第171話「柳星怜と馮千虹、お茶会をする」
──そのころ、星怜と千虹は──
星怜と千虹は、黄家の応接間でくつろいでいた。
卓では白葉が淹れたお茶が湯気を立てている。
千虹は小さな手で茶器を持ち上げ、眺めている。
お茶を一口飲んで、その味に目を輝かせて、なんどもうなずく。
まるで、好奇心いっぱいの子どものようだ。
星怜から見た千虹は10歳前後。
身長は星怜より低い。
伸ばした手は袍の袖に隠れてしまう。
そんな幼い子が才能を認められて、北臨までやってきたのだ。
それはすごいことだと、星怜は思う。
東郭の町からの長旅も、きっと大変だっただろう。
(わたしがこの子くらいのときは、どうしていたでしょう……)
10歳のころ、星怜は北の単越の町にいた。
あの町で星怜たちは、村人たちから敬遠されていた。
彼女の銀色の髪と赤い目を、皆が嫌っていたからだ。
だから星怜はいつも、柳家の両親の側にいた気がする。
ほとんど外に出ることもなく、家の中に。
(あのころのわたしは……まだ、天芳兄さんと出会う前でしたから)
外の世界にあるのは、怖いものばかりだと思っていた。
恋も、知らなかった。
自分が誰かを好きになるなんて、思いもしなかった。
(でも……千虹さまは、外の世界を知ることを選ばれたのですね。私よりもずっと幼いのに)
その覚悟を思うと、尊敬の念が湧いてくるのだった。
「星怜さまは、黄天芳さまの妹君でいらっしゃるのですよね」
ふと気づくと、千虹が星怜を見つめていた。
「黄天芳さまに、こんなにきれいな妹君がいらっしゃるなんて知りませんでした。虹のような者は……気後れしてしまいます」
「気後れする必要なんてないですよ」
そう言って星怜は、笑った。
「だって、千虹さまは兄さんに才能を見いだされて、北臨にいらしたのでしょう?」
「そ、そうなんですけど、虹にとって星怜さまは、とてもまぶしくて……」
「……え」
「だって星怜さまは、物語に出てくるお姫さまみたいです。こんなきれいな人を……虹は見たことがないです」
「千虹さまだってかわいいですよ」
「い、いえいえ! 虹はこんなですし……」
「それに千虹さまには才能があります。兄さんからは、すごく頭のいい方だって聞いています。うらやましいです。わたしにそんな才能があれば、もっと兄さんのお手伝いができるのに……」
「そ、そこまで言われると、虹は照れてしまうのです」
「お、おたがいさまです……」
「えっと……」
「その……」
赤面してうつむく星怜と千虹。
気分を変えるように、ふたりは同時に茶器を手に取る。
そして──
「……兄さんの話をしましょう」
「……賛成なのです!」
「兄さんは才能ある人を、とても大切にされる方です」
「わかります。虹のこともすごく評価してくださいますから」
「兄さんは千虹さまになんとおっしゃったんですか?」
「あ、はい。『他の人に渡したくない』と」
「兄さんはもう少し言葉を選ぶべきですね!」
「ふ、ふぇっ!?」
「あ……ごめんなさい。千虹さまを怒ったわけでは……」
「……い、いえ」
「それより、兄さんのことです」
「は、はい。黄天芳さまは立派な方です。出会ったのはつい最近ですけど、わかります。強い武術家というだけではなくて……優しくて、信頼できて……」
「わかりますわかります」
「黄天芳さまには師匠がふたりいらっしゃるようですが、おふたりとも、黄天芳さまをすごく大事にされているそうです」
「雷光さまと玄秋翼さまですね」
「そうです。北臨の町には、黄天芳さまの兄弟子がいらっしゃると聞いています」
「翠化央さまのことですね」
「虹は会ったことがないのですが……どんな方ですか?」
「尊敬できる人ですよ。ずっと、兄さんのお友だちでいてほしいと思っています」
「会ってみたいです」
「すぐに会えると思います。化央さまはいつも、雷光さまの宿舎で修行をされているそうですから。千虹さんが王弟殿下に認められれば、顔を合わせることもあるでしょう」
