第214話「天芳、未来の歴史(仮)を知る」
「『……西方に新興国あり。名を鋭炬。
若き王に率いられた軍事王国であり、その凶暴さから、餓虎の国と呼ばれる。
藍河国が滅びたばかりの大陸に、餓虎の王が食指を向けたのだ』」
夕璃さまは文書を読み上げ始めた。
「『大陸は、長く続いた乱世に疲弊していた。やっと平和を取り戻したばかりの人々に、鋭炬の侵攻に立ち向かう術はなかった。
国は徐々に侵食され、人々は奴隷として西方に連れ去られる。
鋭炬の戦略は巧妙だった。
飢えた虎のごとき将軍たちは、三方より大陸を侵食していく……』」
「……これは、物語ではないのですか?」
声を発したのは、雷光師匠だった。
「軍記物か、通俗小説のたぐいに思えるのですが」
「わたくしも同感です。念のため、最後まで読んでみましょう」
夕璃さまは文書を読みあげつづける。
「『藍河国亡き大陸を治めるのは、登極したばかりの若き王。
彼はふたたび剣を取る。
英雄軍団の仲間を集め、飢えた虎のごとき鋭炬の国に立ち向かう。
その道のりは苦難に満ちたものとなる。
それでも英雄としての使命を果たすために──』
──書かれているのは、ここまでです」
そう言って、夕璃さまは話を終えた。
しばらくの間、誰も口をきかなかった。
文書の内容が荒唐無稽過ぎるからだろう。
「わたくしは……鋭炬という国の名を聞いたことがございません」
夕璃さまは首をかしげていた。
「父のところには西方の事情に詳しい者もおります。彼らから西方の国々ことを聞いたこともございます。ですが、その中に鋭炬という名の国はありませんでした」
「ええ。私も知識人から、話を聞いたことがあります」
雷光師匠はうなずいた。
「ですが……鋭炬という名の国は知りません」
「『金翅幇』の者は、この文書が未来を予言していると考えているのでしょうね」
「ここに書かれているのは……これから起こるできごとということですか……」
「少なくとも、金翅幇の者は、そう考えていたのでしょう。彼らは本気で、藍河国が滅ぶと考えていたようですから」
「藍河国が滅び……新たな国が生まれる」
「そしてその国が、西方にある鋭炬という国からの侵攻を受けると……彼らは信じていたのでしょうね」
夕璃さまはため息をついた。
「だからこそ『金翅幇』は、藍河国を滅びに導こうとしていたのですから」
「翼妹……いえ、妹弟子の玄秋翼から聞いたことがあります。『四凶の技』の使い手は『藍河国は滅ぶ。ならば、もっとも手早く滅ぼす手段をとる』と言っていたと」
それは『窮奇』の使い手、介州雀の言葉だった。
「『ならば、滅ぼすものは滅ぼす。殺すべきものは殺す。そのための力を集め、効率を高める。そうすれば乱世の時間は短くなる。犠牲者を減らすこともできよう』と」
「彼らにとっては……それが正義だったのですね」
「藍河国は滅びる。だから、その滅びを早める。乱世の時間を短くして……新たな国を打ち立てる。すべては……鋭炬という国からの侵攻に備えるために……?」
「わたくしには、妄想としか思えません」
「彼らは妄想におどらされて……事件を起こしたということですか」
答えたのは孟篤さまだった。
彼は拳を握りしめ、怒りに身体を震わせていた。
「そんなことのために、やつらは價干索をそそのかして……丹と薄をさらおうとしたのですか!? 将来、西方から異国が攻めて来るから、その対策として!? そんな国はまだ存在していないというのに!? ふざけるにもほどがありましょう!!」
孟篤さまは、床に拳をたたきつけた。
「そんなことのために……やつらは屋敷に火を放ち……多くの者に傷を負わせたのですか。太迷も、そんなことのために……」
「孟篤さまのお怒りはわかります」
「この雷光も同感です。こんなことのために、やつらは魃怪をそそのかして……破滅に追い込んだのですか……」
孟篤さまと夕璃さま、そして雷光師匠の声が、広間に響いていた。
3人の声を聞きながら、俺は寒気を感じていた。
雷光師匠たちが怒るのも無理はない。
西方から新興国──餓虎の国『鋭炬』が攻めて来るなんて話は……妄想としか思えない。
だって、その国は存在しないんだ。
鋭炬なんて名前の国は、夕璃さまも雷光師匠も知らない。
存在しない国の侵攻に備えるなんて、どう考えても妄想だ。
だけど、ゲーム『剣主大乱史伝』に続編があったと考えると、話は変わってくる。
