第189話「天下の大悪人、岐涼の町の調査に向かう(5)」
「この孟篤に叛意などございませぬ!」
青ざめた男性は、夕璃の前で宣言した。
予想外だった。
まさか孟侯である孟篤本人が、夕璃の宿にやってくるとは思わなかったのだ。
ここは、宿の一室だ。
高貴な者が使うこともあるからか、密かに話をするための部屋がある。
防音もしっかりしている。外に声が漏れることはない。
部屋にいるのは夕璃と星怜、そして孟侯だけ。
扉の外には孟篤の護衛が2名と、冬里を含めた夕璃の護衛たちがいる。
姿は見せないが、雷光も近くにいるはずだ。
孟篤が敵だとしても、問題なく夕璃を守ってくれるだろう。
(……ですが、この孟篤さまがわたくしに危害を加えるなど、ありえないでしょうね)
孟篤は夕璃の前で膝をつき、何度も頭を下げている。
夕璃からは距離を取っている。
彼女に警戒されないようにするためだろう。
孟篤は痩せ細った男性だった。
心労のためだろうか。目の下にはくまができている。
「自分も……巷に流れる噂は聞いております。ですが、あれは民のたわごとにすぎません。現に自分は、怪しい樹木が見つかるたびに焼き捨てております! 王家への叛意などかけらもないのです。なのに……まさか王弟殿下のご息女が調査にいらっしゃるとは……」
孟篤は震える声で訴えている。
「わたくしは、物見遊山の旅に来ただけですよ?」
夕璃は穏やかな口調で、答えた。
孟侯は呆然とした顔で、夕璃に視線を向ける。
彼女の言葉が真実かどうか、疑っているようだ。
(当代の孟侯……孟篤さまは……このようなお方だったのですね)
先代の孟侯──孟墨越は謙虚な人物だったと聞いている。
また『白鶴将軍』の名を持つ、優秀な武人でもあったと。
それに比べて当代の孟侯である孟篤は、数段落ちる人物──そう言っていたのは、燎原君の客人たちだ。
夕璃も父の側で、そのような話を聞いたことがある。
侯の位を引き継いですぐに、孟篤の領地で動乱が起きた。
跡を継いだばかりの孟篤は、それを止めることができなかった。
町は破壊され、田畑は焼け野原になった。
その責任を取らされて、孟篤は領地を移された。
北西の端にある、この岐涼に。
彼の領地だった場所は夕璃の父が治めることになった。
だが彼の部下の中には『王弟に領地を奪われた』と思う者もいると聞いている。
孟侯はそれを抑えることができずにいる。
抑えることができないのか……意図的に放置しているのかはわからない。
仮に後者だとしたら、孟篤は燎原君に反感を抱いているということになる。
だから、夕璃は孟篤を警戒していたのだが──
(……この方が、お父さまに反感を抱いているとは思えません)
夕璃の前で孟篤は、小さくなって震えている。
顔は青ざめ、血の気も薄い。
拱手しながら、手の甲をカリカリと掻いているのが見える。
(孟篤さまは……ただ、根も葉もない噂におびえているように見えます。それほど例の噂が重圧になっているのでしょう)
夕璃は父のもとで多くの人材を見てきた。
その彼女から見ても、孟篤が叛意を抱くような人物だとは思えない。
(……だとしたら、噂を流しているのは何者なのでしょうか)
仮に孟篤が噂と無関係だとしたら、『金翅幇』と繋がっているのは──
(孟篤さまの近くにいる人物……ということになるのでしょうか)
今の孟篤の部下の中には、先代──孟墨越のころから仕えていた者が数多くいる。
その中の誰かが、あらぬ噂を流しているのだろうか……?
