第175話「天芳と凰花、使者の役目を果たす」
──数日後、北の砦にて──
数日の旅のあと、俺と小凰は北の砦に着いた。
見張りの兵士に名前を告げると、すぐに海亮兄上を呼んでくれた。
父上も兄上も、ガク=キリュウも、今は砦に駐留している。
戦闘態勢は取っていない。
壬境族との戦いが終わったからだろう。
ゼング=タイガが倒れたあとの国境地帯は、おだやかな状態だ。
だから兵士たちの仕事は村の巡回がメインになっている。まあ、たまに盗賊団を摘発したりしているらしいけれど、大規模な戦闘は起こっていない。
だから父上も兄上も、すぐに面会に応じてくれた。
俺と小凰は砦の執務室で、ふたりと会うことになったのだった。
「お久しぶりです。父上、兄上」
「ごふざたしております。『飛熊将軍』さま。黄海亮さま」
俺と小凰は、父上と兄上に向かって一礼した。
父上は椅子に座り、うれしそうにうなずいている。
海亮兄上はその隣に控えている。
「ぼくは太子殿下の命令で、兄上に書状をお届けに参りました。それと、北臨や東郭の町で起きたことについて、おふたりにお伝えするように命じられております」
「堅苦しい言葉使いは必要ないぞ、天芳よ。それに化央どの」
父上はヒゲをなでながら、うなずいた。
「これは身内だけの席だ。普段通りの口調で話すがよい」
「身内だけの席ですか……」
小凰が父上を見て、つぶやいた。
「では、僕は席を外すことにします」
「なにを言っておるのだ? 化央どの」
父上が慌てて立ち上がる。
「翠化央どのは天芳の兄弟子であろう? 武門において兄弟弟子は家族同然と聞いている。ならば、貴公はすでに我が身内だ。どうして席を外す必要があろうか」
「僕が、黄家の方々の身内……?」
「うむ。貴公はすでに、わしにとっても家族のようなものだよ」
「う、うれしいです。ありがとうございます。『飛熊将軍』さま」
「そのような堅苦しい呼び名も不要なのだがな。それはさておき、海亮よ」
父上が兄上に視線を向ける。
「まずは書状を受け取るがよい。内容について話せることがあれば、わしにも教えてほしい」
「承知いたしました」
「では、書状をお渡しします」
俺は膝をついて、兄上に書状を差し出した。
兄上は書状を受け取り、素早く目を通す。
「この私が……都を守る『奉騎将軍』の候補者に?」
兄上はおどろいた表情で、声をあげた。
「だ、だが、兆家の方々が亡くなられたとは?」
「なんだと!?」
「北臨でなにがあったのだ? 事情は天芳から聞くようにと書かれているが……」
「はい。では、お伝えします」
俺は拱手してから、父上と兄上に向けて語り始めた。
──東郭の町の裏事情。
──盗賊団と、兆昌括の繋がりのこと。
──盗賊団が捕らえられたこと。
──王家により、兆家に罰が下されたこと。
──罰を下す使者が兆家に着く前に、兆石鳴と兆昌括が死亡してしまったこと。
それらを伝えたあとで、俺は、
「いずれ北臨より正式な使者が来て、事情を説明すると思います。ですが狼炎殿下は、まずはぼくの口から兄上に、すべてをお伝えするようにとおっしゃっていました」
──そんなことを、父上と兄上に告げた。
「『不吉を避けず、すべてを伝えよ』『この狼炎の側近は不吉と向き合うことになる』『私のまわりで起きた出来事を正しく知り、理解した上で仕えてもらいたい』……それが、狼炎殿下のお言葉でした」
「殿下が……そのようなことを」
「今申し上げたのは、出来事を簡単にまとめたものです」
俺は続ける。
「太子殿下はすべてを伝えよとおっしゃいました。よければ兄上には、時間をかけて、ぼくが東郭で体験したことと、北臨で起こったことをお伝えしたいと思います」
「あ、ああ。頼む」
「では、後ほどお時間をいただけますか?」
「わかった。だが……今は、この書状の話をさせてほしい……」
それから兄上は、父上に書状を手渡した。
「父上も書状をごらんください。信じられないことが書いております」
「信じられないこと?」
「殿下は私に『奉騎将軍』の後継者になるように命じた上で……それを『断ってもよい』と書かれているのです」
「なんだと!?」
「……その上で、父上にうかがいます」
兄上は、震える声で、
「王陛下や太子殿下が命を下すときに、臣下に選択肢を与えることなどあるのですか?」
「いや……わしも聞いたことがない……」
「信じられません……こんなことが……」
兄上と父上がおどろくのもわかる。俺も太子狼炎が『断ってもいい』なんて書状に書くとは思っていなかった。
この世界は王制だ。国王は臣下に強力な命令権を持っている。
王太子も国王の力を背景に、臣下に命令ができる。
なのに太子狼炎は次期『奉騎将軍』の候補者になることを、『断ってもいい』と言っている。
兄上がびっくりするのも無理はない。
