第174話「天下の大悪人、兄弟子とほのぼのする」
「ただいま戻りました。小凰」
「お、おかえりっ! 天芳!?」
……あれ?
なんでそんなにびっくりしてるんだ? 小凰。
俺が北臨に帰ることは前もって手紙で知らせておいたんだけど。
小凰はすごく慌ててる。
髪も乱れてる。袍も急いで着たような感じだ。
「なにかあったんですか?」
「な、なんでもないよ。それより、久しぶりだね!」
小凰は俺の手を握った。
「まずはお茶を飲もう。それから東郭で起きたことを教えてほしいな。書状では書けなかったことや、師匠たちのことを、天芳の口から教えてほしいんだ」
「わかりました。小凰」
そうして俺は、小凰の家にお邪魔することになったのだった。
「……やっぱり、僕も東郭に行きたかったな」
話を聞き終えた小凰は、ため息をついた。
「天芳ひとりで、ふたりの武術家と戦うことになったなんて。しかも、相手は『四凶の技・窮奇』の使い手だったんだよね。なのに、僕が手伝えなかったなんて……」
「ぼくも、小凰がいてくれたらと思いました」
「冬里さんには感謝しないとね。僕の代わりに、天芳を助けてくれたんだから」
「そうですね。あとでお礼をするつもりです」
「あとは……気になるのは魃怪のことだね」
うなずいて、小凰はお茶を飲んだ。
「『裏五神』は例の組織……『金翅幇』と繋がりがあるんだよね。だったら、魃怪は組織のことを知ってるはずだ」
「そうですね。他の連中からも話を聞ければよかったんですけど……」
「魃怪に倒されて意識不明なんだっけ?」
「はい。今は秋先生が治療をしています」
『裏五神』の上層部のは連中は、そのほとんどが重傷を負っている。
唯一の例外は呂兄妹だけど……。
「呂兄妹は話のできる相手じゃなかったです」
あいつらは武術と、技の話しかしなかった。
彼らが『金翅幇』のことを知っているとは思えない。
「あのふたりからは……情報は得られないと思います」
「となると、幹部の者が回復するか、魃怪が口を割るのを待つしかないってことだね」
「雷光師匠は『魃怪は心が折れている。だから話をするだろう』と言ってましたけど」
理由は、俺が仰雲師匠に似ているかららしい。
俺に負けた魃怪は、仰雲師匠に二度、負けたことになる。
だから魃怪は心が折れている。死ぬ前に、証言をするはず。
──それが、雷光師匠の見立てだった。
「でも……ぼくが仰雲師匠に似ているというのは、よくわかりません」
「僕にもわからないよ。仰雲師匠とは会ったことがないからね」
「ですよね」
「だけど……そう言われると心配になるな」
小凰はじっと、俺の目をのぞきこんだ。
「あのね、天芳」
「はい?」
「天芳は……仙人になったりしないよね?」
冗談かと思った。
でも、小凰は真剣そのものだ。
顔を近づけて、静かに俺の目を見つめている。
「天芳は俗世を捨てて山にこもったりしないよね? 五穀を断って昇仙を目指したりしないよね? 僕の手の届かないところに行ったりしないよね?」
「えっと……そんな予定はないですけど」
「本当?」
「本当ですよ。なんでそんなことを言うんですか?」
「だって、天芳は仰雲師匠に似てるんだよね? その仰雲師匠は仙人になるために山にこもっちゃったんだよね? だから──」
「ぼくも同じように仙人を目指すと思ったんですか?」
「……う、うん」
小凰は真っ赤な顔で、うつむいた。
「そう思ったら、すごく不安になっちゃったんだ。仰雲師匠が武術や……弟子を捨ててしまったように、天芳がひとりで山に入っちゃったら……って」
「そんなことしませんってば」
そもそも……俺が山の中で生きられるとは思えない。
前世の俺は21世紀の町中で暮らしていた。
だから、山でどうやって生きればいいのかなんてわからない。五穀を断って……米や麦を食べずに生活するなんて無理だ。
仙人になる前に餓死するのがオチだろう。
それに、俺が世を捨てるなんてできない。
家族もいる。朋友もいる。師匠も友だちもいる。
太子狼炎に頼まれた仕事もあるし、燎原君との約束もある。
馮千虹のことだってそうだ。俺が彼女を北臨に連れてきたんだから。なのに彼女を放り出して姿を消すなんて、いくらなんでも無責任すぎるだろ。
まあ……仙人になれば破滅エンドは避けられるかもしれないけど。
でもなぁ。
俺のことだから、山に入った後も、みんなのことが気になると思う。
仙人になるには執着を捨てなきゃいけないらしいからな。俺には向いてない。
だから、俺が昇仙なんかできるわけがないんだ。