『剣主大乱史伝』で英雄軍団は、苦戦の末に藍河国を滅ぼす。
その後のことは描かれていないけれど、たぶん、人々は傷つき、土地は荒れ果てていたはずだ。
焼かれた村もたくさんあっただろう。
戦乱に巻き込まれた人々も、たくさんいたと思う。
そんな状態で他国からの侵攻を受けるのが『剣主大乱史伝』の続編なのかもしれない。
藍河国は滅んで、新しい国ができたばかり。
人々は疲れ果てている。新たに兵士を集めるのは難しい。
都市を守る防壁だってボロボロになっているだろう。
兵糧だって足りないはずだ。
田畑が荒れ果てているなら、作物の収量も激減してるはずだ。
そして……藍河国を倒すという目的を果たした英雄軍団は、解散している。
そこに他国から侵攻を受けたら、たぶん……抵抗なんかできない。
金翅幇の連中は、そんな未来が訪れると信じていた。
だから、早めに藍河国を滅ぼそうとしたんだ。
起きるはずの乱世を、最短で終わらせて、新たな国を造るために。
時間をかけて、鋭炬からの攻撃に備えるために。
なに考えてるんだ……あいつらは。
やり方が完全に間違ってる。
西方からの侵攻に備えるなら……藍河国を滅ぼす必要なんかない。
今、この国は安定しているんだ。
父上をはじめとして、強力な武将もそろっている。戊紅族のガク=キリュウもいる。
藍河国と協力して、鋭炬からの侵攻に備えることだってできたんだ。
もちろん、国の上層部は予言なんか信じないだろう。
それでも『念のため、西方の備えを』と言えば、耳を貸す人だっていたはずだ。
少なくとも燎原君なら、興味を持ってくれたと思う。
なのに、あいつらは自分たちが英雄になることを優先した。
藍河国を滅ぼして、新たな国を打ち立てることにこだわった。
だからあいつらは、壬境族の中にはいりこんで、ゼング=タイガをそそのかして、軍を動かした。
その結果、大きな被害が出た。ゼング=タイガも死んでしまった。
『金翅幇』は完全に失敗した。
あいつらは藍河国の敵になった。
『金翅幇』の連中が『予言は事実だ』と訴えても、もう誰も興味を示さないだろう。
ここが『剣主大乱史伝』の世界だと知っている、俺以外は。
だけど……どうする?
俺が『金翅幇の予言は事実かもしれない』とは言えない。
『金翅幇』の味方をしていると思われるかもしれないからだ。
それに、侵攻があるという証拠も、根拠も、なにひとつない。
だって鋭炬という国はまだ存在しないんだ。
その国の王になる人物は生まれてるだろうけど……それが誰なのかもわからない。
そんな状態で人々を説得するのは無理だ。
だったら──
「夕璃さまと雷光師匠に申し上げます」
俺はふたりに向かって、声をあげた。
「その書物に書かれていることは妄想かもしれません。ですが、奴らがそれを神仙の文書だと信じていたのは事実です。そして、奴らは戊紅族の守り神である吹鳴真君のことを知っていました」
「確かに……黄天芳さまのおっしゃる通りです」
夕璃さまはうなずいた。
「ですが、神仙などというものは……」
「それでも、ぼくは調べてみたいんです」
俺は夕璃さまに向かって、拱手した。
「お願いです。北臨に帰ったあとで、ぼくが異国を旅する許可をいただけませんか?」
「それは構いません。ですが、どこに行かれるおつもりなのですか?」
「奏真国に」
俺は答えた。
「奏真国には滴山という山があります。そこなら、神仙についての手がかりが得られるかも知れません」
「天芳……まさか君は、仰雲師匠の足跡をたどるつもりなのかい!?」
雷光師匠が目を見開いた。
俺は雷光師匠に一礼して、
「はい。仰雲師匠は仙人になると言い残して、滴山のさらに奥に向かったと聞いています。ぼくは、その足取りを追ってみたいんです」
神仙なんてものが存在するのかはわからない。
けれど、仙人と呼ばれた人物は存在する。戊紅族の守り神、吹鳴真君がそうだ。
そして、金翅幇の連中は吹鳴真君のことを知っていた。
しかも、やつらは吹鳴真君を敵視していた。
まるで吹鳴真君が、実在の人物でもあるかのように。
もしかしたら……仙人っぽい人間が、どこかに存在するんじゃないだろうか。
実際に『金翅幇』の巫女は空を飛んでたりしたからな。
そういう技術はどこかにあるんだろう。
「今のところ、神仙に関わる手がかりはそれだけです。あとは……戊紅族のカイネやノナから、守り神の吹鳴真君についての話を聞くくらいですね」
