第206話「【番外編】天芳と千虹、図上演習で戦う(後編)」
今日は2話、更新しています。
本日はじめてお越しの方は、第205話 (前編)からお読みください。
──2時間後──
「……惜しかったのです」
「本当にぎりぎりでしたね」
文字通りの接戦だった。
千虹があやつる防御側は、攻撃側の猛攻の7割を防ぎきった。
でも、残りの3割は、北臨へと突入した。
そうして城下を占領し、北臨を攻め滅ぼしてしまったのだった。
「すごいです。千虹さん」
心底、そう思う。
千虹は俺の攻撃にきっちりと対応してきた。
あと一歩だった。
俺が精鋭部隊を残しておいたことに気づいていたら、勝負はどうなっていたかわからなかった。
「これは、ほとんど引き分けと言ってもいいと思います」
俺は言った。
千虹は、演習の結果を、じっと見つめていた。
小さな頭が、ふるふると震えていた。
「……再戦を」
千虹は、がばっ、と顔を上げた。
「第四戦! 第四戦をお願いしますです!! このままじゃ悔しくて眠れないのです!!」
「……やっぱり?」
「一生のお願いなのです! 虹に再戦の機会を!!」
こんこん、ここんっ!
千虹は床に頭を打ち付けた。
「いや……だから! こんなことで叩頭しないでください!」
「お願いです! 虹はすべてをかけてがんばるですから!」
「わかりました。わかりましたから!」
「ありがとうございます。それでは第四戦に向けて、さらに思考速度を……」
「身体の熱を上げるんですね……」
「そうなのです!」
「身体を床に押しつけて冷やすんですね……」
「そうなのです。床にくっつける肌の、表面積を増やすのです! ていっ!」
がばっ。しゅるっ。ぱさっ。
「こ、これが虹の限界なのです! これ以上、風通しをよくすることは不可能なのです! 限界まで肌を空気にさらして、身体を冷やすことにするのです!」
うん……そうだね。
千虹は全身が桜色になってるからね。
限界まで付き合うとは言ったけど……。
そろそろ心配になってきた。体調は大丈夫なのかな。千虹。
「し、心配無用なのです。水分補給はしっかりしてるのです」
千虹は竹製の水筒を傾けて、水を飲み込む。
一気飲みしてるせいでこぼしてる。
あふれた水が、火照った肌を流れ落ちる。
水分補給して、はふー、と息を吐いてから、千虹は、
「そ、それに、この状態なら、身体を効率よく冷やすこともできるのです。ごらんください!」
ごろごろ。ごろごろ。
「こんなふうに床の上でごろごろすれば、ひやっこいのです!」
「……身体は大丈夫なんですよね?」
「大丈夫なのです。それにこの状態なら、虹はすべての素肌を床に押しつけることができるのです! 仰向けになれば、背中は水に触れているようにひんやりします。ある意味『背水の陣』だと言えるのです!」
「うまいこと言いますねー」
「だから、千虹はまだ戦えるのです!」
「わかりました。でも、これが最後の戦いですよ!」
「はい。手合わせをお願いするのです!」
──数時間後──
「引き分け……ここまでがんばったのに、引き分けなのです……」
「いいえ。町を守ったんだから、防衛側の勝利ですよ」
攻撃側と防御側、ともに兵糧切れだった。
兵力が多い攻撃側は、食料の消耗が早い。
だから千虹は、徹底した持久戦を仕掛けてきた。
それは、ただの籠城戦じゃなかった。
──攻撃側の陣地に夜襲をしかけたり。
──夜になって、攻撃側が撤収するのに合わせて、打って出たり。
──打って出た部隊は城に戻さず、遊軍にしたり。
──その遊軍が攻撃側をチクチクと突いて、兵の消耗を誘ったり。
どれも、一歩間違えたら多くの兵を失う、ハイリスクな作戦だった。
でも、サイコロの目は馮千虹に味方した。
俺が操る攻撃側は、北臨の中枢に達することはできなかったんだ。
まあ、城門は破ったけど。
町中に火を放ったし、防御側の兵力を限界まで減らすこともできたけど。
でも、最後には押し戻された。
攻撃側は城の外に追い出され、防御側は城を守り続けた。
そうして、攻撃側の兵糧が尽きた、というわけだ。
攻撃側の勝利条件は、北臨の中枢を陥落させること。
防御側の勝利条件は、北臨の中枢を守りきること。
だから、第四戦の結果は──
「防御側の勝利です。つまり、虹さんの勝ちってことです」
「勝った気がしないのです……」
「虹さんの目的は北臨の町を守ることですよね? それは達成されてます。だから勝利ですってば」
「城門を破られました……町は焼かれました。防御側の兵糧も残ってないのです。これからどうやって町を復興すれば……」
