第191話「天下の大悪人、岐涼の町の調査に向かう(7)」
──天芳視点──
……『できぬ』の魯太迷が来た!?
口にしかけた言葉を、俺はなんとか飲み込んだ。
俺は秋先生の指示で、夕璃さまの宿舎に来ていた。
星怜から『兄さんの提案どおり、岐涼の町で武術大会が開かれることになりそうです』という連絡をもらったからだ。
書状には次のようなことも書かれていた。
『武術大会は夕璃さまが観覧されます』
『審判は、雷光さまにお願いすることになると思います』
──と。
書状を読んだあと、俺と小凰と秋先生は、額を付き合わせて話をした。
武術大会が開かれるのはいいことだ。
噂を消す効果もあるし、うまくいけば『金翅幇』を表舞台に引きずり出せる。
夕璃さまが観戦するのもわかる。
武術大会の観客席に夕璃さまがいれば、孟篤と燎原君が対立していないことを皆に示すことができるからだ。
ただ……雷光師匠が審判をやるとなると、夕璃さまの護衛が手薄になってしまう。
確かに、雷光師匠は審判として最適な人材ではあるんだけど。
武術家同士のバトルがエスカレートしても、雷光師匠なら止められるし。
そもそも、雷光師匠の姿そのものが抑止力になるだろうし。
ただ、雷光師匠は夕璃さまの側を離れるのなら、俺か小凰か秋先生が、代わりに護衛についた方がいい。
だから俺は打ち合わせのために、夕璃さまの宿にやって来たんだ。
もちろん、星怜の猫経由でアポイントメントは取ってある。
俺はあっさりと通されて、別室へと案内された。
礼儀正しく静かに廊下を歩いていると……宿の入り口に、禿頭で僧形の男性が現れた。
それが『剣主大乱史伝』に登場するキャラ、魯太迷だったんだ。
「『できぬ』の魯太迷って……この時代は孟篤の客人をやっていたのか……」
ゲームに登場する魯太迷は、打たれ強いキャラとして有名だった。
とにかく死なない。
致死レベルの攻撃を受けても、運がいいと、ぎりぎりの体力で生き残れる。
景古升と並ぶ、有能な壁役だった。
ただ、キャラの人気はいまいちだった。
理由はたぶん、主人公のやることに『できぬ』『それは無理だ』と言って冷や水をかけるシーンが多かったからだと思う。
主人公──介鷹月は理想家だった。
天下の大悪人を倒して、人々を救うことを掲げて、それを実行していた。
それに対して魯太迷は現実主義だった。
介鷹月の理想に文句を言ったり、戦術に対して『できぬ』『無理だ』と否定意見を述べていた。
英雄軍団からは『「できぬ」の魯太迷』という二つ名で呼ばれていた。
そのせいで、使われることが少ないキャラだったんだ。
そして終盤になると、魯太迷はゲームから離脱する。
その後、彼がどうなるのかはわからない。
ゲームのエンディングにも登場しない。
……そういえば魯太迷は『拙者は旧主のご家族のところに行く』と言い残して離脱していくんだよな。
その『旧主』って……もしかして孟篤のことなんだろうか。
そんなことを考えながら、俺は耳を澄ましていた。
だけど、話を聞くことはできなかった。
魯太迷は夕璃さまの護衛に書状を渡して、すぐに帰ってしまったからだ。
その後、冬里が俺を呼びにやってきて──
俺は応接室で、夕璃さまと面会することになったのだった。
「承知いたしました。武術大会の間は、玄秋翼さまに護衛をお願いいたします」
夕璃さまはうなずいた。
奥の応接室だった。
部屋にいるのは俺と夕璃さんと、護衛役の冬里だ。
「それでは黄天芳さま、玄秋翼さまにご伝言をお願いできますか?」
「はい」
「申し上げます。先ほど、孟篤さまから使者が参りまして──」
夕璃さまは孟篤の使者持って来た書状の内容を教えてくれた。
使者の男性の名前が、魯太迷であること。
孟篤が大急ぎで武術大会の準備を進めていること。
開催まで3日か4日はかかること。
反対意見はあったものの、先代からの老臣がそれを押さえてくれたこと。
その老臣が強い発言権を持っていること。
彼を含めた家臣たちに、噂の調査を命じていたこと。
そして──
「できればわたくしの知人からも、武術大会の参加者を出して欲しいそうです」
「夕璃さまの知人からも……ですか?」
「審判は雷光さまが担当されることになりました。ですが、会場ではなにが起こるかわかりません。選手の中に気心の知れた者がいれば、雷光さまと連携して、混乱を鎮めることができましょう。おそらくは、それを考えての提案かと」
「……そういうことですか」
大会には多くの武術家が参加する。
その者たちが暴れたときは孟侯の兵士と、雷光師匠が取り押さえることになっている。
それに加えて選手の中にも味方がいれば、すばやく動ける。
だから、夕璃さまに近い者にも、武術大会に参加して欲しい、ってことか。
「夕璃さま。ひとつ、うかがってもよろしいですか?」
「はい。どうぞ」
「使者の方……魯太迷さまは武術家のようでしたが、違いますか?」
「武術家で間違いありません。あの方は、孟篤さまの客人だそうです」
「あの方は大会に参加されるのですか?」
「参加しないそうです」
夕璃さまは首を横に振った。
「あの方は『自分は初戦で敗退するに違いない。それでは主君に恥をかかせることになる』とおっしゃっていたそうです」
「もうひとつ教えてください。魯太迷さまは武術大会に賛成のご様子でしたか? それとも、反対を?」
