第187話「天下の大悪人、岐涼の町の調査に向かう(3)」
「────妙なる流れ、いとしき故郷に涼をもたらす」
茶館に音楽が流れていた。
女性が弦楽器……二胡を弾きながら歌っている。
歌詞は岐涼の町をたたえるものだ。
繰り返し『この町は水が豊富できれいな場所』と歌っている。
歌の通りに、この岐涼は水が豊かだ。
茶館の窓からは、町を流れる水路が見える。
そのほとりで休んでいる人もいる。
馬に水を飲ませているのは、遠くから来た旅人だろうか。
「ああ、美しき岐涼。旅人と伝承の集う町。その偉容をとこしえに」
歌が終わり、茶館が歓声に包まれた。
歌い手は一礼してから、店の中を歩き始める。
彼女の側には物売りの少女がいる。
歌の報酬をもらって、ついでに商売をしようってことかな。
俺と小凰がいるのは、店の2階の隅の席。
ここからは茶館の中が見渡せる。
危険を感じたら窓から逃げることもできる。
窓の下は深い水路。落ちても怪我をすることはない。
『五神歩法』を使えば跳んで逃げられるけど、それは避けたい。
今の俺たちは商人見習いって設定だからね。
それに──
「陸くん。この茶館にも武術家がいるみたいだよ」
「……ですね」
それは、動きを見ればわかる。
一般人と武術家だと、身体の使い方が違うからな。
たとえば、今、足音をさせずに店に入ってきた人物がいる。
あれはたぶん、歩法の使い手だろう。
しかも、他の客の動きを完全に予測して回避している。
近距離で戦う武術──拳闘や蹴り技メインの武術家だと思う。
かと思うと、なぜか身体の近くで剣指──人差し指と中指を伸ばしている人もいる。
あっちはきっと剣術使いだ。
当人たちにも、相手が武術家だってわかるんだろう。
間合いを意識して距離を取ったり、ちらちらと視線を向けていたりする。
時々、武器に手を伸ばしてる。
まるで、おたがいに威嚇しているみたいだ。
彼らは本気で噂話を信じてるんだろうか。
孟侯の娘の結婚相手になるつもりで、相手をライバル視している……とか?
……だとすると、気になる。
噂を流した人物は何者で、どんな意図があるんだろうか。
「やっぱり小凰……いえ、翠さんがその姿になってくれて、よかったです」
俺と小凰は普通に足音を立てて、気配もさらしている。
俺たちを武術家だと思う人間はいないだろう。
それに、今の小凰は少女の姿をしている。
着ているのは女性向けの袍だ。
どこからどう見ても、商人見習いの美少女だろう。
「翠さんを連れているぼくが、孟侯の娘さんの結婚相手になろうとしているとは、誰も思わないでしょう。翠さんが可愛い姿になったのは正解でした」
「か、かわいぃ……そ、そうかな?」
「あれ? どうかしましたか? 翠さん」
「う、うん。陸くんに『翠さん』って呼ばれるのは落ち着かなくて……」
小凰は左右を見回してから、俺に顔を近づける。
「それに、僕が女性の姿で歩き回るのは……久しぶりだから」
「そういえばそうでしたね」
小凰が女性の姿になったのは、奏真国に行ったときくらいだからな。
あとはずっと男装をしていた。
だから、女性の姿で出歩くと、落ち着かなくなるんだろう。
「あ、あのね、陸くん」
「は、はい。翠さん」
「…………」
「…………」
「どうして黙るの!?」
「ぼくも緊張してるからです」
「そっか……ふふっ。僕たちは似た者同士なんだね」
「おんなじですね」
「朋友だもんね」
「家族同然ですから」
「…………」
「そういえば、さっきなにか言いかけませんでしたか」
「……わ、忘れちゃった」
両手で頬をおさえてうつむく小凰。
それから、彼女は顔を上げて、
「思い出したよ。あ、あのね、陸くん」
「はい」
「今の僕たちは、まわりからどんなふうに見られてるのかな?」
「商人見習いのふたりが、お茶を飲みに来ているというふうに見られてると思います」
「そ、そうだね」
「ぼくが先輩から商売の心得を学んでいる、という感じですかね? 少なくとも、孟侯の娘さん目当てとは思われていないと思いますよ。こんなにきれいな女性が側にいるんですから」
「そ、そっか。うん。それならいいんだ」
小凰は満足そうな顔で、うなずいた。
「うん。そんなふうに見てくれていたら、うれしいな」
「あ、はい。そうだと思います」
「……よかった」
「……失礼いたします」
ふと横を見ると……二胡を持った女性と、小さな少女が、すぐ側に来ていた。
もちろん気づいてた。
俺も小凰も、他者の気配には敏感だからね。
「え!? あ……すみません。気づきませんでした」
「ぼ、僕たちになにかご用ですか!?」
俺たちはおどろいたふりをする。