「これは図上演習です。そこまで考えなくていいんですってば」
「でもでも……」
「それより、服を着てください。寒くなってきましたから」
「仮にこれが勝利だとしても、辛勝なのです。よろこぶようなことでは……」
「もう夜です。風邪を引きますから。なにか着て……」
「……ふにゅぅ……」
ふらついた千虹が、床の上に倒れ込む。
真っ赤に火照っていた肌が、元の色に戻って行く。
頭を使い過ぎたらしい。
オーバーヒートした千虹は、そのまま意識を失ってしまった。
「虹さん。その格好だと風邪を引きますってば」
「……ふみゅう。黄天芳さま……あったかい」
もぞもぞもぞ。
ぎゅっ。
床を転がってきた千虹が、俺に抱きついた。
服をぎゅっと握ったまま、離れようとしない。
……しょうがないな。
さっき千虹が脱ぎ捨てた服を身体にかけて、と。
そういえば毛布もあったっけ。
『戦闘中に雲がわきだして雨が降り』……という状況を演出するために用意したものだ。灰色の毛布が、雨雲を表してる。
この毛布の下敷きになった陣地は、サイコロを2つ振って7以上を出さないと、水浸しになる。1のゾロ目を出したときは兵糧が流されたことになり、撤退を強いられるんだ。
第四戦が引き分けになったのも、俺が1のゾロ目を出したのが原因だ。
「でも、千虹はすごいよ。はじめての図上演習でここまでやるんだから」
俺が強かったのは、前世の知識があったからだ。
俺はゲーム『剣主大乱史伝』で、英雄というユニットを動かして、何度も北臨を攻略していた。
それは図上演習をずっとやっていたようなものだ。
そのときの知識が役に立ったんだ。
それに、俺はずっと北臨に住んでいる。
町がどういう構造をしているのか、よく知ってる。
前世の記憶が戻ってからは、英雄軍団が来たときに、どうやって逃げるか考えていた。
英雄軍団が通りそうなルートや、火を放ちそうな場所をイメージしてた。
図上演習でも、その知識が役に立った。
つまり、俺には長い時間をかけて積み重ねた知識と経験がある。
でも、千虹にはそれがない。
なのに俺といい勝負をして……最終的には引き分けに持ち込んだ。
それはとてもすごいことだと思うんだ。
「でも……千虹は図上演習のルールを複雑化させすぎだよ。武術家ゴマはどう考えても強すぎだろ……」
攻撃側と防御側には、それぞれ3つの武術家ゴマが配置された。
移動距離が長かったり、防壁を跳び越えたりできるものだ。
雷光師匠をイメージして設定したらしい。
そのせいで、攻撃側が子どもの多い場所を炎上させたら身動きが取れなくなった。
雷光師匠が子ども好きなのは、俺も千虹も知ってる。
子どもの多い場所が焼かれたら、師匠は問答無用で助けに行くだろうから。
その隙を突いて、俺の武術家ゴマは北臨に侵入した。
そうして、内側から門を開いて、攻撃側を引き入れたというわけだ。
「とにかく、千虹がいてくれたら、北臨は安泰だと思うよ」
「……ふみゅ」
千虹は、見た目は小さいけれど、すごい知識と知恵がある。
彼女が味方についてくれてよかった。
心からそう思う。思うんだけど……。
……この状況をどうしよう。
千虹は俺に抱きついて、ぐっすりと眠っている。
たぶん、今は脳をクールダウンさせてる。起こすわけにはいかない。
でも、日はとっくに暮れている。気温も下がってきて、少し肌寒い。
千虹は俺を湯たんぽ代わりにして体温を維持している。
だから、俺は動けない。
でも、今日は外泊の許可を取っていない。
行く先は伝えてきたから、そろそろ誰かが様子を見にくると思うんだけど……。
…………ことん。
と、思ったら、足音が聞こえてきた。
誰かが様子を見に来たみたいだ。
この気配は……。
「やあ、天芳くんに千虹くん。様子を見にきたよ」
──秋先生だった。
「なるほど。図上演習をしていたんだね。それで、頭を使い過ぎた千虹くんが眠ってしまったのか。千虹くんは『気』の流れが特殊だからね。そういうこともあるよね」
秋先生は一目でなにがあったのか見抜いてしまった。
さすがは凄腕の遍歴医だ。
「来てくれてありがとうございます。秋先生」
「うん。黄家に立ち寄ったら、天芳くんが戻ってないと聞いてね。それで来てみたんだ」
「は、はい。それで、千虹さんなんですけど……」
「わかってる。頭を使い過ぎて体温が上がったから、服を脱いでしまったんだろう?」
「そんな感じです」
「そんな千虹くんの体温を維持するために、天芳くんが抱き枕になっていたんだね。正しい処置だと思うよ」
「千虹さんは大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。むしろ、私は天芳くんにびっくりしてるんだけどね」