「大丈夫ですよ。小凰」
俺は小凰をまっすぐに見返して、告げる。
「ぼくが仙人になるなんてあり得ません。心配をしなくても大丈夫です」
「そ、そうだよね」
「そうですよ」
「それに……万が一、天芳が仙人になったら、僕が仙女になればいいだけだもんね!」
「……あの、小凰?」
「それに、紫水姉さまが藍河国に来たときに『男女ふたりで若さを保つ方法がある』って教えてくれたからね。いざとなったら、天芳と一緒にそれをすればいいよね!」
「そんなものがあるんですか?」
「うん。紫水姉さまは美を追究する人だからね。奏真国に来た女性の道士に秘伝の長生法の説明を受けたことがあるんだって」
「……秘伝の長生法を?」
「うん。それをすると若々しいままで、長生きすることができるんだって」
「その女性の道士って、どんな人だったんですか?」
「見るからに高齢の方だったよ」
「それって……怪しくないですか?」
……若々しい長生法を使っている人が高齢って。
どう考えても詐欺かなにかだと思うんだけどな。
「うん。だから紫水姉さまはその道士を追い返したらしいよ」
「でしょうね」
「だけど、念のため僕の師匠に、その技が本物かどうか確かめてほしいと言ってたんだ。確か……『双修長生法』という名前だったと思うんだけど」
「わかりました。師匠が帰ってきたら、一緒に聞いてみましょう」
「うん。約束だよ」
「…………お話の途中申し訳ありません。凰花さま」
ふと気づくと、部屋の入り口に年配の女性が立っていた。
茶器を手に、困ったような表情をしている。
「あぁ、桐。お茶のおかわりをもってきてくれたんだね」
「さようでございます。ところで、一言申し上げたいことがございますが」
「待って。その前に、天芳に紹介するから」
小凰は立ち上がって、初老の女性に近づいた。
「彼女の名前は桐。僕の身の回りの世話をしてくれるために奏真国から来たんだ。前に門番の男性と会ったことがあるよね? 桐は、その人の姪御さんなんだ」
「はじめまして、黄天芳さま」
女性……桐さんは、俺に向かって拱手した。
「あなたさまのお話は、いつも凰花さまからうかがっております」
「こちらこそ、ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。黄天芳です。師兄にはいつもお世話になっております」
「凰花さまのおっしゃっていた通りのお方ですね」
桐さんは、優しい笑みを浮かべた。
「礼儀正しくて、目下の者にもお優しい方だと、いつもうかがっております」
「そうだよ。天芳は僕の自慢の弟弟子なんだから!」
「それはわかりました。ですが、凰花さま」
「どうしたの? 急に真面目な顔をして」
「大切な方の前で、あまり変なことをおっしゃらない方がよろしいかと」
「変なこと?」
「さきほどおっしゃったではないですか。『双修長生法』と」
「うん。紫水姉さまが教えてくれたよ。どんなものかよく知らないけど」
「あの道士は怪しすぎて、紫水さまは追い返されたのですよ?」
「そうだよ。だけど紫水姉さまは、僕の師匠に確認してみなさいって言ってた」
「……あまり紫水さまのおっしゃることを真に受けない方が」
桐さんはため息をついた。
「あの方が女性の道士から話を聞いたとき、私も同席しておりました」
「そうなの?」
「はい。あの長生法は、男女が寝所で行う修行法だと聞いております。繋がった状態で『気』をやりとりして、身体の中に濃密な『気』を作るのだとか」
……あ。そういう修行法か。
男女が寝所で行う……って、房中術の親戚じゃねぇか。
俺の世界では、皇帝が妃と行うものだって聞いてる。
でも、その道士は偽物っぽいんだよな。長生法を教えてるくせに、当の本人は見るからに高齢なんだから。
なのに小凰のお姉さんは……師匠に聞くように言ったのか。
……それはいたずらが過ぎるだろ。
いくらなんでも、小凰だってびっくりして……。
「なるほど! そういう修行法があるんだね!」
……なかった。
小凰は感心したようにうなずいてる。
たぶん……その長生法のことを、ふたりでやる『獣身導引』のようなものだと思ってるんだろうな。
「……凰花さま」
桐さんは頭痛をこらえるように、額を押さえた。
「道士が言っていたのは、男女が寝所で行う修行法なのですよ?」
「うん。だから天芳と手を繋いで眠ればいいんだよね?」
「……凰花さま」
「どうしたの、桐」
「奥でお話をいたしませんか?」
