第216話「太子狼炎と燎原君、そして北臨の高官たち」
予約の日時を間違えてしまい、第215話と連続更新になってしまいました。
そのため、今日は第215話と第216話を更新していますので、
本日、はじめてお越しの方は、第215話からお読みください。
──同時刻。王宮にて──
「今後は国を挙げて、『金翅幇』への対策を行うべきだと考えます」
燎原君は太子狼炎に向かって告げた。
さらに、朝廟に居並ぶ高官たちを見回しながら、続ける。
「すでに巫女を名乗る女性と、その仲間であった円烏の人相書きはできあがっております。それらを国内に配布し、巫女の足取りと、これまでの『金翅幇』の動きについて、調査をすべきでしょう」
岐涼の町で事件があったという情報は、すでに北臨に届いている。
燎原君のところには、夕璃から。
国王のところには、岐涼の領主である孟篤自身から。
孟篤はすべてを包み隠さずに報告してきた。
──彼の部下である價干索が、『金翅幇』に協力していたこと。
──岐涼の町に流れていた不穏な噂のこと。
──敵が孟篤の娘の薄を狙っていたこと。
──敵が、本気で『藍河国は滅ぶ』という予言を実現しようとしていたこと。
その結果、起きた事件の顛末についても、孟篤は伝えていたのだった。
「『金翅幇』は岐涼の町を乗っ取るつもりだったようです」
燎原君は高官たちに向かって、告げた。
「そのために、やつらは孟侯の部下である價干索と手を結んでいた。價干索は孟侯を幽閉した後に、自分の姪である丹どのを領主代行とするつもりだった。最終的には丹どのに婿を取り、自分はその後見人として、岐涼の町を支配するのが價干索の目的だったのだろう。そうなれば──」
「岐涼の町は『金翅幇』とやらの拠点とされていたかもしれぬ」
言葉を発したのは、太子狼炎だった。
「そうなれば、岐涼の町は、我が国にとっての獅子身中の虫となっていただろう。国のはらわたを内部から食い破る虫に。それを事前に食い止めることができたのは幸いだった」
「狼炎殿下のおっしゃる通りです」
「それを食い止めてくれた者たち……特に、夕璃どのには感謝せねばならぬな」
狼炎は表情を隠そうとするかのように、うなずく。
「夕璃どのはその身を挺して、岐涼の町の陰謀をあぶり出してくれた。部下の者たちも同様だ。その功績は計り知れぬ。国として、褒美を与えるべきであろう」
「夕璃が戻りましたら、殿下のお言葉をお伝えいたします」
「うむ。それで……もう一度確認するが、夕璃どのは無事なのだな?」
「はい。夕璃自身には、危険なことはなにもなかったとうかがっております」
「ならばよい。ならばいいのだ」
視線を逸らしながら、太子狼炎は何度もうなずく。
「いずれにせよ……『金翅幇』を名乗る者たちは捨て置けぬ。叔父上の言う通り、各地に人相書きを配布し、情報を集めるべきであろう。巫女とやらを捕らえれば、奴らの組織は壊滅するのだからな」
「はい。狼炎殿下」
「文官たちに命じる。即刻、町や村に布告を出すのだ。人相書きを各地に貼り出すことと、そこに書かれた者たちの情報を集めよと。。『金翅幇』を名乗る者たちをすべて捕らえ、奴らの目論見を撃ち砕くために」
「「「御意!!」」」
居並ぶ高官たちが、一斉に礼をする。
太子狼炎と燎原君は視線を交わす。
ふたりは、昨日のうちに顔を合わせ、話をしていた。
『金翅幇』への対応も、高官たちにどう伝えるかも決めていた。
ここまでの流れは、ふたりにとって予定通りのものだったのだ。
「なお、『金翅幇』対策の一環として、この狼炎が管理する部隊を編成することとした」
太子狼炎は話を続ける。
「そのため、北の地から黄海亮を呼び寄せた。また『狼騎隊』の一部を、『金翅幇』対策部隊として再編成する。黄海亮には、その部隊の指揮官となってもらうつもりだ」
「おそれながら、申し上げます」
不意に、武官たちの中から、長身の男性が進み出た。
北臨に駐留する武官、梁鉄だった。
「黄海亮はいまだ若輩者でございます。なのに彼を抜擢する理由をうかがってもよろしいでしょうか?」
「実戦経験が豊富だからだ」
狼炎の答えは短かった。
「黄海亮は北の地において、壬境族との戦闘を経験している。部隊を指揮し、壬境族の攻撃を受け止めたこともある。新たな部隊を指揮する者としては最適であろう?」
「ですが、実戦経験が豊富な者は他にもおります!」
「黄海亮を呼び寄せる第二の理由は、北の国境地帯が平和になったからだ」
「──壬境族との和平が成立してから、国境地帯での戦闘行為は確認されておりません」