秋先生は、じーっと俺を見てる。
「千虹くんは、その知恵と知識を評価されて、王弟殿下の客人になったんだ。その彼女の身体が熱くなるほど頭を使ったんだろう? それは天芳くんが強敵だったからだ。違うかい?」
「ぼくの運が良かっただけです」
「本当かい?」
「北臨の都市図を使った図上演習ですからね。以前からここに住んでいるぼくの方が、有利になるに決まっています。時間が経てば、虹さんの方が強くなりますよ」
「ふむ。そういうものかな?」
「そういうものです。ところで、秋先生」
「うん」
「千虹さんの身体の熱って、どうにかならないんですか?」
「問題ないと思うよ。彼女が頭を使いすぎて服を脱ぐのは、天芳くんの前だけだろうから」
いや、それもどうなのかな……。
「でも、今後のこともあります。対策を考えてあげてください。秋先生」
「わかった。考えてみよう」
そう言って秋先生は、眠る千虹を抱き上げた。
「体調のこともあるからね。千虹くんは私が診察して、それから寝床に運ぼう。天芳くんは帰っても大丈夫だ」
「ありがとうございます。虹さんのことをお願いします」
「帰り道に気をつけるんだよ。それから……」
秋先生は少し考えるそぶりをして、
「千虹くんの熱については、私が対策を考えておく。だから、また図上演習に付き合ってあげて欲しい。それは千虹くんのためにも、ひいては、王弟殿下のためにもなるはずだ」
「実際の戦闘に備えるためですね?」
「そうだ。治にいて乱を忘れずというだろう? 危機に備えて、対策を考えておくべきのは大切なことだよ」
「わかりました」
俺は秋先生に向かって、拱手した。
「それでは失礼します。おやすみなさい。秋先生」
「おやすみ。天芳くん」
そうして俺は、千虹の家をあとにしたのだった。
──数日後──
「黄天芳さま! お願いがあるのです!!」
「図上演習の相手をして欲しいんですね?」
「はい! そうなのです!」
千虹は、すごくいい笑顔でうなずいた。
俺はふたたび千虹の屋敷を訪れていた。
図上演習かな……と思ったら、予想通りだったみたいだ。
「わかりました。付き合います」
「ありがとうございますです!」
「それで虹さん。秋先生から話を聞いていると思うんですけど……」
「はい。熱対策ですね」
千虹は頬を染めて、うつむいた。
「この間は……黄天芳さまの前で恥ずかしい姿を見せてしまいました」
「……いえいえ」
俺は頭を振った。
ああいう手段で身体を冷やすのにはびっくりしたけど、でも、あれは千虹が能力を発揮するために必要なことだった。
しかも、図上演習の兵士たちも、どんどん強くなっていた。
千虹は必死に、自分の能力を活かそうとしていたんだ。
それは尊敬に値するし、すごいことだと思うんだ。
「千虹さんは本気でがんばっていたんです。それを恥ずかしいことだとは思いませんよ」
「黄天芳さまなら……そう言ってくださると思っていたです」
千虹は小さな声で、つぶやいた。
それから彼女は顔を上げて、俺に視線を合わせて、
「で、でも、同じことはしません。今回はもっとうまくやるです!」
「じゃあ、熱への対策ができたんですか?」
「はい! タライに水をいっぱいに溜めておきました! 虹はそれに浸かったまま図上演習をします!」
まさかの水冷式だった。
「玄秋翼さまから助言をいただきました。虹の体質が治るまでは、タライに浸かった状態で図上演習をした方がいいと。それに加えて、濡れても大丈夫な地形図を用意してくださったです。玄秋翼さまは、本当にやさしい方なのです」
「そうですね。秋先生は、とてもやさしいですね……」
そして、秋先生は現実的だ。
千虹の体質を治すには時間がかかる。
だから秋先生は、すぐにできる対策を考えてくれたんだろう。物理で。
「ふたたび気を失って、黄天芳さまに恥ずかしい姿をさらすようなことは、絶対にしないです!」
そう言って、千虹は俺の手を握った。
前回と同じように、小さな身体に力を入れて、全力で俺を引っ張る。
「さあ、図上演習をはじめるのです!」
こうして、俺は千虹と一緒に、水を張ったタライが用意された広間に向かい──
俺は服を着たまま、水に浸かった千虹と対戦することになり──
「……さ、さぁ、第九回戦です! 今度こそ勝ち越してみせるのです!!」
俺は千虹が満足するまで、図上演習を続けることになったのだった。
というわけで、番外編をお届けしました。
楽しんでいただけたのなら、うれしいです。
まだまだ暑いので、皆さまもお身体にお気を付けください。




