第177話「天下の大悪人、密書を読む」
俺は木陰に座って密書を開いた
小凰は俺の隣で空を眺めている。
というか、密書から視線を逸らしてる。
俺宛ての密書を読むのを遠慮しているみたいだけど……。
「見てもいいですよ。小凰」
「……え? いいのかい?」
「ざっと目は通しました。小凰に見られて困るようなことは書かれていません。それにトウゲンさんは、ぼくがこれを他の人に見せることも想定していると思います」
トウゲン=シメイが『金翅幇』の情報を教えてくれたのは、藍河国が奴らへの対策を取れるようにするためだろう。
そのためには、俺はこの書状を他の人に見せる必要がある。
『情報源は明かせません。けれど「金翅幇」についてわかったことがあります』といっても、説得力がないからな
ただ、密書を見せてもいい相手は限られる。
壬境族の重鎮が、ゼング=タイガを殺した相手と連絡を取っていることがバレたらまずい。
この密書を見せられるのは、なにがあっても情報を漏らさない人だけだ。
それは俺が心から信頼している相手ってことになる。
だから──
「これを小凰に見せないという選択肢はないです」
「そ、そうなの?」
「朋友に隠し事はしたくないですからね。できるだけ、ですけど」
「う、うん。僕も、天芳に自分を隠すのは嫌だな。できるだけ……だけど」
「じゃあ、一緒に読みましょう」
「うん。天芳」
小凰が、すすっ、と身体を寄せてくる。
俺たちは肩を並べて、トウゲンの書状に視線を向けた。
そこに書かれていたのは──
『トウゲン=シメイより。我が友、黄天芳へ。
このような形で書状を送るのをお許しください。
本来なら、私が直接、黄天芳どのにお目にかかりたいのですが、今は難しい状況です。
理由はお察しいただけると信じています。
ふたたびお目にかかるのは、壬境族が王陛下とハイロンさまのもとにまとまったときになるでしょう。
そのときを、楽しみにしております』
「天芳は本当に、トウゲンさんに信頼されているんだね」
「あの人とは気が合うんです」
トウゲンは知識欲が旺盛で、放浪しながら知識を求めていた。
この世界のことを調べている俺と、なんとなく似てる。
まぁ、俺が情報を集めているのは『破滅エンド』を避けるためでもあるんだけど。
「天芳とトウゲンさんが会えないのは……今は壬境族がひとつにまとまっていないからだよね?」
「そうですね。ゼング=タイガに仕えていた人たちもいますから」
「天芳とトウゲンさんが親しくしてるのはまずいよね。だからこういう形で書状を送るしかなかったんだね……」
そんなことを話しながら、俺たちは書状を読み進めていく。
『ゼング殿下のお側には「金翅幇」と呼ばれる者たちがいました。
そのうち数名はすでに敗北し、藍河国に捕らわれたことと思います。
ですが、その他に数名の重要人物がおります。
巫女と、子どもと、双刀を操る男性です。
子どもは「鷹さま」と呼ばれていたそうです。
巫女の名は、主戦派の者も知りませんでした。
いつも頭巾を被り、顔を見せることもなかったと聞いています。
このふたりはかなり前にこの土地を離れており、今は行方が知れません。
双刀使いの男性の名は虎永尊と言います。
彼はゼング殿下が亡くなったことを知ると、側にいた武将を斬り、逃亡しました。
部下の者たちが追跡しましたが、捕らえることはできませんでした。
私は「金翅幇」がゼング殿下の人となりを歪めたのだと思っております。
あなたと戦い、亡くなられたゼング殿下は、満足そうな顔をされていました。
その顔を見たとき、主戦派の者たちは思ったそうです。
あれこそが、われらが崇めていた軍神のお姿だった、と。
ですから、壬境族であなたを憎んでいる者は、ほとんどいません。
もちろん……皆無ではないのですが。
話を戻しましょう。
ゼング殿下が亡くなられたあと、王とハイロンさまの命令で「金翅幇」についての調査が行われました。
