第172話「天下の大悪人、未来のご褒美を提案される」
──天芳視点──
燎原君との話は続いていた。
燎原君と夕璃さんは「自分たちの依頼は長期的なもの」と言った。
今日とか明日に用事があるというわけではない。
俺が常に、太子狼炎の側に控えているということでもない。
ただ、太子狼炎と燎原君、それに黄家が連絡を取れる体制を作っておきたい、ということだ。
今後長い間、協力関係を保てるように。
「君が狼炎殿下から仕事を任されることは知っている。まずは、そちらを優先してくれて構わない」
それが、燎原君の言葉だった。
俺が太子狼炎から仕事を依頼されることは、燎原君も知っているらしい。
ただ、その内容は知らないそうだ。
「私からの願いは以上だ。君の方で、なにか望みはあるかな」
「あ、はい。では、申し上げます」
「うむ。言ってみるがいい」
「ぼくは東郭の町で優秀な人材を見つけました。その子に教育の機会を与えていただきたいのです」
俺は馮千虹のことを燎原君に伝えた。
──馮千虹が盗賊退治に役立ってくれたこと。
──彼女はとても頭がよくて、学習意欲があること。
──教育熱心だった両親が盗賊団に殺されてしまったこと。
──その後の馮千虹が、独学で知識を蓄えてきたこと。
「馮千虹は得がたい人材です。彼女に学ぶ機会を与えることは、藍河国の利益になると思うんです」
説明を終えてから、俺は燎原君に頭を下げた。
「どうか、馮千虹を王弟殿下の客人としていただけませんか。そして、お屋敷の書庫に入ることをお許しいただきたいのです」
「承知した」
燎原君の答えは短かった。
「その娘、馮千虹を私の客人としよう」
「ありがとうございます!」
こんなに簡単に許可が出るとは思ってなかった。
あっさりすぎて、拍子抜けするくらいなんだけど……。
「私は君を信頼している。その君の紹介ならば問題はないよ」
燎原君はそう言って、笑った。
「それに、東郭の町で起きたことは、私にも責任がある。多くの情報網がありながら、兆昌括がしていたことに気づかなかったのだからね」
「……王弟殿下」
「馮千虹という少女に教育の機会を与えることは、その失態を取り戻すことにもつながる。彼女が東郭の防衛副隊長の姪であるなら、その知識を防衛の役に立てることもできるだろう」
燎原君はそう言って、うなずいた。
「馮千虹が書庫に入ることを許す。また、私の客人のひとりを、彼女の教育係とすることにしよう。それでいいかな?」
「ありがとうございます。王弟殿下のお慈悲に感謝いたします」
「いや、慈悲深いのは君だよ。黄天芳」
「……え?」
「さっき私は言ったな。『君の方で、なにか望みはあるかな』と」
「はい。ですから、馮千虹に書庫に入る機会を、と」
「私は君自身が、自分のために欲するものはないのかと聞いたのだがね?」
「……あ」
気がつかなかった。
そっか、燎原君は俺に報酬を与えようとしていたのか。
「王弟である私が、君に長期的な頼み事をしているのだ。それに対価を与えるのは当然だろう? 君自身に、なにか欲しいものはないのか?」
「ぼく自身が欲しいもの……ですか」
今は……特にないな。
官位や地位は欲しくない。
高い地位について失敗したら、ゲームみたいに破滅するかもしれないし。
最悪、処刑される可能性もあるわけだし。
金銭は……今のところ使い道はない。
買い物といえば、東郭を出るときに、星怜と小凰におみやげを買ったくらいだ。
給与もほとんど使わずに残ってる。
だから今のところ、欲しいものはない。
というか、報酬をもらうのは落ち着いてからにしたい。
今は盗賊団のことや兆家のことで、色々とゴタゴタしてるからな。
だから──
「王弟殿下のお言葉に感謝いたします」
俺はまた、平伏した。
