第22話「天下の大悪人と兄弟子、親友になる」
「変なところを見せてしまったね」
化央師兄のお母さんが眠った後で、俺たちは屋敷を出た。
師匠に、休みの連絡を入れるためだ。
こんな状態で、修行に身が入るとは思えなかったから。
「それと……すまない。母上の話を聞いてわかったと思うけれど、僕は本当は、留学生ではないんだ」
「え?」
「僕は奏真国から藍河国に差し出された人質なんだよ。燎原君のはからいで、表向きは留学生ということにしてもらっているけどね。こうして町中を自由に歩けるのも、あの方のおかげだ」
師兄は奏真国の、高貴な家の生まれらしい。
ただ、母親の身分が低かった。
だから奏真国が藍河国に人質を出すと決めたとき、師兄が選ばれたそうだ。
「人質といっても、束縛されているわけじゃない。僕と母がここにいるのは、奏真国が藍河国に従うということを、証明するためだ」
化央師兄は説明してくれる。
「奏真国としては、大国に人質を出しておきたかったんだろうね。逆らわないという証明にもなるし、うまくいけば支援も受けられる。藍河国の方も人質を丁重にあつかうことで、大国としての器量を示すことができるからね」
「藍河国と奏真国は、仲がいいですからね」
「うん。それもあって燎原君は、僕を留学生ということにしてくれたんだ。願い出たら、武術の師匠をつけてくれた。もちろん、藍河国の役に立つという条件つきだけどね」
「……そうだったんですか」
「なんで君が暗い顔をしてるんだよ。天芳」
化央師兄は俺の顔をのぞきこんで、笑った。
「さてはまた『ぼくが化央師兄の邪魔をした』なんて思ってるんだね?」
「わかりますか」
「わかるよ。天芳のことだもの」
「でも、実際にそうですよね。師兄は遠く離れた国に来て、やっと雷光師匠の弟子になれたのに、そこにぼくが割り込んだんですから」
「うーん。僕は天芳の兄弟子になってよかったと思ってるんだけどなぁ」
「ぼくだって、化央師兄の弟弟子になれてうれしいですけど」
「じゃあ、それでいいじゃないか」
「だけど……お母さんは、不安に思われているんですよね?」
俺は言った。
「師兄のお母さんは、燎原君に力を借りたいとおっしゃってました。それはきっと『お役目』を果たした後のことですよね。師兄のお母さんは、ぼくがその権利を奪うと思っていらっしゃるんじゃないですか?」
「そうじゃないよ。母上がああなったのは……父上の書状が届いたからなんだ」
化央師兄は、南の空に視線を向けた。
真昼の、雲ひとつない、晴れた空。
日差しに手をかざして、化央師兄は、遠くを見るような目をしていた。
「父の側室のひとりが、子どもを産んだそうだ。父は、家族が増えたことをよろこんでくれると思って手紙を出したんだろう。でも、母は『自分がいらなくなるんじゃないか』と、不安になったみたいなんだ。それで、深酒をして……あんな状態になってしまったんだよ」
化央師兄は、さみしそうな笑みを浮かべた。
「父が書状を送ってきたのは、僕たちのことを忘れていない証だと思う。でも、母はそうは思わなかったみたいだ。母は父と離れていることが、不安でしかたないんだろうね。ばかみたいだ。僕が父の跡継ぎになるなんて無理だというのに……」
「……師兄の事情は、わかりました」
いろいろと大変なんだな。師兄は。
俺は師兄を尊敬してる。だから、助けたいと思う。
でも……俺に他人を心配する余裕なんてあるのか?
俺は将来、天下の大悪人として処刑される運命にある。
星怜を助けたことで、彼女が後宮に行くルートからは外れたと思う。でも、『破滅エンド』を迎える可能性がゼロになったわけじゃない。
人助けをするなら『破滅エンド』を、完全に回避したことを確認してからにするべきじゃないのか……?
──いや、『破滅エンド回避を確認』って……いつの話になるんだ?
自分の考えに、思わず苦笑いする。
『剣主大乱史伝』のスタートは10年後だ。
となると『黄天芳破滅エンド』の回避が確定するのは、さらに先の話になる。
それまで『破滅エンド』の回避のためだけに生きるのか?
