第195話「岐涼の町の人々(前編)」
──價干索の屋敷で──
「孟篤さまが武術の大会を開催されるそうですぞ!」
「それを王弟殿下のご息女が観覧されるとか」
「ならば岐涼の町の名は、王都にも鳴り響くことでしょう!」
「なんとめでたいことか!」
屋敷には、岐涼の高官たちが集まっていた。
價干策の屋敷は町の中心にある。
執務を終えた高官たちが立ち寄るには、ちょうどいい場所だ。
高官が屋敷に集まるのを、價干索は黙認している。
もちろん、彼が自分から誘ったりはしない。
ただ、来る者を拒むこともない。
それに加えて、價干索は高官たちに対して、ひとつ約束をしている。
『ここでの話を、孟篤さまの耳に入れることはない』と。
價干索は、高官たちが気兼ねなく話せる場所を提供しているだけだ。
彼らがなにを話すかは関知することろではない。
價干索は上座に座り、静かに、高官たちの話に耳を傾け続ける。
「やはり孟篤さまは、先代さま……『白鶴将軍』孟墨越さまのお子でいらっしゃるのだな」
高官のひとりが、そんな言葉を口にした。
「孟墨越さまもおよろこびになるだろう。孟篤さまはご自身の名声を高めるために、この町で武術大会を開かれるのだから!」
彼の言葉に、まわりの高官たちが拍手する。
彼らは酒杯を手に、語り続ける。
「だからこそ孟篤さまは、王弟殿下のご息女を武術大会に招待されたのだろう」
「孟墨越さまの時代の栄光ふたたび……というわけだ」
「うむ。それに例の噂のこともある」
「『赤き髪の娘は勇敢な鳥と結ばれ、竜を生む』だったな」
「ああ。おそらく孟篤さまは武術大会で、『勇敢な鳥』を選ばれるおつもりなのだ。そうに違いない」
「武術大会の優勝者が、岐涼の町の重要人物になるのかもしれぬ!」
高官たちは酒杯を掲げ、歓声をあげる。
宴を続けるうちに、話はどんどん盛り上がっていく。
彼らの中で噂は真実となり、武術大会を開く理由は『孟篤の後継者となる、勇敢な鳥を選ぶためのもの』になっていく。
彼らは、忘れているのだろう。
孟篤が『この岐涼の町で武術大会を開く』としか言っていないことを。
高官たちは勝手に盛り上がっていく。
武術大会のこと。
次の世代の孟侯のこと。
赤い髪の娘──孟篤の娘の丹が生むという『竜』のこと。
高官たちは興奮した口調で、まだ見ぬ未来について語り続ける。
大会の準備は、孟篤自身が指揮を執っている。
開催までは、あと数日だ。
高官たちは期待に胸をふくらませながら、その日を待っているのだった。
けれど──
「浮かれすぎるのはどうかと思いますが」
不意に、價干索が口を開いた。
高官たちの動きが、止まる。
彼らは酒杯を置き、上座にいる價干索に視線を向ける。
「この町には王弟殿下のご息女と、そのご一行がいらっしゃるのです。皆さまが浮かれ騒ぐ姿を見せては、先代さまに恥をかかせることになりましょう。『白鶴将軍』孟墨越さまにお仕えしていた者が、この程度かと」
價干索は高官たちに視線を向けることなく、冷たい声で、
「孟墨越さまの恥となる人物は岐涼の町に必要ありません。免官の上、追放処分にすべきでしょうな」
「こ、これは失礼しました!」
「先代さまに非礼をなすつもりはございません!」
「自分たちは、ただ、孟篤さまを讃えていただけです!」
高官たちは一斉に立ち上がり、價干索に向かって拱手する。
しばらく、沈黙があった。
頭を垂れる高官たちの耳に、價干索が茶器を置く音が届く。
「……孟篤さまは、成長されたのかもしれません」
長いためいきをついてから、價干索は口を開いた。
「あの方は武術大会を開くことで、王弟殿下のご息女の前で、ご自身のお力を示すことを選ばれた。それは岐涼の町の繁栄と、孟侯としての力量を示すことにも繋がります。それはまさに、孟墨越さまのご子息にふさわしい行いといえるでしょう」
價干索の言葉に、高官たちは応えない。
價干索が自分たちを見ていないことがわかっていたからだ。
「叶うなら……孟篤さまにはもっと早く、そのような姿勢を見せていただきたかった」
價干索は静かな口調で、つぶやいた。
視線の先にあるのは、部屋の奥に飾られた、純白の甲と槍。
孟篤の父、『白鶴将軍』の孟墨越が身に着けていたものだ。
孟墨越が傷を負い、戦えなくなったあと、價干索は彼の武具を譲り受けた。
それらは今も、屋敷の奥に鎮座している。
その場所は、家人にとって神聖な場所とされている。
誰も近づくことは許されない。
それに触れることと、語りかけることが許されているのは、價干索だけだ。
「いずれにせよ、我らも武術大会が成功するように、力を尽くすべきでしょう」
やがて、價干索は高官たちに視線を向けた。
