第173話「天下の大悪人、届け物を頼まれる」
翌日、俺は藍河国の王宮に来ていた。
場所は王宮の中門を通った先にある部屋だ。
謁見の間よりは狭い。
ここは王家が内密に、臣下と話をするための部屋らしい。
部屋の中にいるのは俺と、太子狼炎と『狼騎隊』の范圭さん。
他にも数名の『狼騎隊』が、部屋の外で警備を務めているとのことだった。
「よく来たな。黄天芳よ」
椅子に座ったまま、太子狼炎は言った。
「東郭での役目、ご苦労だった。盗賊団を無事に捕縛できたとの報告を受けている。貴公の働きには感謝している」
「ありがとうございます。殿下」
俺は床に膝をついて、拱手した。
それから、袋に入っていたものを取り出し、捧げ持つ。
以前、太子狼炎に渡された佩玉だ。
東郭の町にやって来た太子狼炎は、俺にこの佩玉を渡した。
その上で、俺を盗賊調査の中心人物にすることを、まわりの人たちに宣言したんだ。
その後ずっと、佩玉は俺が預かっていたんだ。
でも……手元にあると気を遣うんだよな。
ぶっちゃけ貴重品だし。早く返したい。
「お預かりしていた佩玉をお返しいたします。どうか、お受け取りください」
「承知した。では、范圭よ」
「はい。太子殿下」
側に控えていた范圭さんが、作法通りに佩玉を受け取ってくれる。
これで一安心だ。
「この佩玉は、褒美として授けても良かったのだが」
「いえ。ぼくには重すぎます」
「まあいい。いずれ貴公には他の褒美が与えられることだろう」
そう言って太子狼炎は言葉を切った。
しばらく、沈黙があった。
俺も太子狼炎もなにも言わない。狼騎隊の范圭さんも。
ただ、かつん、かつん、という小さな音が響いている。
太子狼炎が踵を鳴らす音だ。
なにかを迷っているような、そんな音だった。
「黄天芳よ」
「はい。殿下」
「書状に書いた通り、この狼炎は、貴公に任を命じたいと思っている」
靴音が音が止まり、太子狼炎が口を開いた。
「まずは顔を上げよ。黄天芳」
「……は、はい」
「それと、言葉使いを改めるがいい。以前、叔父上の屋敷で話したようにせよ」
「王弟殿下の屋敷でお話したようにと言いますと……?」
もしかして、燎原君の屋敷の廊下で語り合ったときのことか?
……そういえば、あのとき俺は太子狼炎に「奏真国を大切にするべき」って言ったんだよな。太子狼炎が奏真国を見下してるのが気になったから。
あのときと同じように話せって言われても……いや、無理だろ。
ここは王宮だ。
話し方ひとつで首が飛ぶんだから。
「この黄天芳は、礼儀をわきまえる者です」
「そうだな。だが貴公は、嘘を吐かぬ者でもある」
「嘘を吐かぬ者、ですか?」
「貴公の言葉は耳障りであることが多い。だが、それは貴公が嘘を吐かぬからだと思っている」
太子狼炎は、じっと俺を見下ろしている。
はじめて会ったときのような強気な感じとは違う。
その後の、落ち着いた感じともまた違う。
不思議な威厳を感じた。
この人の前にいると、自然と頭を下げたくなる。
まるで、燎原君を前にしているみたいだ。
「我が従兄弟であった兆昌括は、いつわりの平和を作り上げた。それは嘘で塗り固められた、当人だけに心地よいものであった」
太子狼炎は苦々しい口調で、そんなことを言った。
「兆昌括は東郭の防衛隊長の任にあったとき、盗賊団と裏取引をしていた。それによって、自分がいる町のみを守り、他の町に危険を押しつけた。それは貴公も知っているな?」
「はい。太子殿下」
「その結果、兆家がどうなったのかも、叔父上に聞いたな?」
「はい。先日、王弟殿下から事情をうかがいました」
「ああ。この狼炎が、貴公に伝えてくれるように頼んだのだ」
「殿下がですか?」
「この狼炎では、冷静に話すことができぬと思ったからだ。兆叔父が関わることでは、貴公とも色々あったからな」