「町に流れる噂については、徹底的に調査をいたします」
孟篤は血の気のない顔を上げて、告げた。
「民の中に……あの噂を口にしている者がいたら、厳罰に処することといたします。ですから……どうか、夕璃さまから王弟殿下に、そのことをお伝えいただけないでしょうか……」
「民を厳罰に処するというのは、いかがなものでしょうか」
夕璃は少し考えてから、答えた。
「民の口を封じるのは、大河を制するよりも困難という言葉もございます。罰をもって民の口を封じてしまえば、大きな不満を招くことになりかねません。それが爆発すれば、藍河国にとって、より大きな害を招くかもしれません」
「ですが……このまま放置するわけにも参りません。一体……どうすれば……」
孟篤は髪をかきむしる。
貴人としては礼を失した行いだが、気づいていないようだ。
それだけ追い詰められているのだろう。
「町には力自慢の無頼漢も入り込んでおります。噂が広まれば、さらに危険な者たちが集まってくるかもしれません。ですが……人の出入りを禁じてしまえば、西方への人の行き来に影響が出ます。どうすればよいのでしょうか……」
「……ひとつ、提案してもよろしいでしょうか」
夕璃は、側に控えている星怜に視線を向けた。
星怜が目を見開く。
夕璃がどんな提案を口にしようとしているのか、気づいたのだろう。
それは十数分前に、星怜の猫が運んできてくれたものだ。
首輪に隠された書簡には、天芳が考えた策が記されていた。
内容は夕璃と星怜はもちろん、千虹さえも予想していなかったものだった。
ただ、有効なものだということは、わかった。
これが実行されれば、孟篤の心労を消すことはできるだろう。
天芳は書簡に『これは最後の手段です』と書いていた。
その他に『別にぼくがそういうものを好きなわけじゃないです』『かっこいいとか、見てみたいとか、そんなことは少しも考えていません』とも記されていた。
このふたつの言葉の意味は、よくわからなかったけれど。
「策がございます。これが実行されれば……岐涼の町に流れている噂を、無意味なものにすることができましょう」
夕璃は言葉を選びながら、孟篤に向かって、告げた。
「そのような方法があるのですか?」
孟篤は目を見開いた。
「お、お教えください。どのような手段を取れば……噂を無意味なものにできるのでしょうか?」
「この岐涼の町で、武術の大会を開くのはどうでしょうか」
夕璃が口にしたのは、天芳が書状に書いた提案だった。
今、岐涼の町では、次のような噂が流れている。
『孟侯は強い武術家を婿にする意図がある』
『武術家を客人としているのはそのせい』
『誰が婿としてふさわしいか、強さで決めるつもりらしい』
さらに次の言葉が、岐涼の町のまわりにある樹木に刻まれている。
『赤き髪の娘は勇敢な鳥と結ばれ、竜を生む』
この言葉が更に、岐涼の町に武術家たちを引きつけている。
強さを示せば孟侯の娘婿になれるのではないか、と。
これから、噂はさらに広まっていくだろう。
より過激なものに。
より、人を集めやすいものに。
だが──
「それに先んじて孟篤さまが武術の大会を開けば、武術家たちを、あなたさまが管理できるようになります。噂の意味を変えることもできましょう」
夕璃は説明を始める。
「孟篤さまが、岐涼の町で武術の大会を開くと発表すれば、人々はこう思うでしょう。『孟篤さまが武術家を客人としていたのは、武術の大会を開くためだったのか』と」
「……それは……あり得る話です」
「町に来ている武術家たちも、その大会に参加できるようにするのがよいでしょう。そうすれば彼らが、町中で力をひけらかすこともなくなります。強さを示したいのであれば大会に参加して、堂々と試合をすればいいのですから」
そこまで言って、夕璃は一呼吸おいて、
「もちろん、武術の大会が、怪我人や死者を出すようなものであってはいけません。それでは禍根を残すことになります。そのためには、いつでも審判が止められるという規則を決めておくのがよいでしょう。幸い、どのような相手であっても止められる者が、わたくしの護衛におります。その者を審判とすることをおすすめいたします」
「……な、なるほど」
孟篤は何度もうなずいた。
「で、ですが、それでは大会の勝利者と、わが娘を結婚させなければいけなくなるのでは……」
「結婚のことなど、一言も言わなければよいのです」
「……え?」
「ただ『強き者を選ぶための武術大会を開く』とおっしゃればいいのです。参加者たちが『勝利すれば孟篤さまのご息女と結婚できる』と考えたとしても、それは、孟篤さまの預かり知らぬことです。孟篤さまは、勝利者が満足するような賞品を用意なさればいいでしょう。例えば……優勝した者が好きな相手と結婚できるくらいの金銭を」
「なんと!?」