だって、それじゃ『奉騎将軍』候補者になることが命令じゃなくて、『お願い』になってしまう。嫌だったら断れるんだから。
しかも太子狼炎は、それを口頭じゃなくて、書状で伝えてきてる。
だから兄上が『奉騎将軍』の候補者になることを拒んだとしても、罰を受けることはない。だって『断ってもいい』と、太子狼炎の署名が入った書状に書かれているのだから。
太子狼炎が、そんなことをした理由は──
「太子殿下は兄上を『我が友』と呼んでらっしゃいます」
俺は言った。
「だから、友として、兄上に選択の余地をくださったのではないでしょうか?」
「殿下が『我が友』と言ってくださるのは信頼の証だ。私と殿下が、対等の友人のわけがないだろう!」
「さきほども申し上げたように、殿下は『私のまわりで起きた出来事を正しく知り、理解した上で仕えてもらいたい』とおっしゃいました。それはつまり『理解や納得ができなければ、断ってもいい』ということではないでしょうか?」
「だから……殿下が選択の余地をくださったのは、そういうことか……?」
「殿下は兄上を本当に大切に思ってらっしゃるのでしょう。それに……」
「それに?」
「……『奉騎将軍』を不吉な官職だと思う人もいると思います」
「不吉な官職……か」
「太子殿下は兄上に、そんな仕事をさせたくはないのでしょう。でも、信頼できる兄上に側にいてほしい。その両方の思いがあったからこそ、殿下は兄上に選択をゆだねたのだと思います」
俺が小凰に頼みごとをするときも、そんな感じだもんな。
面倒なことはお願いしたくないけど、小凰に助けてほしい……いつも、そう思って頼み事をしてる。
まあ小凰の場合、いつも即答で手助けしてくれるんだけど。
太子狼炎にとっての兄上は、俺にとっての小凰のような存在なのかもしれないな。
「殿下が本当に……そのようにお考えなのだろうか。私のことを……言葉通りに『我が友』と思ってくださっていると? だから私に選択肢をくださったと……」
兄上は目を見開きながら、書状を見つめていた。
「では……やはり、殿下は変わられたのだろうか」
「……兄上」
「以前、この砦に来られたときもそうだった。殿下は、罪を犯した薄完と景古升に言葉をかけていらっしゃった。見事なお姿だった。殿下は……変わられたのだと思う」
「はい」
「変わらなかったのは私の方だな。殿下から頂いた書状ひとつで、これほど動揺しているのだから。まったく、情けないことだ」
兄上は苦笑いした。
「身近にいる者ほど、変化に気づかないものだ。今思えば、北臨にいたころの私は、天芳が成長していることに、なかなか気づくことができなかった。私は……人は変わることができるということを、つい忘れてしまうようだ」
「ぼくはともかく、狼炎殿下は変わられたのだと思います」
「いや、お前も成長しているだろう?」
兄上はそう言って、困ったような笑みを浮かべた。
「天芳が太子殿下の使者として北の砦に来るなんて、以前は想像もしなかったぞ」
「師兄が一緒だからここまで来られたのです。ひとりで来るのは、まだ怖いですよ」
「そうだな。翠化央どののおかげで、天芳は大きく成長できたのだと思う。兄として、化央どのには感謝している」
「えええっ!?」
小凰がびっくりした声をあげた。
兄上が彼女に向かって、いきなり拱手したからだ。
「兄として頼む。これからも、天芳の側にいてやってほしい」
「も、もちろんです。海亮さま」
「無論、化央どのに負担をかけるようなことはしたくない。天芳が化央どのに甘えているようなら、私に教えてくれるとうれしい。私から天芳に注意しよう」
「いえ、天芳が僕に甘えるということもありません。むしろ甘えてほしいくらいで……」
「そうなのか?」
「はい」
「では今回、北の砦に同行を頼むとき、天芳はなんと言ったのだ?」
「えっと……」
小凰は混乱していた。
急に兄上にお礼を言われたから、びっくりしているみたいだ。
「ちゃんとお願いしましたよ。兄上」
だから、俺は小凰の代わりに説明することにした。
「ぼくはこう言いました。『とても大事な届け物を頼まれました。誰かと一緒に行っても構わないそうです』と。そうしたら師兄が同行してくれることになったんです」
「天芳」
「はい。兄上」
「お前は、化央どのが断ると思っていたか?」
「……いいえ」
俺は頭を振った。
確かに……断られることは考えてなかった。
予定があるなら別だけど。
でも、小凰なら一緒に来てくれると信じていたんだ。
「確かに……そう考えると、ぼくは師兄に甘えているのかもしれません」
「そ、そんなことはないと思う!」
不意に、小凰は声をあげた。
「天芳はちっとも甘えてない! むしろ、こんなことで遠慮されたら困るからね!?」
「そうなんですか?」
「そうだよ! 朋友とは、頼ったり頼られたりするものなんだから。むしろ僕は、もっと天芳に頼ってほしいと思ってるくらいなんだ」
