第185話「天下の大悪人、岐涼の町の調査に向かう(1)」
──天芳視点──
「それじゃ、私たちも出発しよう」
「はい。秋先生」「わかりました!」
夕璃さんの一行に遅れること、約半刻。
俺と小凰と秋先生は、岐涼の町に向けて出発した。
俺たちと夕璃さんたちは分担して調査を行うことになっている。
夕璃さんの一行の目的は、孟侯の近くに入り込むこと。
公的な立場で──わかりやすく言えば、権力を使って情報収集を行うことだ。
対する俺たちの役目は、町で情報を集めることにある。
具体的には噂話を聞いたり、岐涼の町に不審な人物がいないか調べたりする。町の治安や経済状況なんかも、重要な情報だ。
『夕璃さまと虹たちは天 (高貴な人物)を見て、天芳さまたちは地 (庶民)を見るんですね』と言ったのは千虹だけど、言い得て妙だと思う。
さすが読書家だ。うまいたとえをするもんだ。
千虹の言う通り、俺たちは地を歩き、人々に交ざる。
その上で情報を集める。
商人に変装しているのは、そのためだ。
もちろん、売り物も用意してある。
売り物は服や靴、薬草など。
軽くて運びやすく、いざというときに処分しやすいものが選ばれている。
商品を選んだのは燎原君と秋先生だ。
遍歴医の秋先生は、外見を見ただけで客の体型や足のサイズがわかる。
客に合う服や靴を見立てることができる。
薬草なんかも秋先生の得意分野だ。
商品を用意してくれたあと、燎原君は言った。
『これらの商品は、邪魔になったら焼却処分すればいい』と。
大切なのは人間であって、商品でも金銭でもない。
非常の際は不要なものをうち捨てて、命を守れ。
それが、燎原君の言葉だった。
その言葉は胸に刻んである。
俺も小凰も秋先生も約束した。
いざというときは不要なものを捨てて、夕璃さんたちを守ると。
俺たちはその誓いを胸に、別働隊として行動を開始したのだった。
「まずは孟侯について確認しておこう」
荷馬車の横を歩きながら、秋先生は言った。
俺たちは街道を北西に向かって進んでいる。
数日で、岐涼の町に着く。
それまでに孟侯と、彼をとりまく状況について確認しておく必要があるのだった。
「孟侯は岐涼の町と、その周辺を治めている。現在の当主は孟篤さまだ。年齢は40代。8年前の動乱の後で、岐涼の町へと領地を移されている。子だくさんで、武術を好むという話だ」
「孟侯は武術がお好きなのですか?」
「ああ。燎原君のように武術家を客人とし、支援しているそうだ」
「もしかして、秋先生にも声が?」
「いや、それはなかったな。姉弟子が燎原君の客人になる前に、声をかけられたと聞いているが」
「そうなのですか?」
「孟侯は『一流』にこだわっているらしい」
秋先生は淡々とした口調で、
「それも『一芸を究めた一流を』だそうだ。武術と医術の両方に手を出した私は、二流の人間と思われているのかもしれないね」
「それは見る目がなさすぎです!」
声を荒げたのは小凰だった。
「秋先生は武術も医術も究めていらっしゃいます。そんな秋先生が二流のわけがないじゃないですか!」
「ありがとう。化央くん」
秋先生は苦笑いして、
「だが、今の私は医師だ。武術を好む孟侯の興味の対象ではないと思うよ」
「孟侯はどうして武術家を支援しているのでしょう?」
俺は言った。
「燎原君が客人を集めるのは国のためですよね? 現に雷光師匠や秋先生は、国のために仕事をされています。ですが、孟侯にはそういう理由はないですよね?」
「ただの趣味かもしれないね」
「趣味ですか……」
「それに、数が違うよ。孟侯が集めている武術家は、本当に少数らしいからね」
燎原君は百人を超える客人を集めている。
