第176話「黄英深と黄海亮、壬境族の使者と会う」
──黄海亮視点──
海亮と父の英深は、砦にある謁見の間に来ていた。
壬境族の使者と会うためだ。
壬境族とは不戦の会盟を行うことになっている。
生け贄の牛を捧げ、おたがいの領土を侵さないことを誓うものだ。
藍河国からは『飛熊将軍』の黄英深が、壬境族からは王の側近であるハイロン=タイガという人物が出席する。
ハイロン=タイガは穏健派の代表で、今の壬境族の中心人物だ。
彼と会盟を行えば、不戦の誓いは確かなものになる。
北の国境は安定化するだろう。
藍河国と壬境族は長い間、敵対してきた。
不戦の会盟を行うのは初めてだ。
だから、ことは慎重に進めなければいけない。
こまめに使者のやりとりを行っているのは、そのためだ。
「よくいらっしゃった。使者どのよ」
椅子に座った黄英深は、器に茶を注ぎ、一口飲んだ。
それから、対面にいる使者にも茶を勧める。
先に茶を飲んでみせたのは、毒が入っていないことを示すため。
おたがいが椅子に座っているのは、対等の立場であることを示すためだ。
使者は、若い男性だった。
名はランガ=シメイ。
ハイロン=タイガの腹心の弟だと聞いている。
ランガは油断のない目で周囲を見回し、それから茶を飲み干した。
それは黄英深を信頼していることと、毒殺を恐れていないことを示すためだろう。
異民族との交渉は、おたがいの文化や習慣を理解した上で行う必要がある。
だから壬境族と長く関わってきた黄英深が、会盟の代表者に選ばれたのだった。
「ランガどの。会盟の日取りは、次の満月の日でよろしかったか」
黄英深はたずねた。
「場所は国境。そこに壇を作り、生け贄の牛をほふって誓いを行う。牛はこちらで用意する。その後で壬境族主催の酒宴が行われていると聞いているが、間違いはないか?」
「合っていますな」
ランガという名の青年は、一礼した。
「我が方の代表者はハイロン=タイガさまと、その側近であるトウゲン=シメイだ」
「トウゲン=シメイどのは宰相のような立場だと聞いているが」
「そうだ」
「同じシメイ氏族なのだな。失礼だが、貴公との関係は?」
「トウゲンは我が兄である」
「さようであったか」
「会盟における貴国の代表者を確認したい」
「わしと、客将のガク=キリュウが代表となる」
「ガク=キリュウは戊紅族の者だな。その者が代表でいいのか?」
「ガクどのは国王陛下の命により、わしの副将に任命されておる。彼は知勇に優れた人物だ。補佐役として、側にいて欲しいのだ」
「だが、戊紅族の者であることに変わりはない」
使者ランガは、じっと黄英深を見ながら、
「その者が代表であることに、われらは藍河国の思惑を感じざるを得ない」
「以前に戊紅族が、壬境族の侵攻を受けたからだろうか?」
「そうだ」
「我々がガクどのを会盟に同席させるのは、そのことを非難する意図があると? 使者どのはそう言われるのか?」
「そのように受け取る者もいるという話だ」
「逆に考えてみてはどうだろうか」
「と、おっしゃると?」
「壬境族と争ってきたのは我が国も同じだ。だが、我が国の王陛下は、過去のいきさつはどうあれ、壬境族と不戦を誓うことに賛成されている。貴公の王も同じであろう?」
「……確かにな」
「ガクどのも同じように和平を望んでいる。だからこそ、会盟に出席することに同意されたのだ。その意味をくみとっていただきたい」
「わかった。貴公の意見は、ハイロンどのにお伝えする」
使者ランガは重々しい口調で、うなずいた。
それから彼は、強い視線で英深を見て、
「確認しておきたいことがある」
「うかがおう」
「壬境族は藍河国に臣従するわけではない。そこは、勘違いされては困る」
ランガはちらりと、背後の扉を見た。
扉の向こうは控え室だ。
使者ランガはそれを確認するようにうなずき、それから堂々たる口調で、
「われらは藍河国との和平を誓うだけだ。決して、われらが藍河国の下につくわけではないし、貴国に忠誠を誓うわけでもない。それは確認しておきたい」
「承知している」
「そうだ。藍河国が我が一族に勝利したわけではない」
「うむ」
「貴国がわれらを見下すようなことがあれば、会盟の話は流れるだろう。そのことは理解していただきたい」
「使者どのに申し上げる!」
海亮は声をあげた。
父の側に立ち、まっすぐに使者を見据えながら、告げる。
「貴公は和平の使者であろう!? なのに今の物言いは、あまりに無礼ではないか!?」
「控えよ! 海亮!!」
「ですが父上!!」
「お前の言いたいことはわかる。今は控えておれ」
「────はい」
海亮は素直に引き下がった。
部屋の外には、使者ランガの従者と護衛がいる。
もちろん、砦の兵士たちも。
彼らにはここでの声が聞こえているはずだ。
黄英深とハイロン=タイガが書状で打ち合わせをして、部下たちに会談の内容が聞こえるようにすると決めたからだ。
それは信頼の証であり、おたがいの身を守るためでもあった。
藍河国と壬境族は長い間、争いを繰り返してきた。
正式に和平を誓うのははじめてだ。
だから、おたがいの兵士たちは警戒している。
──黄英深が会談の場で、使者を殺すのではないか?