「でも、師兄にも予定はありますから」
「じゃあ天芳は、僕が『奏真国まで一緒に来てほしい』と言ったら?」
「ついていきますけど?」
「ほらぁ!」
「いや、だってぼくは師兄にはお世話になってますし」
「僕だって天芳にはお世話になってるよ!」
「そうですけど、ぼくの方が師兄に借りを作っているような……」
「だからぁ。朋友の間では貸し借りなんか気にしなくていいんだってば!」
「そういうわけには……」
俺と小凰がそんな話をしていると──
「…………ふ、ふふ。ははははははははっ!」
──不意に、兄上が笑い出した。
「ああ。そういうことか。よくわかったよ。ありがとう天芳、化央どの」
「「……え?」」
「ふたりのおかげで、狼炎殿下の書状の意味がわかった。どうして「奉騎将軍」の後継者になるのを『断ってもよい』と書かれていたのか、わかった。あの方は私を頼っていらしたのだな。いや……私に甘えていらしたのかもしれぬ」
兄上は笑いながら、そんなことを言った。
「天芳と化央どのを見ていたら、それがわかった。狼炎殿下はおそらく、私が断るとは思っていらっしゃらない。そして、私を信じてくださっている。それでも断る余地をくださったのは……本当に私を、友だと思っていらっしゃるからだろう」
臣下である黄海亮は太子狼炎の命令を断れない。
断れるのなら、それは命令ではなく『お願い』だ。
だから、これは友である太子狼炎から、友である海亮への『お願い』の書状。
形式上は命令するかたちにはしてあるけれど、そういうものだ。
「頼り頼られというのが朋友……いや、友人というものだな。部下に命令をする立場にいるうちに、私はそんなことも忘れてしまっていた。天芳と化央どのを見て、大事なことを思い出せたよ」
そう言って兄上は俺たちに、拱手した。
それから兄上は、父上の方を見て、
「父上に申し上げます。私は、殿下のご命令どおりに、次期『奉騎将軍』の候補になりたいと思います」
「うむ。わかった」
父上は即座にうなずいた。
「名誉なことだ。しっかりやりなさい」
「父上から殿下にお礼状を書いていただけますか。このような場合は当人と、その家族から王家に礼状を書くのが儀礼とされていますから」
「承知している。すぐに準備をしよう」
「では、ぼくが代筆します」
俺は拱手した。
「ぼくが口述筆記をします。父上と兄上は言いたいことを、ぼくに伝えてください。ぼくは北臨に戻ったあとで、太子殿下に復命することになりますからね。そのときに書状をお渡しします。大丈夫です。ぼくは文字だけは上手いですからね」
「うむ。頼む」
「用意のいいことだ。まったく……天芳には敵わないな」
父上は笑顔でうなずき、兄上は苦笑いした。
それから、ふたりは小凰の方を見て、
「こんな弟だが、翠化央どの。どうか、側にいてやって欲しい」
「わしからもお願いする。化央どの。天芳には貴公のような人が必要なのだ」
「は、はいぃっ!!」
小凰があわてた様子で一礼する。
「ぼ、僕の方こそ、天芳とは末永く一緒にいられればと思っています!」
「ありがとうございます。師兄」
「う、ううん。礼を言うのは僕の方だよ。天芳が『一緒に行こう』と言ってくれたから、僕は北の砦に来て、黄家のひとたちに認めてもらうことができたんだから。大事な第一歩を踏み出せたようなものなんだ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。とても重要なことなんだよ」
小凰は何度もうなずいてる。
そんな俺と小凰を、父上と兄上は優しい目で見守ってる。
それから、兄上は父上の方を見て、
「それで父上、私が北臨に戻ったあとの、国境の守りですが……」
「問題ない。砦にはわしと、客将のガク=キリュウどのがおるからな」
父上はおだやかな表情で、うなずいた。
「この地はわれらがしっかりと守ってみせよう」
「わかりました。部下たちをお願いいたします。父上」
「承知した。まあ、それほど心配することもなかろう。壬境族とは和平交渉が進んでおるからな」
「父上を代表として、会盟を行うのでしたね」
「ちょうど使者のやりとりをしているところだ。そろそろ返事がくるころだが……」
「『飛熊将軍』黄英深さまに申し上げます!!」
そんなことを話していると、部屋の外で父上を呼ぶ声がした。
「壬境族の使者が参りました。いかがいたしましょう?」
「会おう」
父上の表情が変わる。
家族と会話を交わすおだやかな顔から、緊張感のある『飛熊将軍』の顔に。
「すぐに行く。海亮も同席するがよい」
「はい。父上」
「天芳と化央どのは、隣の部屋で待機しているがよい。壬境族の使者がどんな話をするか、聞いているのがいいだろう」
そうして父上は、壬境族の使者への対応に向かったのだった。
次回、第176話は、次の週末くらいの更新を予定しています。