第190話「天下の大悪人、岐涼の町の調査に向かう(6)」
──その後、岐涼の町では──
「──以上の理由により、この町で武術の大会を開くこととした」
孟篤は家臣たちに宣言した。
屋敷の広間だった。
孟篤は広間の奥の椅子に座り、家臣たちを見下ろしている。
彼の背後には客人の武術家がいる。
孟篤自身が見いだした人物で、彼の護衛を務めている者だ。
孟篤にとっては数少ない、腹心の部下だった。
「なお、王弟殿下のご息女であられる夕璃さまも、武術大会を観覧されるおっしゃっている」
孟篤は家臣たちを見回しながら、続ける。
「武術大会を開くことは噂を鎮め、岐涼の治安を維持することにも繋がると考えている。皆はすみやかに準備を進めるように」
「おそれながら申し上げます」
家臣のひとりが、孟篤の前に進み出る。
「噂を打ち消すために武術大会を開くとおっしゃいましたが……それは孟篤さまが噂を恐れているという悪評に繋がりかねません。そのような事態は避けるべきかと考えます」
「私も同じ意見でございます」
別の者が声をあげる。
「それに、王弟殿下のご息女のご助言があったというのも問題です。『孟侯はふたたび燎原君の力を借りるのか』と、民が思うかもしれません」
「先代の孟侯さま──孟墨越さまは、ささいなことにはお心を動かさず、常にどっしりと構えていらっしゃいました」
「あの方は敵に囲まれても恐れることなく、部下を叱咤激励されておりました。皆は、あの方こそが我々に夢を見せてくださる方だと思っておりました」
「孟篤さまも、孟墨越さまのような方であって欲しいのです!」
家臣たちが次々に意見を述べる。
彼らは皆、先代から仕えている者たちだ。
先代──孟墨越亡き今も、彼を心から敬っている。
息子である孟篤と、常に比較してしまうほどに。
それは孟篤にとって、慣れ親しんだ光景だった。
「つまり貴公らは……武術大会を開くのに反対ということか?」
彼は呼吸を整えてから、家臣たちを見回し、告げた。
けれど、部下たちは頭を振って、
「そのように受け取られるのは心外でございます!」
「我らは孟篤さまにご助言申し上げているだけです!」
「我々が願うのは偉大なる孟侯の名を汚さぬこと。それだけなのです!」
彼らは孟篤の前で拱手し、頭を下げた。
「……そうか」
孟篤は静かに、うなずいた。
家臣たちは『偉大なる孟侯の名』と言った。
『孟篤』ではなく『孟侯』と。
その言葉はおそらく、先代の『孟墨越』を指しているのだろう。
(……それは仕方のないことなのだろうな)
孟篤は、自分が父におよばないことを知っている。
彼が『侯』の位を受け継いですぐに、領地で暴動が起きてしまったのだから。
孟篤はそれを鎮めることができなかった。
その結果、孟篤の領地は北西の果て──この岐涼に移されたのだ。
ここにいる家臣たちはそのことを覚えている。
彼らは常に、陰でつぶやいている。
『燎原君に領地をかすめ取られた』と。
けれど、家臣たちは燎原君を批難しているのではない。
彼らは本当は、こう言いたいのだ。
『当代の孟侯がだらしないから、燎原君に領地をかすめ取られた』と。
先代から仕えている家臣たちは、自分たちが首都の近くで暮らしていたころのことを覚えている。
偉大なる『白鶴将軍』孟墨越の家臣として、首都の人々から尊敬されていたことも。
だから彼らは常に、先代と孟篤を比べているのだろう。
(だが、不思議だな。父と比較されることが……気にならなくなっている)
昨日までは違った。
家臣が自分と父を比較するたびに、鈍い痛みを感じていた。
『燎原君に領地をかすめ取られた』という言葉を聞くたびに、ふがいなさで息が詰まった。
燎原君へのわずかな恨みが、心をちくりと刺していた。
ずっとそれが続いていたのだが──
(王弟殿下は……この孟篤を見下すようなお方ではない)
それは、夕璃に出会ってわかった。
燎原君の娘である夕璃は、孟篤に会い、話を聞いてくれた。
貴重な助言も、与えてくれた。
それだけではない。
彼女は『武術大会を観てみたい』と言ってくれたのだ。
燎原君の娘の夕璃が、孟篤主催の武術大会を観覧すること──それは、孟侯と燎原君の一族が親しいことを、皆に示す意味がある。
人々は思うだろう。燎原君は、当代の孟侯を信じているのだ、と。
燎原君は、『赤き髪の娘は勇敢な鳥と結ばれ、竜を生む』という噂を信じていないのだ──と。
夕璃が武術大会を観覧することには、それほどの意味があるのだ。
(夕璃さまと王弟殿下はこの孟篤を助けてくださった。ならば……私はその信頼に応えるだけだ。父にはおよばなくても……やるべきことは、やらねばならぬ……)
「……皆の意見はわかった」
孟篤は家臣たちが静まるのを待ち、口を開いた。
「だが、今は……民を安心させることを第一に考えるべきであろう」
「──その手段が問題なのです」