「ですが、今は特に欲しいものが思いつきません。なので、保留にさせていただいてもいいですか?」
「構わないとも」
「いつか……世の中が落ち着いたら、ご褒美を頂戴したいと思っています」
「……不思議な人物だな。貴公は」
燎原君は、じっと俺を見ていた。
「私も多くの人材を見てきたつもりだが、君の本質はなかなかつかめない。君は無欲なのか強欲なのか、どちらなのだろうね」
「自分ではよくわかりませんが……もしかしたら、強欲なのかもしれません」
俺の望みは『藍河国破滅エンド』と『黄天芳の破滅エンド』を回避することだからな。
国ひとつの運命を変えようとしているんだ。どう考えても強欲だろう。
「ですからご褒美をいただくのは、世の中が落ち着いてからにしたいのです」
「面白いな。貴公は」
「……恐縮です」
「もしかしたら君には、君自身も気づいていない大望があるのかもしれない。だから欲望が見えない。大欲すぎて、無欲に見える。そういう人物もいるものだ」
燎原君が目つきが鋭いものに変わる。
強い視線は、まるで俺を探っているかのようだ。
「君の欲望は天下に比するほど大きいのかもしれぬ。地位や官位、金銭……そういうものでは満たされないほどのものなのだろう。面白いが、不安でもあるな」
「……王弟殿下?」
「気宇壮大なのはいい。だが、君の器がこの国を飲み込むほどのものだった場合、私は……」
「考えすぎですわよ。お父さま」
不意に、夕璃さんが口を開いた。
「それに、ご褒美のことで悩むなんてお父さまらしくないですわ。お父さまはいつも、相手にふさわしいものを選んでいらしたじゃありませんか」
「そうなのだがね。私には、黄天芳の望むものがわからないのだよ。こんなことははじめてなのだが……」
「ひとつ、おすすめのご褒美がありますわ」
「ほぅ。それはなにかな?」
「結婚式ですわ」
夕璃さんは、とても楽しそうな表情で、告げた。
「黄天芳さまはいずれ、この国の誰かと結婚されることになります。そのときにお父さまは、燎原君の名のもとに、盛大な結婚式をして差し上げればよろしいのです。そうすれば黄天芳さまがお父さまにとって重要人物であることを、内外の人々に知らしめることになりますわ」
「おお! それはよい考えだ」
「そうすることで私たちは黄天芳さま……ひいては黄家と深い繋がりを持つことになります。これは、お父さまの意に適うことではなくて?」
「いや、確かにその通りだ。妙案だな。夕璃よ」
「……あの。王弟殿下。夕璃さま」
俺はあわてて顔をあげた。
「ぼくには今のところ、結婚する予定はないのですが……」
「将来の話ですわ」
「将来の話だよ。黄天芳」
そろってうなずく夕璃さんと燎原君。
「ただ、私が君を重要人物だと考えていることを内外に示すには、いい案だと思う。どうだろうか、黄天芳よ」
「将来、あなたさまが誰かと結婚するとき、お父さまがその式を取り仕切ることをお許しいただけませんか?」
「それをもって、君への褒美としたい」
「口約束でも構いませんわ。『許す』とおっしゃってくださいませ」
「……少し、考えさせていただいても?」
そう答えるしかなかった。
ここで「わかりました」と答えるたら、とんでもないことになりそうな気がする。
夕璃さんは夢見るような表情だし。
燎原君は『妙案だ』って、何度もうなずいている。
燎原君は藍河国の宰相で、人事と外交の達人。
夕璃さんはその娘で、社交の名人だ。
……ふたりのことだから、なにか裏がありそうな気がするんだよな。
「王弟殿下と夕璃さまのお言葉はうれしく思います。ですが、少し時間をいただきたいのです」
「わかった。だが、いずれ返事をもらいたい」
「お願いいたしますわ。黄天芳さま」
そんな感じで、俺と燎原君と夕璃さんの会談は終わったのだった。
その後、俺が黄家に戻ると──
「兄さん。お話をしてもいいですか?」
