第211話「天芳と孟篤、英雄について語る」
──天芳視点──
「あ、あがぁああああああっ!?」
円烏の絶叫が響いた。
奴は両腕から血を流しながら、後ろにさがる。
だけど、まだ終わりじゃない。巫女が残ってる。
たぶんあいつは金翅幇の重要人物だ。
逃がさない。ここで捕らえて、知ってることを全部吐かせる!
「────ひぅっ!?」
巫女がおびえた声をあげて、地面を蹴った。
また跳んで逃げるつもりか。
「『五神歩法』──『潜竜王仰天』!」
俺は『五神歩法』の跳躍技で、跳んだ。
即座に突き技の『麒麟角影突』を繰り出す。
巫女への距離は、あと数歩。剣は届く。
あいつの脚を切り裂いて、二度と飛べないように──
「────っ!?」
突き出した剣の前に、影がさした。
俺の白麟剣と巫女の間に、割り込んできた者がいた。
白麟剣は、そいつの脇腹を抉った。
両腕から血を流しながら跳んできた、円烏の。
円烏の姿は『万影鏡』に映っていた。
だけど、剣を止めるのは間に合わなかった。
円烏は回避も、俺を攻撃することも考えていなかった。
ただ、割り込んで、巫女をかばっただけだ。
その予想外の動きに、とっさに対応できなかったんだ。
「巫女よ……私のすべてを封じてください」
円烏は震える声で言った。
「天命を邪魔するものに……余計な情報を与えないために。あなたの点穴で……」
「承知しました。円烏」
巫女が円烏の背中に手を伸ばす。
指を伸ばしたあの構えは……点穴の技か!?
「あなたを仮死状態にします。『冥牢指』──『蝋血』」
「がっ!?」
円烏の身体が、のけぞる。
奴はそのままなんの受け身を取ることもなく、落ちて行く。
「よい覚悟でした。家族のことは任せなさい。円烏」
「ふざけるな! 貴様!!」
俺は近場にあった樹を足場にして、さらに跳躍する。
逃げようとする巫女に向かって白麟剣を振り下ろす。
だけど、届かなかった。剣は巫女の衣を裂いただけだ。
硬い感触があった。
巫女の服の裂け目から、細長いものがこぼれ落ちていく。
あれは……木簡か?
文章が書かれた木の板だ。それがぱらぱらと落下していく。
覆面の向こうで、巫女が目を剥く。
殺気のこもった視線で、俺をにらみ付ける。
そして……俺の滞空時間の限界が来た。
俺は地上へと降りていく。
巫女は……まだ飛んでる。
まるで宙を駆けるように、屋敷の敷地の外へと逃げて行く。
だけど──
「…………逃がすか」
俺は脚に力を入れる。
身体中が痛い。無理をしすぎたせいだ。
『四凶の技』饕餮の使い手と戦って……その中で『渾沌・中央の帝』に目覚めて、円烏を斬った。
おかげで生き残れたんだけど……身体の限界が近い。
『気』もほとんど使い切ってる。
円烏は地面に倒れたまま、動かない。
生きているとは……思う。
巫女は円烏を仮死状態にすると言った。
その目的は……たぶん、俺たちに情報を与えないためだ。
円烏は貴重な情報源だ。
秋先生の知恵を借りて、仮死状態を解く方法を探そう。
でも、それもまたあとの話だ。
巫女を逃がすわけにはいかない。身体が動く限り……追いかけて……。
「少年! 黄天芳どの!!」
不意に、魯太迷の声がした。
声がした方に視線を向けると……孟篤さまと、彼を守る兵士たちがいた。
魯太迷は兵士のひとりに保護されている。
冬里もいる。
彼女は俺に駆け寄ろうとして、他の兵士たちに止められている。
彼らの前には、武器を構えた兵士の集団がいた。
槍の穂先は孟篤さまたちに向けられている。真上に向いている。孟篤さまに向けるのには抵抗があるのだろう。
それでも、敵の兵士たちは列を成して、孟篤さまたちの行く手をはばんでいる。
兵士たちの中央にいるのは、初老の男性だ。
彼は兵士たちを見据えてから、合図をするように手を挙げる。
すると兵士たちは……ためらいながらも、孟篤さまに槍を向けた。
それを見た初老の男性……價干索は満足そうに、うなずいた。
「どうして我々に武器を向けているのだ。價干索よ」
孟篤さまが口を開いた。
「そこをどけ! これから兵士たちと太迷を治療しなければならぬ! 賊も追わねばならぬ! なのに、どうして邪魔をするのだ!?」
