第209話「岐涼の町の武術大会、中止となる(5)」
──天芳視点──
「──乱世をいち早く終わらせるため、死んでくれないかな」
円烏の口が笑うかたちになるのが、覆面の隙間から見えた。
その背後にいる女性はの表情は、わからない。
でも……たぶん彼女が『金翅幇』の巫女だ。
巫女のことは何度も聞いた。
『金翅幇』には巫女と呼ばれる女性がいると。
その人物が『藍河国は滅ぶ』という予言を広めていると。
だけど、その正体がわからない。
ゲーム『剣主大乱史伝』に、予言を広げる巫女なんか出てこなかった。
正体不明といえば、円烏もそうだ。
奴が介州雀の身内なのは間違いない。
おそらくはゲームの主人公──介鷹月の兄か、それに近い存在だろう。
……そんな人物は、ゲームには存在しないんだけど。
奴らはゲームの裏で暗躍していたんだろうか?
プレイヤーからは見えないところで、介鷹月をサポートしていたのか?
だとしたら──
──あいつらを捕らえれば、ゲームの藍河国が滅んだ理由がわかるかもしれない。
「兵士さんたちは孟篤さまを守ってください! 冬里は、兵士さんたちと一緒にいて!!」
「芳さま!!」
「ぼくは……この男の相手をする」
冬里や、兵士たちの力は借りられない。
円烏は危険すぎる。
奴の技が四凶の『饕餮』なら、同じ四凶の『渾沌』で対抗するしかない。
感覚を研ぎ澄ます。
『渾沌』の『万影鏡』を発動する。
目の前にあるものすべてを、映す。
……それだけじゃ足りない。
もっと先の──『万影鏡』を修得した先にある技が必要だ。
『渾沌』の第二の技。究極の受け技。それは──
「『饕餮』──『顎爪乱舞』」
「『渾沌』──『無形』」
俺は一度だけ『無形』を使ったことがある。
ゼング=タイガと朔月の連係攻撃を回避したときだ。
あのとき、すべてが見えた。
ゆらりと身体を揺らして、ゼング=タイガの攻撃を回避できた。
あのときと同じことをする。
──恐れるな。
──踏み込め。
「……もう一歩、前へ」
俺は身体を揺らしながら、前に出た。
『饕餮』の剣をかいくぐる。
身体を引き裂くために降り注ぐ、凶暴な剣をかわしながら、円烏に近づく。
そして──
「……『青竜変転行』」
「なにっ!?」
俺の『白麟剣』が、円烏の腕に傷をつけた。
円烏が目を見開き、即座に間合いの外へと飛び退く。
「おどろいたな。私の身体に傷を付けるとは……」
円烏は言った。
「もしかしたら君は、天命が定めた好敵手なのかもしれない」
「……天命なんか知らねぇよ」
「では、やはり君はただの民草か」
「そうかもしれない。あんたたちがいなければ、ぼくは民草でいられたんだから」
軽口を叩きながら、俺は円烏を観察する。
奴の動きに変化はない。
『天元の気』を撃ち込んだけど……効いていない。
『饕餮』は毒の気を使っていない。
『天元の気』が効かないのはそのせいだろう。
つまり、俺はこいつと普通に戦わなきゃいけないってことだ。
『饕餮』の攻撃をかいくぐりながら、こいつが動けなくなるようなダメージを与える。そうすることで、逃げられなくする。
……できることは、それだけだ。
「円烏!! その者を逃がしてはなりません!!」
不意に、巫女の叫び声が響いた。
「その者は吹鳴の技の使い手かもしれません! 殺しなさい!!」
「──はい。師匠」
吹鳴の技……?
もしかして、吹鳴真君のことか?
吹鳴真君は戊紅族の守り神だ。
『四凶の技・渾沌』を作り出した仙人でもある。
その名を口にしたということは……こいつらは吹鳴真君のことを知っているのか?