玄関先で、星怜が待っていた。
腰に手を当てて、じーっと俺を見てる。
「馮千虹さまのことで兄さんにうかがいたいことが……」
まっすぐ俺に駆け寄ってきた星怜は、不意に足を止めた。
「……いえ、やっぱり、今はいいです」
「え? どうしたの? 話をするのは構わないよ」
「ううん。いいのです」
星怜は、困ったような表情で頭を振った。
「だって、兄さんはお疲れのようですから」
「……あ、うん」
確かに、ちょっと疲れたかもしれない。
燎原君のところで長時間、話をしていたからな。
兆家のこともショックだったし、その後の依頼にもおどろいた。
なにより燎原君と話をしていると、かなりのプレッシャーを感じるんだ。
あの人は歴史上の偉人みたいなものだからな。
しかも、ゲーム『剣主大乱史伝』では、大悪人黄天芳の仇敵でもあるわけだし。
この世界では味方だとわかっていても、どうしても緊張してしまう。
「確かに、王弟殿下や夕璃さんといろいろな話をしたからね。疲れてるかもしれない」
「……ですよね」
「でも、星怜が心配するほどじゃないよ」
「そうなんですか?」
「話の内容を教えるわけにはいかないけど……悪い話じゃなかったからね。王弟殿下は、ぼくを評価してくれたわけだし」
海亮兄上の人事や、燎原君と黄家の協力関係のことは話せない。
でも、なにも言わないと星怜を心配させちゃうからな。
話しても良さそうなことは……そうだな。
「あ、ぼくの結婚についての話があったよ」
「え、えぇええええっ!?」
「将来、ぼくが誰かと結婚することになったら、燎原君が式を取り仕切ってくれるって」
「ふ、ふぇええええ……っ!?」
「夕璃さまも乗り気だった」
「あ、あわわ。ゆ、夕璃さまが!? それって……」
「とりあえず『考えさせてください』って返事はしておいたよ。でも、やっぱり王弟殿下はすごいよね。ぼくの結婚のことまで心配してくれるんだから」
「………………」
「……うん。星怜と話をしたら、少し落ち着いてきたよ」
家族だからね。
一緒にいると安心する。
こうして星怜と話していると、家に帰ってきたって実感するんだ。
「ありがとう。星怜」
「い……いえ、わたしこそ。話してくださって……ありがとうございました」
「ところで、星怜の話ってなんだったの?」
「……吹き飛んじゃいました」
「え?」
「頭の中から吹き飛んでしまいました……今は、頭の中が真っ白で、なにも考えられません」
「そうなの?」
「兄さんは……千虹さまとお話をして差し上げてください。わたしは今日は……胸がいっぱいで……なにも言葉が出てきません」
「……大丈夫? 星怜」
「…………だいじょうぶ、です」
「いやいや、大丈夫じゃないから! 部屋まで送るから!!」
俺は真っ赤になった星怜の手を引いて、自室へと送っていったのだった。
それから俺は、馮千虹と話をした。
燎原君が、彼女を客人にしてくれること。
屋敷の書庫への出入りを認めてくれたこと。
ついでに俺も、書庫を見学させてもらったこと。
書庫は大きな部屋で、壁の全面に据え付けられた棚に、ぎっしりと書物が──
「…………きゅぅ」
──と、そこまで言ったところで、馮千虹は床に座りこんでしまった。
ゆらゆらと小さな身体がゆれてる。
興奮しすぎたのか鼻を押さえながら、彼女は、
「あ……ありがとうございますです。黄天芳さま」
「うん。説明を続けていい?」
「ま、まだあるのですか……?」
「王弟殿下は虹さんを評価してくれたからね。やっぱり、盗賊団討伐に協力してくれたことが効いているんだと思う」
「は、はい……」
「とにかく、北臨にいる間は、生活の心配はしなくていいそうだよ」
燎原君の客人は衣食住が保証される。
しかも馮千虹は、上級の客のあつかいになる
宿舎がもらえるし、服も与えられる。食事も3食出る。
