第213話「天芳、敵組織が残した記録を見る」
岐涼の町の事件は、とりあえず決着した。
俺たちは夕璃さまの宿に集まり、おたがいの無事を確認した。
別行動をしていた星怜も小凰も、傷ひとつ負っていなかった。
彼女たちは虎永尊と遭遇したそうだ。
その話を聞いたとき、寒気がした。
虎永尊は『剣主大乱史伝』でも強力なキャラだったからな。
でも、虎永尊が現れてすぐに、雷光師匠が駆けつけてくれたそうだ。
そして師匠は小凰と連携して、虎永尊を倒した。
あの虎永尊を倒すなんて……ふたりとも、本当にすごいな。
戦いで傷を負った師匠は、秋先生に診てもらっている。
軽傷だから、命に別状はない。
ただ、雷光師匠は最近、無理をしすぎだと思う。
師匠は以前、壬境族のスウキとレキを助けるために毒矢を受けた。
その傷が癒えないうちに『裏五神』の魃怪と戦った。
そこでの傷が完治しないうちに、『四凶の技・窮奇』を使う虎永尊と死闘を繰り広げたんだ。
……自分の力不足を実感する。
本当は、師匠にもっと楽をさせてあげたいのに。
だから俺は、雷光師匠のお見舞いをしたときに言ったんだ。
『無理をさせてすみません。雷光師匠』って。
そしたら──
『……それはこっちの言うことだよ! 天芳!!』
なんて、苦笑いする雷光師匠に、怒られたんだけど。
戦いのあと、虎永尊は捕らえられて、幽閉された。
武術を使えないように、手足を傷つけられて。
場所は兵舎の中にある牢獄だ。
あいつは鎖で縛られた上に、兵士たちに見張られている。
脱出は無理だろう。
そこまで厳重な処置がされるようになったのは、介州雀の件があったからだ。
捕虜になったあいつは、北臨の兵舎で自害をした。
そのせいで、あいつから証言を得ることができなくなった。
そのことは孟篤さまも知っていた。
だから、同じことが起きないように、捕虜に対しては厳重な処置がされるようになったそうだ。
虎永尊がまだ生かされているのは、あいつから証言を得るためだ。
本来なら、処刑されるのが普通だと、雷光師匠は言っていた。
あいつの罪は数え切れない。
あいつのせいで死んだ者も、傷ついた者も多い。
もともと虎永尊は壬境族の軍に潜り込んでいた。
あいつがゼング=タイガを戦いに駆り立てていたことも、すでにわかっている。
壬境族はすでに俺たちの味方だからな。
穏健派のハイロンさんもトウゲンも、たくさんの情報をくれたんだ。
もちろん、ゼング=タイガの周辺の情報も。
虎永尊がゼング=タイガを見捨てて、逃げたことも。
あいつは壬境族からも恨まれている。
もう、この世のどこにも、逃げる場所なんてないんだろうな。
そして、もうひとりの捕虜、円烏についてだけど──
「……あいつの仮死状態を解くには時間がかかりそうだね」
──それが、秋先生の結論だった。
円烏は巫女の点穴を受けて、仮死状態になった。
技の名は『冥牢指』──『蝋血』
それを受けた円烏は、まったく動かなくなった。
呼吸はある。
本当にかすかな、鼻に当てた紙が揺れないくらいのものだ。
心臓も動いている。1分間に数回というレベルで。
体温は、35度を切るくらいだろう。
普通だったら死んでいるはずだ。
なのに、あいつはまだ生きている。
鎖で縛られて、虎永尊とは別の場所で幽閉されているはずだ。
円烏の所在は隠された。
あいつは金翅幇の重要人物だ。
巫女が所在を知ったら、必ず取り戻しに来る。
だから、今は所在を隠すべきだというのが、夕璃さまと孟篤さまの結論だった。
その間に巫女を捕らえるための罠の準備をする。
すべての準備が整ったら、情報を公開する。
巫女を誘って、迎え撃つ。
それが、現在の計画だった。
これまでは『金翅幇』が先手を取ってきたけれど、それも終わりだ。
これからは藍河国のターンになる。
国中に網を張り巡らせて、『金翅幇』の存在をあぶりだし、構成員を捕らえる。
虎永尊も円烏も口をきかないけれど、構わない。
情報は他から得ることができた。
孟篤さまの部下……價干索は、観念したのか、知っていることを話し始めたんだ。