その声を聞きながら、俺は立ち上がり、剣を取る。
それから、孟篤さまの前に。
彼を守る位置に立って、價干索たちと向き合う。
敵兵の数は30人前後。
彼らに守られながら、價干索は孟篤さまを見つめている。
皺深い顔。そこに埋もれた目が、見開かれている。
價干索は肩を震わせながら、ゆっくりと口を開いていく。
「見事な采配でございました。孟篤さま」
價干索は言った。
「私から丹さまを奪い、賊を追い詰めるとは予想外でした。叶うならば……もっと早く……その才気を見せていただきたかった。さすれば、私もこのようなことをする必要はなかったでしょう」
「なにを言っているのだ。價干索よ……」
孟篤さまは怒りに満ちた目で、價干索をにらみつけている。
「その賊を引き入れたのは誰だ!? 屋敷に火が放たれる直前に警備兵を引き上げ、賊が動きやすくしたのは!? すべては貴公の差し金ではないのか!?」
「……さて、どうでしょうか」
「貴公は亡き妻の兄であり、丹の伯父ではないか。なぜ、このようなことを……」
「私に言えるのは……あなたが先代さまのような英雄でいらしたら、このようなことは起きなかったということです」
價干索は、ぽつり、と言葉を漏らした。
「孟篤さま。あなたは、弱気になられた」
「……なんだと?」
「あなたはかつて動乱を鎮めることができず、領地を燎原とされてしまった。それから、あなたからは覇気が消えてしまった。我々らは、主君が堂々と兵を率いて敵を討つ姿を見ることが、できなくなったのです」
「それと貴公のやったことと……どのような関係がある?」
「あなたが賊と呼ぶ者たちは、私たちに夢を見せてくれました。孟篤さまのご息女と英雄が結ばれ、新たな伝説を作り出す夢を」
喉を反らし、價干索は高らかに声をあげる。
「あなたの父君、孟墨越さまは王弟殿下……燎原君と並ぶほどの輝きを放っておられた! 私は……その夢をもう一度見たかった! 英雄の配下となりたかったのですよ!」
「ならば岐涼を出て、他の場所で仕官すればよかろう!!」
孟篤さまの一喝が響いた。
「私が貴公の望む主君でなかったのなら、去ればよいのだ! 『白鶴将軍』の孟墨越を支えた價干索と名乗れば、貴公を迎え入れる者もいるはずだ!!」
「……私は老いました」
價干索はため息をついた。
「いちから他家で出世する時間も、英雄の腹心となる時間もありませぬ」
「それは貴公の問題だ! ゆがんだ妄執に岐涼の者たちを巻き込むな!!」
「父君のことを妄執とおっしゃるか!?」
「父が英雄であったのは、時代があの方を望まれたからだ」
孟篤さまの視線が兵士たちを、魯太迷を、そして、俺を見た。
彼は皆を制するように手を伸ばしている。
手を出すな、ということだろう。
部下の不始末は、自分でつける。
そのような意思をあらわしながら、孟篤さまは語り続ける。
「父の時代は、国が今よりも乱れていた。各地で盗賊がはびこり、他国からの侵攻もたびたびあった。だからこそ父は英雄でなければいけなかったのだ」
孟篤さまはまっすぐに價干索を見据えながら、続ける。
「それに比べて、今はどうだ? 藍河国は安定している。私ていどであっても、岐涼の町を治めることができる。以前に治めていた町で動乱があったが……それも王弟殿下の手によって鎮められた。あの方は武力だけではなく、客人を使い、人との繋がりによって民を落ち着かせたのだ」
「……孟篤さま」
「私は、あの方のようでありたいと思う」
静かな口調で、孟篤さまは告げる。
「あの動乱のとき、私は父の真似をしようとした。甲をまとい、威風堂々と動乱を鎮めようとした。だが、できなかった。そのときに覚ったのだ。私は父のようにはなれぬと」
英雄のように、強さで人を導くことはできない。
だから他者を理解し、理解されることで、町を治めようとした。
そうして、岐涼の町を穏やかに治めてきた。
──それが自分のやり方なのだと、孟篤さまは言った。
「私には父のように、武力ですべてを解決する力はない。だから人の力を借りる。太迷のような情のある者の意見も聞く。王弟殿下のご息女……夕璃どのがいらしたなら、会ってお知恵を借りる。それが私のやり方だ」