それに対して、孟侯が養っている客人は十人前後。
本当に、個人の趣味といえるレベルだそうだ。
「『孟侯が武術家を養っているのは、町を守るためだろう』というのが、燎原君の推測だ。岐涼の町は交通の要衝で、西方から商隊が来ることもあるらしいからね」
「西方からの商隊ですか?」
「ああ。はるか西の果てから。金や銀の髪色の者たちがやってくるそうだ」
金や銀の髪……つまり、西洋から来る商隊のことだ。
この世界でも旅人は、山や砂漠を越えてこの国に来ているらしい。
「国境の町は王家の直轄地だ。岐涼の町はただ、国境に近いというだけでしかない。ただ、あの土地は水が豊富だからね。それで人を引きつけるのだろう」
「水が豊富な町なんですね」
「ああ。町中に水路があり、常にきれいな水が流れているそうだ」
商隊は砂漠や山を越えてくる。
旅の間は、渇きや水不足に悩まされる。
そんな彼らにとって、水が豊富な岐涼の町は、憩いの場所のようなものらしい。
「孟侯の父は、先の王陛下から信頼されていた。王陛下は動乱の責任を取らせるために領地を移したのだが……それでも、良い土地を与えたかったのだろうね」
「……そういうものですか」
ゲーム『剣主大乱史伝』に岐涼の町は登場しない。
というか、マップがそこまで作られていない。
道が手前で終わっていて、北西の端っこまで行くことができないからだ。
孟篤という人物もゲームには登場しない。
そもそも、ゲームに西洋人は登場しない。
キャラクターのデザインも、基本的には黒髪ばかりだ。もちろん、多少の髪色の違いはある。髪の色が薄かったり、茶色っぽかったりするキャラもいる。
でも、金髪や銀髪の人間は……ひとりを除いて存在しない。
唯一の例外が、傾国の美女の柳星怜だ。
彼女だけが銀色の髪と赤みがかった目をもっている。
そして、星怜のような容姿の人物は他にはいない。
なのに、この世界には金髪、銀髪の人間が他にもいる。
ゲームには登場しなかった町と、孟侯のような重要人物が存在する。
彼らはゲームの設定の外にいる人物だ。
あるいは……『剣主大乱史伝』には続きがあって、彼らはそこに登場するのかもしれない。
まぁ、それを確かめる手段はないんだけど。
とにかく……ここから先はゲームの知識が通用しない可能性がある。
気を引き締めないと。
そんなことを考えながら、俺は岐涼の町に向かって歩き続けるのだった。
「ここが今日の宿泊地だ。私は荷物番をしているから、天芳くんと化央くんは町を見てくるといい」
「「はい。秋先生!」」
夕方に到着した町で、俺たちは宿を取った。
ここが本日の宿泊地だ。
宿は大通りから少し外れたところにある。庶民的な宿だ。
道を少し歩くと大通りに出る。
俺と小凰が散歩のついでに向かうと……そこには、人だかりが出来ていた。
夕璃さん──王弟殿下の娘を一目見ようと集まった人たちだ。
俺たちと夕璃さんの旅のルートは一致している。
宿も、同じ町で取ることになっている。
俺たちは庶民的な宿で、夕璃さんたちは大通りに面した大きな宿を借りきる、という違いはあるのだけど。
同じ町に泊まることにしているのは、夕璃さんの護衛のためだ。
なにかあったときは、俺たちのところに連絡が来る。
俺と小凰と秋先生は遊軍として、外部から夕璃さんたちを守る。
そういう手はずになっているんだ。
「……ごらん、天芳。夕璃さまが馬車から降りてくるよ」
「……はい。見えてます」
夕璃さんの馬車の扉が開くのが見えた。
でも、彼女の姿は……ほとんど見えない。護衛の兵士たちに囲まれているからだ。
かすかに髪と、服のかたちがわかるだけ。
それを見た俺と小凰は安堵の息を吐く。
警備が徹底されているみたいで、よかった。