「皆さまのおっしゃる通り、この武術大会は丹さまと関わりのあるものとなるかもしれません。また、丹さまが王弟殿下のご息女の知遇を得る好機でもあります」
價干索は高官たちを見据えたまま、うなずく。
冷たい声のまま、語りかける。
「私は、これから丹さまのもとに向かいます。皆は……大会が終わるまでの間、身を慎みなさい。孟墨越さまの名を、汚すことのないように」
「「「承知いたしました!!」」」
高官たちは改めて拱手し、声をあげた。
それが、宴の終了の合図となった。
そして、数時間後──
價干索は、姪のもとへ向かうことにしたのだった。
──孟篤の屋敷の一角で──
「丹さまにはご機嫌うるわしく」
数時間後、價干索は孟篤の屋敷の客間にいた。
卓を挟んだ向かい側にいるのは、彼の姪だ。
名前は丹。年齢は12歳。
深紅の髪と、白い肌が特徴の少女だった。
丹の母は気が弱く、表にはあまり出てこない。
そのためか、彼女は娘の丹のあつかいを、兄の價干索にゆだねている。
價干索と丹が面会しやすくなっているのは、そのためだ。
「孟篤さまは、武術大会の準備でお忙しいようですな」
「はい。今日も、お帰りは遅くなるようです」
「領主としての気概を示されていらっしゃる。結構なことです」
孟篤が不在だということは、あらかじめ調べてある。
丹の侍女も、彼女に近しい使用人も、價干索が選んでいる。
孟篤がいないときに屋敷を訪れるのは、たやすいことだ。
價干索は部屋の外に人気がないことを確認し、うなずく。
それから丹の方に向き直り、立ち上がる。
そして──
「まもなく天命が、丹さまのもとにやってまいります」
價干索は丹に向かって、拱手した。
「偉大なる『白鶴将軍』の血をもっとも強く引いていらっしゃるのはあなたです。やがて行われる武術大会の中で、天命が丹さまを見つけだすことでしょう」
「はい。伯父さま」
丹は静かな口調で、答えた。
「丹は天命を信じます」
「孟篤さまは次の世代のために道を開いてくださいました。おそらくは、それこそがあの方のお役目だったのでしょう」
感情を抑えたような口調で、價干索は続ける。
「孟篤さまは孟墨越さまの血を、丹さまに繋いでくださいました。偉大なる孟侯の血は、丹さまの世代で大きく花開くことになりましょう」
「伯父さま」
「なんでしょうか、丹さま」
「丹は、これでよいのですね?」
「はい。丹さまはなにも、お悩みになることはありません」
價干索は床に膝をついた。
そのまま額を床につけ、叩頭する。
「民は噂しております。『赤き髪の娘は勇敢な鳥と結ばれ、竜を生む』と。これは民を通して、天が我々に語ってくれているのです。我々は、天の声に従わなければなりません」
「栄光に満ちた時代を取り戻すために、ですね?」
「そうです」
價干索は即答する。
「孟墨越さまの時代を覚えている者は、皆、それを望んでおります」
「やはり『赤き髪の娘』というのは、丹のことですか」
「他に考えられません」
「……薄さまのことは?」
丹は床に届かない脚を揺らしながら、つぶやいた。
價干索の背中が、震える。
その反応に怯えたように、丹は椅子の背もたれにしがみつく。
「薄さまは庶子です。丹さまが気にとめるようなお方ではありません」
「でも、丹は……」
「……なんでしょうか?」
気づくと、價干索が顔を上げ、じっと丹を見ていた。
目を見開いて。逃げることを許さないような表情で。
「おっしゃってください。丹さまは、なにを言いたいのですか?」
「た……丹は……薄さまが……きらいじゃ……ないです」
「そうですか。よかったですね」
「薄さまはいい方です。故事にも詳しくて……賢い方です。丹は、薄さまを尊敬して──」
「天命の前では、個人の感情に意味などありません」
價干索は、丹の言葉を切り捨てた。
「むしろ、おのれの感情を克服してこそ、真の英雄と言えましょう」
「……丹は……そうならないと……だめ?」
「それは天が決めることです」
「伯父さまは……どう思って……」
「私めの感情も、どうでもよいことです」
價干索は強い視線で丹を見据えたまま、告げる。
ただ、彼の口調だけが、おだやかだった。
「将来、丹さまが偉大な人物になられたとき、薄さまを思い出して差し上げなさい。そうすれば薄さまは、英雄の思い出の中に生きることになります。丹さまはこう思えばよろしい。『自分には友人がいた』と。『あの方のために、天下を平和にしなければ』と」
「伯父さま……」
「私は丹さまに期待しているのです。丹さまの母君も同じ気持ちです。どうか、我らの願いを聞き届けてください」
そう言って價干索は、ふたたび叩頭したのだった。
次回、第196話 (後編)は、明日か明後日くらいに更新する予定です。