第179話「燎原君、夕璃と話をする」
──数時間後──
雷光は燎原君の屋敷の応接間に来ていた。
面会を申し出てから、すでに数時間が経っている。
燎原君が王宮での廟議の場に出ているからだ。
兆家が失脚してから、国内では密かな権力争いが始まっている。
燎原君はそれを抑えるのに忙しいのだろう。
天芳と化央と玄秋翼は別の場所にいる。
今ごろは馮千虹に会っているころだ。
そこで最奥秘伝の『天地一身導引』について話をしているのだろう。
岐涼の調査前に最奥秘伝をするのは、天芳たちの能力を高めるためだ。
『金翅幇』は得体が知れない。
仮に彼らが岐涼の町にいるなら、あの地での調査には危険がともなう。
なにがあってもいいように、準備をしておく必要があるのだ。
本来なら、調査は雷光と玄秋翼だけで行うべきだと思う。
だが、雷光はまだ本調子ではない。
それに……天芳は間違いなく、岐涼の調査に参加するだろう。
天芳は『金翅幇』は国の敵というだけではなく、自分自身にとっての敵だと考えている。
雷光にも、その気持ちはわかる。
『金翅幇』が壬境族をそそのかしたせいで、天芳の兄の黄海亮は殺されかけた。黄英深が守る砦も攻撃を受けた。
そして、天芳自身も、ゼング=タイガに命を狙われた。
天芳があの組織に敵意を持つのは当然のことだ。
(天芳を止めることは……私にも翼妹にもできないだろうね。だったら……彼の身を守るために、できるだけのことをしておかないと)
それが、雷光と玄秋翼の考えだった。
(まあ、私も最奥秘伝の『天地一身導引』には興味があるのだけどね。あれで天芳たちの『気』がどう変わるか見てみたいんだ)
天芳と化央には才能がある。
もしかしたら彼らは……雷光を超えていくかもしれない。
(弟子が師匠を超える……まさに師匠冥利に尽きるというものだ。仰雲師匠もほめてくれるだろう。『雷光はよくやったよ』と)
優しい笑みを浮かべながら、雷光は時が過ぎるのを待っていた。
やがて、燎原君が王宮から戻ったとの連絡が入る。
さらに十数分後、面会の用意が整い、雷光は応接室へ。
そうして雷光は燎原君と夕璃に、魃怪が証言したことを伝えたのだった。
「──申し上げるべきことは、以上です」
報告を終えてから、雷光は燎原君と夕璃に向けて、拱手した。
「岐涼の町、そして孟侯。この2点が『金翅幇』の正体を探る鍵だと思います。どうか、あの町を調べる許可をいただけますように」
「『藍河国は滅ぶ』という教義を掲げる組織と、孟侯に関わりが……か」
燎原君は重々しい口調で、答えた。
「だが、魃怪という者は死にかけていたのだろう? 彼女が妄言を口にしたという可能性もあるのではないか?」
「壬境族の方からも、同じ情報が来ております」
雷光はあらかじめ用意しておいた言葉を口にした。
「壬境族も『金翅幇』の調査を行っていたそうです。私はかつて壬境族の者を保護したことがあります。その縁で情報を手に入れることができました」
「壬境族も『金翅幇』の調査を……」
「今の壬境族にとって『金翅幇』は敵だということなのでしょう」
「これは盗賊団『裏五神』の首領と、壬境族からの情報ということか」
「はい」
「どちらも、かつては我が国の敵であった者たちだな」
「わかっております」
「……孟侯は私の縁者だ」
燎原君はため息をついた。
「先代の孟侯──孟墨越さまは私の母の従兄であった。優秀な武将であり、大きな功績を立てていた。その褒美として領地を与えられ、侯を名乗ることが許されたのだ」
「はい。王弟殿下」
「その子である孟篤どのは……動乱が起こるまでは、よく領地を治められていた」
「存じ上げています」
「母の兄弟姉妹は皆、短命であった。8人の兄弟姉妹がいたが、誰も生き残らなかった。だからこそ母は従兄であった孟墨越さまを大切にされていた」
「孟墨越さまは謙虚なお方だったと聞いています」
「ああ……そうだ。そして、美しい方でもあった」
「『白鶴将軍』の名は、武術家の中でも語り草となっております」
「乱戦の中でもその甲は白いまま。幾たびの戦いにあっても、返り血を浴びることもない。白き鳥が沼地にいても羽を汚さぬのに似ているということで、『白鶴将軍』と呼ばれていたのだ。だが……孟篤どのは……」
言いかけた言葉を、燎原君は飲み込んだ。
遠縁とはいえ、親戚を批難するのは抵抗があるのだろう。
