第194話「天下の大悪人、魯太迷に策を献じる」
──天芳視点──
魯太迷が話し終えたあと、しばらく、沈黙が続いた。
彼は岐涼の町と孟篤さまについて、話せる限りの事情を話してくれた。
魯太迷自身が、孟篤さまの絶対の味方であることも。
「孟篤さまの客人と協力するのは、こちらとしても望むところだ」
やがて、秋先生が口を開いた。
「夕璃さまも岐涼の町の平穏を望んでいらっしゃる。ただ、私は貴公にうかがいたいことがある」
「なんなりと」
「数年前に孟篤さまのご息女が襲われたと言ったな。その者たちが、怪しい武術を使っていたということはないだろうか?」
「……いや?」
魯太迷は首をかしげた。
「拙者が戦ったのはただの盗賊だった。武術を使う者はいなかったが」
「そうか」
「だからこそ、拙者は生き残れたのだ。強い武術使いがおったら、救援が来る前に殺されていただろう」
「承知した。妙なことを聞いてすまなかった」
秋先生は一礼した。
たぶん秋先生は、魯太迷が戦った相手が『四凶の技』の使い手かもしれないと考えたんだろう。
仮にそうだとしたら……敵はその頃から孟篤さまを狙っていたということになる。
でも、魯太迷が戦った相手は武術家じゃなかったらしい。
だとすると、ただの盗賊だったんだろうか。
あるいは……別の勢力か。
「協力するにあたって、ひとつお願いがある」
秋先生は続ける。
「できれば武術大会における警備の計画を確認させていただきたい」
「わかった。後ほど資料をお持ちしよう」
「頼む。噂を流している連中が、武術大会で妙なことをすることも考えられる。そうなった場合でも、いつでも対応できるようにしておきたいのだ。それと……」
秋先生は少し考えてから、
「敵が孟篤どののご息女を狙うことも考えられる」
「『竜を生む』のが『赤き髪の娘』だからですな?」
「そうだ。噂を流している者が、ご息女をさらって予言を実現するということも考えられる。要人の警護のためにも、警備計画を確認しておきたいのだ」
「秋先生に申し上げたいことがあります」
声をあげたのは小凰だった。
「僕には要人警護の知識があります。孟篤さまのご息女の警護の件で、お役に立てるかもしれません」
「ああ、確かに……君の知識は役に立つだろう」
秋先生は納得したように、うなずいた。
小凰に要人警護の知識があるのは当たり前のことだ。
彼女は奏真国の王女として、警護される立場なんだから。
要人を守る側の知識も、守られる側の知識もあるはずだ。
「貴公は……秋どのの弟子だったな」
「はい。詩翠と申します」
小凰は、旅行中に使っている偽名を口にした。
「この子は貴人の集まる場所に足を踏み入れたことがあるのだ」
秋先生が小凰の言葉を引き継ぐ。
「要人警護の知識はもちろん、貴人がおおやけの場で、どのような行動を取るかについても詳しい。この子なら、良き助言ができると思う」
「承知しました。では玄秋翼どのと弟子の方にもご助言をいただきたい」
魯太迷は座り、そのまま床に額をつけた。
それを見た秋先生と小凰が、おどろいた顔になる。
小凰は秋先生の弟子だ。
対する魯太迷は岐涼の領主の客人だ。
立場としては魯太迷の方が、小凰の上になる。
なのに彼が床に額をつけ、叩頭したことにおどろいたんだろう。
……魯太迷にとって上下関係なんてどうでもいいんだな。
孟篤さまたちを守ることが最優先で、そのためなら誰にだって頭を下げる。
魯太迷は、そういう人物なんだろう。
この人は信用できる。
だったら──
「秋先生。ぼくからも提案があります」
俺は一礼してから、言葉を口にした。
「武術大会で敵を引きずり出す作戦です。発言をお許しいただけますか?」
「構わない。言ってみたまえ」
「提案はふたつあります」
俺は言葉を選びながら、
「会場の警備を行う方々に、猫や鳩をお渡しするのはどうでしょうか?」
それがひとつめの提案だった。
星怜は動物たちと会話ができる。