「え? でも……せっかく天芳が来てくれたのに……」
「紫水さまが贈ってくださった礼服がございます。それを黄天芳さまにお見せするのはいかがでしょう」
「それはいい考えだね!」
「桐は、幼いころから凰花さまのお世話をしておりますから」
「う、うん。そうだね」
「凰花さまのことはよく知っております。片付けが苦手なことも。黄天芳さまがいらっしゃる前に、礼服を何度も着替えていらっしゃったことも。結局、それを着て黄天芳さまの前に出る勇気がなくて、いつもの服に着替えて……」
「桐!? 客人の前で主人の失敗を口にするのはよくないと思うよ!?」
「藍河国ではそうでしょうが、奏真国では当たり前のことです」
びしり、と、宣言する桐さん。
「奏真国では、親しい人に家の中のことも知ってもらうものです。まして黄天芳さまは凰花さまの朋友でいらっしゃるお方で、家族同然です。でしたら、凰花さまの困ったところも知っていただかなくては!」
「で、でも、天芳は別に興味ないよね!? 家の中で僕がどうしてるかなんて、知りたくないよね?」
「すごく興味があります」
「天芳!?」
いや、だって興味があるし。
小凰は俺の前では真面目な顔しか見せてくれないし。
家の中での小凰のことも知りたいに決まってるじゃないか。
「お許しをいただいたのでお話しいたしましょう」
「いいから。話さなくていいから。礼服に着替えるから!」
「片付けもなさってくださいね」
「わかったから!!」
「それから、あまり変なことを口になさらないように。家の中ならいいのですが、外では……」
「もうわかったから。はい。奥で着替えるよ!」
そうして小凰は桐さんと一緒に、屋敷の奥へと向かったのだった。
「……た、ただいま。天芳」
しばらくして、小凰が戻ってきた。
真っ赤な顔だった。
お風呂上がりのように……首筋も、耳たぶまでも真っ赤になってる。
「こ、これが、紫水姉さまが贈ってくれた礼服だよ。どうかな……」
「は、はい。えっと……きれいです」
気づくと、俺はそんな言葉を口にしていた。
小凰が着ているのは、いわゆるチャイナドレスだ。
以前、星怜が着ていたのと同じタイプだけど、丈が短い。
肩も完全に露出している。
気温の高い奏真国で作られたものだから、通気性を良くしているみたいだ。
胸のあたりに飾りがついている。
そのせいで、視線がついつい引っ張られる。なんだか、不思議な感じだ。
「そ、それでね、天芳」
「はい」
「さっき話した長生法のことだけど……わ、忘れてほしいな!!」
小凰は目を閉じて、必死な表情で声をあげた。
「と、桐に詳しい内容を教えてもらったんだけど……ぼ、僕は、すごく恥ずかしいことを言ったみたいだ。ああもう……紫水姉さまってば、すぐに僕をからかうんだから! 天芳が相手だからよかったけど……僕はもう……なんてことを……」
「だ、大丈夫です。忘れます!」
「う、うん。忘れて! お願い!!」
「もちろんです。約束します」
「あ、ありがとう。天芳」
「大丈夫です。この話題はもう口にしないことにします」
「うん。僕たちにはまだ早いよね」
「……はい」
「…………うん」
……気まずい。
小凰は真っ赤になってうつむいてるし。
俺の心臓の鼓動も妙に速くなってる。
よし……話題を変えよう。
「小凰。その礼服、すごくかわいいですね!」
「そ、そうかな!?」
「いつもと雰囲気が違いますけど、きれいです。とっておきの服だってわかります」
「……天芳」
小凰は胸を押さえて、じっと俺を見た。
それから、とてもうれしそうな笑顔になる。
「ありがとう。天芳。勇気を出して着てよかったよ」
「……でも」
「でも?」
「その姿の小凰を、あんまり人に見せたくないような……」
「……え」
「は、はい。どうしてそう思うのか、よくわからないんですけど。礼服姿の小凰を他の人に見られるのはちょっと……いや、でも、これは礼服だから、そういうわけにもいかないんでしょうね」
「ううん。別に構わないよ」
小凰はそう言って、笑った。
「うん。わかった。この礼服は天芳専用にする!」
「いいんですか?」
「僕だって、天芳以外の人にこんな姿を見せたくないからね。おあいこだよ」
「なんだか……ぼくがわがままを言ったみたいですけど」
「じゃあ、僕もそのうち天芳にわがままを言おうかな?」
にやりと笑う小凰。
「というよりも、朋友として、おたがいにわがままを言える関係でありたいと思うんだ」
「そうですね。ぼくも、小凰のわがままなら聞いてあげたいです」