「孟篤どのの領地が燎原となった戦の後に、彼は国の端へと領地を移された。それ以降、問題は起きていない聞いている。今の孟侯が怪しい組織と関係しているなど……信じられぬ」
「私たちはそれを調べたいのです」
「雷光の気持ちはわかる。だが、難しいな。私は王家より、孟侯の旧領地を拝領している。孟侯の部下で、それを不満に思う者がいるとの情報も入ってきているのだ。その状況で私が動くのは……」
動乱により孟侯の領地は焼け野原となった。
燎原君はその土地を見事に復興した。
それはその土地の人々を生かすためだったが、孟侯の部下の中には『王弟に領地を奪われた』と受け取る者もいる。
それは孟侯が北西の痩せた土地に領地を移されたためでもあるのだろう。
部下が不満を持つのは仕方のないことだ。
それでも、孟侯が燎原君の親戚であることには変わりはない。
だから燎原君は孟侯に対して、穏やかに接してきた。
おたがいが血縁者であり、味方であることを示すために。
孟侯は、それに応えてくれていると思っていた。
王宮で何度も顔を合わせているが、彼が燎原君に対して不快な表情を見せることはなかった。
そんな孟侯に対して調査を行うことに、燎原君は抵抗があるのだろう。
「お父さま。差し出口をお許しいただけますか」
不意に、夕璃が口を開いた。
彼女は立ち上がり、床に膝をつく。
雷光は思わず目を見開く。
夕璃は常に燎原君の側にいる。相談事に同席することも多い。
そんな彼女が父に対して、ここまで深い礼をするのははじめてだった。
「無礼なのは承知しております。ですが、どうしても申し上げたいことがあります」
「……言ってみなさい」
燎原君は答えた。
夕璃は、父に対して深々と頭を下げたまま、
「申し上げたいのは、兆家のことです」
「兆家のことだと?」
「お父さまもご承知の通り、『奉騎将軍』兆石鳴さまは身内の行いに気づかず、疑うこともありませんでした。その結果、兆昌括さまは盗賊団と繋がり、多くの者を死なせることになりました。兆石鳴さまの身内への甘さが、そのような事態を招いたのです」
その言葉を聞いた燎原君の肩が、震えた。
夕璃は続ける。
「仮に、兆石鳴さまが身内に厳しい目を向けていらっしゃれば、兆昌括さまの行いに気づいたでしょう。盗賊団による被害も防ぐことができたはずです。兆石鳴さまと兆昌括さまが命を落とすことも……それにより狼炎殿下がお心を痛めることもなかったかもしれません」
「……夕璃」
「身内に甘かった兆石鳴さまは最悪の結果を招きました。そのことに対して、お父さまはどのようにお考えですか?」
夕璃はまっすぐに燎原君を見つめたまま、告げた。
雷光には彼女の言葉の意味がわかった。
夕璃はこう言っているのだ。
『孟侯の行いから目をそらせば、兆家と同じような結果を招くかもしれない』と。
それは、夕璃が燎原君に投げかけた諫言だった。
──身内だからといって甘い目を向けてはいけない。
──国に敵対する組織の情報を得たのだから、すぐに調査をするべき。
夕璃はそう言っているのだ。
それは彼女の分限を超えた言葉だった。
だから夕璃は平伏しているのだ。
諫言の罰は受けるという、覚悟と共に。
「……頭を上げなさい。夕璃」
やがて、燎原君が口を開いた。
「お前の言いたいことはわかった」
「娘として分を超えたことを申し上げました。処罰は覚悟しております」
「処罰などあり得ぬよ。むしろ、褒美を与えたいくらいだ。お前は、私に必要な言葉をくれたのだからね」
燎原君は手を伸ばし、夕璃を立ち上がらせる。
「身内の行いから目をそらすべきではない……か。お前は正しいことを言ってくれた。私もまだ未熟だな。燎原君などという大層な名で呼ばれながら、こんな簡単なことも忘れていたとは」
「……お父さま」
「私は国を守るために客人を集めている。その者たちが入手した情報を無視するのは愚かなことだ。それは自分の目と耳を塞ぐのにも等しい。それがよくわかった」
燎原君は夕璃を再び椅子に座らせた。
それから彼は、雷光を見て、
「我が客人である雷光に告げる」
「はっ!」
「『裏五神』の首魁である魃怪と壬境族から同じ情報が来たのだ。その信憑性は高い。我が国に牙を剥く組織──『金翅幇』の尻尾をつかむ機会を逃すわけにはいかぬ」
「はい! 王弟殿下」
雷光は反射的に拱手する。
燎原君はうなずいて、
「これより、私の責任で岐涼の町の調査を行う。だが、今はまだ疑わしいというだけだ。調査は密かに行うこととする」