自分が『尊敬する』『大切な兄弟子』と言った相手を見捨てて?
……冗談じゃない。
そんなの、私利私欲のために生きた、『剣主大乱史伝』の黄天芳と、なにも変わらないじゃないか。
「ぼくは、師兄のお手伝いがしたいです」
俺は化央師兄をまっすぐに見て、告げた。
「ぼくは師兄を……いえ、翠化央さまを朋友だと思ってますから」
朋友とはこの世界で『家族より近しい友人』を指す。
親友よりももっと近い──命をかけて守り合う、そんな関係を意味するんだ。
「朋友……って。僕は異国の人間だよ?」
師兄は、びっくりした顔で俺を見た。
「僕は藍河国の人間じゃない。遠く離れた奏真国の生まれで──」
「関係ありません」
そんなこと言ったら俺なんか転生者だ。
「ぼくは化央師兄を尊敬してます。師兄が、自分のことを話してくれたのがうれしいんです。だから師兄の力になりたいと思ってます。もちろん、ぼくにできることなんか、ちょっとしたことだけですけど」
「……ありがとう。天芳」
師兄は照れたような顔で、俺を見た。
大きな目が、かすかにうるんでいるように見えた。
「そうだね。天芳は僕の朋友だ。生まれた地は違っても、同じ師匠に学ぶ、信頼できる友だちだよ」
「はい。師兄」
「いつか、僕の母上は奏真国に帰ることになるだろう」
化央師兄はまた、遠い目になる。
「……そのとき、君に大切なことを伝えるつもりだ。だから……それまでは僕の事情には触れないでくれると助かる。いいかな?」
「もちろんです。朋友との約束なら、絶対に守りますよ」
「すまない。人質の身では言えないこともあるんだ」
「ですよね。人には話せないことがありますよね。わかります」
「……君は本当に話が早いな」
そうしてまた、俺たちは並んで歩き出したのだった。
それから俺たちは、雷光師匠のところに行った。
結局、今日の修行はお休みになった。
ただ、化央師兄の『気』が乱れていると師匠が言ったので、それを整えるために『獣身導引』だけはすることになった。
精神の動揺は、経絡を流れる『気』にも影響を与える。
お母さんのことで色々あった師兄の『気』が乱れるのも、仕方ないことだろう。
そんなわけで俺と師兄はまた、動物になることにした。
気まぐれで無邪気な猫のかたち、変幻自在で狡猾な蛇のかたち、静かな亀のかたち、夜明けを告げるニワトリのかたち──そうやって獣の姿になりきっているうちに、化央師兄は落ち着いたみたいだった。
「今日は特別だ。私が羹を作ってあげよう」
導引が終わったあと、師匠は言った。
「私が創作した、たぶん元気が出る料理だ。期待してくれていいよ!」
「お待ちください師匠!」
「なにかな、化央」
「料理は僕が作ります」
「修行以外で弟子をこきつかうわけにはいかないよ。私だって、がんばれば料理くらいはできるんだから」
「天芳の体調を崩すわけにはいきません」
「いやいや私は『お役目』の前に、君たちに元気を出して欲しくて──」
「以前、僕に飲ませてくださった羹のことをお忘れですか? あのあと、僕が5日間、修行をお休みしなければいけなかったことを……」
「あれが失敗作だったのは認めるよ。でもね、今回は武術家としての直感が」
「料理は直感でするものではありません。僕は朋友として、天芳の胃腸を守る義務があるんです」
「……朋友?」
「はい。たとえ師匠のご不興を買うことになっても、僕は朋友を守ります」
「…………まぁ、化央がそこまで言うなら」
「あの……師匠。師兄」
がっくり肩を落とす師匠が見ていられなくて、俺は手を挙げた。
「師匠の料理って……」
「世の中には知らない方がいいこともあるんだよ」
「……はい。師兄」
「…………うん。料理は、化央に任せるよ」
師匠はそのまま、長椅子でふて寝してしまった。
まぁ、師兄の料理のにおいをかぎつけて、すぐに飛び起きたんだけど。
そうして俺たちは、師兄の作った料理を食べながら、話をして──
久しぶりに、のんびりとした時間を過ごしたのだった。
次回、第23話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。




