第205話「【番外編】天芳と千虹、図上演習で戦う(前編)」
いつも「天下の大悪人」をお読みいただきまして、ありがとうございます。
今回は、お盆前でちょっとバタバタしてることもあり、番外編をお届けします。
毎日暑い暑い……と思っていたら、こんなお話ができあがっていました。
長くなったので、前後編に分けてアップしています。
とある日の午後、天芳は千虹から、自宅へと招待されるのですが……。
気軽に楽しんでいただけたらうれしいです。
「黄天芳さまにお手伝いをお願いしたいのです!」
「どうしたんですか? 虹さん」
ある日の午後。
屋敷を訪ねた俺に、馮千虹が飛びついてきた。
彼女は俺の手をつかんで、屋敷の奥へと引っ張っていく。
千虹の背は低い。
手も小さいし、力も弱い。
それでも彼女は全身の力を入れて、俺を引っ張っていく。
俺が連れていかれたのは、屋敷の大広間だった。
広間の床には、大きな紙が敷いてある。表面に描かれているのは図形のようなものだ。奇妙な多角形……いや、これって、都市を表してるのか?
厚みのある線は、都市を囲む防壁を表している。
あちこちにある円形は見張り塔だ。
町の大通りや路地、屋敷や家も描かれている。
そして、都市の中央にあるのは、堀に囲まれた城だ。
「これって……もしかして、北臨の?」
「そうなのです。この町を描いたものなのです」
千虹は拳を握りしめて、そんなことを言った。
「これは王弟殿下がくださった、北臨の地形図の写しです。これを見て、都市の強いところや弱いところを見つけて欲しいと、王弟殿下はおっしゃったのです!」
「燎原君が虹さんに都市の図を……」
すごいな。千虹は。
そこまで燎原君に信頼されてるのか。
この世界の地図は軍事情報でもある。
地図があれば、敵に見つかりにくい道がわかる。
都市や町を攻撃するルートも編み出すことができるからな。
もちろん、この地図は簡略化されたものだ。
本当に重要な情報は隠されてるから、実際の戦には使えない。
それでも地図を与えられるのは、信頼の証でもあるんだ。
「すごいですね。虹さんは」
「いえ、すごいのは王弟殿下なのです。虹のような若輩者に意見を求めてくださるのですから」
千虹は照れた顔だ。
「王弟殿下のご期待に応えるためにも、この都市図を使って、図上演習をやろうと思うのです」
「図上演習?」
「そうです。兵士に見立てたコマを動かして、北臨の攻撃と防衛を行うのです。そうすれば都市の弱いところや強いところがわかると思うのです」
「なるほど。じゃあ、虹さんがぼくを呼んだのは……」
「はい。黄天芳さまには、図上演習の対戦相手になって欲しいのです!」
図上演習とは、いわゆる軍事シミュレーションだ。
俺が前世の世界でやってたゲームに似てる。
いや、違うか。
コマを人が動かすんだから、ボードゲームが近いかな。
ゲームボードの代わりになるのが地図だ。
そこに兵士に見立てたコマを配置して、動かす。
それによって敵を攻撃したり、防御したりするわけだ。
「兵士に見立てたコマを動かすんですよね? 勝敗の判定は?」
「兵士の数や陣形。戦場の地形を判断します」
千虹は不敵な笑みを浮かべてみせた。
「もちろん、虹が勝手に決めるわけじゃないです。天芳さまの意見もうかがって、おたがい納得するようにしたいと思っているです」
「意見が分かれたときはどうしますか?」
「サイコロを使います。出た目によって、勝敗を決めます」
「納得です」
千虹はあらゆる本を読んでいる。
だから、軍事にも詳しい。
攻撃側と防御側の、有利・不利の判定もできる。
俺がそれに不満の場合は、意見が言える。
判断がつかない場合は、サイコロの出目で決める、ということか。
……面白そうだな。
俺にとっても勉強になるし、やってみよう。
「どうでしょうか。図上演習にお付き合い願えますか?」
「はい。一緒にやりましょう。虹さん」
「ありがとうございます!」
俺の手を握って、ぶんぶん、と振り回す千虹。
「黄天芳さまは攻撃側と防御側、どちらがいいです?」
「慣れた方で」
「え?」
「いえ、間違えました。北臨を攻撃する側でお願いします」
「あ、はい。では、はじめるです!」
こうして俺と千虹による、北臨攻防戦 (図上演習)がはじまったのだった。
──十数分後──
「…………」
「…………」
「…………あの、黄天芳さま」
「…………あ、はい」
「すごいのです。あっさりと、北臨を陥落させてしまったです」
「偶然です」
「で、でもでも……」
「偶然なんです」
「は、はい」
「運がよかったです。ぼくが攻撃したところが、運良く、防御が薄かったから」
「で、でも……」
「はい?」
「虹には、黄天芳さまがすごーく、手慣れていらしたように見えたです……」
……うん。
北臨攻略は、何度もやってるからね。
ゲーム『剣主大乱史伝』は首都の北臨を攻略すれば終わる。
俺はそのゲームを数え切れないほどクリアしてるんだ。
だから、防御側が兵士を配置しそうな場所が、だいたいわかる。
守りの弱い場所も、それなりに。
その知識をもとに攻撃したら……あっという間に北臨が陥落してしまったんだ。
ゲームと違うのは、攻撃側の兵力が多いこと。
戦争では城を守る側が有利だ。
攻撃側は防御側の数倍の兵力が必要だと言われている。
だからだろう。千虹は攻撃側の兵力を、防御側より多くしてくれた。
俺があっさりと北臨を陥落させられたのは、そのせいだ。
ちなみに、ゲームでは防御側の戦力の方が多い。
攻撃側は歩法で壁を乗り越えたり、合体技で門を破ったりする。
それがあのゲームの面白いところだったんだけど。
「あっさりと負けてしまったです。あっさりと……」
敗北した千虹は、震えていた。
膝の上で拳を握りしめ、唇をかみしめてる。
本気で悔しがってるみたいだ。
千虹はしばらくの間、じっと都市図を見おろしていた。
やがて、顔を上げて、
「もう一戦お願いするです! 黄天芳さま!!」
「う、うん。いいですよ」
「虹は覚悟が足りなかったです。図上演習だと思って……甘く見ていたようなのです。同じ失敗はしません! その覚悟を示すです! えいっ!」
ぱさっ。
千虹は服の帯をほどいて、上着を脱ぎ捨てた。
「…………あの、虹さん」
「はいです!」
「なんで脱いだの?」
「暑いからなのです!」
そう言った千虹は、耳たぶが真っ赤だった。
彼女が身にまとっているのはズボンと、胸を覆う下着だけ。
むきだしの肩とお腹が、桜色になっている。
呼吸も速い。
体調が悪いようには見えないけど……大丈夫なのかな?