今も、猫を連絡役として使っている。
岐涼の町にいる猫や鳥と協力関係を結ぶことができれば……星怜を中心としたネットワークが完成する。
その猫や鳥を魯太迷や、孟篤の部下に預ければ、情報がいち早く伝わる。
対応も早くなる。
そのためには魯太迷たちの側に、猫や鳩を置かなければいけない。
それが可能かどうか、確認したかったんだ。
「拙者も薄さまも動物は大好きだ」
魯太迷はあっさりとうなずいた。
「猫や鳩が側にいても構わぬ。だが、弟子どの」
「秋先生の弟子で、朱陸宝と申します」
「では朱どのにうかがおう。動物たちを側に置くことは、孟篤さまや薄さまをお守りすることに繋がるのだな?」
「はい」
「わかった。ならば子細は聞かぬ。拙者から孟篤さまに話してみよう」
「ありがとうございます」
「もうひとつの提案を聞かせて欲しい」
「その前に確認させてください」
俺は魯太迷の方を見た。
「孟篤さまのご客人の中に、武術大会に参加される方はいらっしゃいますか?」
「おるとも。拙者だ」
魯太迷は不敵な笑みを浮かべてみせた。
「大会で武術家たちが暴れることもあり得るのでな。拙者が参加者として、現場で彼らを見張ることにしたのだ。それがなにか?」
「……正直、このようなことを申し上げていいのかわかりません」
俺は言葉を濁した。
今から提案することは、武術家としては褒められたことじゃない。
というか、魯太迷に対しても失礼だと思う。
だけど……策としては効果的だ。
うまくいけば、敵が俺に接触してくるかもしれない。
そうなったら敵の正体もわかるし、敵を捕らえることができるかもしれない。
「これは武術家としては邪道です。ですが、敵を捕らえることができそうな策で……」
「構わぬ。言ってみてくれ」
「私も聞きたい」
「うん。言ってみてよ。天……いや、朱陸宝くん」
魯太迷と秋先生が、そして、俺の本名を呼びそうになった小凰が、うなずいた。
「では、申し上げます」
俺は深呼吸してから、
「ぼくが、敵を誘うための餌になるのはどうでしょうか」
「陸宝くんが餌に? どういうことかな?」
「孟篤さまには、ぼくと魯太迷さまが武術大会で対戦するようにしていただきます。その上で、ぼくは魯太迷さまに敗北します」
そこまで言ってから、俺はみんなの顔を見た。
秋先生はなにかを察したように、うなずいてる。
小凰は首をかしげてる。
魯太迷は難しい顔だ。
俺は説明を続ける。
「ぼくが魯太迷さまに敗北したら、秋先生はみんなの前で、ぼくを激しくののしってください。『夕璃さまの前でなんたる恥を』という感じです。ぼくが門下にいられなくなるくらいに怒ってください。その後、ぼくはみんなから離れて、町の茶館で愚痴を口にします。酔い潰れるふりをしてもいいですね。そうすれば……敵が、接触してくるかもしれません」
──夕璃さまの配下の武術家が大会で敗北して、師匠にののしられる。
──破門のような状態にされて、師匠のもとを離れる。
──その後、岐涼の町の店で、酔っ払ってくだを巻く。
藍河国に敵対する者から見たら、格好の餌だ。
俺を利用しようとする者も現れるだろう。
そいつらは、俺から夕璃さまの……ひいては燎原君の情報を引き出そうと考えるはずだ。
俺が『金翅幇』だったら、間違いなく接触してくると思う。
もし、そうなったら……俺はやつらの誘いに乗ったふりをする。
やつらの居場所を突き止めてから、みんなに連絡する。
そして、やつらを一網打尽にする。
──俺が考えたのはそういう作戦だ。
……雷光師匠や秋先生には怒られるかもしれない。
武術家がわざと敗北するなんて、恥を知らないのか、と。
破門にされても文句は言えない。
でも、これは有効な作戦でもある。
岐涼の町には妙な噂を流している連中がいる。
トウゲン=シメイや魃怪の証言から考えても、この町には『金翅幇』がいる可能性が高い。