燎原君が、太子狼炎の言葉を引き継いだ。
「ならば、防衛について考え直す好機でありましょう。黄海亮と北の砦の兵士を呼び寄せ、『金翅幇』対策に当たらせるのは有効な手段だと考えます。国内の治安を引き締める役にも立ちましょう」
「ならば、我が部隊にも活躍の機会をいただきたい!」
梁鉄は声をあげた。
「藍河国の敵を憎むのは、我らも同じです。なのになぜ、黄家の者にだけ、敵を撃つ機会を与えられるのですか。『金翅幇』対策部隊の指揮官が黄家の者でなければならない理由をお聞かせください!」
「黄家の者たちが『金翅幇』の敵だからだ」
太子狼炎の視線が梁鉄を射た。
空気が、張り詰めたようだった。
狼炎の表情は平静だった。
怒っているわけでも、梁鉄をにらんでいるわけでもない。
ただ、静かに梁鉄を見据えているだけ。
なのに、その視線には奇妙なほど、威厳があった。
その威に打たれたように、梁鉄の身体がひざまずく。
「黄海亮は『金翅幇』に操られた壬境族と戦ったことがある。敵部隊には『金翅幇』の中心人物──虎永尊と名乗る双刀使いがいたといいう報告も入っている。やつらの野望をくじいた海亮は、間違いなく『金翅幇』に恨まれているはずだ」
「…………は、はい」
「また、海亮の弟の黄天芳は、各地で『金翅幇』の関係者を倒している。黄家の兄弟は、間違いなく『金翅幇』の敵なのだ。ゆえに、黄家の者たちは『金翅幇』に勝利した者とみなされている。海亮が指揮を取れば、兵士たちの指揮も高まるだろう」
落ち着いた声が、広間に響いた。
誰も、口を利かなかった。
『不吉の太子』あるいは『幸運の太子』などという言葉を口にする者もいない。
毅然とした狼炎に、そんな言葉は届かない。
高官たちにはそのことが、はっきりとわかったのだろう。
「不気味な『金翅幇』を恐れる者や、不安をおぼえる者もいるかもしれぬ。だが、黄家の者が指揮官であれば、その恐れを払うことができよう。黄海亮も黄天芳も、『金翅幇』に勝利しているのだからな」
太子狼炎は淡々とした口調で、告げた。
「兵たちが落ち着いて『金翅幇』に対処できるようには、黄家の者を指揮官とするのがふさわしい。それが黄海亮に部隊を預ける理由だ。わかったか、梁鉄よ」
「……は、はい。太子殿下!」
梁鉄は床に額をこすりつけた。
一瞬遅れて、文官の席から梁鉄の兄──梁銀が進み出る。
彼は梁鉄の隣で膝をつき、床に頭を打ち付ける。
まるで、弟の失言を詫びるかのようだった。
そんなふたりを見ながら、太子狼炎は、
「そこまでせずともよい」
軽い言葉と共に、肩をすくめてみせた。
「顔をあげよ。言葉ひとつでそこまで恐縮していては、他の者が発言しづらくなるであろう。この狼炎は、梁鉄の言葉をとがめているわけではない」
「は、ははっ」
「申し訳ありませんでした。殿下」
しばらくして梁鉄と梁銀は頭を上げた。
太子狼炎がうなずく。彼はふたたび、燎原君と視線を交わす。
「では、次の議題に移ります。北の地を知るために、黄海亮に代わる人材を送り込むべきだと考えているのですが、それは『狼騎隊』の中から──」
やがて、燎原君が語り始める。
太子狼炎は静かに、列席する者たちを見回す。
その視線を受けた高官たちは、おたがいの顔を見合わせる。
朝廟での出来事は、この国の今後の在り方を、はっきりと示していた。
太子狼炎が国政の方向性を定め、燎原君が実務を動かし、人材を手配する。
それが、藍河国の新たな体制となりつつあるのだ、と。
その事実を知った高官たちは、一斉に頭を垂れる。
やがて王となる太子を前に、改めて敬意を示す。
これが10年先──あるいは、数十年先も続くことを、予想しながら。
──数日後、藍河国の片隅で──
「……貴公はいつになったら出仕するのだ」
ここは、藍河国の辺境にある村。
武官である梁鉄は、町の隅にある陋屋を訪ねていた。
住人は、むしろの上に座った青年ひとり。
彼は梁鉄に背中を向け、壁の方を向いている。
その身には古びた衣服をまとい、髪は伸び放題。
それでも彼は背筋を伸ばし、揺らぐことなく、座り続けている。
むしろの上には、小さな皿と壺がある。
皿に入っているのは木の実だ。
彼の食事は木の実と水だけ。他にはなにもない。
だからだろう。身体は痩せ細っている。
将軍の家の生き残りとは、思えない有様だった。
「皆は、貴公が出仕するのを待ちこがれている。太子殿下のお側に仕え、われらの言葉を殿下に伝えてくれるのは、貴公しかおらぬ。その気持ちがわからぬのか?」