「そのような弱気では、とても英雄とは……」
「私は英雄ではない。いや、貴公の望む英雄など、我が町には必要ないのだ」
「それでは孟家の栄光が消えてしまいます! 偉大なる孟墨越さまの功績は過去の記憶と成り果てます。丹さまの時代には誰も覚えていないかもしれませぬ。それは治世のさまたげとなりましょう!!」
「……違うだろ」
勝手に、声が出た。
黙っていられなかった。
價干索の言葉に、むちゃくちゃむかついたからだ。
「あんたは英雄の部下でいたいだけだ。自分は英雄に認められた特別な人間だと、そう思いたいだけでしかない。あんたは孟篤さまのことも、ご息女のことも、なにも考えちゃいない」
「小僧がなにを抜かすか!!」
「目の前の光景を見ろ!!」
俺は声に内力をこめて、叫んだ。
「あんたの主君の屋敷は炎上してる。孟篤さまの配下の兵士たちも怪我をしてる。賊の首魁も、その配下の武術家も重傷で動けなくなってる」
「それがどうしたというのだ!?」
「この後始末を誰がする? 英雄か? あんたの望む英雄がやってきて、武力ですべてを解決してくれるのか!?」
「…………!?」
「違うだろ? 事件の後始末をするのは、孟篤さまと部下の人たちだ。孟篤さまたちは……傷ついた者たちを治療して、話を聞いて、敵を尋問して、二度とこんなことがないようにするだろう。人を大切にする孟篤さまなら、それができる」
孟篤さまは人を活かすことを知っている。
だから魯太迷も命がけで従っている。
夕璃さまも、俺も、力を貸したいと思った。
そうして、多くの人の力を借りて、孟篤さまは町を守った。
被害を最小限に食い止めた。
このあとは、事件の後始末と、再発防止を、全力でやってくれるだろう。
それはまちがいなく、孟篤さまの力でもあるんだ。
「なのに……あんたはそれになんの価値も認めないのか!?」
「…………わ、私は……先代のように」
「剣を取って戦うだけが英雄なのか!? 人を助けて、人に助けられて……そうして町を治める者には価値はないのか!? だったら燎原君はどうなんだ!?」
みずからが剣を取らない英雄なんか、いくらでもいる。
燎原君もそのひとりだ。
あの人は多くの人を動かし、話を聞いて、国をおだやかに治めている。
孟篤さまのやり方は、それに似てる。
統治する範囲は狭いけれど、やっていることは燎原君と、あまり変わらない。
なのに、價干索はそれに価値を認めない。
あいつにとって英雄とは、剣を取り、敵を打ち倒す者だからだ。
しかもあいつが望むのは、英雄の側で、栄光のおこぼれをもらうことだけ。
そのために奴は金翅幇と組んで、こんな事件を起こしたのか……。
最悪だな。本当に。
「それでも英雄が必要だというなら、あんたがなればいい」
俺は價干索を見据えながら、告げる。
「孟篤さまの言う通り、別の場所で仕官して、力量を示せばいい。仕えるのは暗君がいいだろう。人々が混乱して、戦が絶えない場所がいいだろうな。そこで力を示せば、みんながあんたを英雄と呼んでくれるだろう。どうしてそうしない!?」
「……黙れ。小僧」
「あんたはどうして平和な岐涼にいるんだ? 安定した町を自分でかき乱して、英雄を作り出すって……あまりにも愚かすぎるだろ、それは!!」
「黙るがいい!! すでに、事は始まったのだ!!」
價干索は肩を震わせながら、俺と孟篤さまを見た。
骨張った腕で、腰に提げた剣を取る。
ぎこちない手つきで抜いて、切っ先をこちらに向ける。
「すでに虎の背に乗った身だ。いまさら降りる気はない!」
「乱心したか、價干索!」
「いや、乱心したのは孟篤さまだ。そういうことにさせていただく!!」
孟篤さまの言葉をかき消すように、價干索は声をあげる。
「我が主君は乱心された。治療が済むまで別邸でお休みいただく! その間の政務は……丹さまの後見人として、私が引き継ぐこととしよう」
「私が乱心だと!? そのようなこと、誰が信じるというのだ!?」
「事実とさせていただくと申し上げた!!」
「不可能だ! 王弟殿下のご息女が事情をご存じなのだからな!」
「…………そのことは、後で考えるといたしましょう」
價干索は剣を振り上げた。
歯を食いしばり、迷いを振り払うように、叫ぶ。
