第186話「天下の大悪人、岐涼の町の調査に向かう(2)」
数日後、俺たちは岐涼の町に到着した。
旅の間に話題になっていたのは、孟侯の娘のことだった。
『孟侯にはふたりの娘がいる』
『ふたりとも同い年』
『孟侯は、ふたりに似合う結婚相手を探している』
『孟侯は武術が好き』
それが俺と小凰が入手した情報だった。
ただ、今のところはただの噂話だ。
事実とは限らない。
だけど、孟侯が武術好きなのは間違いない。
現に孟侯は武術家を客人として、支援しているんだから。
そのせいか、岐涼の町に近づくごとに、噂話はより多くの人々によって語られるようになり──
内容も、少しずつ変化していた。
『孟侯は強い武術家を婿にする意図がある』
『武術家を客人としているのはそのせい』
『誰が婿としてふさわしいか、強さで決めるつもりらしい』
──いつの間にか、こんな話になっていた。
どうしてそんなことになったのかはわからない。
ただ、噂話ってのは変化するものだからな。たぶん──
(1)孟侯は武術家が好き。
(2)孟侯は娘の婿を探している。
(3)武術家が好きな孟侯だから、娘の婿も武術家を選ぶに違いない。
(4)強い武術家なら、孟侯の娘の婿になれるはず……。
──こんな感じで、話が盛られていったんだと思う。
旅の間、俺たちは星怜の猫を経由して、夕璃さんとも情報交換をした。
噂のことを夕璃さんに伝えたら「侯の位にある人が、得体の知れない武術家を婿にすることは考えられません」という返事が返ってきた。
だから俺たちも、噂話の信憑性を疑っていた。
だけど、世の中には色々な人がいる。
噂を信じて、孟侯の娘婿になろうと考える人もいるわけで──
そのせいで岐涼の町は、多くの武術家であふれることになったのだった。
「……道ばたで拳を構えている人がいますね」
「……『我こそは天下無双。挑戦はいつでも受ける』と書かれた幟もあるね」
俺たちは今、岐涼の町の門を通ったところだ。
目の前の大通りには多くの人が集まってる。
道の端に筵を敷いて露店を開いている人。
歩きながら露店を眺めている通行人。
俺たちのように、荷馬車とともに歩いている人もいる。
そんな中、棒を構えたり、脚を振り回している人は……すごく目立つ。
「あの構えは鯉山派だ。遍歴医として各地を回っているときに見たことがある。おそらくは手にした棒を、刀に見立てているのだろう。道ばたで刀を振り回さないだけの常識はあるようだ」
秋先生は納得したようにうなずいた。
「その向こうで蹴り技を披露しているのは崇谷派の者だ。あの流派は連続する蹴り技で敵の機先を制するのが特長だからね。背中に棒を担いでいる者は──」
秋先生は目に映る武術家について解説してくれる。
さすが秋先生だ。
この場にいる武術家の流派と技は、ほとんど知っているらしい。
俺たちは荷馬車とともに岐涼の町の大通りを進んでいる。
このあとは役所で許可を取って、露店を出す予定だ。
露店を出す目的は情報収集だ。
大通りには多くの人が集まってる。
そこに露店を開いて商売をすれば、人々から話を聞くことができる。
商売をする者同士で語り合うこともできる。
そう思っていたんだけど──
「大通りで演武をするのは迷惑ですよね」
「だよね」
「彼らは自分の技を、周囲に見せつけようとしているようだ。なにやら浮き足だっているようにも見える。おそらくは……本気で噂を信じているのだろう」
俺と小凰と秋先生はうなずいた。
鯉山派の人は棒を手に、ゆっくりと武術の型を披露している。
通りの向こうでは崇谷派の人がジャンプと蹴り技を繰り返してる。
風を切る音が、ここまで響いてる。
あ、彼らの近くで露店を開いている人たちが、店じまいを始めてる。
……そりゃそうか。
側で棒を振り回されたり、蹴り技を繰り出されたりしたら落ち着かないだろう。いつ、こっちに技が飛んでくるか、気が気じゃないだろうし
それでも、演武は人目を引きつける。
まわりには人が集まり初めている。
だからだろう。根性のある商人は武術家たちの近くで、客を呼び込んでる。
それに気づいた武術家は……ああ、商人をにらんでるな。
演武の邪魔だと思ったんだろうな。