「──王弟殿下のご息女のお力を借りるのはいかがなものかと」
「──噂を気にして動くことで、孟侯が軽んじられる恐れがございます」
ふたたび、家臣たちが声をあげる。
「それもわかる。しかし、武術大会を開くことにはよい効果があるのだ」
孟篤は落ち着いた口調で、答えた。
「武術大会に参加させることで、武術家や無頼漢たちを落ち着かせることができる。彼らが力を示したいのならば、大会で示せばいいのだからな。彼らは大会が始まるまでは、大人しくしていることだろう。大会の開催中は、我々の管理下に置くこともできる」
広間に沈黙が落ちた。
孟篤が堂々と意見を述べたことに、家臣たちはおどろいているようだった。
「町の治安を守るのが私の役目である。そのためにできることをしたい。それが誰の提案であろうと関係ない。私が軽んじられることなど……たいしたことではない。そうではないか?」
「孟篤さまのお言葉こそ、尊いものだと思います!」
広間の後方で家臣のひとりが、拱手した。
その側にいた者たちも、それにならう。
彼らは、孟篤が岐涼に来てから雇った家臣たちだ。
勤続年数は、まだ浅い。
代々の孟侯に仕えている家臣たちからは、新参者としてさげすまれている。
彼らが広間の後方に追いやられているのは、そのためだ。
新参者の家臣たちは岐涼や、周辺の町の出身だ。
彼らにとって町の治安は他人事ではないのだろう。
「──武術大会の準備は、我らにお任せを!」
「──皆に誇れるものといたしましょう!」
「──岐涼は我らの故郷であります! その治安のためなら、労を惜しみませぬ!」
新参者の家臣たちは前に進み出て、孟篤の前で膝をついた。
「新参者が口を挟むな」
「孟侯さまのことは我々が一番よくわかっている」
「孟墨越さまの時代を知らぬ者が、わかったような口を!」
古参の家臣たちは新参の家臣たちをにらみ付ける。
広間を、わめき声が満たしていく。
孟篤は目を閉じ、呼吸を整える。
なんとか強気に出て、家臣たちを鎮めるしかない。
そう思ったとき──
「…………よいと思いますよ。武術大会」
広間の最前列で、声がした。
「もっとも古くからお仕えする者として申し上げます。この價干索は、孟篤さまのお考えに賛同いたします」
そう言ったのは白髪の男性だった。
「武術を愛する孟篤さまが武術大会を開かれるのは自然なこと。それが民のためになるというのであれば、なにも申し上げることはございません。すばらしい話ではありませんか」
「それが貴公の意見か。價干索よ」
孟侯は白髪の男性に問いかける。
彼が賛同するとは思わなかったからだ。
白髪の男性──價干索は先代孟侯の側近だった人物だ。
かつては先代と轡を並べて戦に出たこともあると聞いている。
先代が亡くなった後は、孟篤を側で補佐してくれている。
その價干索が公の場で発言することは少ない。
先代の腹心の部下だった彼には、大きな影響力があるからだ。
その力を振るうのを遠慮しているのだろうと、孟篤は考えている。
「價干索よ。貴公は武術大会を開くのに賛成してくれるのだな?」
「無論でございます。孟篤さま」
價干索は笑顔のまま、拱手した。
「むしろ反対する者の気持ちがわかりませんな。彼らはどうして、これほど騒ぎ立てているのでしょう?」
「──價干索どの!?」
「──我々は、別に反対しているわけでは……」
「──ただ、懸念を申し上げているだけで……」
古参の家臣たちが慌てた声をあげる。
彼らは一斉に膝をつき、孟篤に頭を下げる。
「武術大会を開くべきです」
「民のためなら、異論はありません」
「よき案だと思います」
やがて彼らは、さきほどまでとは違う意見を口にしはじめる。
「そうか……皆の考えはわかった」
孟篤はうなずいた。
「では、準備をはじめるとしよう。町の者に武術大会のことを知らせ、参加者を募るのだ。岐涼は広い。場所はいくらでもある。準備には数日もかからぬだろう」
「「「承知いたしました」」」
こうして岐涼の町で武術大会が開かれることが、正式に決定したのだった。
──数十分後──
「貴公の意見を聞かせてくれないか。魯太迷よ」
屋敷の応接間で、孟篤は護衛の男性にたずねた。
彼の前にいるのは禿頭の男性だ。
大柄で、長い髭を生やしている。
男性の名は魯太迷。
広間での会議のとき、護衛として側に仕えていた人物だ。
孟篤が養っている武術家のひとりでもある。
「さてさて。困りましたな」
魯太迷は頭を掻いた。
「拙者は岐涼の高官の方から『さっさと町から出ていけ』と言われている身の上でございます。そんな拙者の意見が参考になるとは思えませんが」
「お主は嘘を吐かぬ」
孟篤はそう言って、茶を一口飲んだ。
「お主はできぬことは『できぬ』と言う。自分自身のこともそうだし、この孟篤に対してもそうだ。今、岐涼に流れている噂について、この孟篤だけでは対処できぬと言ってくれた。だからこそ私は、夕璃さまに相談する気になったのだ」
