第180話「天芳と凰花と千虹、最奥秘伝の打ち合わせをする」
「はい! 秘伝の導引をするですね。わくわくするのです!!」
目をきらきらさせながら、馮千虹はうなずいた。
ここは、燎原君の屋敷の客間のひとつだ。
書庫から呼びだされた……というか、引っ張り出された馮千虹は、照れた様子で俺たちを見てる。
部屋にいるのは俺と馮千虹と小凰。
秋先生は宿舎で、冬里さんと会っている。
最奥秘伝の『天地一身導引』について話をするためだ。
目の前にいる馮千虹は元気そうだ。
眠気をこらえるように目をこすってるけど、顔色はいい。肌もつやつやしてる。
ちゃんと日常生活は送れていたみたいだ。
「虹さんは、ちゃんとご飯は食べていたんですよね?」
「はい。夕璃さまが手配してくれたのです」
「ちゃんと寝てますか?」
「夕璃さまが、書庫に寝台を用意してくださったのです!」
「睡眠時間は……」
「大丈夫なのです。夕璃さまが日に三度、様子を見に来てくださいましたから」
……夕璃さま、馮千虹を甘やかしすぎじゃないかな?
「夕璃さまは、虹から東郭の町のお話を聞きたかったそうなのです」
熱いお茶にふーふーと息を吹きかけながら、馮千虹は言った。
「虹のことや両親のこと。碧叔父さまのことや脩叔父さまのこと。『裏五神』のことや、彼らとの戦いのことなど、たくさんお話をしたのです」
「それは夕璃さまは、何度も虹さんのところに来たんですね……」
東郭の事件は兆家の没落に関係している。
宰相の燎原君や、その娘の夕璃さんにとっては見過ごせない出来事だ。
だから夕璃さんは馮千虹から詳しい話を聞きたかったんだろう。
そのついでに、生活環境を用意してくれたってことかな。
「夕璃さまには、虹がごちゃまぜで導引を学んだこともお話したのです。そしたら、導引について書かれている書物を紹介してくれたのです。隣の部屋に、導引の練習ができる場所を用意してくださいました。おかげで虹は『読書』『導引』『食事』『読書』『食事』『睡眠』という最高の環境を得ることができたのです。ずっとここに住みたいのです!」
「虹さん」
「は、はい。黄天芳さま」
「お仕事のことを忘れたら駄目ですからね?」
馮千虹はかなりはしゃいでるからな。
彼女を燎原君に紹介した身として、きちんと釘を刺しておこう。
「夕璃さまがいい環境を用意してくれたのは、虹さんに王弟殿下の役に立ってもらうためですからね。ご自分が王弟殿下の客人だということを忘れちゃ駄目ですよ?」
「もちろんわかっているのです!」
馮千虹は、ぽん、と、胸を叩いた。
「馮家の者は受けたご恩を忘れないのです! 虹は王弟殿下と夕璃さまに、きちんと恩をお返しするつもりでいるのです。その力を得るためにも、最奥秘伝の導引法に参加したいのです。ではさっそく……」
「今ここでするわけじゃないですからね?」
俺は、帯をほどき始めた馮千虹を止めた。
馮千虹は「えー」って感じて頬をふくらませてる。
まったく。本当に知識欲の塊なんだな。馮千虹は。
「というわけです、師兄。馮千虹さまはこういう人なんです」
俺は振り返り、小凰の方を見た。
「研究熱心で、書物が大好きです。その知識を『裏五神』の討伐にも活かしてくれました。虹さんの助言があったから、ぼくたちは敵の首領のところにたどりつけたんです」
「……そうなんだ」
「だから、ぼくは虹さんを王弟殿下に推薦したんです」
「書庫をお借りして、彼女の知識を増やすためだね?」
「いずれは千虹さんには、軍師のような存在になって欲しいと思ってます」
「なるほど……天芳は馮千虹さんの才能を見抜いた。だから北臨につれてきたんだね……」
小凰は胸を押さえて、ため息をついた。
「それならわかるよ。天芳は人の才能を見抜くのが得意だもんね。冬里さんの才能を見抜いて、導引の指導者にしたのも天芳だったし。そっか、馮千虹さんは冬里さんと同じように……ん? んんんっ? そのうち冬里さんと同じように……?」
「小凰?」
「い、いや。なんでもないよ?」
小凰は慌てた様子で頭を振った。
それから彼女は馮千虹の方を見て、
「自己紹介が遅れたね。僕は天芳の兄弟子だ。この国では翠化央と名乗っている。男装をしているが、本当は君と同じ女の子だ。本名は奏凰花というんだ。よろしくね。千虹さん」
「は、はい。よろしくお願いします!」
馮千虹は小凰に向かって拱手した。
「きれいな男の方がいらっしゃると思ったですが……男装されているのですね。初対面で正体を明かしていただくなんて、恐縮なのです」
「……最奥秘伝の『天地一身導引』は服を着ないで行うものだからね。性別を隠しても、導引をするときになったらわかっちゃうから……」
「……そうなのでした」
「でも、僕の正体は秘密にしてくれるとうれしいな」
「わかっているのです。焼きごてを当てられても黙っているのです!」
「そこまで覚悟しなくていいよ!?」
「す、すみません。さっき読んだ書物に、そんなことが書かれていたので……」
「そ、そっか」
「はい……」
「君は本当に書物が好きなんだね」
「はい! 虹にとっては、書物を読んで知識を集めるのが、この世で三番目に大切なことなのです!」
「そうなんだ。じゃあ、一番大切なのは知識を活かすこと?」
「それは四番目なのです」
「二番目は?」
「家族なのです!」
「ああ。家族は大切だもんね。じゃあ、一番大切なのは?」