「ご配慮をいただき、ありがとうございます」
俺は太子狼炎に一礼した。
「お気持ち、お察しいたします。殿下」
「問題ない。この狼炎は……今は落ち着いている」
太子狼炎はうなずいた。
「今回の事件で、ひとつわかったことがある」
「……殿下?」
「この狼炎に必要なのは心地よい嘘ではない。耳障りな真実なのだ。それを踏まえた上で、貴公に頼みがある」
「はい。殿下」
「我が国はこのたび、壬境族と和平を誓うための会盟を行うこととなった」
「和平の会盟をですか?」
この世界の『会盟』とは、高位の者同士が集まり、誓いを立てることを表す。
それが壬境族との間で行われるらしい。
ということは、壬境族の穏健派が政権を取ったんだろうか。
「もしかして壬境族からは、ハイロン=タイガさまが参加されるのですか?」
「その通りだ」
「では……穏健派が、壬境族の主流となったのですね」
「ああ。今はハイロン=タイガなる者が、壬境族の王の側にいるそうだ。彼らは和平のために動いている。父上と叔父上はそれに同意し、会盟を行うことにしたのだ」
「お話はわかりました」
俺は頭を下げた。
「それで……ぼくはなにをすればいいのでしょうか?」
「会盟には『飛熊将軍』黄英深が立ち合うこととなる。あの者が藍河国の代表となるのだ。だから、この佩玉をあの者に届けてほしい」
太子狼炎は、俺が返したばかりの佩玉を指し示した。
「壬境族との会盟は北の砦の近くで行われる。和平の誓いを行うにあたり、我が王家が会盟に同意しているという証が必要となる。それがこの佩玉だ。貴公は北の砦に向かい、これを黄英深に届けてほしい」
「ぼくが……ですか?」
「不服か?」
「違います。ですが……殿下がぼくに依頼される理由がわからないのです」
佩玉を届けたいなら、使者を送ればいいだけだ。
なのに……どうして俺に?
「それは、もうひとつ貴公に頼みたいことがあるからだ」
太子狼炎は言った。
「黄天芳に命じる。北の砦に行き、黄英深と黄海亮に会うがいい。そして、彼らに東郭で起きたことと、兆家のことを使えるのだ。包み隠さず、すべてのことを」
「……え」
「その上で、黄海亮に北臨に帰還するように伝えよ。ただし、それは貴公が海亮への伝言を終えたあとでなければならぬ。東郭のことと兆家のことを……言葉を飾らず、不吉を避けず、すべて伝えるのだ」
「殿下、それは……」
「これは貴公にしかできぬことだと思っている」
太子狼炎は真剣な口調だった。
「他の者ならば『不吉を避けず、すべてのことを伝えよ』と命じたところで、その通りにはしないだろう。言葉を飾り、不吉な言葉を避け、あたりさわりのないことを言うであろう。心地よい、耳が痛まぬ言葉を使うかもしれぬ。だが、貴公は違うであろう?」
「ぼくならば、情報を正しく伝えることができるとお考えなのですね?」
「そうだ」
「ですが、それはぼくだけではありません。『狼騎隊』の方々でも、正しい情報を伝えてくださると思います」
「彼らには別の任務がある」
太子狼炎は頭を振った。
「『狼騎隊』にはこれから、海亮の補佐を行ってもらうことになる。海亮が北臨周辺を守る役目に就いたとき、彼を補助できるようにな。そのための部隊再編を行わなければならぬのだ」
……なるほど。そういうことか。
北臨に戻ったあとで、海亮兄上は『奉騎将軍』の後継者としての任に就くことになる。
ただ、兄上の軍事の経験は、北の砦でのものだけだ。首都近郊で仕事をしたことはない。
その経験不足は『狼騎隊』が補う、ってことか。
「殿下は、兄上にすべてを伝えることをご希望なのですね?」
「そうだ」
「包み隠さず……すべてを?」
「ああ」
「そのようにおっしゃる理由をうかがってもよろしいですか?」