「そうすれば優勝者は好みの相手と結婚することができます。その後、町に噂を流せばよいのです。『優勝者……つまりは勇敢な者は、赤い髪の娘と結婚したらしい』『そのうち竜のような、優秀な子どもが生まれるだろう』と。そうすれば噂の意味は変わります。話はそこでおしまいになるでしょう」
「…………た、確かに!」
「孟篤さまは武術家がお好きなのですよね?」
「はい。『白鶴将軍』であった父に追いつくため……まわりを強き者で固めたいと、常々考えておりまして……」
「そんな孟篤さまが武術の大会を開くのは、別に不自然ではありませんよね」
「……おっしゃる通りです」
孟篤はそう言って、床に平伏した。
「ありがとうございます! さすがは王弟殿下のご息女です。この孟篤、感謝に堪えません!」
そのまま孟篤は床に額をこすりつけた。
「夕璃さまのお知恵は万の兵にも勝ります。窮地を救っていただいたご恩は、決して忘れないとお約束いたします!!」
「侯の位にある方が、わたくし相手にそのようなことをしては……」
「……私は武術が好きなだけの無能者です。父におよばぬことはわかっております。その私が王弟殿下のご息女に叩頭することに、なんのためらいがありましょうか」
「孟篤さま……」
(……やはり、この方は黒幕ではないのでしょうね)
そう思いながら、夕璃は星怜と視線を交わす。
だが、孟篤の近くには、『金翅幇』と結びついた人物がいる可能性がある。
だから夕璃は、策のすべてを話すことができなかったのだ。
武術大会を開く目的はもうひとつある。
それは、噂を流している黒幕を公の場に引きずり出すことだ。
敵が流している噂は『赤き髪の娘は勇敢な鳥と結ばれ、竜を生む』だ。
天芳が考えたのは、それを逆手に取る策だった。
武術の大会が行われれば、その優勝者は『もっとも勇敢な者』として、皆に認められることになる。
その大会を、敵は無視できない。
仮に、敵が武術大会に参加しなかった場合、無関係の者が大会で優勝することになる。
優勝者は皆が認める『もっとも勇敢な者』になる。
噂は意味を失う。
あとになって『金翅幇』の誰かが『いやいや、自分こそが勇敢な鳥だ』と言ったところで、笑いものになるだけだ。
勇敢な者を決める武術大会は、もう終わってしまっているのだから。
孟篤が追い込まれることはなく、敵は孟篤に近づく機会を失い、敵が流した噂はただの流言として消えていくことになる。
だが『金翅幇』の者が優勝すれば……彼らは孟篤に近づくことができる。
自分が樹木の文字に記された『勇敢な鳥』だと、皆に示すこともできる。
武術大会に参加することは、彼らにとって利益があるのだ。
つまり天芳たちは、敵を表舞台に引きずり出すための餌を用意したのだ。
敵の策を無効にするというおまけつきで。
もちろん、敵が表舞台に出てくるかどうかはわからない。
それでも、やってみる価値はある。
これまで王家は金翅幇に振り回されてきた。
そろそろ攻守を代えて、先手を打つときだ。
武術大会はそのための好機なのだった。
(……それにしても、黄天芳さまはおそるべき方です)
彼が規格外の人物なのはわかっていた。
だが、これほどの策を考え出すとは思ってもいなかったのだ。
(あの方が……狼さまの側近になってくださればいいのに。そうすれば狼さまの御代は盤石です。そうすればわたくしも……安心して、狼さまを遠くから見守ることができるでしょう……)
そんなことを思いながら、夕璃は自室へと戻るのだった。
──天芳視点──
「変なこと書いちゃったかな。大丈夫かな……」
「どうしたんだい、天芳」
「ほら、さっき黒猫に渡した文書に『武術大会』のことを書いたじゃないですか」
「うん。書いていたね」
「あの文書の意図が、ちゃんと伝わったかどうか心配なんです」
「僕と秋先生も確認したじゃないか。大丈夫だよ」
「……そうでしょうか」
「天芳はなにが心配なんだい?」
「ぼくが武術大会はかっこいいと思ってるとか、自分が色々な武術を見たくて武術大会を提案したとか、そういう勘違いをされるなじゃないかと……」
「それはありえないよ。どうしてそんなふうに思うんだい?」
それは俺が前世で、ゲーム『剣主大乱史伝』の『武術大会モード』に滅茶苦茶はまってた経験があるからです。
あのゲームにはクリア後のおまけとして『武術家同士の一騎打ちトーナメント』ができるモードがあったんだ。
自分でキャラを選んで、好きなアイテムを装備させて戦わせるやつが。
いや……あれは本当に面白かった。
燃えるよね。武術家同士のトーナメント戦って。
岐涼の町で流れる噂をどうしようか考えたとき、なぜか『武術大会モード』のことを思い出した。
武術の大会を開けば、あの噂の意味を変えることができると思ったんだ。
だから提案してみたんだけど──
「……変な勘違いされてないかな」
「だから大丈夫だってば。もー」
俺はやきもきしながら、星怜からの返信を待ちわびていたのだった。
次回、第190話は、次の週末の更新を予定しています。