震え上がった商人たちは店じまいをはじめる。
それどころか、硬直して動けない人もいる。
たぶん、内力をこめた殺気を浴びたんだろうな……。
「彼らには近づかない方がいいね。今日はこのまま宿に向かうことにしよう」
秋先生は肩をすくめて頭を振った。
「町の調査をする前に、もっと念入りに変装をした方がいいね。武術家の中には私の顔を知っている者もいるだろうからね」
「秋先生。ひとつ提案があるのですが」
「なにかな、天芳くん」
「ぼくが一足先に茶館に行って、情報収集をするのはどうでしょうか?」
俺は秋先生の顔を見ながら、そう言った。
たぶん、今日も星怜と連絡を取り合うことになる。
その前に、少しでも情報を集めておきたい。
情報収集をするなら茶館がベストだ。
燎原君のお役目で北の町に行ったとき、調査員と接触したのも茶館だった。
灯春の町で壬境族のレキ=ソウカクやスウキ=タイガと出会えたのも、茶館でのできごとがきっかけだった。
茶館は人が集まる場所だからな。
岐涼のように大きな町なら、なおさらだ。
町の雰囲気や空気感を知るためにも、行く価値はあると思うんだ。
「ぼくはあまり顔を知られていません。武術家がいる場所にいっても大丈夫だと思います。それに、変装もしていますから」
今の俺は髪型を変えて、頭に頭巾を巻いている。
この姿を見て黄天芳だとわかるのは身近な人間だけだと思う。
星怜の猫には正体がばれたけど……あれは、においで判断してるんだろうな。
「偽名も決めました。前に壬境族の土地にいったときに使った偽名、朱陸宝です。商人見習いが市場調査のために茶館に立ち寄ったことにすれば、目立たないと思います」
「そうか……うん。わかった」
秋先生はうなずいた。
「それじゃてんほ……いや、陸宝くんに情報収集をお願いしよう」
「了解しました。師兄も来てもらえますか?」
俺は小凰にたずねた。
「ふたりの方が情報を集めやすいと思います。ぼくでは気づかないことも、師兄なら気づくかもしれませんから」
「もちろんだ。言われなくても一緒に行くつもりだよ」
「師兄の偽名ですけど……ぼくの兄ということにして『朱夏応』というのはどうですか?」
「同姓は駄目」
「え?」
「同姓にするのは縁起が良くな……いや、ややこしいからね。朱さんと呼ばれたときに、ぼくたちふたりが返事をしなければいけなくなるだろう?」
「あ、確かにそうですね」
「ついでに、僕の場合は性別も変えることにしよう。情報収集をする間は女性として過ごすことにするよ。その方が正体を隠せるからね」
「さすが師兄。名案です」
小凰は藍河国では翠化央という少年として過ごしている。
女性であることを知るのは、ほんのわずかな者だけだ。
女性の姿になった小凰が翠化央と同一人物だと思う人間はいないはずだ。
雷光師匠は有名だ。その弟子の翠化央を知っている者もいるかもしれない。
正体を隠すには女性の姿になった方がいいよな。
「僕は詩翠と名乗ることにするよ」
「お姉さん──奏紫水さまの名前を借りたんですね?」
「うん。これなら言い間違えることはないからね。それじゃ、天芳はぼくを『翠』と呼ぶように」
「呼び捨てですか?」
「別にいいだろう? ぼくも天芳を『陸』と呼ぶんだから」
「わかりました」
「それじゃ呼ぶよ。陸……くん」
「は、はい。翠さん……」
「……呼び捨てって言ったじゃないか」
「……師兄こそ」
「そこは翠だろう?」
「そうですけど……」
「……」
「……」
「……えっと」
「……呼びやすければなんでもいいですよね」
「そ、そうだね。陸くん」
「わかりました。翠さん」
俺と小凰は顔を見合わせて、うなずき合う。
なんだろう。
別の名前で呼ぶだけなのに、すごく緊張するんだけど……。
「ふたりとも、話はまとまったようだね」
秋先生が手を叩いた。
「それじゃ、まずは宿に行こう。それから翠くんは女性の服に着替えないとね。出かけるのはそれからだ」
「了解しました」
「行きましょう。秋先生」
俺たちは、岐涼の町の宿に向かうことにしたのだった。
次回、第187話は、明日か明後日くらいに更新できたらいいなと思っています。