俺は夕璃さまと雷光師匠に向かって、そう言った。
「巫女の足取りを掴むためにも、ぼくは神仙についての調査をしてみたいんです」
「黄天芳さまのお考えはわかりました」
夕璃さまはうなずいた。
「北臨に帰ったら、わたくしから父に願い出ることといたしましょう」
「ありがとうございます。夕璃さま」
「ですが、その前に少し休んでくださいませ」
「……え?」
「あなたは働き過ぎです。それに、兄弟子をあまり心配させるものではありません」
夕璃さまに言われて、俺は横を見た。
小凰が泣きそうな顔で、俺をにらんでいた。
「……天芳。どうして君は、いつも大変なことばっかり……」
「あ、あの……師兄?」
「……君が滴山に行くなら、僕も同行するから」
「……えっと」
「奏真国の! 滴山に行くなら! 僕も同行する!! 異論は認めないからね!?」
「はい」
うなずくしかなかった。
そんなわけで、俺と小凰は仰雲師匠の足取りをさぐるために、奏真国の滴山に行くことにしたのだった。
その後も、俺たちは意見交換を続けた。
『金翅幇』の拠点の調査は、燎原君の客人たちが行うことになった。
問題が大きくなったからだ。
『金翅幇』対策は、藍河国そのものが、大々的に行うことになったんだ。
これまでは謎の組織が、藍河国に対して攻撃をしかけているという『疑い』だけがあった。
だから、夕璃さまが岐涼の町に来たのも、あくまでもお忍びだった。
物見遊山という口実で、こっそりと、調査を行うつもりでいた。
だけど、岐涼の町で事件が起こってしまった。
それにより『金翅幇』は、藍河国にとって公式な敵になった。
だから『金翅幇』対策は、国が主導権を握って、公式に行うことになったんだ。
燎原君の客人たちは、すでに北臨を出発している。
近日中に岐涼の町に来て、事件の調査を行うそうだ。
客人の中には似顔絵を得意とする者も混じっている。
彼の手によって、巫女の人相書きが作られることになっている。
それらは大量に複製されて、国内の町や村に貼り出される。
しかも、巫女の居場所を知らせた者には賞金も出るらしい。
これからは国によって、『金翅幇』への包囲網が作られていくんだろうな。
俺たちは北臨に帰ったあとで、燎原君に復命することになる。
燎原君も、俺たちに会いたがっているそうだ。
なんでも『国にあだなす連中を捕らえたことを讃えるための、宴会を開きたい』と言ってるとか。
そういう会は苦手なんだけど……断るのは無理だろうな。
王弟殿下のお誘いなんだから。
俺も宴会の席で、着飾った星怜たちを見てみたい。
彼女たちも、今回はがんばってくれたから。
燎原君がみんなをねぎらいたいって気持ちもわかるんだ。
「黄天芳どの。この孟篤にとって、あなたは英雄です」
不意に、孟篤さまが言った。
「價干索だけでなく……私も、父のような猛将が英雄なのだと思っていました。ですが、今回のことで考えを改めました。私にとっては黄天芳どののような方こそが、英雄なのです」
「いえ、それは違うと思いますけど……」
「違いませぬ」
「……どうしてですか?」
「業火のごとき戦乱に立ち向かうのが英雄ならば、戦乱が起こる前の種火を消し止めるのも英雄でしょう」
そう言って孟篤さまは、にやりと笑ってみせた。
「『金翅幇』と價干索の陰謀を放置すれば、大きな戦乱に……民を巻き込む大火になりかねなかった。あなたは、それを事前に止めてくださったのです。戦乱の炎を、種火のうちに消し止める……それは英雄的な行いと言えるのではないでしょうか?」
「それなら、孟篤さまも英雄でいらっしゃいます」
「ふふっ。價干索の前でも、そんなことを言ってくださいましたな」
「はい。孟篤さまは人々の平穏な生活を守っていらっしゃいます。それもまた、戦乱を事前に止める行いだと思います」
俺は孟篤さまに一礼した。
「ですから、ぼくが英雄なら、孟篤さまも英雄でいらっしゃいます」
「なるほど。そういう意味では、ここにいらっしゃる皆さますべてが英雄ですな」
「そうですね。夕璃さまも雷光師匠も、師兄もみんな……尊敬できる英雄ですね」
「では、おたがいに相手をたたえ合うこととしましょう」
「……えっと、はい。そういうことなら」
俺と孟篤さまはおたがいに拱手を交わした。
夕璃さまも雷光師匠も小凰も、笑っていた。