──使者が『飛熊将軍』親子を害するのではないか?
──どちらかが相手をだまし討ちにするのではないか?
そう考えた兵士が武器を手に争う可能性もある。
だから声が届く控えの間に、兵士たちを配置したのだ。
会談が平和的に行われていることを、彼らに示すために。
おたがいが相手をおそれていないことを、わかりやすく伝えるために。
(使者ランガはそれがわかっている。だからこちらを挑発するようなことを言ったのだろう)
壬境族のなかにも好戦的な者はいる。
それが護衛に交ざっている可能性もある。
だから使者ランガは「壬境族は藍河国に臣従するわけではない」「藍河国がわれらを見下すことは許さない」と宣言する必要があったのだ。
好戦的な者たちの感情を抑えるために。
海亮が怒ってみせたのは、藍河国の兵士たちを落ち着かせるためだ。
こちらの兵士にも強気な者はいる。
言われっぱなしでは、彼らが黄英深に反感を持つかもしれない。
壬境族の護衛たちと争うか……下手をすれば、会盟をだいなしにすることも考えられる。
そんな事態を防ぐために、海亮は使者の無礼をたしなめる必要があったのだ。
(使者と会う前に、父上や天芳たちと話をしておいてよかった)
海亮が怒ることも、英深がそれをたしなめるのも、予定通りの行動だ。
それは海亮、英深、天芳、化央が話し合って決めたことだった。
天芳と化央は壬境族の領地に行き、土地の者と会っている。
壬境族の中に穏健派と主戦派がいることも知っている。
使者の氏族名を聞いた天芳は「たぶんとても賢い人か、賢い人に知恵をつけられた人が使者になっていると思います」と言った。
そんな使者ならば、こちらを怒らせようとすることもありうる。
それがわかっていたから、落ち着いて対応できたのだった。
「黄英深どのに感謝する」
使者ランガは落ち着いた表情で、英深と海亮に向かって頭を下げた。
「貴公らがわれらを対等にあつかっていることが、よくわかった。貴公はやはり、話せる人物のようだ」
使者ランガは満足そうな表情だった。
自分の意図を英深と海亮が見抜いてくれたことに、感謝しているようにも見えた。
(外交とは……おたがいの知恵比べでもあるのだな。私もまだまだ学ぶことが多いようだ)
そうでなければ首都を守る『奉騎将軍』は務まらないだろう。
自分の未熟さを自覚して、海亮は思わずため息をついた。
「私も言葉が過ぎたようだ。謝罪する」
「こちらこそ。我が子が出過ぎたことを申し上げてしまった」
「お詫びの印に、贈り物を差し上げたい」
「贈り物を?」
英深は首をかしげた。
「だが、贈り物は会盟の際に交換するのではなかったか? そちらからは名馬を、こちらからは絹や装飾品を差しあげることになっていたはずだが」
「それとは別のものだ。贈り物を持った従者を呼んでも構わないだろうか」
「構わぬ」
「感謝する。では、我が兄トウゲン=シメイからの贈り物を、ここに」
「『飛熊将軍』黄英深の名において命じる。扉を開けよ!」
使者ランガが手を叩き、英深が扉の外にいる者に指示を出す。
やがて、ランガの従者が、謁見の間に入って来る。
従者が捧げ持っているのは、布に包まれたものだった。
大きさは、両手で抱えられるくらい。
布の端から革製のものが見え隠れしている。武器ではないのだろう。
「これは、我が一族の名馬に対して贈るものだ」
使者ランガは言った。
「旧主の愛馬であった朔月は現在、藍河国の者の乗騎となっている。あれは千年に一度の名馬であり、壬境族の宝でもあり……」
「待たれよ。使者どの」
黄英深は手を挙げ、使者ランガの言葉を止めた。
「確かにあの馬は藍河国の者が乗騎としている。だが、それはトウゲン=シメイどのの同意を得た上でのことだ。馬自身も、自分の意思で今のあるじに従っている。問題はないはずだが?」
「存じ上げている」
「ならばなぜ、朔月のことを?」
「名馬には、それにふさわしい馬具を使って欲しいからだ」
そう言ってランガは、贈り物を覆う布を外した。
現れたのは、鞍だった。
丈夫そうな革で作られている。表面には、いくつもの飾りがある。
鐙も、手綱も揃っている。
