第188話「天下の大悪人、岐涼の町の調査に向かう(4)」
──夕璃視点──
天芳たちに遅れること数刻。
夕璃の一行も、岐涼の町に到着していた。
予定通りの行程だった。
夕璃の一行は人数が多い分だけ、移動速度が遅い。
長距離の移動になれば、少人数の天芳たちとは、差が出る。
けれど、それもまた計算の上だ。
天芳たちが先に岐涼の町に入ることで、安全確認ができる。
危険があった場合、星怜の猫を通して連絡できる。
そう考えて、予定を立てているのだった。
「星怜さまと天芳さまには助けられてばかりです」
馬車の中で、夕璃は言った。
「天芳さまたちが先行してくれて、星怜さまの猫たちが連絡役になってくれるおかげで、岐涼のことがわかりますもの」
「わたしがお役に立てるのはこれくらいですから」
「それにしても……岐涼の町に武術家が集まっているというのは、意外でした」
孟侯は武術家を支援しているのは確かだ。
けれど、誰でもいいというわけではない。
貴族が支援するのは高名な者か、知人から紹介された者くらいだ。
町中で武術家が力をひけらかしたところで、孟侯の知遇は得られない。
それでも武術家が集まっているということは──
「やはり、彼らは例の噂を信じているのでしょうね」
「『孟侯は娘婿にふさわしい武術家を探している』というものですか?」
「ええ。天芳さまたちが教えてくださった歌のこともございますから」
夕璃は手元の紙を広げて、読み上げる。
「『赤き髪の娘は勇敢な鳥と結ばれ、竜を生む』」
それは、天芳が送ってきた書簡だった。
ここに書かれている言葉が、岐涼の町とその周辺で語られているらしい。
「……孟侯のご息女が赤い髪をしているのは事実。そして、竜は王をあらわすものでもあります。つまりこの文章は『孟侯のご息女が次の王を生む』という意味に取れます。さらに言えば、民の語る噂や伝承には意外な力があります。それが大きなうねりとなり国を動かすのはあり得ることなのです……」
馬車の中に、淡々とした言葉が響いた。
つぶやいたのは馮千虹だった。
彼女は馬車の座席で膝を抱えながら、考えに沈み込むように、目を閉じている。
「その文章が書かれた樹木は、孟侯さまによって焼き捨てられているそうです。では、その理由は? 素直にとらえるなら、あらぬ疑いを招かないようにするためなのです。ただ、うがった見方をすれば、そのように見せかけるために、あえて文書を焼き捨てている可能性もあるのです」
そこまで言って、馮千虹は頭を振った。
「ですが、これは邪推かもしれないのです。先入観はよくないのです。ここは素直に考えるべきだと思うのです。となれば、やはり孟侯さまは噂が流れるのを嫌がっているということに──」
「それがあなたの分析なのですね。馮千虹さま」
「……あっ」
馮千虹は目を見開いた。
夕璃と星怜の視線に気づいて、あわてて頭を下げる。
ごちん、と、音がした。
馮千虹の小さなおでこが、馬車の壁に当たる音だった。
一礼するのに勢いをつけすぎてしまったらしい。
その衝撃で髪飾りが外れ、結い上げていた髪がほどける。
「ああっ。星怜さまに結っていただいた髪が……うう、おでこも痛いのです」
真っ赤になった馮千虹は額を押さえる。
「い、いえ、それよりも謝らないとなのです。申し訳ありません夕璃さま。考えに沈み込んでしまって……失礼を」
「構いません。こちらこそ、おどろかせてしまってごめんなさい」
「い、いえ……」
「馮千虹さまにお考えがあるなら聞かせていただけませんか」
夕璃はうなずいた。
「父は、あなたがわたくしを助けてくださると思ったから、同行を命じたのでしょう。ぜひ、あなたのお考えを聞かせていただけませんか?」
「私も、夕璃さまと同じ気持ちです」
星怜も千虹を落ち着かせようとするように、彼女の髪に触れた。
乱れた髪を整えながら、おやだかな声で語りかける。
「私も千虹さんの話を聞きたいです。兄さんの書状から千虹さまがどんな答えを導き出したのか、教えてください」
「夕璃さま……星怜さま」