「うん。じゃあ、考えておくよ」
俺たちは視線を合わせたまま、うなずきあう。
それから俺たちは、桐さんが淹れ直してくれたお茶を飲んだ。
やっぱり、小凰と一緒にいると落ち着く。
いつまでもこんなふうに、頼ったり頼られたりの関係でいられたらいいんだけど。
「そういえば、今日ここに来た理由を忘れていました」
俺は姿勢を正してから、小凰に向かって告げた。
「ぼくは、小凰にお願いがあるんです。これは公的なことでもあります」
「わかった。聞かせてくれ」
「ぼくは狼炎殿下から届け物を頼まれたんです」
「狼炎殿下に?」
「はい。とても大事な届け物です。誰かと一緒に行っても構わないそうです。それで──」
「わかった。僕も一緒に行くよ」
説明を終える前に、小凰はうなずいた。
「旅の間、僕が天芳を護衛すればいいんだよね。任せて」
「事情を説明しなくてもいいんですか?」
「天芳のことは信じてる。だから、大丈夫だ」
「……小凰」
「あ、でも、僕が北臨を出るときは、申請しなきゃいけないんだっけ」
「それはぼくから申請しておきます」
俺から話を通しておけば大丈夫だろう。
太子狼炎の依頼だからな。断られることはないはずだ。
「じゃあ、家の者に話を通しておこう。ちょっと、桐! こっちに来て!」
小凰が呼ぶと、奥の方から桐さんがやってくる。
「お呼びですか。凰花さま」
「あのね。僕は天芳と一緒に旅に出ることにしたんだ。往復で15日くらいはかかると思う。その間、家のことをお願いするね」
「承知いたしました」
そう言って桐さんは、俺に向かって深々と頭を下げた。
「黄天芳さま」
「はい」
「凰花さまのことをよろしくお願いいたします」
「わかりました」
「何度もご一緒に旅をされておりますから大丈夫だとは思いますが、凰花さまが脱いだ服をそのまま放り出しても、どうか、呆れないでいただけると……」
「桐!? なんてこと言うの!?」
「桐は凰花さまの教育係でもございます。ですから、片付けはちゃんとしましょうと何度も申し上げているのです。さきほども申し上げました。なのに凰花さまは礼服に着替えたあとは、服も下着も放りっぱなしで……」
「だから天芳の前でそういうことを……」
「あら? 凰花さまは、大切な朋友の前で隠し事をされるのですか?」
桐さんは不敵な笑みを浮かべてみせた。
「さきほども申し上げましたが、奏真国では親しい方と家族ぐるみの付き合いをするのは当然のことです。家の中のことも知っておいていただくべきでしょう」
おだやかな表情で話を続ける桐さん。
なんとなくだけど、小凰が優しい理由がわかったような気がした。
この人が側で、ずっと小凰を支えていてくれたんだろうな。
小凰のお母さんが不安定なときも、ずっと。
「わかりました。小凰のことを教えてください」
だから俺は拱手して、答えた。
「ぼくは小凰の朋友です。彼女のことは、まるごとぼくが受け止めますから」
「はい。凰花さまをよろしくお願いします」
「お任せください」
「黄天芳さまのような方が、凰花さまと出会ってくださってよかったです」
「ぼくも、小凰と出会えてよかったと思っています」
「では、凰花さまのことをお伝えいたしましょう。まずは前提として、奏真国は藍河国より温かい国です。ですから、あの国では家の中では薄着で過ごす習慣があります。そのせいで凰花さまは、下着姿でうろうろされることがあるのです」
「そうなんですね」
「奥方さまがいらっしゃるときは、自室の中でだけでした。ですが現在、屋内で同居しているのは、この桐だけです。だからといって家中を下着姿でうろつかれるのはどうかと思います。旅先でもそういうことがあるかもしれませんが、どうか、温かい目で見守っていただけると……」
「承知しました」
「それと、凰花さまの寝相なのですが……」
「うかがいましょう」
「て、天芳も桐も、どうしてふたりでわかりあってるの!? なんで僕の話を淡々と続けてるの!? ねぇ、待って。ちょっと待ってってば────っ!!」
こうして、俺は桐さんから、小凰の新たな一面について教わることになり──
「うぅ。今度から……ちゃんと片付けをするようにするよ……」
「旅の間はきちんとするようにしてくださいね」
「……うん」
「大丈夫です。小凰の服はぼくが管理します」
「そこまでしなくていいからね!? 天芳!!」
そんな感じで、俺たちは旅の打ち合わせをはじめたのだった。
今週は1話だけの更新になります。
次回、第175話は、次の週末を予定しています。