第21話「天下の大悪人、兄弟子の家をたずねる」
「兄さんと翠化央さまは仲良しなのですね」
数日後。
自宅で、夕方の『獣身導引』を終えたあと、星怜は言った。
星怜は、すっかり元気になった。
家では毎日、母上や白葉の手伝いしてる。勉強のため、素読 (ひとりで本を読みこむこと)もはじめた。読めない字があると母上に聞きにいってるそうだ。
星怜は真面目で、頭もいい。
これからは礼儀作法を覚えて、黄家の社交の手伝いをするそうだ。
いい友だちができるといいな。
「最近の兄さんは、化央さまのお話ばかりです」
そんな星怜は寝台に腰かけて、じーっと俺を見てる。
「『化央師兄の剣術はきれい』とか『化央師兄は、猫の導引よりも蛇の導引が得意』とか。そんな話ばかりしています」
「だって、師兄は本当にすごいんだよ」
『四神剣術』の『青竜四剣』の型をあっさりマスターしてたし。
『獣身導引』もうまくなってるし。『蛇のかたち』は本当に蛇みたいだし。
「特に師兄の『獲物絡蛇 (獲物に絡みつく蛇のかたち)』はすごかったよ。ぼくの身体にぴったりと絡みついていたんだから」
「それくらい、わたしだってできますもん」
「女の子がそういうことしちゃいけません」
「……むー」
星怜はほっぺたをふくらませた。
その顔を見ながら、俺は、
「……それで、星怜はどうして欲しいのかな?」
「もう一度兄さんと導引をしたいです」
「うん。じゃあ、夕食の時間までね」
「ありがとうございます。では、兄さんが化央さまの話をしても許してあげます」
「許可制なんだ……」
確かに、最近は化央師兄の話をすることが多くなった。
でも、俺は化央師兄のことを、なにも知らない。
知っているのは武術が大好きなことと、南の奏真国から来たことだけだ。
いつか師兄のことを、もっと知ることができるんだろうか。
そんなことを思いながら、俺は星怜と『獣身導引』を続けるのだった。
その翌日。
「ふむ。化央が来ないのは、はじめてだね」
時間になっても、化央師兄は修行場に来なかった。
お休みのときは連絡をすることになっているんだけど、それもないらしい。
「師兄はどうしたんでしょうか……」
「どうだろうね。それより天芳、君はどうする?」
「え?」
「化央がお休みなら、その分だけ君が『四神歩法』の型を学ぶ時間が増える。一日みっちりと歩法を学ぶかい? それとも、化央の様子を見に行くかい?」
「ぼくが師兄の様子を、ですか?」
「だって、そわそわしてるじゃないか?」
「そうですか?」
「気もそぞろ、というやつだね。見ればわかるよ」
「師匠」
「うん」
「師兄を呼びに行ったあとで、時間があったら、ご指導をお願いできますか?」
「もちろん」
「それじゃ、師兄の家の場所を教えてください。ちょっとだけ、様子を見てきます」
そういうことになったのだった。
化央師兄の家があるのは、北臨のはずれだった。
役人や、中規模な商人が暮らしているエリアだ。
師匠の地図の通りに進むと、土塀に囲まれた家があった。
入り口には木製の門がある。門番はいない。
だから俺は扉を叩いて、声をあげた。
「翠化央どのはいらっしゃいますか!」
返事はない……けど、門の向こうに人の気配がある。
誰かが息を潜めているような感じがする。家の人かな。
「ぼくは雷光師匠の弟子で、黄天芳と申します。師匠の命でまいりました。翠化央師兄へのお目通りを願います!!」
「はいはい。今開けますよ」
返事がした。ぎぎぎ、と音を立てて、門が開いていく。
その向こうにいたのは、高齢の男性だった。
「黄天芳さま……はいはい。話はうかがっております。あの方が、いつも楽しそうに話をしていらっしゃいますからな」
「化央師兄のお身内の方ですね。はじめまして」
「ただの門番に、あいさつなどされることはありますまい」
「化央師兄のお宅の方に、失礼はできません」
「聞いていた通りのお方ですな。ほっほっほ」
老人は喉を鳴らして、笑った。