「この狼炎の側近は、不吉と向き合うことになるからだ」
太子狼炎は宣言した。
「側近には不吉な出来事を隠したくはない。私のまわりで起きた出来事を正しく知り、理解した上で仕えてもらいたいのだ」
「不吉な出来事を……」
「それに、軍事に必要なのは事実だ。脚色されたきれいな情報ではなく、泥にまみれた事実が必要となる。貴公にはそれを海亮に伝えてもらいたい」
「ひとつ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「許す」
「殿下は……ご無理をなさってはいませんか」
ふと、心配になった。
太子狼炎は兆石鳴……親戚を失ったばかりなのに。
側近には不吉な出来事を話して、理解した上で仕えてほしい……って。
なんだか、無理をしているように思えてきたんだ。
「無理はしておらぬよ」
太子狼炎は、おだやかな笑みを浮かべてみせた。
「私には……不吉を分け合ってくれる人がいるからな。大丈夫だ。だが、貴公の言葉には感謝する」
「いえ、出過ぎたことを申し上げました」
「貴公が耳に痛い言葉を口にするのはいつものことだ」
「申し訳ありません」
「だが、貴公は信じられる人物でもある。貴公はこの狼炎にとって、必要悪のようなものなのかもしれぬな」
……必要悪? 俺が?
俺が不思議そうな顔をしているのに気づいたのか、太子狼炎は、
「『悪』という文字には『不快』という意味もある。常に苦い言葉──諫言をくれる貴公は、この狼炎にとって『必要な悪人』であるのだろうな。いや、藍河国だけではなく『天下にとって必要な悪人』とでも言うべきだろうか」
「殿下」
「なんだ?」
「……それは、冗談のようなものですよね?」
「非難しているように聞こえたか? ならば申し訳なかった」
「いえいえ、そういうわけでは」
「そうか」
「はい」
……天下に必要な悪人って。
そういうことを言われると、以前に見た夢を思い出すんだ。
夢の中で狼炎王は言っていた。
『天下の大悪人よ。お前にも運命は変えられなかったのだ』……と。
あの言葉は、もしかして『天下に必要な悪人 (天下万民にとっては、不快だけれど必要な人物)』という意味だったのか?
『良薬口に苦し』とか、そういう意味?
……いや、まさか。
そんなことはないと思うんだけどなぁ。
「殿下」
「なんだ。黄天芳よ」
「ぼくが『天下にとって必要な悪人』という言葉は、できれば……人前ではおっしゃらないでほしいのですが」
「わかっている。貴公の前でしか口にせぬ」
「お願いします」
そう言ってから、俺は拱手した。
「北の砦に佩玉をお届けするお役目、謹んでお受けいたします。父上と兄上には、東郭の町で起きたことと、兆家の皆さまのことを包み隠さずお伝えするとお約束いたします」
「頼む」
「貴重品を運ぶのです。安全のために同行者を連れていっても構いませんか」
「貴公に任せる。必要なものがあれば范圭に言うがよい」
「承知いたしました」
『天下に必要な悪人』のことは忘れよう。
壬境族とは和平の誓いが行われることになった。これはいいことだ。
破滅エンドへのルートがひとつ、完全消滅することになるんだから。
あとのことは……役目を果たしてから考えよう。
まずは北の砦にいる父上と兄上に、佩玉と情報を届けないと。
燎原君のお役目を受けるのは、北臨に戻ってきてからだ。
人員を使っていいと言われているから、『金翅幇』対策もできるはず。
雷光師匠と連絡を取って、魃怪たちの情報をもらう必要もある。
まずは……北の砦に一緒に行く人を決めないとな。
王宮を出たら会いに行ってみよう。
……小凰、元気でいるといいんだけど。
そんなことを考えながら、俺は太子狼炎のもとから退出したのだった。
次回、第174話は、次の週末くらいに更新する予定です。