その結果、いくつかのことがわかりました。
「金翅幇」の者たちが「岐涼」「孟侯」という言葉を口にしていたこと。
虎永尊が向かったのが、我々から見て南西──藍河国の首都から見て、北西の方角だったこと。
そこに「岐涼」という名の町があることです』
「──『岐涼の町』?」
聞いたことのない名前だった。
ゲーム『剣主大乱史伝』には出てこない場所だ。
「小凰は『岐涼の町』って知ってますか?」
「うん……聞いたことがあるよ」
小凰は、少し考えるようなそぶりをしてから、
「『岐涼』は北臨の北西にある交易の町だ。川が交わるところにあって、水が豊富なところだって聞いてる。大きな街道沿いにあるから、西の砂漠を越えた隊商が立ち寄ることもあるんだって」
「詳しいですね」
「僕は奏真国から来た人質だからね。藍河国の人たちに失礼がないように、色々と勉強してきたんだ。それに、僕が燎原君のお世話になることはわかっていたからね。あの人に関係することは頭に入れてあるよ」
「燎原君に関すること、ですか?」
「えっとね……『岐涼の町』を治める孟侯は、燎原君の親戚なんだ。どれくらい近い関係かは、僕にもわからないけどね。」
小凰は記憶をたどるように、軽く額を抑えてから、
「天芳は、どうして王弟殿下が『燎原君』って呼ばれてるか知ってるよね?」
「戦で焼き払われて燎原になった町や村を復興させたからですよね?」
「うん。それは20年くらい前のことだったらしいよ。その戦は孟侯が治める町で起きたんだって。理由は知らないけど、ひどい戦いだったみたいだよ」
当時は先代の王様の時代だった。
しかも、王様が病床についていた。そのせいで国の対応が遅れた。
町は破壊され、田畑は焼かれ、燎原となった。
それを鎮めたのが、当時はまだ若かった燎原君──藍伯勝だった。
燎原君は首謀者を処分し、住民を落ち着かせ、町を再建した。
復興した町は王弟、藍伯勝の領地となった。
それから、彼は敬意を込めて『燎原君』と呼ばれるようになったそうだ。
「もともと孟侯は混乱の責任を取らされて、領地を取り上げられたそうだよ。新しい領地は藍河国の北西の隅っこになったって聞いてる。そこが『岐涼の町』なんだけど……」
「……トウゲンさんはその町と『金翅幇』には関係があると言っているわけですね」
『岐涼の町』を治める孟侯は燎原君の親戚だ。
もしかしたら、藍河国王とも血縁関係にあるかもしれない。
そんな人間が『藍河国は滅ぶ』という教義を掲げる組織と関係しているのか?
普通に考えたらありえないとは思うんだけど……。
「……続きを読みましょう」
「……そうだね」
『「金翅幇」についてわかったのはここまでです。
本当なら私たちが岐涼を調べたいのですが……難しいところです。
壬境族の者は言葉使いも、文化も違います。
すぐに正体を見抜かれてしまうでしょう。
私なら藍河国の言葉も風習も理解しています。
岐涼に侵入することもできるでしょう。
ですが、私が今の状況で、国を出るのは不可能です。残念なことですが。
私から黄天芳どのにお願いがあります。
どうかこの情報を、信用できる方に伝えてください。
黄天芳どのはゼング殿下を倒したお方です。あなたの側には信頼できる方がいらっしゃるでしょうし、藍河国の上層部に情報を伝えることもできましょう。
ですが、事は慎重に進めてください。
「金翅幇」は得体が知れません。どこに協力者がいるのかわからないのです。
身を守ることを考えてください。
決しておひとりで、「岐涼の町」に潜入しようなどと考えないように。
また黄天芳どのにお会いできることを楽しみにしています。
平和になったおたがいの国で、心配ごとなど、なにもない状態で。
トウゲン=シメイ』
俺は密書を閉じた。
トウゲン=シメイがこの書状を送ってきたのは、賭けみたいなものだ。