それらの情報は夕璃さまにも伝わっている。
だから俺たちは、宿に集まり、情報交換をすることにしたのだった。
「皆さまにご報告します。價干索の屋敷の、調査が終わりました」
事件から数日後、孟篤さまが夕璃さまの宿にやってきた。
彼が通されたのは、宿の大広間。
同席しているのは夕璃さまと、雷光師匠。
事件の現場で戦った俺と、小凰だった。
秋先生は円烏の仮死状態を解く方法を研究している。
冬里は、その手伝いをしている。
星怜と千虹は、薄さまや丹さまと話をしているはずだ。
そんなわけで、大広間にいるのは、俺を含めて5人。
出席者を見回した孟篤さまは、最初に深々と、頭を下げた。
「今回の事件では夕璃さま……そして周囲の方々に多大なるご迷惑をおかけしてしまいました。岐涼の町の領主として、お詫び申し上げます」
床に膝をつけたまま、孟篤さまは言った。
俺も小凰も、びっくりしてる。
孟篤さまが夕璃さまに頭を下げるのはわかる。
でも、俺や小凰、雷光師匠にまで謝罪するとは思っていなかったんだ。
「特に……夕璃さまには本当にお手数をかけてしまいました。夕璃さまが兵や民を落ち着かせてくださったから、町の治安は落ち着いていたのです。暴動が起きなかったのは夕璃さまのおかげです。心より……感謝を申し上げます」
「わたくしは父より、岐涼の方々をお助けするように命じられております」
夕璃さまは孟篤さまに向かって、拱手した。
「その役目を果たしただけのこと。どうか、お気になさらずに」
「そう言っていただけると救われます」
それから孟篤さまは、俺の方を見た。
「少年……いや、黄天芳どの。私は君にも感謝しているよ」
「ぼくにですか?」
「そうだ。君のおかげで、敵の首謀者を捕らえることができた。價干索を止めてくれたのも、君の妹の力だと聞いている。本当に感謝しているのだよ」
「ぼくだけの力ではありません。兄弟子や師匠が戦ってくれた結果です」
「わかっている。それでもお礼を言わせてくれ」
膝をついたまま、孟篤さまはうなずく。
「私の部下……魯太迷が生き残ることができたのは君のおかげだ。私の部下を救ってくれて、本当にありがとう」
……本当に部下思いなんだな。孟篤さまは。
魯太迷が命をかけて、この人を助けようとしているのもわかる。
力になれて、本当によかった。
「太迷さまのご様子はどうですか?」
俺は聞いた。
孟篤さまは、おだやかな表情で、
「玄秋翼どのの見立てでは、心配ないそうだ。私にはよくわからぬが……あの方は内臓と経絡が傷を負っているとおっしゃっていた。だが、薬湯を飲んで安静にしていれば治るらしい」
「そうですか……よかったです」
「太迷は『怪我が治るまでは「なにもできぬの魯太迷」ですな! 無為徒食で申し訳ない』と笑っていた。あの顔が見られただけで十分だよ」
孟篤さまは言った。
広間が、笑い声で満たされた。
みんな安心した顔をしている。夕璃さまも、雷光師匠も、小凰も。
「…………怖いことはもう、終わったんだね」
「…………はい」
気づくと、小凰が俺の手を握っていた。
細い指が、俺の指と指の間に滑り込む。
俺は小凰の手を握り返す。
やわらかい感触と熱が、伝わって来る。
小凰の身体を流れる『気』も感じる。
落ち着いた流れ……彼女が俺の隣で、安らいでいるのがわかる。
俺と小凰は視線を交わして、うなずく。
俺たちは、もっとも危険な死地を通り抜けた。
巫女には逃げられたけれど……それでも、多くの捕虜と、情報を得た。
あいつが落としていった木簡も、そのひとつだ。
「それでは、みなさまに調査の途中経過をお伝えします」
孟篤さまは姿勢を正して、そう言った。
「調査には夕璃さまの部下の兵士たちにも協力していただいております。これからお伝えするのは、双方の情報をまとめたものになります」
「孟篤さまにうかがいます」
不意に、夕璃さまが声をあげた。
「捕虜の虎永尊についてですが、あの者はまだ、口を開いていないのですね?」