「兵たちよ! 孟篤さまは領主としての責務に耐えかねて乱心された! その原因となった君側の奸こそが、あの方のお側にいる者たちである! 全員を切り捨て、孟篤さまをお救い──」
價干索の言葉が、止まる。
不審そうに、俺を見る。
俺が、價干索の顔を指さしていていることに気づいたのだろう。
「なんの真似だ。小僧」
「味方に合図をしているだけだ」
「……なに?」
「ぼくの妹と兄弟子は優秀だからな。ぼくの意図に気づいてくれると思うんだ」
不意に、カラスの鳴き声がした。
小さな羽音とともに、黒い影が降りてくる。
そして──
「ぎぃあああああああああっ!?」
カラスのクチバシで頬を抉られた價干索が、絶叫した。
「天芳!!」
直後、屋敷の壁を飛び越えて、小凰が姿を現す。
彼女の構えを見て、俺も剣を掴み直す。
「──『朱雀大炎舞』!」
「──『麒麟連円斬』!!」
小凰の剣が、敵兵の腕を斬った。
俺は残りの『気』をかき集めて、麒麟の技を繰り出す。
すぐさま小凰と連携を取って、價干索の兵士たちを無力化していく。
「遅れてごめん! 天芳!」
「大丈夫です。小凰。ありがとう!!」
俺が價干索と話をしていたのは、時間稼ぎをするためだ。
俺は小凰が近づいて来るのを感じていた。
その側に、星怜の使役する鳥がいることも。
だから、彼女が来るまでの時間を稼いだ。
價干索を指さして、鳥に『あいつを攻撃しろ』と指示を出した。
そして、感じ取っていたのは小凰の接近だけではなくて──
「我々は、王弟殿下のご息女、夕璃さまの部下である!!」
声が響いた。援軍の声だ。
……間に合ってくれたか。
夕璃さまと千虹なら、的確に状況判断してくれる。
間違いなくこちらに援軍を送ってくれる……そう思っていたんだ。
「我らは王弟殿下のご息女により、孟篤さまをお守りするように命じられている! 我らに剣を向ける者は逆賊と見なすが、どうする!?」
援軍の隊長の声が、響いた。
敵兵の動きが、止まった。
やがて……彼らは武器を捨てはじめる。
頬をおさえてうずくまる價干索のまわりで、剣や槍を手放し、膝をつく。
そのまま地面に頭をつける。ただひたすらに、許しを請うように。
それが、決着だった。
「天芳……今にも倒れそうじゃないか。本当に君は、無茶ばかり……」
小凰が俺の腕に触れて、そう言った。
「でも、敵を倒したんだね。あの覆面の男性がそうなんだよね? まったく動かないけど……死んでいるの?」
「点穴を受けたせいで、仮死状態になっているようです。それで、小凰」
「うん。秋先生も、もうすぐ来るよ」
「わかりました。秋先生が来たら、あいつを診てもらいましょう」
秋先生なら、円烏の仮死状態を解除できるかもしれない。
そうすれば情報を引き出すことができる。
あいつは金翅幇の重要人物だ。
奴らがなにを企んでいるのか、構成員が誰なのかを知っているはず。
あとは……巫女が落とした木簡も調べないと。
巫女があいつを仮死状態にしたのは……あいつから情報が漏れないようにするためだろうな。仮死状態の人間からは情報を得られない。どんなにきつい尋問をしても意味がない。反応がないんだから、いつ死なせてしまうかわからない。
だから、情報を手に入れたい者は、円烏を慎重にあつかわなければいけない。
その結果、円烏が生き残る可能性は高くなる。
巫女と円烏は、それに賭けたんだろう。
「逃げた巫女を追いかけるのは……もう、無理か」
價干索が来たタイミングが悪すぎた。
奴が来なければ、巫女を捕まえられたかもしれないのに……。
その代わり……價干索からたっぷりと情報を引き出すことにしよう。
まあ、その辺は尋問のプロに……夕璃さまの部下に任せることになるんだろうけど。
「あの……小凰。ぼくは小凰に、たくさん話すことがあるんです」
「うん。聞かせて。僕も天芳に、たくさんのことを話すから」
「そうですね……まずは……」
俺は小凰の肩を借りて、燃える屋敷から離れていく。
ぽつり、ぽつりと、これまでに起きたことを話しながら。
おたがいが、無事に生き延びられたことに感謝しながら。
そうして俺たちは、仲間のところに戻ったのだった。