「銀色の髪が見えました。星怜は夕璃さまの側についているみたいです」
「千虹くんもいるはずだけど……見えなかったね」
「彼女は背が低いですからね。でも、近くにはいると思います」
「雷光師匠と冬里さんが護衛についているんだ。大丈夫だろう」
夕璃さんの行列を眺めていた小凰は、ふと、うなずいて──
「すごいな。夕璃さまは」
ぽつりと、そんなことをつぶやいた。
「夕璃さまは王弟殿下の娘さんだ。なのに、みずから岐涼の町に調査に行くなんて……よほどの覚悟がなければできないことだよね。藍河国の王家にそのような人物がいたことに、僕は敬意を表するよ」
「小凰だって、こうして調査に来てるじゃないですか」
「それは僕が武術を使えるからだよ」
小凰は拳を握りしめた。
「僕には自分の身を守れるという自信がある。本当に危険だと思ったら、『五神歩法』で逃げだすこともできる。でも……夕璃さまには武術の心得はないんだよね?」
「はい。そう聞いています」
「だからあの方は護衛の者に頼るしかない。でも、常に護衛が側にいるわけじゃない。眠っているときや湯浴みのときなど、ひとりになる機会はいくらでもある。そんなときあの方は……危険に身をさらすことになるんだ。それがわかっていて、夕璃さまはこうして調査に出向いてくれたんだ。それは本当にすごいことだよね」
「……ですね」
「そんな夕璃さまを、僕は心から尊敬しているんだよ」
「気持ちはわかります」
俺はうなずいた。
「というよりも、小凰が一番、夕璃さまの気持ちをわかっているのだと思います。小凰は奏真国の姫君なんですから」
「そうだね。僕は夕璃さまと同じような立場だ。そして……隣国の姫として、友好国の王族に尊敬できる人物がいることは、とても幸運なことだと思うんだよ」
「藍河国にとっても、小凰がいることは幸運なのかもしれませんね」
気づくと、俺はそんな言葉を口にしていた。
「小凰は藍河国のことも、王弟殿下や夕璃さんのこともわかってくれています。だから、小凰がいる限り、藍河国と奏真国は友好国でいられるはずです。両国にとって小凰の存在は、すごく大きなものだと思いますよ?」
「そうかな」
「そうですよ。ぼくはそう思います」
「うん……天芳がそう言ってくれるのは、うれしいな」
「絶対にそうです。小凰は奏真国の重要人物なんですから」
小凰は藍河国の事情も『金翅幇』のことも知っている。
俺たちと協力して、トラブルを解決しようとしてくれている。
そんな小凰が奏真国を治める立場になったら、藍河国と奏真国は絶対的な友好国でいられるだろう。
もちろん、小凰が奏真国の女王になることはないと思う。
奏真国には王太子がいるわけだし、小凰には兄弟姉妹が多いし。
だけど、藍河国の王族との繋がりを持つ小凰は、奏真国にとっての重要人物だ。
そんな彼女の言葉を、奏真国は無視できない。
小凰は奏真国で大切にされるはずだ。
そんな小凰のもとでなら、両国は平和であり続けることができると思う。
「……うん。僕は将来、両国の平和の架け橋になりたいと思っているよ」
小凰は照れた顔で、そんなことを言った。
「僕が藍河国の人々と結んだ絆は、両国との平和のために活かすつもりだ。おたがいの国の人々が幸せでいられるようにね」
「立派です。小凰」
「天芳も協力してくれたらうれしいな」
「もちろんです」
俺はうなずいた。
藍河国と奏真国が平和であれば、内乱も戦争も起こらない。
『破滅エンド』も回避できる。
俺が協力するのは当然だ。
「小凰のしたいことがあったら言ってください。ぼくはなんでも協力しますから」
「そ、そっか」
「はい。ぼくは小凰の朋友ですからね」
「……ありがとう。天芳」
あれ?
