第184話「夕璃、旅に出る(2)」
──星怜視点──
「……緊張します」
星怜は馬車の窓から北臨の町を眺めていた。
すでに行列は出発している。
今は、町の西門に向かって進んでいるところだ。
町の大通りには多くの人が集まっている。
燎原君が用意した行列を、一目見ようと集まってきたのだろう。
無理もないと思う。
もしも見送る立場だったら、星怜も人混みの中にいたと思う。
行列の中心には3台の馬車がある。
屋根のついた箱型の馬車だ。
外から見ても、誰が乗っているかはわからない。
なので、人々は星怜たちが乗る馬車にも手を振り、声をあげている。
それが妙に恥ずかしくて、星怜は窓から視線を外す。
馬車が3台用意されたのは、夕璃の居場所を隠すためだ。
今は先頭の馬車に侍女たちが、中央の馬車に星怜たちが乗っている。
夕璃は、一番後ろの馬車だ。
馬車を守る護衛の数は、どれも同じ。
ただ、一番後ろの馬車の護衛には、武術家の雷光がついている。
他の護衛と見分けがつかないように、兜を被り、甲を着て。
彼女なら夕璃を守ってくれる。
馬車が悪者に襲われたら、夕璃を抱えて逃げることもできる。
まだ完全に傷は癒えていないと聞いているが、それでも、雷光に勝てる者などいない。
夕璃の馬車には冬里が同乗している。
彼女もまた、いざというときは夕璃を助けてくれるはずだ。
「……なにごともなければ、いいのですけど」
「にゃあ」
そんなことをつぶやきながら、星怜は白い猫を抱え上げた。
「偵察、ご苦労さまです。怪しい人はいませんでしたか?」
「にゃにゃにゃ」
白猫は『大丈夫』と答えるように、うなずいた。
この馬車には、床も扉がついている。
襲撃を受けたときに脱出するためのものだ。
特殊な仕掛けがされているから、内側からしか開けない。
星怜は許可を得て、その扉を動物たちの通り道にしていたのだった。
「念のため、あなたが見てきたものを見せてください」
星怜は猫の頭に、自分の額をくっつける。
目を閉じると──猫が見てきた光景が、まぶたの裏に浮かび上がる。
これは最奥秘伝の『天地一身導引』で身につけた能力だった。
星怜は動物を呼び寄せたり、話をしたりすることができる。
その能力は最奥秘伝の『天地一身導引』によって、さらに強化された。
星怜たちは動物たちと視界や記憶を共有できるようになったのだ。
だから今、星怜のまぶたの裏には、猫が見てきた光景が映っている。
馬車に近づこうとしている者はいない。
剣や刀を抜いていたり、武器を構えている者も見当たらない。
さらに記憶を読み進めると──不意に、白猫を抱き上げる者がいた。
猫は抵抗しない。
むしろ、安心したように喉を鳴らしている。
この手の感触は──
『この子は……星怜の猫かな?』
(……やっぱり、兄さんです)
猫を抱き上げたのは、天芳だった。
彼は外套を羽織り、背中には荷物をかついでいる。
旅立つ前の姿だった。
その後ろには玄秋翼もいる。
天芳の隣にいるのは奏凰花だ。
天芳にぴったりと肩をくっつけているのが気になるけど、今の星怜にはなにもできない。
なんとなく頬をふくらませながら、星怜は白猫の記憶に意識を向ける。
『星怜に伝言をお願い』
天芳は……星怜が赤面するくらい近い距離で、白猫に話しかけた。
『ぼくたちも出発する。旅商人に化けたこの姿をよく覚えていて……と』
『一緒に役目を果たそうね。天芳の妹さん』
『姉弟子によろしく伝えてくれ。冬里が一緒だから大丈夫だと思うが、無理をしないように、と』
(……はい。兄さん)
星怜は子猫に額を押しつけたまま、つぶやいた。
天芳が子猫に気づいてくれたことがうれしかった。
離れていても、星怜に言葉を伝えようとしてくれることも。
(兄さんが見ていてくれるなら……わたしはいくらでもがんばれます)
役目を果たそう。
夕璃のために。なによりも、天芳のために。
そんなことを思いながら、星怜は白猫を膝に乗せた。
「あとでまた偵察をお願いしますね」
「にゃーん」
「……星怜さまはすごいのです」
気づくと、千虹が目を丸くしていた。
彼女は感動に頬を染めて、星怜を見ている。
千虹はずっと、星怜と同じ馬車に乗っていた。
彼女は燎原君より、夕璃の友人としてふるまうように命じられている。
だから、星怜と同じあつかいを受けているのだった。
「星怜さまは動物たちと意思を通わせて、偵察をお願いしているのです。これは伝説の仙女がするようなことなのです。本当にすごいのです……」
「わ、わたしは……兄さんのお役に立ちたいだけですから」
まっすぐな賛辞に、思わず口ごもる。