俺が、帯に仕込まれた密書に気づかない可能性もある。
逆に誰かが密書に気づいて、読んでしまうこともありうる。
それでも自分の名前を書いたのは、彼が本気で『金翅幇』を止めたいと思っているからだ。
奴らに利用されたゼング=タイガや、藍河国にいる俺のために。
「……調べる必要がありますね」
俺は密書を懐に入れて、つぶやいた。
「『金翅幇』と岐涼の町に関係があるなら、放ってはおけません」
「うん。でも、事は慎重に進めなきゃだめだよ」
「相手が王家の関係者だからですね」
「そうだよ。僕たちが独自に動くのは……危険が大きすぎると思う」
小凰の言う通りだ。
俺が独断で潜入捜査をするのはまずい。
仮に孟侯が『金翅幇』と無関係だった場合……「王家の関係者にあらぬ疑いをかけた」ってことで罪に落とされるかもしれない。
そうなったら、父上に迷惑がかかる。
しかも、今は兄上が次期『奉騎将軍』の候補者になっている。
それを望んだのは太子狼炎だ。
俺の失敗が……めぐりめぐって、太子狼炎に悪い影響を与える可能性もあるんだ。
それは避けたい。
今回は、無茶ができない状態みたいだ。
とにかく、誰かと情報を共有しよう。
トウゲンは密書の情報を信頼できる人に伝えてるように勧めてる。
そして、俺には信頼できる人がたくさんいる。
その中で小凰以外に、この件について相談するとしたら──
「まずは雷光師匠と秋先生に相談しましょう」
「賛成だよ。北臨に戻って復命したら、すぐに東郭を目指そう」
「それがいいですね」
「僕も、久しぶりに雷光師匠や秋先生に会いたいからね」
話を終えて、俺たちはまた、出発することにした。
俺は繋いでおいた馬──朔月に近づく。
真新しい馬具を身につけた朔月は、黒い瞳で俺を見た。
『ぶるぶる……ぶる』
朔月の鼻息が荒い。
なにかを訴えかけるように、じっと俺を見ている。
これは……もしかして……。
「朔月。お前は……ぼくと小凰の話を聞いていたのか?」
俺の言葉に応えるように、朔月はがががっ、と、地面を蹴った。
まるで、怒りをあらわにするみたいに。
「お前も『金翅幇』に対して怒ってるのか?」
『ぶるる、ぶる』
「そうか。ゼング=タイガはお前のいないところで『金翅幇』と話をしていたんだな。だからお前も、奴らのことはあまり知らなかったのか」
俺の言葉に朔月がうなずく。
強く、地面を蹴りつける。何度も。
『ぶるるぅ! ぶるる!!』
「ああ、わかってる。ぼくも、あいつらを放ってはおかない。力を貸してくれ。朔月」
俺が朔月の背中にまたがり、手綱を握る。
朔月は北臨の方角に全力疾走しようとして──すぐに速度を落とす。
側に小凰の馬がいることに気づいたみたいだ。
すぐに朔月は、小凰の馬にペースを合わせて進み始める。
さすがは千年に一度の名馬だ。賢い。
トウゲン=シメイは俺に敵の情報をくれた。
無駄にはできない。
なんとかして岐涼の町を調べる方法を考えよう。
そんなことを思いながら、俺たちは北臨に戻ったのだった。
太子狼炎に復命する前に、俺は一度自宅に戻った。
母上と星怜に「無事に帰りました」と伝えるためだ。
あと、王宮に行く前に身支度を調えて、一休みしたかった。
そう考えた俺は、小凰と一緒に黄家に向かったのだけど──
「お帰りなさい兄さん! 化央さま。至急のご連絡があります!!」
黄家に近づくと、門の中から星怜が飛び出してきた。
また、毎日俺の帰りを待っていたのかな……と思ったけど、少し違った。
すごく慌ててる。小走りにこっちに近づいてくる。
「なにかあったの? 星怜」
「雷光さまと玄秋翼さまから、兄さんと化央さまに伝言があります」
「師匠たちが?」
「東郭から戻ったの?」
「は、はい。今は、宿舎にいらっしゃるそうで……」
星怜は、馬から下りた俺に向かって、拱手した。