「相手に警戒をさせないために……でしょうか」
「そうだ。調査は孟侯に気づかれないように行いたい。仮に孟侯が『金翅幇』と繋がりがあった場合、証拠隠滅の恐れがある。それは避けたい。それゆえに、調査は二班に分かれて行うこととする」
第一班は、商人や旅人に化けて岐涼の町に入り込む。
彼らは町の様子や、民の噂話などを調べる。
第二班は、堂々と孟侯を訪ねる。
それには燎原君の立場を活用する。
口実を作って屋敷に入り込み、孟侯周辺の調査を行う。
それが、燎原君の考えだった。
「第一班は、黄天芳と翠化央にお願いしたい。彼らはいまだ無位無冠だ。顔を知らない者も多い。少し変装すれば、疑われずに町に入り込めるだろう。私の部下を商人に仕立てて、ふたりをその見習いにするのもいいだろう」
「よい案だと思います」
「雷光には第二班に参加してもらう」
「承知いたしました。第二班はどのような口実で孟侯に?」
「先代の孟侯である孟墨越さまの命日が近い。それを口実に訪ねれば、向こうも断ることはできまい」
そこまで言ってから、燎原君は考え込むように、
「問題は、誰が第二班を率いるかだが……」
「炭芝どのはいかがでしょうか。あの方は『金翅幇』のこともご存じです。適任だと思いますが」
「炭芝は今、北臨を離れている」
「……さようでしたか」
「それ以外の者となると……難しいな。孟篤どのは誇り高いお方だ。身分の低い者を派遣したら不審に思われる。かといって、私が北臨を離れるわけにはいかない。兆家のことで、皆は動揺しているからね」
「はい。それに王弟殿下が直接、出向かれたら、注目を浴びてしまうでしょう」
「確かにな。身動きが取れなくなり、調査どころではなくなるだろう」
ひそかな権力争いが起こっている今、燎原君は北臨を離れられない。
かといって身分の低い者を送り込めば、孟侯の不審を招く。屋敷に近づけない可能性もある。それでは調査にならない。
その他に、調査にふさわしい人材は──
「わたくしが参ります!」
不意に、夕璃が立ち上がり、声をあげた。
「王弟の娘であれば、孟篤さまに近づくことができます。先代の孟侯さまの墓参に行くのも不自然ではありません。調査の第二班は、わたくしが率いるのが妥当ではないでしょうか」
「お前が?」
「はい。お父さま」
「それは……本気で言っているのか。夕璃よ」
「本気です」
夕璃は父に向かって、拱手した。
「わたくしは王弟の娘であり、狼炎殿下の従姉です。当家の縁者が国を乱すものと関わっているのなら、放置できません。どうか、わたくしに調査を命じてくださいませ」
「夕璃よ」
「はい。お父さま」
「お前は『金翅幇』の危険性をわかっているのか?」
「存じ上げております」
夕璃はうなずいた。
「資料は読みました。星怜さまからも、お話をうかがいました。客人の馮千虹さまのお話もうかがっております」
馮千虹は屋敷の書庫にこもっている。
本当なら、彼女はすぐに東郭の町に戻るはずだった。
それが延期になったのは、黄天芳が急な仕事で北臨を離れることになったからだ。
夕璃も、馮千虹を引き留めた。
馮千虹に才能があることは一目でわかったからだ。
だから、彼女の面倒は自分が見ると言って、屋敷に滞在するように勧めた。
馮千虹に休憩を取らせて、食事を与えるのも夕璃の仕事だった。
夕璃自身が願い出て、請け負った。
その合間に夕璃は東郭の町で起きたことや、『金翅幇』について話を聞いた。
藍河国の──狼炎の敵についての知識を得るために。
「馮千虹さまとは、たくさんお話をしました」
夕璃は言葉を続ける。
「敵について、必要な情報は頭に入っているつもりでおります」
「……お前の考えはわかった」
燎原君はじっと夕璃を見つめたまま、うなずいた。
「だが、いくつか確認したいことがある」
「はい。お父さま」
「この事件のことで、お前が危険を冒す必要はない。それはわかっているね?」
「はい」
「私はこれまで、お前を相談事の席に同席させてきた。客人への応接も任せてきた。それはお前に経験を積ませるためだったが……お前はまだ、町の外で仕事をしたことはない。それはお前の役目ではないからだ。わかるね」
「わかっております」
「それでも、お前は岐涼の調査に参加したいと? それだけの理由があるというのかね?」
「はい。おっしゃる通りです」
「理由を話してみなさい」