「心配無用なのです。虹は知恵を働かせすぎると、身体が熱くなるのです」
「……そうなの?」
「はい。玄秋翼さまの診断も受けているです。問題ありません」
「秋先生はなんて言ってたんですか?」
「『千虹くんは頭だけではなく、全身で思考をめぐらせているようなものだ』と言ってたです。虹が知恵を働かせると『気』が身体をぐるぐる回って、体温を上げるらしいのです」
「身体の負担は?」
「特にないのです。ただ、玄秋翼さまは『身体が熱くなりすぎないようにしなさい』と」
「だから服を脱いだんですね……」
「これは仕方のないことなのです! それでは第二戦、いくです!」
「わかりました。じゃあ、攻撃側の戦力を減らして……」
「そのままで!」
「……え。でも……」
「そのままで、お願いするです!!」
「……わかりました」
「これは真剣勝負なのです。虹のすべてをかけて戦うのです! いくですよ──っ!!」
そうして、第二戦がはじまった。
──1時間後──
「……惜しいところでしたね。虹さん」
「…………」
「……本当にぎりぎりでした。一歩間違えたらぼくが負けて──」
「……第三戦を」
「あ、はい」
「第三戦をお願いするです!」
「……わかりました」
「虹はまだ、黄天芳さまの軍略に追いつけていないです! もっと深く、速く考える必要があるです!!」
「いえ、サイコロの出目の関係も……」
「実戦でそんな言い訳は通じないのです!!」
「はい」
「思考速度を上げるのです……あ、熱いのです。こうなったらもっと身体を冷やして……えいっ!」
しゅるん。ぶんっ。ぱさっ。
「……虹さん」
「だ、大丈夫なのです。えっと……こうしてむきだしのお腹と太ももを床に押しつければ……ひんやりして気持ちいいはずなのです。頭もよく回るのです!」
「いえ、そういうことじゃなくて……」
「わ、わかってます。虹だって、少しは恥ずかしいのです」
千虹は膝を抱えて、身体を抱くようにしながら、
「虹だって女の子です。恥ずかしい気持ちはあるのです……でも、虹は、自分がどこまでできるのかを知りたいのです」
「自分が……どこまでできるか?」
「虹は人より成長が遅いです。身体も、ちっちゃいです。自慢できるのは知恵と知識だけなのです。だから、限界までそれを活かしたいのです! 全力を出して、自分がどこまでできるかを知りたいのです!!」
千虹の口調は真剣そのものだった。
「黄天芳さまなら、わかってくださると思うです」
「……うん。わかります」
「ですよね」
「ぼくも武術の修行で、何度も恥ずかしい思いをしています。師匠や兄弟子に立ち向かっても、まったく敵わなくて。あっという間に倒されて……地面に顔をこすりつけたりもしました」
「黄天芳さまは、それを後悔していますか? それとも、自分は困難なことに挑戦したのだと誇りに思いますか?」
「誇りに思ってます」
修行の間は、何度も恥ずかしい失敗をした。
それでも、後悔はしていない。
何度も失敗をしたけど、師匠も小凰も修行に付き合ってくれた。
恥ずかしい姿をさらした俺を、見放すことはなかった。
だから俺は武術を身につけることができたんだ。
「虹も、それと同じなのです」
千虹は、きっぱりと宣言した。
「確かに、こんな格好で身体を冷やすのは恥ずかしいことかもしれないです。それでも、虹の力を試すのに必要なことなので、虹はこういう格好になったのです。だから……黄天芳さまの前で、どんなに恥ずかしい姿をさらしても、虹は後悔なんかしないです!」
「虹さん……」
「次の勝負をお願いします! 虹が全力を出せるのは、たぶん、黄天芳さまだけです。虹が限界まで力を出すために、このまま対戦を続けてください!!」
そう言って、千虹は床に額を押しつけた。
うん……俺は彼女をみくびってた。
馮千虹は尊敬できる人物だ。
千虹は生き抜くために、自分の能力を限界まで引き出そうとしている。
それは、天下の大悪人に転生した俺が、生き抜くために能力を身につけようとしているのと、なにも変わらない。俺と千虹は似ているんだ。
だったら、俺も協力しよう。
今の千虹の姿については……気にしないことにしよう。
この姿になることが、全力を引き出すのに必要だというなら、それでいい。
俺は最大知力の千虹に対して、全力で相手をするだけだ。
「わかりました。勝負です。千虹さん!」
「それでこそ黄天芳さまなのです!」
「第三戦、はじめましょう!」
「やるです! うおおおおおおおおっ!!」
そうして俺たちは、第三回戦に突入したのだった。
後編に続きます。
(今日の18時くらいに更新する予定です)




