中にくっついてる。
……しょうがないな。
「にゃん! にゃにゃ!」
「にゃにゃにゃーん!」
「「にゃんにゃんにゃーん…………」」
そうして俺たちは、雨の音を聞きながら、動物になりきったのだった。
次回、第26話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。
 