「ははっ! 君は……面白い民草だな!」
円烏の攻撃が来る。
俺は渾沌の『無形』で受け流す。
力で受け流すのとは違う。
ただ、剣で受け止め、攻撃の流れを逸らしていく。
まるで、川船の動きを制御しているみたいだ。
激流に竿をさして、岩場や岸辺に激突しないように、船を操る。
そんなふうに思いながら、激流のように降り注ぐ『饕餮』の剣を、『白麟剣』で逸らしていく。
覆面の隙間から、円烏の目と口が見える。
笑っている。
奴が楽しんでいるのが、わかる。
「……以前に、聞いたことがある」
円烏が口をゆがめながら、言った。
「天命に対して、蟷螂の斧を振りかざす者がいると! 君のことか!?」
「知らねぇよ!」
円烏の攻撃速度が上がる。
速い。見えない。気配だけで反応するしかない。
反撃の隙がない。
『饕餮』──それは四凶の中で、最も貪欲な生き物の名前だ。
その名を冠している技は、簡単に獲物を引き裂く威力がある。
兵士たちの腕と脚を、難なく断ち切ったように。
──だったら『渾沌』は?
伝説に登場する渾沌には、目も鼻も口も耳もない。
それでも渾沌という生き物は、まわりのことをすべて理解している。
『万影鏡』と『無形』はそれを表す技だ。
だから渾沌は敵の技を把握して、受け流すことができる。
おかげで、俺はまだ生きている。
繰り出される『饕餮』の技を受け流し続けている。
円烏の足止めができている。
「──あの少年を助けるのだ!」
「──巫女を捕らえよ!」
「──あの者を人質にすれば……覆面の剣士を止められる!」
数名の兵士たちが巫女を追いかけ始める。
だけど、届かない。
あの女性は普通に宙を跳ぶ。近づくとひらりひらりと位置を変える。
兵士たちの剣は届かない。
残りの兵士たちと冬里は、孟侯の護衛をしている。
頭上からの攻撃を受けないようにするためだ。
冬里には点穴の技を用意している。
巫女が地上に攻撃を仕掛けるときに点穴を施すつもりだ。そうやって、巫女を地上にたたき落とそうとしている。
なんとなくだけど、冬里がそれを狙っていることがわかる。
「芳さま! こちらはお任せください!!」
冬里の声が響いた。
「冬里は、芳さまがくださったお役目を果たします! 芳さまはご自身の戦いに集中してください!!」
「……わかった」
信じる。
孟篤さまの護衛は、冬里と兵士たちに任せる。
俺はすべての感覚を、円烏を倒すためだけに使う。
『万影鏡』で円烏だけを映し出す。
敵を理解する。その解像度を上げる。
『無形』の精度を上げる。
円烏の剣に反応する。それを受け流し、反撃を入れることに集中する。
俺は目の前の敵、円烏 (仮)を倒すだけの者になる。
「……師匠。奥義の使用許可を」
円烏の声が聞こえた。
「私はこの者を殺したい。『饕餮』の三の使用許可を!」
「あなたは正しい。目撃者が増える前に片を付けるべきでしょう。許可します」
「感謝を」
円烏の構えが変わる。
俺の周囲の空気が、変化する。円烏が、周囲の大気を集めているような気配。
こいつ……樹木や草花の『気』を喰らってるのか?
『気』というのは生命エネルギーだ。
人間にもあるし、樹木や動物、草花にも存在する。
円烏はそれを一気に吸い込んでいる。
介州雀が『呑神』で周囲の人間の『気』を喰らったのと似ている。
違うのは速度だ。
円烏のそれは、桁違いに早い。
『気』を取り込む速度も、そして、技を放つ速度も。
「『饕餮』の三──『血祭祀』」
「──『無形』!」
神速の突きが来た。
まったく見えなかった。
『万影鏡』に映る影と気配で反応するしかなかった。
『白麟剣』が最初の突きを逸らす。即座に、2撃目が来る。
『渾沌・無形』で受け流す。俺の両腕が悲鳴を上げる。
『饕餮』の攻撃は重くて、強い。
3撃目が俺の腕をかすめる。
袍の袖が裂ける。
痛みはない。構っている暇もない。
4撃目が来る。受けきれない。俺は背後に跳ぶ──けれど、奴がついてくる。
前方に跳びながらの連続攻撃。速度がさらに上がる。
5撃目が腋の下を通り過ぎる。背筋に寒気が走る。拳ひとつ分ずれていたら、心臓をえぐられていた。