「で、でもでも……王弟殿下が、虹を認めてくださるかわかりませんから……」
「大丈夫です。兄さんの目は確かですから」
「それに、虹は失敗ばかりです。黄天芳さまに迷惑をかけるかもしれません。そしたら、きらわれてしまうかも……」
「大丈夫ですよ。千虹さま」
「え?」
「兄さんはそんなことで、あなたを嫌ったりしません」
星怜は千虹の小さな手を握った。
「実は……わたしも以前、兄さんに迷惑をかけたことがあるんです」
「星怜さまもですか?」
「ええ。さらわれそうになって……兄さんに助けてもらったんです」
「こ、虹も似たようなものです。黄天芳さまには、両親の仇を捕まえてもらいました」
「兄さんがそんなことを?」
「は、はい。詳しいことは、お許しがなければ言えないのですが」
「そうだったのですか……」
星怜はうなずいて、千虹に笑いかける。
「もしかしたら、わたしと虹さんは似ているのかもしれませんね」
「虹と星怜さまが?」
「はい。わたしは兄さんに助けられて、それから……広い世界に連れ出してもらったことがあるんです」
「あ……虹も、そうです」
「似てますね」
「えへへ」
「ふふっ」
穏やかな表情で見つめ合う、星怜と千虹。
(千虹さまは本当にすごいです。まだこんなに小さいのに)
ふと、星怜は思ってしまう。
10歳のころに勇気を出して、外に世界に踏み出していたら……もっと早く天芳と出会えていたかもしれない、と。
そうしたらもっと長い時間、天芳と一緒にいられたはずだ。
(でも……千虹さまが、幼い子でよかったです)
星怜と千虹は、どこか似ている。
ふたりとも天芳に助けられて、外の世界に足を踏み出している。
だから千虹も、星怜と同じ想いを抱くことがあるかもしれない。
星怜のように……全身全霊で、天芳に思いを寄せることが。
けれど、千虹はまだ幼い。
恋を知るのはもっと先のことだろう。
だから──
(千虹さんが大人になる前に……わたしが兄さんにふさわしい女性になればいいんです)
千虹が星怜と同じ年齢になるまで、数年かかる。
その前に天芳と結婚しよう。
天芳の側にいるのにふさわしい女性になろう。
(そ、それはまだ、先の話ですけれど。今はただ、千虹さまと仲良くなりたいだけで……)
そんなことを思いながら、星怜はお茶を口に運んだ。
しばらくして、扉の外で声がした。白葉の声だ。
お茶のおかわりを持ってきてくれたらしい。
「失礼いたします……あら?」
白葉は、星怜と千虹の様子を見て、安心したような笑みを浮かべた。
「星怜さまと馮千虹さまは、ずいぶん仲良くなられたのですね」
「はい、白葉さま。わたし千虹さまともっと仲良くなりたいです」
「こ、虹も。星怜さまのことを知りたいのです」
「……あらあら」
茶器を置いた白葉は、口を押さえて、
「本当に仲良しになられたのですね。息もぴったりですよ」
「「そ、そうでしょうか……」」
「ええ。白葉からは本当に仲良しに見えます。まるで姉妹のようです。物語でしたら……ここで義姉妹の誓いなどをされるのかもしれませんね」
「義姉妹の誓い……ですか」
「光栄ですが、それは無理だと思うのです」
星怜はおどろいた顔になり、千虹は慌てた様子で手を振る。
そして──
「「 (わたし) (虹)がこの方の姉を名乗るなんて、おそれ多くて、きおくれしてしまいますから……」」
星怜と千虹は口をそろえて、そんな言葉を口にした。
「え?」
「……あ」
「はい?」
首をかしげる星怜と、失言に気づいて口を押さえる千虹。
それを不思議そうに見守る白葉。
そして黄家のお茶会は、新たな展開を見せることになるのだった。
次回、172話は、次の週末くらいの更新を予定しています。
ただいま2巻の改稿作業中です。
書き下ろしも追加する予定ですので、ご期待ください。