なんだか、ほっとする。
やっと、戦いが一段落したような感じだ。
それでもまだ、確かめなきゃいけないことが残ってる。
それは──
「雷光師匠にうかがいます」
俺は口調を改めて、雷光師匠を見た。
「巫女が落とした木簡は、秋先生が回収されたと聞いています。やはりあれは……危険なものなのでしょうか?」
俺が巫女を斬ったとき、彼女の懐から木簡がこぼれ落ちた。
あの内容が、ずっと気になっていたんだ。
「秋先生は、あれが危険なものだとおっしゃっていましたよね?」
「そうだよ。だからあの木簡は、翼妹が封印することにしたんだ」
「あれはやはり秘伝書のたぐいなのですか?」
「ああ。あれは……『四凶の技・窮奇』の秘伝書だ」
「「────!?」」
俺と小凰は、息をのむ。
おたがいの身体が震えるのが、わかった。
『四凶の技・窮奇』は、介州雀と虎永尊、ゼング=タイガ、それに魃怪たちが使っていた技だ。
けれど、完全なものを修得していたのは介州雀と虎永尊だけ。
あとの者たちは『毒の気』の弱点を知らされていなかった。
その秘伝書を、巫女が持っていたということは……。
……やっぱり『窮奇』を広めたのも彼女だったのか。
ただ、秘伝書はこちらの手に入った。
巫女は……知識はあるだろうけど、秘伝書そのものは失った。
これで技を広めることができなくなるのなら……いいんだけど。
「それに、巫女が落としていったのは『窮奇』の秘伝書だけじゃない。一部だけれど『饕餮』について書かれていたものもあったそうだ。どちらも……封印すべきだろうね」
雷光師匠は、苦い口調でそう言った。
「翼妹が回収してくれてよかった。彼女は医師だからね。武術を修得する利益と危険を秤にかけて、危険の方が大きいと判断したんだろう」
「秋先生なら、そうですよね」
「私も『窮奇』にはひどい目にあわされているからね。封印することには賛成だ。だが、他の武術家があの木簡を手に入れていたら……技を修得する誘惑に負けていたかもしれない」
そう言って長いため息をつく、雷光師匠。
「ぼくも、封印することに賛成です」
「僕もです! あんな技は……二度と世に出てきて欲しくないです」
できれば、焼き捨てたいくらいだ。
秋先生が封印を決意したのは、『毒の気』が世の中に蔓延したときの対策のためだろう。
『窮奇』の術理がわかれば、『毒の気』を消す方法を見つけ出せるから。
そんな秋先生が『窮奇』の誘惑に負けることはない。
あの秘伝書は、秋先生に預けるのが正解なんだろう。
「話はつきませんが、今日は……ここまでにいたしましょう」
夕璃さまが、話をしめくくった。
「いずれにしても、これからは国が『金翅幇』に対処することになります。價干索さまやその配下を通じて、新たな情報が得られることもあるでしょう。ここまで『金翅幇』を追い詰めることができたのはみなさんのおかげです。父である王弟、藍伯勝に代わり、お礼を申し上げます」
「もったいないお言葉です。夕璃さま」
俺たちを代表して、雷光師匠が答えた。
俺と小凰は深々と頭を下げただけだった。
孟篤さまも同じだ。
こうして、岐涼の町にまつわる事件は、一応は終結した。
これから俺たちは北臨に帰ることになる。
北臨に帰ったあとは燎原君の屋敷で祝賀会だ。
燎原君のことだから盛大なものになると思う。
もしかしたら、太子狼炎も出席するかもしれない。
ただ……敵方には、まだ巫女が残っている。ゲーム主人公の介鷹月も。
組織が崩壊した今、あいつらはもう、ただの個人だ。
どれだけのことができるのかわからないけど……それでも、警戒はしておこう。
あとは……巫女の人相書きが功を奏してくれることを祈るだけだ。
北臨に帰ったら神仙のことを調べてみよう。
もし、本当に神仙なんてものがいるなら、会ってみたい。
彼らがなんらかの方法で、ゲームのストーリーを知ったのかもしれない。
その断片が『金翅幇』に伝わった可能性もある。
まずは滴山に行こう。
仰雲師匠の足取りをたどって、彼がなにを見たのかを知りたい。
取り越し苦労で終わるなら、それでもいい。
俺は、自分にできることをやっておきたいだけなんだ。
そんなことを考えながら、俺は宿の部屋に戻ったのだった。
来週は都合により、更新をお休みさせていただきます。
なので、次回、第215話は、再来週の更新になる予定です。