「賛成だそうです。噂を断ち切るには妙手だ、と」
「ありがとうございます」
そっか。魯太迷は武術大会の開催に賛成してるのか。
だとすると……あの人は『金翅幇』と無関係なのかもしれない。
『金翅幇』の仲間が武術大会に賛成する理由はないからな。
あれは噂を潰すためのものなんだから。
そして、仮にゲームの魯太迷が言っていた『旧主』が孟篤のことだとすると、10年後になっても魯太迷は、孟篤のために動いているということになる。
もしそうなら……魯太迷は間違いなく、孟篤の味方だ。
俺たちにとっても、敵じゃないのかもしれない。
「それで、こちらから武術大会に参加する人員ですが……」
夕璃さまは、少し考える仕草をしてから、
「できれば黄天芳さまにお願いしたいと考えております」
「ぼくがですか?」
「はい。黄天芳さまと、翠化央さまのおふたりなら、雷光さまと連携を取ることができましょう」
妥当な判断だった。
雷光師匠は審判を、秋先生と冬里は夕璃さまの護衛を担当することになるからな。
動ける武術家は俺と小凰だけだ。
「大会で勝利する必要はありません。選手側として参加していただければ、それでいいのです」
「選手たちの情報を得るためと、彼らが暴れたときに止めるためですね」
「そうです」
そこまで言って、夕璃さまはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「もちろんわたくしは、黄天芳さまが武術大会がお好きだとか、かっこいいから見てみたいとお考えではないことは存じ上げております」
「…………」
「存じ上げております。ええ、存じ上げておりますとも」
「夕璃さま……」
「はい。なんでしょうか」
「夕璃さまは王弟殿下のお側で、多くの人材をご覧になっていたとうかがっております」
「おっしゃる通りです」
「……そうですよね」
「だからわかるのです。黄天芳さまが武術大会がお好きだとか、かっこいいからとか……」
「わかりました。わかりましたから」
「ふふっ。失礼いたしました」
夕璃さまは服の袖で口元を隠してみせた。
彼女の後ろで冬里は、笑いをこらえるような顔をしてる。
……本当に俺は武術大会が好きだとか、かっこいいとか思ってるわけじゃないんだけど。
でもなぁ。
多くの人材を見てきた夕璃さまには、俺自身が気づいていないことがわかるのかもしれない。
俺が武術大会に参加するのか……。
間近でたくさんの人の武術を見て、知らない人と手合わせするのか……。
で、勝っても負けても構わない、と。
……うん。いいかな。参加しても。
どのみち断るという選択肢はないわけだし。
選手として参加すれば、『金翅幇』が現れたとき、すぐに対処できる。
それは俺にとってもメリットがあるんだ。
「承知いたしました」
俺は拱手した。
「この黄天芳、武術大会に参加させていただきます」
「ありがとうございます。黄天芳さま」
夕璃さまはうなずいた。
「あなたには恩ができました。お父さまの名にかけて、必ずお返しいたしましょう」
「では、ひとつお願いしてもよろしいですか?」
「なんでしょうか?」
「夕璃さまの『人材を見極める目』をお借りしたいのです」
俺は頭を下げたまま、告げる。
「夕璃さまは、使者としていらっしゃった魯太迷さまを、どのような人物だとご覧になりましたか?」
「正直な方だと思いました」
夕璃さまはあっさりと答えた。
「応対した者にも礼儀正しく、飾らない言葉で話しているのを見ました。これはわたくしの直感ですが、嘘をつかない方だと感じたのです」
「ありがとうございます」
「わたくしは直接会っておりませんが……話を聞く限りでは、面白い方でもありました。『「できぬことはできぬ」で世を渡っております。どうか「できぬ」の魯太迷と呼んでくだされ』と名乗っていたそうです」
あの二つ名、自分で広めてたの!?
どうりで変な二つ名だと思ったよ……。
「黄天芳さまは、魯太迷さまのことが気になるのですか?」
「はい。孟篤さまがどのような武術家を養っていらっしゃるのか、興味があります」
俺は夕璃さまの問いに答えた。
「それに、武術家の方なら、武術大会で会場の警備を担当されるのだと思います。そうなると、審判の雷光師匠や、参加者のぼくは近い場所にいることになりますから」
「ああ、そういうことですか」
「お時間をいただき、ありがとうございました」
俺は夕璃さまに一礼した。
「夕璃さま。ぼくは秋先生のところに戻ります。化央師兄にも武術大会のことを伝えます。それと──実は、お願いがあるのですが」
「はい。うかがいましょう」
「近場で、人目につかなくて、それなりに広い場所があったら教えていただけませんか?」
「部下に調べさせましょう。ですが、なんのためにですか?」
「大会前に武術の修練をしておきたいのです」
俺は言った。
「大会には強力な武術家が参加するかもしれません。ですから大会前に修練をして、万全の状態で臨みたいのです」
こうして俺は、武術大会に参加することになり──
それに向けて、武術の修練をすることにしたのだった。
次回、第192話は、次の週末の更新を予定しています。
書籍版「天下の大悪人」2巻は、6月25日発売です!
これから発売日に向けて、徐々にいろいろな情報をお知らせしていく予定です。
ご期待ください!