武術大会でも奴らを引きずり出せるかもしれないけど……俺が餌になった方が、より効果的だ。
やってみる価値はあると思う。
──と、いうことを、俺は秋先生たちに説明した。
「君の考えはわかったよ」
そう言って、秋先生は頭を振った。
「わざと敗北することに関しては……私としては、問題ない。今の私は遍歴医だからね。武術家の誇りよりも、人の命を守ることを優先するのは当然だ。姉弟子は……あの方なら許すだろう。君の気持ちもわかるだろうからね」
「それでは、許可をいただけますか?」
「少し、考えてさせて欲しい。私は君の師匠として、弟子の身の安全には責任があるからね。確かに、敵を誘い出すには有効な策なのだが……」
「僕は反対です!!」
声をあげたのは小凰だった。
彼女はじっと俺をにらんで、
「陸宝が敵の内側に入り込むなんて危険すぎる! 相手は危険な技の使い手なんだよね!? そんな連中のふところに入り込んで……正体がばれたらどうするの!?」
「歩法を駆使して逃げます」
「……だからって」
「ぼくは、敵を捕まえたいだけなんです」
「それでもだよ! いくらなんでもやり方というものが──」
「……ふふっ。ははははっ!!」
不意に、笑い声があがった。
ふと見ると……魯太迷が、喉を反らして笑っていた。
「魯太迷どの。どうされたのだ?」
「失礼した。拙者は少年の発想と、その勇気に感動したのだよ」
魯太迷は禿頭を叩いて、目を細めて、俺を見た。
「だが……少年よ。貴公はまだ若すぎる」
「……え?」
「貴公の策はすばらしい。みずから危険を冒そうという勇気にも感服する。だがな、貴公はなにもかも自分でやろうとしすぎる。自分が『できぬ』ことは人に任せるものだ」
「え、でも……ぼくが餌になれば……」
「いやいや、餌としてもっとふさわしい者がいるであろう?」
魯太迷は、にやりと笑い……自分自身を指さした。
「貴公が言うべき言葉は『ぼくが餌になります』ではない。貴公は『魯の小父さんにお願いします』と言うべきなのだ!」
「え? あれ? えっと……」
なにを言ってるんだ、魯太迷は?
これは俺が考えた策なんだから、俺が責任をもってやるべきなんだけど……。
「玄秋翼どのにうかがおう。敵を誘うために、この魯太迷が餌になるのと、この少年が餌になるのと、どちらが効果的だと思うかね?」
「間違いなく貴公だ。魯太迷どの」
秋先生は迷うことなく、うなずいた。
「陸宝の策を貴公に適用すれば、次のようになる。『武術大会で敗北した魯太迷は孟篤さまに「主君の前でなんたる恥を」とののしられて、主家を追い出される。絶望した魯太迷は孟篤さまの悪口を言いながら、酒家でのんだくれる』だ。敵は、間違いなく貴公に目をつけるだろう」
「そうだろうとも! 敵は、岐涼の町や孟篤さまに悪意を持っているのだからな」
「魯太迷どのは岐涼の町と、孟篤さまのことをよく知っている。敵にとっては貴重な情報源となるだろう。確かに、餌としては、魯太迷どのの方がふさわしい……」
「うむ! 拙者もまったく同意見だ!!」
魯太迷は楽しそうに、自分の頭をぽんぽんと叩く。
「いやー、実に爽快だ! 拙者にこのような役目があったとは! 少年よ、拙者は貴公に感謝するぞ!!」
「でも……いいんですか?」
「なにがだ?」
「魯太迷さまはみんなの前で孟篤さまにののしられて……追い出されることになるんですよ?」
「貴公も似たようなことをしようとしていたではないか?」
「ぼくは岐涼の人間ではありません。北臨に帰れば、岐涼で起きたことを知る人はいません。時間が経ったら、また夕璃さまや秋先生のもとに戻ることができます。ですが……魯太迷さまは……」
魯太迷は、岐涼の町の住人だ。
彼が孟篤さまにののしられ、追い出されれば……その事実はあっという間に町中に広まるだろう。
そうなったら魯太迷は、孟篤さまのもとへ戻れなくなる。
もちろん、敵を捕らえることができれば、話は別だ。