それが去ったあとで、やっと円烏が動きを止める。
「信じられない。この人……『血祭祀』の5連撃を耐えましたよ。師匠」
覆面の下で、円烏は目を見開いていた。
俺はそれに反応する余裕がない。
ダメージは、左腕の傷。皮膚を浅く斬られただけ。
痛みはあるけれど、動きに影響はない。まだ戦える。
ただ、身体に熱を感じる。
屋敷を焼いている炎がここまで来たのかもしれない。
でも、それに意識を向けている余裕がない。
俺の感覚が捉えているのは円烏と……いつの間にか、奴の背後に来ていた巫女だけだ。
巫女はもう孟篤さまを狙っていない。
円烏の後ろにいる。奴の背中に手を当てて──『気』でも送っているのかもしれない。
「心配はいりませんよ。円烏。天命のために道を開くお人」
巫女は、愛おしいものを見るような目をしていた。
静かに円烏の背中をなでながら、告げる。
「吹鳴の技を理解できる者などいるはずがない。奴が残したのは文章だけ。けれど、あなたは違うでしょう? こうして『四凶』を指導できる私がいるから──」
「やっぱり『四凶の技』を広めていたのはあんたか」
俺は巫女を見据えながら、言った。
「『窮奇』はあんたが広めていたんだな。ゼング=タイガにも、魃怪にも、呂兄弟にも……中途半端な知識を与えて……利用したのか……?」
「答える理由はありません」
「あんたは神仙なのか?」
俺はたずねる。
「この世界には本当に仙人がいるのか? あんたもその一人なのか? 仮にそうだとしたら、どうして仙人が現世のことに干渉する? 仙人ってのは地上へのこだわりを捨てた人間のことじゃないのか?」
「わたくしは、ただの道士」
巫女は、笑った。
「神仙の意思を地上に伝える者。地上で正しく、歴史を紡ぐ者。天命を進める英雄を育て、歴史を前に進める者です」
「……ふざけるな」
「なにがですか?」
「この世界の人間たちは自分の意思で生きているんだ。勝手な天命を振りかざして迷惑をかけてるんじゃねぇ!!」
こいつらの天命は、人を不幸にするだけだ。
ゼング=タイガは死んだ。
天命におどらされて、藍河国に侵攻しようとしたあいつを、俺が討った。
そうするしか、あいつを止める手段がなかった。
その戦いの中で、たくさんの人が命を落とした。
『窮奇』を教え込まれた魃怪と呂兄弟は、多くの人を襲った。
千虹の両親も犠牲になった。
盗賊団を組織した魃怪は雷光師匠が見守る中で、後悔して死んだ。
他にも、天命のせいで多くの人がひどい目に遭っている。
燕鬼たちにさらわれそうになった星怜。
ゼング=タイガに殺されかけた、海亮兄上。
四凶の技を受けて死にかけた冬里。
彼女を助けるために、旅を続けた秋先生。
壬境族の侵攻を受けた、戊紅族の人たち。
毒矢で殺されかけたスウキとレキ。ふたりを助けるために傷を受けた、雷光師匠。
……数え始めたら、きりがない。
『金翅幇』の連中は、そんな人たちのことをまったく考えていない。
奴らは天命しか見ていない。
奴らにとって人間は、天命を進めるためのコマでしかないんだろう。
「お前たちの天命に、なんの意味がある?」
俺は円烏と巫女に視線を向けたまま、『白麟剣』を構え直す。
「お前たちが見ているのは、ただの妄想だ! ぼくが妄想にしてみせる。黄天芳という、この名前にかけて!」
「民草の名前に誰が興味を持つと?」
巫女は首をかしげた。
それでわかった。
こいつらはゲーム『剣主大乱史伝』の知識を持っているわけじゃない。
『剣主大乱史伝』の知識があるのなら、天下の大悪人、黄天芳のことを知らないわけがない。
つまり、神仙が伝えたのは、ゲームの詳しい情報じゃないってことだ。
「お前らの天命は腐ってる!」
俺は突き技の『麒麟角鋭突』を放つ。弾かれる。
体勢を立て直して『朱雀大炎舞』の連続斬り。
ひたすら斬り続ける。奴に攻撃の隙を与えない。
けれど、円烏は動じない。
巫女と一緒に宙を跳び、俺の攻撃をかわし続ける。
巫女は円烏の背中に手を触れている。
『万影鏡』に映る円烏の姿が変わっていく。
奴の身体が大きくなったように見える。奴の『気』が肥大化しているんだ。
巫女から『気』を補給したってことか……?
