第224話「黄海亮、弟を心配する」
それから、俺は海亮兄上のもとを訪ねた。
兄上は北臨の北側の兵舎にいる。
そこは北臨の北門を守る兵士たちが集まる場所だ。
兄上はそこで部隊の編成と指導をやっている。
俺は兵舎の入り口で名乗って、兄上の手が空くのを待った。
呼びだされたのは意外と早くて、十数分後。
俺は兵舎の応接室で、海亮兄上と顔を合わせることになったのだった。
「──以上が、王宮でのできごとです」
俺は兄上に報告をした。
王宮で、太子狼炎や夕璃さまと話をしたこと。
范圭さまの妹さんが連絡役になること。
梁銀から『蒼矢隊』の話を聞いたこと。
それらの話を兄上は、真剣な表情で聞いていた。
「……国王陛下の許可で、新たな部隊が編成されたことは、知っている」
海亮兄上は落ち着いた表情で、うなずいた。
「だが、その部隊を誰が率いるのかは知らなかった。梁鉄どのだったのか……そうか」
「兄上は、梁鉄という方のことをご存じですか?」
「少しはな」
兄上は苦い表情で濃いお茶を飲んでから、
「梁鉄どのは、現在は王都を守護する部隊を指揮している。以前は、南方で盗賊団の討伐を行っていたそうだ。勇猛果敢な部隊を指揮する猛将だと聞いている」
「優秀な方なのですね」
「加えて、敵に対して容赦しない人物との評判だ。逃げる盗賊を南方へ……奏真国の国境付近まで追いかけたという話もある」
かなり好戦的な人みたいだ。
まあ、同じ国の人だからな。俺が梁鉄と戦うことはないだろう。
ただ……向こうは黄家のことを、あまりよく思ってないようだけど。
「梁銀さまのお話を聞いた限りでは、『蒼矢隊』は兄上の部隊に対抗心を燃やしているように感じました」
俺は兄上に告げた。
「それが兵士同士の対立を生んだりしないかが心配です」
「わかった。いずれにしても、こちらから『蒼矢隊』と対立するつもりはない」
兄上はうなずいた。
「このことについては、私から部下に伝えておく。我々の目的は藍河国にあだなす者を倒すことであり、他の部隊と争うことではないのだと」
「ありがとうございます。兄上」
「礼を言うのは私の方だ。よく知らせてくれた……」
疲れたような口調だった。
久しぶりに会う兄上は、少し、痩せたようだった。
無理もないと思う。
兄上は太子狼炎から部隊を任されている。
しかも、敵は謎の組織──『金翅幇』だ。
プレッシャーはあるだろうし、これからどうなるか不安でもあるだろう。
もしかしたら兄上は、あまり睡眠時間が取れていないのかな。
このお茶が濃いのも、眠気覚ましのためなのかもしれない。
「ぼくが言うのも変な話ですけど、休みを取ってくださいね。兄上」
俺は苦いお茶を一口飲んでから、そう言った。
「兄上は藍河国や太子殿下にとって重要な人材です。もちろん、ぼくにとっては大切な家族なんです。無理をせず、ちゃんと休むようにしてください」
「わかっているよ。ありがとう。天芳」
兄上はうなずき、それから、真剣な表情で、俺を見た。
「だが……私はお前の方が心配だよ」
「ぼくがですか?」
「そうだ。お前は自分があやうい立場にいることを理解すべきだろう」
「『金翅幇』と対立しているからですか?」
「そうではない。藍河国の中で、あやうい立場だということだ」
……藍河国の中であやうい立場?
いや、別にそんなことはないと思うんだけど。
俺はなんの官位にもついていない。
いわゆる無位無冠だ。
太子狼炎から仕事を頼まれてはいるけれど、別に出世をしたわけじゃない。
俺の立場は、ただの気ままな武術家だ。
そんな俺が、あやうい立場になるとは思えないんだけど……。
「その顔は、やっぱりわかっていなかったのだな」
兄上は苦笑いした。
「天芳らしいが、やはり心配だな」
「ぼくがあやうい立場というのはどういうことですか? ぼくは無位無冠で……」
「無位無冠だからあやういのだよ」
兄上は言った。
「もしもお前が高位の武官なら、地位と立場がお前を守ってくれる。だが、今のお前はいかなる官位にもついていない。お前を守るのは……太子狼炎と王弟殿下が後ろ盾になっているという事実だけだ。公的な立場はなく、高貴な人の知遇と信頼はある。それはとてもあやうい立場だと思うのだよ」
「……そうなのですか?」
「これまではなにも問題はなかった。これまでのお前は、武術家の雷光どのの弟子だった。お前が注目を集めたとしても、それは一時的なことだった。文官も武官も、お前を脅威とは感じていなかったはずだ」
「……確かに、そうかもしれません」」
「あのころのお前は、偶然、事件に関わっていただけだ。だからお前に注目するものも少なかったのだろう。だが、事件が続きすぎた」
兄上の言うとおりだ。
俺と小凰が北の地でゼング=タイガと戦った。
それは燎原君の『お役目』のついでだった。たまたま壬境族の王子と戦って、運良く太子狼炎を助けただけだ。
戊紅族の土地に行ったのもそうだ。