そういう策だったということで皆を納得させることができる。
だけど……その情報を公開できるかどうかも、わからない。
魯太迷が俺と同じことをするのはリスクが高いんだ。
なのに──
「なぁに、孟篤さまと薄さまはわかってくださる。拙者はそれで十分だ」
──魯太迷はなんでもないことのように、笑ってみせた。
「拙者が孟篤さまの客人になったのは、このときのためであったのだな。『士はおのれを知る者のために死す』という言葉もある。それにこの策を使ったところで、拙者は死ぬわけではない。ためらう理由などあるまいよ」
「……魯太迷さま」
「あ、だが、拙者が首尾よく敵地に潜り込めたら助けに来てくれ。すぐに連絡するからな。素早く駆けつけて欲しい。拙者は打たれ強い方ではあるが、限界はあるのだからな」
「あの……魯太迷さま」
「なにかな。少年よ」
「ぼくと魯太迷さまの両方が、同じ策を使うわけにはいかないでしょうか。そうすれば、敵地に潜り込んだあとで協力することもできて……」
「それでは敵に、策であることがわかってしまうであろう?」
魯太迷の言う通りだった。
ふたりの人間が同じことをしていたら、いかにも怪しい。
この策が仕えるのは、俺か魯太迷のうち、ひとりだけだ。
「貴公が心配してくれるのはうれしい。だがな、ここは拙者にとって一世一代の見せ場なのだ。こころよく魯の小父さんに譲ってくれぬか?」
魯太迷は笑った。
……敵わないな。この人には。
ゲームに登場する魯太迷も、こんな人物だったんだろうか。
だったら……ゲーム中にこの人のセリフが少なかった理由もわかる。
この人が前面に出たら……主人公の影が薄くなってしまう。
主人公より人気が出そうだからな。この人は。
だから、ゲームでは出番が少なかったのかもしれない。
「ありがとうございます。魯太迷さま」
俺は魯太迷に向かって、拱手した。
「わかりました。ぼくの策を使ってください」
「うむ。では、拙者から貴公たちに頼みがある」
「うかがいます」
「拙者が不在の間、薄さまを守っていただきたい」
魯太迷は真顔になり、そう言った。
彼は秋先生と小凰にも視線を向けて、
「『魯の小父の代理』と言えば、話が通るようにしておく。あの方は……價干索さまや丹さまに睨まれていておるからな。理由は言わずともわかると思うが」
それは……わかる。
孟篤に愛された側室の子どもなんて、外戚からすれば邪魔でしかないだろう。
数年前の襲撃も……それが関係しているのかもしれないし。
「むろん、貴公らは自分たちの役目を優先して構わない。だが、できるだけ薄さまのことを、気にかけてあげて欲しいのだ」
「魯太迷どのの提案は、この玄秋翼が承った」
俺たちを代表して、秋先生が答えた。
「貴公の義侠心と忠義に敬意を表する。貴公は、武術家として歴史に名を残すべき人物だ」
「なぁに、拙者はただの二流の武術家よ」
ぽん、と、禿頭を叩く魯太迷。
「だがな、おのれが二流だと知るからこそ、貴公らのような一流の人物と気兼ねなく話せるのさ。二流の拙者には貴公らに対する気負いも、嫉妬もない……いや、ないわけではないな。だが、嫉妬をしていないふりくらいは『できる』。うむ。できるとも!」
「魯太迷どの」
「なにかな、玄秋翼どの」
「貴公を我が友と呼びたいのだが、構わないだろうか」
「これは光栄だ」
魯太迷は照れた顔で、拱手をしてみせた。
秋先生は真剣な表情で拱手を返す。
「それでは拙者は孟篤どののもとに戻り、今後の打ち合わせをすることとしよう」
「承知した。私たちも準備を進めよう」
「孟篤さまと、岐涼の平穏のために」
「「「王弟殿下と夕璃さまのために。そして藍河国の平穏のために」」」
俺たちと魯太迷は言葉と礼を交わす。
こうして俺たちは、それぞれの場所で、準備をはじめることにしたのだった。
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