「あの方はよい弟弟子に出会えたようです」
「師兄はどうされていますか? 連絡なしで修練をお休みされたので、心配で来てみたのです」
「あの方は……少し、取り込み中でしてな」
「体調が悪いわけではないんですね?」
「すこぶる健康でいらっしゃいますよ。成長いちじるしくて、私としてはうれしい限りです」
「南方の訛りがありますね。もしかして、奏真国の方ですか?」
「ええ。あの方がおさない頃から、面倒を見させていただいております。あの方……化央さまは、素直でよい方です。どうか、よろしくお願いいたします」
「もちろんです。ぼくは、師兄を尊敬していますから」
俺は門に向かって一礼して、
「お取り込み中のところ失礼しました。師兄に、よろしくお伝えください」
「承知しました。では──」
「──お待ちなさい!!」
不意に、屋敷の方から声がした。
見ると、髪を結い上げた女性がこちらに向かってくるところだった。
着ているのは、高級そうな衣服。けれど、あちこちほつれている。結い上げた髪には、簪や貴石をあしらった飾りがある。着飾っているように見えるけれど、どこかちぐはぐだ。
女性の目はおちくぼみ、頬は少し赤らんでいる。かすかに酒のにおいがする。
「奥方さま。お休みになられたのでは……」
「あの子の友人の名が聞こえました。黄天芳さま。『飛熊将軍』の子で、あの子の弟弟子なのでしょう? あなたが! 違いますか!?」
「奥方さま!!」
「師兄の母の問いに答えなさい!!」
女性は血走った目で俺を見ていた。
この人が師兄のお母さんらしい。
「はじめてお目にかかります。化央師兄の弟弟子、黄天芳と申します」
いきなりでびっくりしたけど、俺は慌てて拱手する。
「燎原君との約束はどうなっているのですか!?」
俺の言葉をさえぎり、師兄のお母さんは言った。
「あの子がお役目を果たせば、燎原君は力を貸してくださるのですよね!?」
「……え?」
「ああ、あの子が……化央があんなふうでなければ、私は奏真国にいられたのに。愛するあの方の側にいられたのに! どうして私が遠く離れたこの国にいなければいけないの。帰りたい。あの方の元へ帰りたい!」
女性は震える手で、俺の服にしがみついた。
「私が国を離れている間に、他の女性があの方の気を引くかもしれない。耐えられないのです! 化央が……あの子が嫡子でさえあれば……あの子が……」
「────母上!!」
聞き慣れた声がした。
見ると、屋敷の方から、化央師兄が走ってくるのが見えた。
まとっているのは、いつもの袍だ。ただ、三つ編みをほどいている。
長い髪をなびかせた師兄の顔色は真っ青で……まるで、俺の知らない人のように見えた。
「母上! あぁ……やっと眠ったかと思ったのに」
「申し訳ありません。出入りの商人から、こっそり酒を仕入れていらしたようです」
「わかっています。また、商人を変えなければ……」
師兄は母親の肩をつかんで、俺から引き剥がす。
強い力におどろいたのか、母親が振り返り、師兄を見た。
「……どうして」
師兄のお母さんの指が、師兄の顔に触れた。
骨張った手だった。肌はきれいで、水仕事なんかしてないように見える。
肌の色は白く、血の気がない。
そんな手で師兄の顔をなでながら、師兄のお母さんは、
「そっくりなのに。顔は……父であるあの方にそっくりなのに、どうして人質になど出されたの!?」
「……母上」
「あなたがいけないのです! あなたのせいで私は国を離れて、こんなところに来なければいけなかった! あなたが、あなたが、あなたが!!」
骨張った手が、師兄の胸を叩いた。
師兄は、なにも言わなかった。
門番の老人も、俺も。
そうして師兄のお母さんは、しばらくの間、師兄の胸を叩き続けて──
──やがて、疲れたように、眠ってしまったのだった。
次回、第22話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。