あれは藍河国が出した使者に、俺がついていっただけだ。
その功績は、公式には太子狼炎と、正使の炭芝さまのものになっている。
このころまでは、俺が人の注目を集めることはなかったんだ。
だけど、その後で俺は壬境族の土地に踏み込み、藍河国と壬境族の穏健派の間を取り持つことになった。
そして、ゼング=タイガを討った。
やつの愛馬の朔月も、俺を選んだ。
たぶん、俺が注目を集めるようになったのは、この頃からだ。
現に梁鉄も朔月のことで、俺に文句を言っていたわけだし。
その後に東郭の事件と、岐涼の町での事件が続いた。
ふたつの事件のあとで、俺は太子狼炎と燎原君の信頼を得ることになった。
それで、文官と武官たちは、俺を警戒するようになったんだろう。
梁銀も言っていた。
『貴公を不気味な存在と考える者も、貴公が自分たちの上に立つのではないかと、不安に思う者もいるのだ』──と。
そんな俺は兄上にとって、あやうい立場に見える……ってことか。
「私はお前の正義感が強いことを知っている。お前が心のままに動いた結果、太子殿下や王弟殿下から一目置かれる人材になったことも。もちろん、お前が出世を望んでいないこともわかっている」
兄上はうなずいた。
「だが、他の者にはそれがわからないのだろう。そのような者たちから身を守るために……お前は、道を選ぶことになるかもしれない」
「道を……ですか?」
「選択肢と言ってもいいな。私が思いつくのは、ふたつだけだ」
言葉を選ぶように、目を伏せる海亮兄上。
兄上は深呼吸して、お茶を飲んで、やっと適当な言葉を見つけたように、うなずく。
「ひとつは、お前が出世する道だ」
兄上は言った。
「お前なら、ふたたび手柄を立てることもできるだろう。それを足がかりにして、高い官位につくのだ。父上のような将軍位でもいい。人脈を活かして、外交担当の官位につのもいいだろう」
「兄上は……ぼくが出世するべきだとお考えなのですか?」
「そうだ。そうなれば、官位がお前を守ってくれるだろう」
俺が高位につけば、まわりの文官や武官は安心する。
黄天芳は『自分たちのように望む者』だと、『自分たちの同類』だと思い、納得する。
高位についた黄天芳に頭を下げたとしても、それは黄天芳にではなく、王が決めた官位に頭を下げているのだと思うことができる。
それに加えて、役職に与えられた部下たちも、黄天芳を守ってくれる。
──そんなことを、兄上は教えてくれた。
「これが、第一の選択肢だ」
「では、もうひとつの選択肢というのは……」
「そちらは……あまり、考えたくない選択肢だな」
兄上はため息をついた。
「私は、お前を大切に思っている。お前にはこのまま、側で私や父上を助けてほしい。だから、お前がこれから語る選択肢を選ばないことを願っている」
「その選択肢の内容を教えてください。兄上」
俺は拱手して、頭を下げた。
「ぼくは世間知らずですから……兄上の助言が欲しいんです」
「もうひとつは、お前が藍河国にとらわれず、諸国にまたがる存在になるという選択肢だ」
兄上はためらうように、そんな言葉を口にした。
「お前は壬境族や戊紅族から信頼されている。奏真国の王の知遇も得ている。お前がこの国を出たとしても、彼らはよろこんでお前を受け入れてくれるだろう。お前はどこにでも行けるのだ」
「ちょっと待ってください。兄上」
「藍河国が居づらくなったら奏真国へ。自由に旅がしたくなったら、壬境族の地へ。そして、誰かが助けを求めたら……お前はまた藍河国に戻るだろう。お前にはそういう選択肢がある。融通無碍に、人とのつながりを活かす生き方が……」
「待ってくださいってば、兄上!」
俺が諸国にまたがる存在に……って、ありえないだろ。
俺はそんなに大層なものじゃない。
俺はただ、破滅エンドを避けるためにジタバタしていただけだ。
太子狼炎や燎原君の信頼を得たのはただの結果だ。
確かに、俺が国を出たとしても、壬境族の穏健派の人たちや、戊紅族の人たちは受け入れてくれると思う。
でも、俺が諸国にまたがる存在になんて……いくらなんでもスケールが大きすぎだ。
じゃあ……藍河国で出世すればいいかというと……難しいな。
それはゲームの黄天芳が選んで、失敗した道だからだ。
俺はもう、ゲームに登場する黄天芳が大悪人だったとは考えていない。
あいつは確かに藍河国を混乱させたかもしれないけれど、それには理由があったんだろう。
もしかしたら、『金翅幇』に対抗するためだったのかもしれない。
だけど、あいつはそのために権力を求めて……完全に失敗してしまったんだ。
俺が出世したら、ゲームの黄天芳と同じ道をたどるかもしれない。
その恐れがある限り、出世するという道は選べない。
あと……下手に官位を得てしまったら、自由に動きにくくなるからな。
気軽に「ちょっと奏真国に行って仰雲師匠の足跡を追います」とか、できなくなりそうだし。
じゃあ……俺は、もうひとつの選択肢を選ぶしかないのか?