さらに馮千虹の場合は教育係もつくらしい。
まさに破格の対応だ。
さすがは燎原君。
馮千虹が貴重な人材だって見抜いてくれたみたいだ。
「宿舎に入るのはいつでもいいらしいけど。どうする? 一度東郭に帰って、碧寧さんに相談してからでも構わないみたいだよ」
「ま、まずは、書庫に入りたいのです!」
馮千虹は興奮した口調だった。
「虹は書庫に入って、知らないことをたくさん知りたいのです! ああ……でも、一度書庫に入ったら、抜け出せなくなるかもしれないのです。気づいたら住み着いていたり……」
「……ありそうな話だね」
「ああ、でも。書庫には絶対入りたいのです。どうすれば」
「じゃあ、期間を決めよう」
俺は提案した。
「書庫に入るのは1日だけ。その後は、ぼくが虹さんを書庫から引きずりだして、東郭行きの馬車に放り込む。それでどうかな?」
「は、はい。お願いいたしますです!!」
平伏する馮千虹。
それから、彼女は真っ赤な顔で、
「ほ、本当に王弟殿下の書庫に入れるなんて……びっくりなのです」
「ぼくは虹さんなら大丈夫だと思ってたんだけどね」
「そうなのですか?」
「うん。虹さんの才能については、王弟殿下にしっかり伝えたから」
「どんなふうにですか!? い、いえ……聞くのは怖いので……いいのです」
「ところで」
「は、はいっ!」
「虹さんの方で、ぼくに言いたいことはあるかな?」
「あったような気がします! でも、頭の中が真っ白になってしまったので日を改めるのです!」
「そうなの?」
「はいっ!」
「そっか。それならいいんだけど……」
「黄天芳さま!」
いきなりだった。
馮千虹は小さな頭を、床にこすりつけた。
「こ、虹は黄天芳さまを、心の主君とするのです!」
「心の主君?」
「物語にあるのです。人はなにかの決意を示すために、義兄弟の誓いを結んだり、忠誠を誓ったりするものなのです。でも、虹はこんなにちっちゃいですし、まだまだ未熟者なのです。だから……」
馮千虹は顔を上げて、
「今は、黄天芳さまを心の主君としたいのです! 空にあって動かない北辰 (北極星)のように、黄天芳さまのお役に立つことを目標に、勉強をしたいのです。そうすれば虹は、どんなに知識が増えても、道を間違えずに進んでいけると思うのです」
「うん。わかった」
『心の主君』か。
そういうパラメータはゲーム『剣主大乱史伝』にはなかったんだけどな。
ということは、これは馮千虹オリジナルのものなんだろう。
だったら、受けても問題ないと思う。
馮千虹は真面目でいい子だからね。
そんな彼女が味方になることを誓ってくれるのは、俺もうれしいから。
「虹さんが望むなら、心の主君になるよ」
俺はかがんで、馮千虹の身体を起こした。
「ぼくは藍河国の役に立つような生き方をしたいと思ってる。虹さんもそれを手伝ってくれるとうれしいな。そのためにも、王弟殿下のところで勉強してほしいんだ」
「はい! 黄天芳さま!!」
馮千虹はうなずいた。
「虹は道をみつけました。これから、よろしくお願いしますなのです!」
そうして馮千虹は、燎原君のもとで勉強することになったのだった。
翌日、燎原君の屋敷から迎えが来た。
馮千虹は黄家のみんなに何度もお礼を言ってから、迎えの馬車に乗り込んだ。
これから彼女は、燎原君や夕璃さんと面会することになっている。
燎原君は馮千虹の面倒を見ると言ってくれた。
夕璃さんも気に掛けてくれると約束してくれた。
星怜も、夕璃さんのもとを訪ねるときに、馮千虹の様子を見てくれるそうだ。
そうして、みんなで馮千虹を見送った、数時間後。
黄家に、太子狼炎の使者がやってきたのだった。
次回、第173話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。