そんな星怜を見つめながら、千虹は、
「仙女が深山で修行をして、鳥や獣を友とする物語はよくあるです。でも、星怜さまは町にいながらにして、同じことをしているです。それはとてもすごいことで、感動的なことなのです。ぜひ、記録に残させて欲しいのです!」
「千虹さんこそ、王弟殿下に評価されているじゃないですか」
「たいしたことはないのです」
「『小さな頭に書千巻を宿している』って聞いています」
「知識を持っているだけではなんの役にも立たないのです。知識も能力も、使ってこそ意味があるものです。ですから星怜さまはすごいのです!」
「…………うぅ」
星怜の頬が熱くなる。
千虹は不思議な少女だった。
年齢は年上。でも見た目は10歳前後。
なのに知識は大人顔負けで、性格は子どもっぽい。
すごい能力があるのにそれを誇ることもなく、素直に星怜に賛辞を向けてくる。
そして……たぶん、天芳に好意を持っている。
そんな千虹を前にして、星怜はとまどうばかりだった。
「わ、わたしのすべては……兄さんのものですから……」
星怜はふと、そんな言葉を口にした。
それから、言葉の意味に気づいて、慌てて口を押さえる。
「ま、間違えました。わたしの能力は兄さんのお役に立つためにあるんです!」
「は、はい。わかるです」
「そして、今のわたしの仕事は、兄さんと夕璃さまをお助けすることです。そのために全力を尽くしているだけなんです。今は……それが精一杯で……」
「ご立派なのです」
「千虹さんも手伝ってください」
まっすぐに千虹を見つめながら、星怜は言った。
「兄さんのために。そして……夕璃さまのために」
「承知しているのです」
千虹は星怜に礼を返す。
「虹はお役目を受けて、ここにいるのです。虹に学ぶ機会をくださった王弟殿下や夕璃さまのために、能力をすべてを使う覚悟ができています。虹の知識や知恵が少しでも役に立つのなら、こんなにうれしいことはないのです。それに……」
「それに?」
「がんばったら、天芳さまがほめてくれると思うのです」
「……千虹さまったら」
思わず、笑みがこぼれる。
千虹が口にした想いが、星怜の想いとそっくりだったからだ。
がんばる。
役目を果たす。
天芳に会って、ほめてもらう。
それは星怜にとって、一番のごほうびなのだった。
「一緒にがんばりましょう。千虹さま」
そう言って星怜は、千虹の手を取った。
「夕璃さまのお役に立つために。そして、兄さんにほめてもらうために」
「はい。星怜さま」
千虹はうなずいた。
それから彼女は、なにかに気づいたように首をかしげる。
「そういえば出発前に、天芳さまの母君とお会いしたです」
「玉詩母さまにですか?」
「はい。星怜さまとお話をされたあと、虹にも声をかけてくださったです。星怜さまのことを、すごく心配されていたです」
「……玉詩母さまらしいです」
「遠くへ行くのなら安全のために、黄家の姓を名乗った方がいいのに、とおっしゃっていたです。それにあわせて、前に黄英深さまが星怜さまに黄家の姓を与えようとしたことと、星怜さまがそれを断られたことを教えてくださいました」
「英深父さまには……申し訳ないことをしてしまいました」
「いえいえ、星怜さまのお気持ちはわかるのです」
千虹は、うんうん、とうなずく。
「姓を変えたくないということには、古今東西、様々な理由があるのです。家を絶やさないため。その姓のまま祭祀を続けるため。占いによって、今の姓の方が良いとされている場合。好きな相手が同じ姓で、姓を変えたら結婚できなくなってしまう場合など……理由は様々なのです」
「そ、そうですね。色々な理由があります」
「同じ姓の人と結婚したい場合は裏技があるのですが、その他の理由のときは姓を変えるわけにはいかないですからね。仕方がないのです」
「…………はい。わかってくださってうれしいです……あれ?」
星怜が首をかしげる。
「今……裏技とおっしゃいましたか?」
「あ、はい。そうなのです。王弟殿下の書庫で見つけた書物に、そのような記録が残っていたです。ただ、本当に難しい手段で、すべてを捨てる覚悟が必要なのですが……」
「聞かせていただいても?」
「いいのです」
そうして、千虹は書庫で読んだ記録について話し始めた。
ふたりが話している間も、馬車は進み続ける。
やがて、行列は北臨の西門の外へ。
そうして、夕璃の一行は岐涼の町をめざして進み始めたのだった。
次回、第185話は、次の週末くらいの更新を予定しています。
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