女性と少女は、俺たちに一礼して、
「おどろかせて申し訳ありません。よろしければ……お茶菓子を買ってはいただけないでしょうか」
「おうちで作りました。焼き菓子です!」
女性の言葉を、小さな女の子が引き継いだ。
顔がよく似ている。親子だろうか。
「ああ、ちょうど小腹が空いていたところです。いただきます」
俺は懐から小銭を取り出した。
料金は……うん。安いな。
茶館の店員の方を見ると……うん。店内でお菓子を売るのは黙認されているらしい。
茶館側はお茶と料理を売り、この人たちは安いお菓子を売るという感じかな。
そんなふうに、棲み分けがされているんだろう。
「どうぞ。先ほどの演奏へのお礼も兼ねて、これくらいでいいですか」
俺は卓に、少し多めに小銭を置いた。
「あ、ありがと……です」
小さな少女が手を伸ばして、それを回収する。
それから、二胡の女性と少女はまた、一礼した。
「ありがとうございました。感謝を込めて、特別な歌をお聴かせしましょう」
「特別な歌、ですか?」
「はい。近隣の町や村で語られている言葉に、曲をつけたものです」
女性が、二胡に弓を当てる。
小さな音が流れ出す。
内緒話をするように、女性は小さな声で歌い始める。
「……天に暗雲現れるとき、英雄は剣を取る」
きれいな声だった。
ささやくような声なのに、よく通る。
騒がしい茶館にいるのに、歌詞の内容がはっきりとわかる。
「……英雄は天翔る鳥のごとし。赤き髪の娘は勇敢な鳥と結ばれ、竜を生む。其は石に刻まれた予言のように、確たることと人々は語らん」
……え?
英雄……天翔る鳥。
それが赤き髪の娘と結ばれて、竜を生む?
竜は神話的存在だけど、象徴としての意味もある。
そして、竜が象徴するのは……王や皇帝だ。
つまり『竜を生む』という言葉は……王や皇帝を生む、という意味にも取れるんだけど……。
「……不思議な歌ですね」
歌が終わったところで、俺は二胡の女性にたずねた。
「近隣の町や村で語られていた言葉をもとにしたそうですけど……本当ですか?」
「ええ」
女性はうなずいた。
「この歌の歌詞は、森の木に刻まれていた文字をもとにしています」
「森の木に……文字が?」
「はい。岐涼の町の近くに森があるのですが……そこの木に、文字が刻まれていたそうなのです。『赤き髪の娘は勇敢な鳥と結ばれ、竜を生む』と」
女性は、おだやかな口調で、そう言った。
嘘を吐いているようには、見えなかった。
「文字が刻まれた木って、どこで見ることができますか?」
「もう、見られません」
女性は首を横に振った。
「孟侯さまが切り倒してしまったそうです。『不穏だ』ということで、切り倒した後で、焼き捨ててしまわれたと。ただ……」
「ただ?」
「同じ文章が刻まれた樹木が見つかったのは、一度だけではありません。岐涼の近くにある森や林で、何度も見つかっているそうです。それに……これは噂なのですが、近くの川で採れた魚のお腹から、同じ文章が書かれた布が出てきたという話も……聞いたことがあります」
「……そんなことがあったんですか」
「はい。わたくしがその文字を見たのは、一度だけですけれど」
「そうですか。貴重なお話を聞かせてくれて、ありがとうございました」
「こちらこそ、お話ができてよかったです」
そう言って、二胡の女性は俺たちに頭を下げる。
そうしてまた、別の客のところに歩いていったのだった。
「……翠さん」
「……わかってる。あのふたりが店を出たら、あとをつけてみよう」
俺と小凰は顔を見合わせてうなずき合う。
それから、二胡の女性たちが店を出るのを待って、尾行をはじめたのだった。
その結果、三つのことがわかった。
ひとつは、二胡の女性と小さな少女が普通に下町に帰っていったこと。
ふたりが親子で、昔からこの町で暮らしているということ。
たぶんだけど……彼女たちは流しの歌い手で、『金翅幇』とは無関係だと思う。
ふたつめは、二胡の女性が語ったのが事実だということ。
それは尾行中に、町の噂話に聞いていたらわかった。
確かに岐涼の町の周辺では、文章が刻まれた樹木が複数、見つかっているらしい。
近くの川で採れた魚の腹からも、文章が書かれた布が出てきたそうだ。
刻まれている文字はすべて同じ。
『赤き髪の娘は勇敢な鳥と結ばれ、竜を生む』
孟侯はそれらの樹木をすべて切り倒して、焼き捨てている。
布も同じだ。現れたものは兵士が取り上げて、処分している。
そして、その日の最後にわかったこと。
それは──
孟侯の娘の髪色が、艶やかな赤色ということだった。
次回、第188話は、次の週末の更新を予定しています。