馮千虹はおどろいたように、ふたりを見た。
馮千虹が旅に同行したのは、燎原君の指示によるものだ。
燎原君は『齢の近い者が側にいた方が、夕璃が安心する』と言っていた。
千虹自身も、自分の仕事は夕璃の話し相手になることと、荷物持ちや着替えの手伝いくらいだと考えていた。
こうして意見を求められるとは、思っていなかったのだ。
「ありがとうございます。夕璃さま、星怜さま」
自分の才能を認めてくれたふたりに、千虹は改めて頭を下げた。
「それでは、虹の考えを申し上げます」
「お願いします」
「聞かせてください。虹さん」
「……『金翅幇』の者たちが本当に『藍河国が滅ぶ』という予言を信じ、実現しようとしているなら……孟侯を取り込むことを考えると思うのです。孟侯の領地は北西の果てですから、王家の目は届きにくいです。『金翅幇』が密かに力をたくわえるのにふさわしい場所でもあります」
ゆっくりと、千虹は話し始めた。
「ですが、おそらくはまだ『金翅幇』は、孟侯その人とは繋がってはいないと思うのです」
「それは、どうしてですか?」
「『金翅幇』が孟侯と繋がっているのなら、こんな噂を流す必要はないからです。孟侯との繋がりが弱いか……あるいは、まだ無関係だからこそ、噂を流しているのだと思うのです」
呼吸を整えてから、千虹は続ける。
「奴らが噂を流しているのだとしたら、その目的は……孟侯を自分たちの側に取り込むためだと思うです。『赤き髪の娘は勇敢な鳥と結ばれ、竜を生む』──この言葉は孟侯のご息女が『竜』──次の王を生むとという意味に受け取れます。これが藍河国の高官の方々の耳に入ったら危険なのです。聞き流す人もいるでしょうけど、本気にする人もいるはずです。『孟侯に謀反の疑い』があり、と考える者もいるかもしれません」
「それはどうでしょうか?」
夕璃はたずねた。
「噂はまだ、ささやかなものです。岐涼の町と、その周辺でしか流れていません。それを高官たちが本気にするとは思えませんが……」
「そう思われるのも無理はないのです」
千虹はうなずく。
「ですが、それは夕璃さまが偶然、この段階で岐涼の町を訪ねられたからなのです。だからまだ、噂は種火の段階なのです。仮に夕璃さまが岐涼の町にいらしてなかったら、このお話が王家の方々の耳に入るのは、もっと遅かったはずなのです。噂がずっと燃え広がり、消せない炎になってからになっていたと思うのです……」
「あ、わかりました」
夕璃は、こくこく、とうなずいた。
「そうでした。本来、わたくしはここに来る予定はありませんでした。だから、大きく広がる前の噂が耳に入ったのでしたね」
「そうなのです。本当なら、噂が夕璃さまや王弟殿下のお耳に入るのは、もっと後だったはずです。噂が、より多くの町に広がったころの。仮にそうなっていたら……」
「高官たちの中には『孟侯に謀反の疑いあり』と考える者も現れるでしょう」
「はい。そうなったら孟侯は追い込まれるのです。そうなれば──」
「討たれる前に兵を挙げる……ということですか」
「あくまでも、可能性のひとつなのです。根拠は薄いのです」
そう言って千虹は、拱手した。
「それに、虹のお父さんは言っていたです。『先入観にとらわれてはいけない』『「これが正しいひとつの答えだ」と思ったときが一番危険』『自分の中に、自分の思考を疑う自分を持ちなさい』と」
「よいお父さまだったのですね」
「はい……い、いえ、もちろん、夕璃さまのお父さまほどではありませんが」
「謙遜することはありませんよ」
夕璃は千虹の手を取った。
「『自分の思考を疑う自分を持つ』……それは大切なことです。千虹さまがそういうお方だからこそ、わたくしのお父さまは、あなたをわたくしの助言者として同行させてくださったのでしょう」
「いえいえいえいえいえっ!!」
ぶんぶんぶんっ、と頭を振る千虹。
「恐れ多いのです! 千虹はまだまだ未熟者で……」
「いいえ。あなたのお言葉はとても参考になりました。では、星怜さま」
「はいっ! 夕璃さま」