「兄さんと化央さんが戻られたら、すぐに来るようにとのことです。着替えは用意していますので、おふたりとも着替えて、宿舎に向かってください。よろしければわたしが着替えをお手伝いします!」
星怜はじっと俺を見ながら、そんなことを告げたのだった。
「待っていたよ。天芳、化央」
「ご苦労だったね。まずはお茶を淹れてあげよう」
雷光師匠と秋先生は宿舎で待っていた。
俺と小凰はふたりに向かって、拱手する。
「お久しぶりです。師匠、それに秋先生」
「お無事に戻られたことをおよろこび申し上げます」
「こちらこそ。ふたりが北臨を出ているとは思わなかったよ」
雷光師匠はうなずいた。
「とにかく、無事に戻ってくれてなによりだ」
「ありがとうございます。師匠」
俺は雷光師匠に向かって一礼する。
「あの……おふたりが戻られているということは、魃怪は……」
「……亡くなったよ」
答えたのは秋先生だった。
その隣で雷光師匠は、痛みをこらえるような顔をしていた。
「魃怪は私と姉弟子が看取った。あの身体で、よく保ったと思うよ」
「秋先生……うかがってもいいですか?」
俺は秋先生の方を見た。
「……どうしても気になるのです。魃怪は死ぬ前に……なにか話しましたか」
「……話したよ。少しだけだけどね」
秋先生はうなずいた。
「ただ、それが真実だったのか、うわごとだったのか……あるいは、我々を惑わせるための言葉だったのか判断できずにいるんだ」
「ああ。翼妹の言う通りだ」
雷光師匠は考え込むように腕組みをした。
「あの言葉が真実ならば、それは重大なことだ。偽りならば、うかつに誰かに話すことはできない。けれど、あれほど大胆な嘘を言うとも思えない」
「姉弟子の言う通りです。ただ、これは王家とも関わりのあることですから」
「そこで天芳と化央の意見も聞いておきたいんだ」
「重大なことだからね。他言無用でお願いするよ」
そう言って、雷光師匠と秋先生は俺たちを見た。
「承知しました」
俺は言った。
それから、小凰と視線を交わす。
魃怪がなにを口にしたのか、わかったような気がしたからだ。
「ですがその前に、うかがいたいことがあるのです」
「うん。言ってみなさい」
「では、雷光師匠にうかがいます。魃怪が口にしたのは『金翅幇』と『岐涼の町』の関わりについてではありませんか?」
俺は深呼吸して、それから、その言葉を口にした。
「────!?」
「どうして天芳くんがそのことを知っているんだい!?」
雷光師匠が目を見開き、秋先生が声をあげる。
正解だったらしい。
トウゲンが行った調査の結果と、魃怪の証言は一致した。
たぶん……これで確定だ。
ふたつの情報が合わさったことで、信憑性は高くなった。
そして──
「……魃怪は最後に、真実を口にしたんだと思います」
俺は説明を続ける。
「『裏五神』の首領だったあの人は、自分が間違っていたことを認めたんでしょう。だから雷光師匠に、本当のことを話したのではないでしょうか」
「……ああ、そうか」
雷光師匠が遠くを見る目になる。
彼女が見ているのは南東……東郭の町がある方角だ。
魃怪はそこに埋葬されたのだろう。
「天芳の言う通りかもしれない。魃怪は最後に敗北を……自分のあやまちに気づいて、真実を告げたのだろう」
やがて雷光師匠は視線を戻して、長いため息をついた。
「あまりにも遅すぎたし……それで彼女の罪が消えるわけではない。だけど、私の心は……少しだけ軽くなったような気がするよ。ありがとう。天芳」
「だけど天芳くん。君はどこでその情報を手に入れたんだい?」
「これからお話します」
俺はふたりに向かって、告げた。
「ですが、こちらも重要な情報です。だから──」
「承知している。他言無用だね」
「仰雲師匠に誓って、秘密は守るとも」
雷光師匠と秋先生は、うなずいた。
俺はトウゲン=シメイからもらった密書の内容について、話し始めたのだった。
次回、第178話は、次の週末の更新を予定しています。