鞍の上には帯が置かれている。
他とは違い、質素なものだ。壬境族の装束のひとつだろうか。
「これを朔月の主人に贈りたい。それが、我が兄トウゲン=シメイの希望だ」
ランガは立ち上がり、深く頭を垂れた。
「兄は言っていた。『壬境族の者として、旧主の愛馬には最高の馬具を使ってほしい』『重要なのは鞍と鐙だ』『帯は壬境族の装束のひとつだ。不要ならば処分しても構わない』と。これを、朔月のあるじにお渡しいただけるだろうか」
「今の朔月のあるじのために……ということか」
「いや、朔月のための贈り物だと考えていただきたい」
「……ううむ」
英深の視線が、一瞬だけ、真横を向いた。
隣の小部屋──控え室とは別の部屋にいる天芳のことを思い出したのだろう。
朔月のあるじとは、天芳のことだ。
彼がゼング=タイガを倒し、その愛馬に気に入られ、乗騎としたのだ。
使者が馬具を贈るのは、おそらく、朔月が天芳の乗騎になったことを知らしめるためだろう。
トウゲン=シメイは天芳に朔月を譲り渡したが、壬境族の中にはそのことを知らない者もいる。
天芳が朔月を奪ったと思う者もいるかもしれない。
壬境族から贈られた馬具をつけていれば、それを防げる。
彼らの同意を得て朔月を手に入れたのだと、皆に示すことができるのだ。
トウゲン=シメイは、それを狙っているのだろう。
「壬境族の宰相どのが、朔月のあるじのことを考えてくれるとは……」
黄英深は感動した口調だった。
「承知した。『飛熊将軍』の名において、この馬具を朔月のあるじに渡すことを約束しよう」
「感謝する」
ランガはそう言って、一礼した。
「『朔月のあるじならば、これらをお渡しする意味がわかるはず』……それが、兄の言葉だ」
「その言葉も、朔月のあるじに伝えよう」
「感謝する。では、会盟の打ち合わせを続けるとしよう」
「わかった。それで、誓いを立てるための壇の位置だが……」
「壬境族の風習についてお伝えする。我が一族では……」
黄英深と使者ランガは、ふたたび会盟についての打ち合わせを始める。
不思議だった。
打ち合わせは終わっていないというのに、ランガは肩の荷をおろしたような表情をしている。
馬具を届けるのは、それほど重要な役目だったのだろうか。
(……壬境族にとって天芳は、それほど重要人物だということだろうか)
天芳をこの場に同席させるべきだったかもしれない。
そうすれば、話し合いはもっと順調に進んだはず……そう考えて、海亮は頭を振る。
天芳は壬境族の王子を殺している。
使者ランガに同行している者の中には、天芳のことを快く思わない者もいるだろう。
だからこそランガは、天芳の名前を口にしなかった。
『朔月のための贈り物』と言ったのも、まわりの意識を天芳から逸らすためだろう。
壬境族の使者は、そこまで気を遣っている。
その者との会談の場に天芳を同席させるのは、不可能だ。
(それに、壬境族との交渉は私と父上の仕事だ。天芳に頼るべきではない)
そう考えて、海亮は姿勢を正した。
いずれ海亮のもとには、北臨から正式な使者が来るだろう。
『都を守る任に就くように』という命令書をたずさえた使者が。
それまでに、この地での仕事を、できるだけ進めなければいけない。
北の地が平和になったのだと、太子狼炎に伝えるために。
そんなことを考えながら、海亮は父と使者の会話に耳を澄ますのだった。
──天芳視点──
翌日、俺と小凰は北臨に向けて出発した。
見送りはなかった。
壬境族との会盟が近いからだ。
使者も帰ったばかりだ。もしかしたらまだ近くにいるかもしれない。
そんなときに、ゼング=タイガを殺した黄天芳の見送りをするわけにはいかない。
だから、俺たちが砦を出たのは夜明け前。
薄暗い中、俺と小凰は馬を駆って砦を離れた。
脚を止めたのは、朝日がのぼりきったころ。
砦が見えなくなったところで、俺たちは小休止をすることにした。
「それにしても、立派な馬具だよね」
朔月につけた鞍を眺めながら、小凰は言った。
「見たことのない装飾がついてる。鐙は……長さの調整ができるようになってるんだね。成長期の天芳にぴったりだ」