「黄天芳さまにお伝えください。噂を流した者の目的は孟侯を追い込み、自分たちの仲間にすることかもしれないことを。ただし、あくまでもこれは推測であること。さらに情報を集める必要があることをお伝えください」
「わかりました。すぐに使いを出します」
星怜は足下にいた黒猫を抱き上げた。
それから、黒猫と目を合わせて、
「にゃー! にゃにゃんにゃ! にゃにゃにゃんっ!」
『みゃーご! みゃみゃっ!?』
「にゃん。にゃにゃーご! にゃんっ!!」
『にゃにゃにゃっ!』
「お願いします。あと、兄さんと化央さまを……ふみゃあ、きしゃーっ!」
最後に猫の言葉で命令して、星怜は馬車の扉を開けた。
そうして彼女は、黒猫を使者として送り出したのだった。
天芳から返事が来たのは、数十分後。
星怜たちが宿に入ってすぐのことだった。
「夕璃さまに申し上げます。孟侯さまの使いの方がいらっしゃいました」
夕璃が宿について、十数分後。
護衛役の冬里が、彼女の部屋にやってきた。
冬里と雷光は護衛として夕璃に同行している。
護衛の中でも、ふたりはもっとも夕璃に近い場所にいる。
女性の護衛は貴重だからだ。
この時間、冬里は夕璃の部屋の前で待機している。
雷光の姿は見えないが、問題はない。
気配を隠して、宿の周辺を警戒する。
神出鬼没の護衛として、夕璃を守る。
それが、雷光の役目だからだ。
雷光の気配は冬里にも捉えることができない。
彼女の居場所を察知できるのは同等の力を持つ武術家か、気配察知に特化した『渾沌・万影鏡』を使える天芳だけだろう。
そんな雷光が側にいることで、夕璃は安心して落ち着くことができるのだった。
「孟侯さまのお使いの方がいらしたのですか……」
報告を受けた夕璃は、うなずいた。
「いらっしゃるとは思っていました。ですが、早いですね」
夕璃は表向き、先代孟侯の墓参のために岐涼の町に来ていることになっている。
来訪の目的については、孟侯にも書状で知らせてある。
孟侯は『ぜひとも、我が屋敷に泊まっていただきたい』と言ってきたが、夕璃はそれを断り、町の宿を取った。
使節の者全員が泊まれるように、複数の宿を借り切った。
理由はふたつある。
第一の理由は、孟侯が本当に『金翅幇』と繋がっていた場合、その懐に飛び込むのは危険だということ。
第二の理由は、離れたところから、孟侯の動きを観察したいからだった。
もちろん、孟侯には別の理由を伝えてある。
それは『わたくしの物見遊山の旅に、孟侯さまの手をわずらわせるのは心苦しい』というのものだ。
燎原君や食客と、話し合って決めた口実だった。
今の夕璃は『王弟の娘であることを鼻に掛けて、ぜいたくな旅に出たわがまま娘』ということになっている。
だから行列も豪華にしてある。
行く先々で、買い物なども楽しんでいる。
それらすべては、孟侯と『金翅幇』を警戒させないためだ。
「なのに、孟侯さまがこんなに早く接触してきたのは──」
おそらく、孟侯は噂を気にしているのだろう。
弁明のために夕璃に使者を送ってきた──そう考えるのが自然だ。
「使者の方に会いましょう」
夕璃は言った。
「星怜さまも同席してくださいませ。そこで見たこと、聞いたことを黄天芳さまたちに伝えるのです。もしかしたら……黄天芳さまが提案してくださったことを、素早く実行できるかもしれません」
夕璃は星怜を連れて、宿の別室へと向かったのだった。
そこで孟侯の使いより告げられたのは、『わが主君が夕璃さまにお目にかかりたいとおっしゃっております』という言葉と──
今の孟侯──本名、孟篤が馬車に乗り、宿の近くで待機しているという事実だった。
次回、第189話は、明日か明後日くらいには更新したいと思っています。
書籍版「天下の大悪人」2巻の発売日が発表になりました。
2巻は、6月25日です!
今回も書き下ろしと番外編を追加しています。
表紙や特典についての情報などについては、後ほどお知らせします。
書籍版とWEB版あわせて、「天下の大悪人」をよろしくお願いします!