「狼炎殿下の御代を安らかにするためです」
夕璃はおだやかな表情のまま、答えた。
彼女は強い視線で父を見つめながら、
「狼炎殿下が即位された後の時代が、平穏なものであるように。あの方が二度と、心ない異名で傷つくことがないように。狼炎殿下が、幸せな王となってくださるように。わたくしはただ……それだけを願っております」
「……夕璃」
「そのためなら、危険を冒すことは厭いません」
「…………夕璃、お前は……もしや……あの方を……」
「なんでしょうか。お父さま」
「……いや、よいのだ」
燎原君は頭を振った。
まるで、痛々しいものを見るような表情だった。
「止めても……無駄なのだろう?」
「お父さまなら、わたくしのことはおわかりでしょう?」
「ああ。わかっている。いや、今やっとわかったと言うべきだろうな。人を見る目はあるつもりだったが……身内のことはわからないものだ」
「お怒りになられますか? お父さま」
震える声で、夕璃はたずねる。
「不肖の娘と思われても構いません。それでも……このお役目だけは、どうか、わたくしに命じていただきたいのです」
「怒りはしない。私も、人の想いとは、ままならぬものだと知っている。これでも私は、多くの人を見てきたのだからね」
そう言って燎原君は、夕璃の肩に手を乗せた。
「だが、父の気持ちもわかってほしい。私は……お前の幸せを願っている」
「感謝しております、お父さま。不肖の娘をお許しください」
「不肖などではないよ。お前は……賢すぎるのだ」
「そうでしょうか」
「お前が本当に不肖の娘なら、まわりのことも……私の立場もかえりみることなく、自分の心のままに行動していただろう。それならば、私も強引に止めることができたはずだ。だが、賢いお前はすべてわかった上で、自分の道を選んでいる」
「……そうかもしれません」
「だが、それは辛い道だ。わかっているのか?」
「わたくしは、もっとも幸福な道を選んだつもりでおります」
「ああ……そうか。そうなのだね。ならば父としては……なにも言うことはない」
燎原君は夕璃の肩に手を乗せたまま、うなずく。
夕璃は、優しい笑みを浮かべていた。
燎原君は目を伏せた。
多くの人材を見てきた彼には、夕璃の心がわかったのだろう。
これまで夕璃が必死に隠し続けてきた、想いが。
それを見るのが辛いかのように、燎原君は静かに頭を振った。
「雷光に命じる。夕璃と共に、岐涼の町の調査を行うのだ」
燎原君は、雷光に視線を向けた。
「夕璃は私の名代として孟侯と面会をする。雷光は夕璃とともに調査を行うように。ただし、夕璃の安全を第一に考えてくれ。これは王弟としてではない。夕璃の父としての願いだ」
「承知いたしました。王弟殿下!」
雷光は燎原君に向かって、拱手した。
「ですが、本当に夕璃さまが同行されるのですか? 危険な任務なのですが……」
「夕璃は止まらぬよ」
「は、はい。夕璃さまが国を思っていらっしゃることは、よくわかりました」
「ああ。そうだな。国だけを想ってくれているのなら楽だったのだが」
「おっしゃる意味が、よくわかりませんが……」
「わからなくていい。とにかく、夕璃をよろしく頼む」
「わが命に代えましても!」
「では、準備をするとしよう」
燎原君は夕璃と雷光に視線を向けてから、うなずく。
「孟侯の屋敷を訪ねるのだ。それなりの格式を整えねばなるまい。雷光もそのつもりでいてくれ。夕璃は『先代孟侯の墓参を名目にした、物見遊山の旅だ』と皆に伝えるのだ。その方が相手の警戒心を削ぐことができる。それから──」
燎原君は細々とした指示を出していく。
馬車の用意。人員の確保。護衛の準備。
そして──
「夕璃は、友人を連れていくといい」
「友人ですか?」
「ああ。柳星怜はどうだろうか」
燎原君は言った。
「柳星怜には不思議な力がある。それはお前を助けてくれるかもしれない。私は、そんな気がしているのだよ。それに──」
──いざというときは黄天芳が、柳星怜と一緒にいる夕璃を守ってくれる。
──そして、黄天芳の側には、必ず翠化央がいる。
──雷光と黄天芳と翠化央の3人がいれば……大丈夫。
その言葉は声に出さない。
ただ、祈るだけ。
父親として、夕璃が無事であるように。
そして──夕璃の未来が幸福であるように。
そんなことを願いながら、燎原君は指示を出し続けるのだった。
次回、第180話は、次の週末くらいに更新する予定です。