小凰はなぜか、別方向を向いているんだけど。
なんだか荒い息をついているのは……どうしてだろう。
俺がそんなことを考えていると──
『にゃーん』
俺たちの足下で、白猫が鳴いた。
小さな猫だった。
首輪に小さな鈴がついている。これって──
「天芳。この子は……」
「星怜の猫ですね。連絡役かな?」
『にゃーん!』
白猫はうなずいた。
それから「見たぞ。一部始終を見ていたぞ」って顔で、俺と小凰を見上げる。
「見ていたなら、すぐに声をかけてくれればよかったのに」
『にゃん。にゃにゃん』
「え? 『自分にはふたつの使命がある? ひとつは伝令』……? じゃあ、もうひとつは?」
『にゃにゃにゃ』
「……内緒? そうなの?」
『にゃご、にゃにゃん』
「もしかして、夕璃さまに関わる極秘指令とか?」
白猫は『まあそんな感じ』と言う顔でうなずく。
それから首輪をかりかりと掻いてから、じっと俺を見つめる。
それで、なにが言いたいのかわかった。
「星怜からの定期連絡か」
俺が首輪に手を伸ばすと……その下に、書状が隠されていた。
「ありがとう。これを運んできてくれたのか」
『にゃにゃん!』
「ご苦労さま。俺たちは裏通りの宿に泊まってる。三角形の看板が出ている建物の二階だ。なにかあったら連絡して」
『にゃーご!』
一声鳴いて、白猫は大通りに向かって走り去ったのだった。
それから俺と小凰は、自分たちの宿に向かった。
一旦、大通りに出て、それからゆっくりと歩き出す。
人の多い場所を選んだのは、噂話を集めるためだ。
大通りにはたくさんの人たちがいる。夕璃さんを一目見ようと集まった人たちだ。
その人波に紛れれば、様々な話が聞ける。そう思った。
「それじゃ天芳。『獣身導引』の──」
「了解です、小凰。『狭地進蛇』 (蛇は狭い場所が好き)!」
俺と小凰は全身をゆるめる。
蛇のようにやわらかくなって、人混みの隙間に入り込む。
そして、無心になる。
ただ、まわりの人たちの言葉に耳を傾ける。
大通りはいろいろな言葉であふれている。
──王弟殿下の娘さんはきれい。
──びっくりするくらい豪華な行列だった。
──あこがれる。うらやましい。
──向かう先は西だろうか、北だろうか。
──王族の娘さんともなると、格が違うな。
無関係な言葉は受け流す。
岐涼の町や孟侯に関わる言葉にだけ意識を凝らす。
──年頃のお嬢さま。
──目的は……婿捜しかもしれない。
──婿捜しと言えば、こんな噂を聞いた。
──岐涼の町。
──孟侯の娘さん。
……聞こえた。
誰かが岐涼の町と孟侯について話をしている。
俺は移動のコースを変える。
蛇が輪を描いて進むように、噂をしている人の周囲をまわりはじめる。
──孟侯にはふたりの娘さんが。
──ふたりとも、同い年。
──ふたりに似合う結婚相手を、孟侯は探している。
──条件は、強い人。
──孟侯は武術が好きだから──
──武術といえば、護衛を雇う金が最近高くて──
途中まで聞いたところで、会話は別の話題に移っていく。
そのまま人混みをうろつき続けたけれど、収穫はなかった。
やがて、人々は散っていく。
混雑は消えて、夕刻の大通りは、人もまばらになる。
……情報収集はここまでだ。
「どうだった? 天芳?」
「……孟侯に関わる話が、少しだけ聞けました」
「本当かい!? すごいね。僕は全然だったよ」
「たいした話じゃありません。念のため、秋先生にも聞いてもらいましょう。詳しい話は宿でします」
孟侯の娘さんの婿捜し、か。
これが『金翅幇』に関係しているとは思えないけど……とりあえず、宿に戻って情報を共有しよう。
3人で話し合えば、なにか気づくことがあるかもしれない。
そんなことを思いながら、俺たちは足早に宿へと向かったのだった。
次回、第186話は、次の週末の更新を予定しています。
いつも「天下の大悪人」をお読みいただきまして、ありがとうございます。
おかげさまで体調も回復しました。
季節の変わり目で、温度差も激しいので、皆さまも体調にはお気を付けください。