「それは最近見つけたことなのです。だから、秘密なのです」
馮千虹は真っ赤な顔で、唇に指を当ててみせた。
……馮千虹が一番大切にしているものか。
それは……なんとなくわかるな。
ゲーム『剣主大乱史伝』の中で馮千虹は、何度も言葉にしていたからな。
『虹にとって一番大切なことは、天下の人たちが安心して生きられる世の中にすることなのです。天下が平穏になるまでは、愛や恋にうつつを抜かすつもりはないのです!』
──って。
きっと、馮千虹が一番大切にしているのは、世の中を平穏にすることなんだろうな。
今は『金翅幇』が世の中を乱しているわけだし。
あいつらをなんとかするのが、今の馮千虹の優先事項なんだろうな。
「お待たせしたね」
そんなことを考えていたら、秋先生が部屋に入ってきた。
「冬里と一緒に最奥秘伝の準備をしていたんだ。場所は私の宿舎で……日程は明後日くらいで大丈夫かな?」
「はい。秋先生」
「承知しました!」
「虹も問題ないのです!!」
俺と小凰と馮千虹は、秋先生に向かって拱手した。
「秋先生にお願いがあります。馮千虹さんの『気』の状態を調べてもらえますか?」
俺は言った。
「彼女は北臨に来たばかりですから、旅の疲れが残っていないか心配です。本人は規則正しい生活を送っていると言っていましたけど……」
「天芳くんの判断は正しいよ。私もそうしようと思っていたところだ」
馮千虹は『獣身導引』の『蛇のかたち』しか修得していない。彼女の知識が断片的なものだから、しょうがないんだけど。
そんな彼女が最奥秘伝をしても大丈夫か、きちんと調べておく必要があるんだ。
「馮千虹くんも、それでいいかな」
「問題ないのです。虹の身体の隅々まで調べてくださいなのです」
「それでは、ぼくは狼炎殿下ところに行きます」
俺は太子狼炎の命令で北の砦に行っていたからな。
仕事が終わったことを報告する必要があるんだ。
トウゲン=シメイの密書のせいで後回しになっちゃったけど。
「承知したよ。だが、天芳くん。わかっていると思うが……」
「はい。秋先生」
俺は秋先生と視線を合わせて、うなずく。
『岐涼の町』と『孟侯』のことは、太子狼炎には話すべきじゃない。
今はまだ、孟侯と『金翅幇』が繋がっているという確信がない。
この状態で太子狼炎に話をしてしまったら……大騒ぎになる。
下手をすると、燎原君の客人が孟侯を誣告したという話になりかねない。
まずは内密に調査をして、それから太子狼炎に報告した方がいいんだ。
「そうか。天芳くんにはわかっているんだね」
秋先生は俺の意図を読み取ったように、うなずいた。
「わかった。君の仕事をしてきたまえ」
「ありがとうございます。師兄は、一緒に報告に行きますか?」
「報告は天芳に任せるよ。今回の使者は天芳で、僕はその護衛だからね」
「わかりました」
「それに僕は……もう少し馮千虹くんと話をしたいんだ」
小凰はいい笑顔で、馮千虹を見た。
「一緒に最奥秘伝をするのだからね。息を合わせるためにも、彼女がどんな人なのか、なにを一番大切に思っているのか、知っておきたいんだ」
「そうなんですか?」
「うん。僕にとっては大切なことだからね」
小凰の気持ちはわかる。彼女は馮千虹とは初対面だからな。
秘伝の導引をする前に、おたがいのことを知っておいた方がいいよね。
「はい。虹も、もっと化央さまとお話をしたいのです」
馮千虹は目を輝かせながら、うなずいた。
「虹は、もっと化央さまと仲良くなりたいですから」
「わかりました。あとはよろしくお願いします」
俺は一礼して、部屋の出口に向かった。
「それじゃ馮千虹くん。話をしようか」
「はい! 虹も、化央さまにうかがいたいことがあるのです!」
「僕に聞きたいこと?」
「書庫で見つけた本に、男装が経絡に与える影響について書かれていたのです。女性が男性の服をまとって、男性のふりをすることで、『気』に様々な変化が起きるそうなのです。その本を読んだときから、虹はすごく、すごーく興味があったのです!」
「おや。そんな研究があるのかい?」
「玄秋翼さまも興味がおありですか?」
「私は医師だからね。だが……そんな研究があるとは知らなかったよ」
「虹はぜひ、化央さまの『気』の状態を確認させていただきたいのです!」
「私も同感だ」
「よろしくお願いするのです!」
「頼むよ。化央くん」
「……師兄」
俺は立ち止まり、小凰の方を見た。
「やっぱり、ぼくと一緒に狼炎殿下のところに行きますか?」
声をかけたのは、秋先生と馮千虹がすごくいい笑顔で小凰の方を見ていたからだ。
秋先生は医術の、馮千虹は知識の探求者だ。
俺も小凰も秋先生にさんざん身体をチェックされてるからな。
そこに馮千虹が加わったら……なんだか、大変なことになりそうな気がするんだけど……。
「だ、大丈夫だ。天芳は仕事に行ってくれ」
でも、小凰は引きつった顔で、うなずいた。
「僕は馮千虹くんに確認したいことがある。それに、朋友として、君の仕事の邪魔はできない。この場は僕に任せて、君はやるべきことをやるんだ」
「わかりました。すぐに帰ってきますね」
「う、うん。お願いするね」
俺と小凰は真面目な表情のまま、視線を交わす。
それから俺は宿舎を出て、王宮へと向かったのだった。
次回、第181話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。