「喪中にて」
青年は答えた。
「亡き父と兄のとむらいが終わるまで、お時間をいただきたいのです」
「いたずらに時を費やし、亡き父君がよろこばれると思うか?」
「私にできるのはこれだけです」
「貴公の父君が知ったら嘆くであろうよ。今、国政は王弟殿下に……燎原君に握られてしまっているのだからな」
梁鉄は青年の背中を見据えながら、告げる。
「太子殿下も燎原君も『金翅幇』などという怪しい組織を警戒している。とるに足らぬ組織を。すでにその組織は倒され、脅威にならぬというのに」
「喪中の者には、なにも言えませんよ」
「藍河国は確固として存在する。『藍河国は滅ぶ』などという妄言を口にする者たちにこだわって、どうするのだ。もしもそんな者たちがいるのなら……北臨にいる我らに任せればよいではないか。どうして黄家の者を抜擢する必要があるのだ?」
青年の言葉を無視して、梁鉄は続ける。
「太子殿下は黄海亮を『友人』とお呼びになる。それは貴公の兄でさえ得ることができなかった言葉だ。殿下は友人を活躍させるために、とるに足らぬ組織を倒す役目を与えたに違いない」
「殿下を侮辱なさるのですか?」
ささやくような声で、青年は答えた。
梁鉄が気づくと、青年が肩越しに振り返るのが見えた。
おちくぼんだ目が、梁鉄を見た。
意外なほどの視線の強さに、梁鉄の背中が震え出す。
この国では喪中の者は、長期間、故人を悼むものとされている。
喪に服している間は粗末な衣服──粗衣を身に着け、粗食に耐える。
この青年も同じだった。
亡き父と、兄を悼むために、粗衣をまとい、家にこもっている。
けれど、その眼光は鋭い。
武官である梁鉄を、おそれさせるほどに。
「私の父がすべてを賭けてお仕えしたあの方を、侮辱なさるのか? だとしたら、私としても捨て置けません。撤回していただきたい」
「す、すまぬ……」
「撤回を」
「わかった。撤回する。太子殿下はおろかな方ではない!」
梁鉄は座したまま、深々と頭を下げた。
「だが……納得はできぬ。狼炎殿下は、燎原君にお心を許しすぎる。そのような姿を、これまで見たことはなかった。なのに……」
「喪中の者には、特に言うことはありません」
「わかっている。だが……もうひとつだけ聞いて欲しい。それを聞いてくれたら、帰る」
「……なんですか?」
「燎原君のご息女のことだ」
梁鉄は、誰かに聞かれることを恐れるかのように、声を潜めた。
「燎原君のご息女は、いまだに嫁がれる気配がない。燎原君も良縁を探しているふうでもない。末娘だから手元に置きたいのかもしれないが、あまりにも不自然だ。なにか理由があるのかもしれぬが……貴公に、心当たりはあるか?」
「ありません」
「そうか」
「あなたは、それが王弟殿下を追い落とす手がかりになるとお考えなのですか?」
「……念のためだ」
梁鉄は言葉を濁した。
「燎原君に力がありすぎるのは……国のためにもよろしくない。我々は国を思って……」
「ご自由になされよ」
青年は、ため息をついた。
「喪中の者には、関わりのないこと」
「貴公の身体は大丈夫なのか?」
ふと、梁鉄はたずねた。
「喪中の者は粗食に耐えるものだが、限度があろう。木の実と水だけで、貴公の身体は保つのか?」
「保たなければそれまでのこと」
「捨て鉢になるな」
「……大丈夫ですよ。私の身体は、まだ健康なようです」
青年の口が、微笑むかたちに変わる。
「このまま五穀を断ち続けたら、霞を食らう神仙になれるのかもしれませんね。そうなったら仙人のひとりとして、梁鉄どのをお助けしますよ」
「……戯れ言を口にできるようなら、大丈夫だな」
苦笑いして、梁鉄は立ち上がる。
「いずれにせよ、身体を大切にしてくれ。我らは、貴公が出仕するのを待っているのだからな」
「訪ねてきてくれたことには感謝しますよ」
「ならば神仙などという戯れ言を口にするな」
「さて、どうでしょう」
青年は背中を向けたまま、つぶやいた。
「私はあなたの成功を祈っていますよ。梁鉄どの」
「私も、貴公が喪を終えて戻るのを待っているよ。兆季どの……いや、兆家の末子、兆巽丘よ。将軍の血族である兆家の者は、もう、貴公しか残っていないのだから」
梁鉄の言葉に、兆季は応えない。
ただ、静かに一礼しただけ。
そうして武官の梁鉄は友人……兆石鳴の末っ子、兆巽丘の家を後にしたのだった。
第5章はここまでです。
このあとは第5章のキャラ紹介や、番外編を挟んでから、第6章に続く予定です。
これからも『天下の大悪人』を、よろしくお願いします!