「そうですね」
「でも、どうして帯をつけてくれたんだろうね?」
「壬境族の装束のひとつだって言ってましたね」
「ずいぶんと質素な帯だよね。馬具と比べると見劣りが……って、天芳!? なにしてるの!?」
「帯の縫い目をほどいてます」
「ど、どうして!? 質素な帯って言ったから!? 駄目だよ。それは壬境族の人からの贈り物なんだから!!」
「そうですね。これはトウゲン=シメイさんからの贈り物です」
「う、うん。大事にしないと……」
「わかってます。だから中身を確認してるんです」
「な、中身を?」
「この帯はふたつの布を縫い合わせて作られています。そして、この部分だけ結び目がほつれているんです。他の部分はきれいに縫ってあるのに。不自然だと思いませんか?」
「……え?」
小凰が俺の手元をのぞきこむ。
すると、彼女は目を見開いて、
「本当だ。でも、偶然かもしれないよ?」
「これは壬境族から公式に贈られたものです。手抜かりがあるとは思えません。それにこの帯は、振るとカサカサ音がするんです」
まるで、帯の中になにかが隠されているかのように。
「トウゲン=シメイさんは言ったそうです。『朔月のあるじならば、これらのものをお渡しする意味がわかるはず』と」
「うん。使者のランガさんはそう言ってたね。だとすると……」
「たぶん、この帯には密書が仕込まれてます」
ゲーム『剣主大乱史伝』でも、壬境族が英雄軍団に策略を仕掛けることがあったからな。
密書を送ったり、流言をばらまいたり。
そのときの壬境族の軍師は、トウゲン=シメイだった。
俺は短い間だけど、トウゲン=シメイと一緒に過ごしている。
友人だと思ってる。
彼が俺にこっそりと連絡を取ってくることは、十分にありえるんだ。
「……やっぱり」
帯の縫い目をほどくと、布の隙間に、折りたたんだ紙が入れられていた。
うっすらと文字が目に入る。
間違いない。壬境族からの……いや、トウゲン=シメイからのメッセージだ。
「壬境族の宰相が、天芳に密書を?」
「おおやけにしたくなかったんでしょうね。壬境族の中には、ぼくを敵視する者もいるでしょうから」
「確かに……そうだね。穏健派が主流になったとはいえ、全員の意思が一致してるわけじゃないもんね……」
「そんな中で宰相のトウゲンさんがぼくに書状を出すのは、難しいんでしょうね」
「それはわかるよ? でも、天芳もトウゲンさんもすごくない!?」
「そうですか?」
「だって、これはトウゲンさんが天芳を信じていないとできないことだよね!? 天芳が密書に気づかなかったら意味がないんだから。ふたりとも以心伝心すぎるよ!」
「……そうかなぁ」
だって、使者はトウゲン=シメイの弟だったし。
ぼくに対する贈り物があったし。
ランガさんのセリフにもヒントがあったし。
『帯は壬境族の装束のひとつだ。不要ならば処分しても構わない』
『朔月のあるじならば、これらをお渡しする意味がわかるはず』
それに使者ランガさんは、トウゲン=シメイからの贈り物って強調してたからな。
普通なら壬境族の贈り物って言うはずなのに。
これだけ条件が揃えば気づくだろ。
「それに、ぼくは謁見の間の隣で話を聞いてましたからね。その場の雰囲気もわかっていました。あとで話を聞いてたら、気づかなかったかもしれませんけど」
「そういうものかなぁ」
「そういうものです」
小凰に応えてから、俺は密書を開いた。
最初に、署名があった。
『トウゲン=シメイより。我が友、黄天芳へ』と。
そして、その後には──
ゼング=タイガを裏で動かしていた組織『金翅幇』について、壬境族内部で調査を行ったという事実と……それによってわかったことが記されていたのだった。
次回、第177話は、次の週末くらいに更新する予定です。
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表紙の星怜が目印です。
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書き下ろしもいろいろと追加していますので、ご期待ください!