「お役に立ててなによりです」
「お主を追い出さなくて良かったと思っている。まあ、口が悪いお主を、高官たちが嫌うのはわからないでもないが」
「拙者は生まれつきの正直者ですからな。仕方ないかと」
「お主は私と同じだよ。自分にできることと、できないことがわかっている」
孟篤は苦笑いした。
「お主はこうも言ったな。『岐涼の町に来ている武術家や無頼漢を、孟篤さまの客人だけで止めることはできぬ』と」
「申し上げました。なぜなら、できぬからです」
「理由はわかっている。私に付き従う客人は数少ない。この孟篤は父上と比べて、数段落ちる人間だからな……仕方ない」
「孟篤さまは、ご自身になにが『できぬ』かをご存じでいらっしゃる」
魯太迷は不意に、真面目な表情になる。
「だからお父上の──孟墨越さまの真似はなさらない。そうでありましょう?」
「当然だ。なぜなら、できぬからだ」
孟篤は痛みをこらえるような表情で、
「私は以前、できぬことをしようとして、大きな被害を出した。もっと早く……自分では対応できぬと気づいて、助けを求めるべきだった。あのときと同じ過ちはしない」
「だから、王弟殿下のご息女を頼られた。あの方のご意見をいただき、武術大会を開くことになされた。そして部下の皆さまの同意も得られた」
「そうだ」
「事はすでに進んでおります。なのになぜ、拙者の意見を欲しがるのですかな?」
「價干索が素直に同意したことが気になるのだよ……」
價干索が公の場で意見を述べることは少ない。
必要がないからだ。
彼の主張は変わらない。誰もが知っている、簡単なものだ。
『先代孟侯、孟墨越さまを見習うべき』
──以上だ。
だから價干索は多くを語らない。
必要なときは、ただ、先代の記録を差し出す。
先代は大きな存在であり、王家さえもその功績を認めていた。
多くの民に、あがめられる存在だった。
だから今代の孟侯も、先代と同じようにするべき。
それが價干索の主張だ。
「父上が武術大会を開かれたことは、一度もない」
孟篤は続ける。
「なのに價干索は、武術大会を開くことにあっさりと同意した。それが気になるのだよ」
「なるほど。ところで孟篤さま」
「うむ」
「孟篤さまが價干索どのと対立されることになったとして、ご自身の力だけで対抗することができますかな?」
「できぬ」
「ならば、お味方を増やすといたしましょう」
魯太迷は一気に茶を飲み干し、立ち上がる。
「王弟殿下のご息女は武術大会を観覧されるとのこと。ならば、打ち合わせが必要になりましょう。拙者が書状をお届けします。連絡役として送り出してくだされ」
「それは……できる。だが、なんのために?」
「王弟殿下のご息女のまわりには、おそらく護衛の武術家がおりましょう。その者たちと話をしてみたいのです」
「味方を増やすとはそういうことか」
「そうです」
魯太迷はまた、頭を掻いた。
「向こうに事情を伝えておけば、最悪の事態になったとしても、孟篤さまのご息女を連れて逃げるくらいはできましょうぞ」
「またお主は物騒なことを……」
「拙者はできることをするだけです」
「できることはする。できぬことはできぬ……か」
「そうです。拙者は『「できぬ」の魯太迷」として世を渡っておりますから」
「その二つ名……お主以外から聞いたことがないのだが……?」
「これから広めるところです。数年後には、少しは人の口に上るようになりましょう」
「気の長い話だな」
孟篤は肩をすくめてから、笑った。
それから彼は、じっと魯太迷を見て、
「最悪の事態が起きたとしても……貴公ならば娘たちを連れて逃げられるのだな? 『できぬ』の魯太迷よ」
「外部に協力者がおれば『できる』と答えましょう」
「この孟篤を連れて逃げることは?」
「ご自身に逃げるつもりがないのですから、『できぬ』ことです」
「……正直者だな。お主は」
「だからこそ、高官の方々にはにらまれております。孟篤さまがかばってくださなければ、とっくに岐涼の町を後にしておったでしょう。拙者といえども、誰の助けもなく、皆に敵視されながら仕事をするのは……」
「『できぬ』こと、か」
「はい」
「わかった。太迷よ。貴公に書状を預ける。夕璃さまに届けてくれ」
「承知」
武術家の魯太迷は、孟篤に拱手した。
「二流の魯太迷としては、一流の武術家に会うのは気後れしますがな。やるだけはやってみましょう」
「頼む。ついでに二つ名を広めてくるがよい。『できぬ』の魯太迷よ」
「我が主君の命とあらば、従うしかありませんな」
そうして孟篤と彼の客人は、打ち合わせを続けるのだった。
次回、第191話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。