「はい。あの者は組織への忠誠心が高いようです。だが……價干索はそうではありません。あの者は自分が『金翅幇』に、屋敷や金銭を提供していたことを認めました」
虎永尊は口が固い。
円烏は仮死状態だから、情報を得られない。
突破口になるのは、價干索だけだ。
あいつは『金翅幇』の協力者であって、構成員じゃない。
『金翅幇』の情報を隠す理由は、なにひとつない。
しかも丹さま──價干索の姪も、孟篤さまと夕璃さまが保護している。
だから價干索は、重い口を開き始めたんだろうな。
「場所は、岐涼の町の近くにある山小屋でした。そこが『金翅幇』の拠点となっていたようです。巫女が立ち寄るかと思い、兵士がまわりを囲んでいたのですが……」
「巫女は、岐涼の拠点を捨てたのでしょうね」
夕璃さまはうなずいた。
「用心深い者たちです。價干索さまが情報を漏らすことも、想定していたのでしょう」
「夕璃さまのおっしゃる通りです。ですが、拠点には多くのものが残されておりました」
多額の金銭……おそらくは、組織の活動費だろう。
價干索も金銭的な支援をしていたらしいけれど、それよりも金額は多かったそうだ。
おそらくは、壬境族からも金銭を得ていた、というのが、夕璃さまの予想だ。
次に、組織に関わる者の名前が記された木簡。
これは名簿のようなものだ。
ただ、目新しい名前はなかった。
すでに捕らえられた者や、名前が明らかになった者の名前だけだ。
ということは──
「岐涼での事件は、『金翅幇』にとって最後の切り札だったのでしょうね」
報告を聞いたあとで、夕璃さまは答えた。
「すべての構成員を使い、動乱を起こし、岐涼の町を乗っ取る。ここを金翅幇の新たな拠点とする。そのために、彼らは勝負に出たのでしょう。そして──」
見事に、敗北した。
だからこそ、やつらの情報が明るみに出ている。
拠点の位置や名簿、金銭まで。
そして──
「あの者たちの、別の拠点の情報もありました。それについてはすぐに書き写し、北臨の王弟殿下のもとへ送っております」
「正しい対処だと思います。父は、すぐに客人を向かわせるでしょう」
「はい。巫女は別の拠点に立ち寄るかもしれません。うまくいけば、捕らえることもできましょう」
そう言って、孟篤さまは一枚の紙を取り出した。
全員にわかるように、それを机の上に置く。
書かれているのは、長い文章だ。
最初に書かれている文字は『西方からの脅威』
「これは、拠点にあった文書を書き写したものです」
孟篤さまは言った。
「目を通しましたが、私には意味がわかりません。これは一体、なんなのでしょうか?」
「もしかしたら……それはあいつらが大切にしている『神仙の記録』かもしれません」
思わず、声が出た。
すると、孟篤さまは首をかしげて、
「神仙の記録? それはなんなのですか?」
「未来のできごとについて書かれた……予言の書のようなものです。金翅幇はそれを信じて、さまざまな事件を起こしていたのだと思います」
あいつらは言っていた。
『乱世が終わった後に、この地は異国からの侵攻を受ける。長引く乱世で疲弊した人々は、異国からの侵攻に耐えられない』と。
神仙が残した記録には、そのようなことが書かれていると。
『西方からの脅威』が、他国からの侵攻を表しているのだとしたら……この文書こそが、あいつらがあがめていた『神仙の記録』なのかもしれない。
「こちらの文書を拝見してもよろしいですか? 孟篤さま」
夕璃さまは孟篤さまに視線を向けて、そう言った。
「『金翅幇』が信じる予言について書かれたものなら、ここにいる者たちには、その内容を知る権利があります。いいえ……むしろ全員でこれを記憶するべきでしょう。金翅幇がなにを考えて、どのような結果をもとめて活動していたのかを知るために。それを、忘れないために」
「承知いたしました。どうぞ」
孟篤さまが記録を差し出す。
夕璃さまがそれを手に取り、目を通す。
彼女は深呼吸したあとで、『金翅幇』が残した記録を読みあげはじめたのだった。