「腐った天命の先になにがある!?」
「異国からの侵攻を防ぐ未来が」
円烏が、巫女から離れた。
「神仙の記録にある。『乱世が終わった後に、この地は異国からの侵攻を受ける。長引く乱世で疲弊した人々は、異国からの侵攻に耐えられない』と」
「異国の侵攻? 壬境族のことか?」
「もっと強力な、恐ろしい敵だ」
円烏が剣を構える。
「だから乱世を起こし、それを素早く終わらせる。より早く、異国の侵攻に備えるために。それが天命に記された、人々を救うための正しい手段だ」
「そんな必要がどこにある!?」
「……なんだと?」
「異国からの侵攻が起こるなら、藍河国に協力して防げばいい。乱世を起こして人を殺すよりも、ずっとましだろうが!!」
「天命には、そのような道は示されていない」
「また天命かよ……」
「天命と違う道を進んで、間違っていたらどうする?」
円烏の『気』が肥大化していく。
それを受けた奴の剣が震え出す。
「より多くの人が苦しみ、命を落とすことになる。そのような未来を導く者は大悪人と呼ばれるだろう」
「あんたの言いたいことはわかった」
たぶん、ゲーム『剣主大乱史伝』には続編がある。
それは藍河国が滅び、英雄軍団が新たな国を打ち立てた後の物語なのかもしれない。
英雄軍団が打ち立てた国が、異国からの侵攻を受けるのかもしれない。
……わからない。
俺が前世で生きていたときには『剣主大乱史伝』の続編なんてなかったからな。
わかるのは、ひとつだけ。
こいつらは俺の敵で、俺の大切な人を傷つける存在だ。
それだけわかっていれば十分なんだ。
「いいだろう」
呼吸を整える。
静かに、円烏を見据える。
「だったらぼくは、不確定の未来を導く、大悪人になる」
「ならば殺す。『饕餮』の三、『血祭祀』!」
神速の突きが、来た。
──さっきよりも、速い。
──見えない。
──気配さえも感じない。
それでも、自分がそれに対処できるのがわかる。
『万影鏡』はすべてを映し出す。
だから、円烏がどこを狙っているのか感じ取れる。
『無形』はすべてを受け流す。
だから、円烏の剣がどこを通るのか予測できる。
敵が攻撃しようとしているポイントが、わかる。
俺はそこに向かって剣を突き出すだけ。
たぶん、この技が──
「『渾沌』の三──『中央の帝』」
がきん、と、音がした。
俺の『白麟剣』の切っ先と、円烏の剣の切っ先が激突した音だった。
「ばかな!? 『饕餮』に、自分の剣を合わせただと!?」
円烏の剣が、砕けた。
「…………できた」
これが『渾沌』の攻撃技『中央の帝』だ。
『中央』は、物事の中心となる、重要なポイントを意味している。
たとえば──相手が攻撃しようとしているポイント。
たとえば──相手にとって致命的な弱点。
たとえば──相手の生命の中心。
それを完全に把握して、攻撃を加える。
『中央』を『支配する』技。
それが『渾沌』の攻撃技、『中央の帝』だ。
この技を使うためには『万影鏡』と『無形』を修得しなければいけない。
『中央の帝』を使うには、相手を理解する必要があるからだ。
──『万影鏡』で相手を写し出す。
──『無形』で相手の攻撃を受け流す。
──そうして、相手の攻撃パターンや『気』の流れ、身体の動きを把握する。
相手にとって致命的な場所を見つけ出す。
それが『渾沌』の奥義『中央の帝』だ。
だから、俺には円烏の動きがわかる。
──奴が、どこを攻撃しようとしているのかも。
──奴の動きを止めるには、どうすればいいのかも。
「あり得ない! 天命を開くはずの私が」
円烏が腰から短い刀を抜く。
左右一対の双刀だ。
それを振りかざし、円烏が地を蹴る。
「やめなさい円烏!」
巫女の叫び声が響いた。
「その者はおそらく……吹鳴真君の技を理解してしまった!! 紅塵の地にこのような人間が存在するなんて……!! 吹鳴とその弟子は……どこまで私たちの天命を邪魔するのか!!」
「邪魔などさせません! 『饕餮』の二、『鮮血陣』──」
円烏の双刀が降ってくる。
その動きと、奴が狙っているポイント──奴の視線の中央にあるものがわかる。
だから俺はそれに対抗して、突き技を放つ。
「『麒麟──角鋭突』」
「…………がっ? ぐぁあああああああああっ!?」
そうして『白麟剣』が、円烏の手を、貫いたのだった。
次回、第210話は、次の週末の更新を予定しています。