藍河国の高官たちを不安にさせないためと、黄家に迷惑をかけないために?
藍河国を出て、諸国にまたがる存在になるべきなのか……?
そうなったら、俺の仲間たちはどうなる?
星怜は? 小凰は?
いや……ふたりは間違いなくついてきそうな気がする。
俺がどんな立場になっても、きっと。
冬里もそうだろう。
彼女は遍歴医の見習いだからな。
よろこんで俺と一緒に、諸国を巡る旅に出そうな気がする。
千虹も同じだ。
彼女は好奇心のかたまりだからな。
俺が藍河国を出て旅に出ると言ったら、絶対についてくるだろう。
だけど……みんなにそんな道を選ばせて、本当にいいのか?
「……難しい選択肢ですね」
「……いや、すまない。天芳。少し話を急ぎすぎたようだ」
気づくと、兄上が申し訳なさそうな顔で、俺を見ていた。
「私も考えすぎてしまったようだ。忘れてくれ」
「……はい。兄上」
「今は『金翅幇』への対策と、『蒼矢隊』のことを考えるべきだな。そのためにも、私はまた部隊の編成に戻ることにするよ」
「わかりました。では、ぼくは兄上のお手伝いをしたいのですが」
「助かる。実はお前には、我が部隊の武術指南役になってほしいんだ」
兄上は茶器を手に、そんなことを言った。
「私の部下は、敵兵との戦いには慣れている。だが、武術家と戦った経験はないのだ。『金翅幇』とやらが武術家の集団ならば、武術を使う者との戦闘訓練をしておくべきだろう」
「いいお考えだと思います。ではさっそく……」
「いやいや、お前に武術指南を頼むのは、部隊の編成をして、部下がまとまって、それなりに準備をしてからだ。すぐにとはいかない。数日から十数日は先の話だよ」
「残念です……」
俺としては、すぐにでも兄上の手伝いをするつもりだったんだけど。
でも、準備が必要なら、仕方がないな。
ここは兄上のペースに合わせよう。
それに、俺もやっておきたいことがあるからね。
「わかりました。では、ぼくは雷光師匠のところに行くことにします」
俺は立ち上がり、拱手した。
「ぼくは師匠と話をして、ついでに、教わりたい技があるんです」
「わかった。では、こちらの準備ができたら、黄家に使いを出すことにしよう」
「はい。兄上」
「来てくれて助かった。ありがとう、天芳」
「兄上のお役に立ててうれしいです」
俺と海亮兄上は礼を交わした。
そうして、俺は兵舎を出て、雷光師匠のもとに向かったのだった。
──雷光の宿舎で──
「師匠にお願いがあります」
俺は宿舎で、雷光師匠と向き合っていた。
雷光師匠は身体のあちこちに包帯を巻いている。
岐涼の町で虎永尊と戦ったときの傷だ。
雷光師匠が虎永尊に苦戦したのは、以前の傷がまだ残っていたせいだ。
師匠は北の地で毒矢を受けて、その傷が治りきらないうちに『裏五神』の魃怪と戦った。
それでまだ身体に負担がかかって……傷の治りが遅くなった。
そんな状態の師匠と小凰が虎永尊を倒したのは、すごいと思う。
俺は、雷光師匠に負担をかけたくない。
ここに来たのは、それについて話をするためだ。
「雷光師匠……ぼくが『青竜身顕現』を使えるように、指導をしてもらえませんか?」
俺は師匠に礼をしてから、申し出た。
『青竜身顕現』は『五神剣術』の奥義だ。
途切れることなく青竜の型を使い続けることで、敵を圧倒することができる。
雷光師匠が魃怪を倒すのに使った最強の技だ。
「ぼくが『青竜身顕現』を使えるようになれば、雷光師匠の負担を減らすことができます。『金翅幇』とも、もっと有利に戦えるようになるかもしれません」
「うん。そうだね。天芳の言うとおりだ」
雷光師匠はうなずいた。
「いいだろう。私はまだ本調子ではないが、指導をするくらいはできる。君に『青竜身顕現』を教えてあげようじゃないか」
「ありがとうございます。雷光師匠!!」
俺は床に頭をこすりつけた。
すると、雷光師匠はすぐに「顔をあげなさい」と言った。
言われた通りにすると、雷光師匠は困ったような顔で、俺を見ていた。
そして──
「指導はできる。ただ、これは私の予測だが……今の君が『青竜身顕現』を使った場合、思いもよらない結果になるかもしれない。それだけは覚えておきなさい」
そう言って雷光師匠は、木剣を手に立ち上がったのだった。
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北の町で壬境族の少女たちと出会った天芳。
彼は冬里と、壬境族の少女シュクエイを連れて、壬境族の支配地域に向かいます。
旅をするうちにシュクエイは天芳を『師匠』と呼ぶようになり、3人の距離は急接近。そんな3人の旅は続いていくのですが……。
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