第170話「天下の大悪人、都の事情を知る」
俺は燎原君に、東郭で起きたことを伝えた。
──『裏五神』という盗賊団のこと。
──奴らが以前、東郭の町から情報を得ていたこと。
──李灰さんがそれを拒否したこと。
──盗賊団首領の魃怪のこと。
──魃怪とその弟子が『四凶の技・窮奇』の使い手だったこと。
──『裏五神』と『金翅幇』が繋がっていること。
そんなことを、言葉を選びながら話していった。
時々つっかえたのは、兆家の話にびっくりしていたからだ。
兆昌括は罰せられると思っていた。
太子狼炎は東郭に来たとき『兆家を裁くことを約束する』と言ってくれた。
あの人は、それを実行したんだろう。
兆昌括は碧寧さんの妹夫婦の死に責任がある。
それだけじゃない。
兆昌括は『裏五神』に他の町の警備情報も流していた。
そのせいで、碧寧さんの妹夫婦は盗賊団に襲われて、殺された。
同じような目に遭った人は、他にもいるはずだ。
しかも『裏五神』は『金翅幇』とも繋がっていた。
兆昌括が流した情報は『金翅幇』にも伝わっていたはず。
それは……北の地で太子狼炎が襲われたことにも関係しているかもしれない。
兆昌括は、処刑されるしかなかった。
自害させようとしたのは、太子狼炎の優しさだったのかもしれない。
そこまでは、俺にもわかる。
だけど……兆石鳴が死んだのは予想外だ。
あの人は太子狼炎の叔父だ。仲も良かった。
太子狼炎は『兆叔父』と呼んで、慕っていた。
兆石鳴はゲーム『剣主大乱史伝』でも、最後まで北臨を守って討ち死にしていた。
あの人が太子狼炎を大切に思っていたのは間違いない。
でも、兆石鳴は死んでしまった。
じゃあ……太子狼炎は、これからどうするんだろう?
燎原君以外に頼れる人はいるんだろうか。
この世界の太子狼炎は悪い人じゃない。
できれば幸せになってほしいんだけどな……。
「──報告は以上です」
そんなことを考えながら、俺は話を終えた。
そして、最後に、
「東郭の兵士の中で情報漏洩に関わった疑いのある者は、すでに拘束されております。また、兆昌括さまの代わりに赴任された李灰さまは、盗賊団との繋がりを断ち切っており、奴らの討伐にも功績があります。どうか、寛大なご配慮をお願いいたします」
そんな言葉を付け加えて、俺は深々と頭を下げた。
「顔を上げよ。黄天芳」
「はい。王弟殿下」
「話はよくわかった。君が東郭にたまっていた膿を流し去ってくれたということだな。その膿を生み出したのは兆昌括だ。それを出し切る過程で彼が命を落とすのは、やむを得ないことだったのだろう」
長いため息の音が、聞こえた。
「結果として兆家のふたりは死んだ。だが、東郭の膿を放置すれば、大きな腫れ物になっていたかもしれぬ。そうなる前に処理できたのは幸いであった。君はよくやってくれた」
「ぼくだけの力ではありません」
俺は答える。
「六人隊長の碧寧さまたちの協力があってのことです。あの方は盗賊団にご家族を殺されてから、ずっと調査をされていました。その執念が『裏五神』を追い詰めたのでしょう」
「東郭の町にも有能な人材がいたということか」
「はい。おっしゃる通りです」
「私は彼らの努力にも気づかず、東郭の異常にも目が届かなかった。燎原君という大層な名で呼ばれながら、情けないことだ」
燎原君は疲れた様子だった。
兆家のことは、燎原君にとっても予想外だったのかもしれない。
だから俺を呼びだして、事件の詳細を聞いているんだろう。
でも、少し違和感がある。
どのみち俺は、あとで太子狼炎と会うことになるはずだ。
書状で『北臨に帰るように』と言ってきたのは太子狼炎なんだから。
東郭を出る前に書状は送っているから、俺はそのうち王宮に呼ばれることになる。
そこに同席すれば、燎原君も俺から話を聞くことができた。
なのに……どうして俺を屋敷に呼んだんだ?
娘の夕璃さんが同席している理由もわからないんだけど……。
「……黄天芳さまに申し上げます」
不意に、夕璃さんが口を開いた。
「お願いいたします。狼炎殿下の力になっていただけませんか?」
「……え」
思わず、変な声が出た。
夕璃さんは目を潤ませながら、俺を見ていた。
真剣な表情で、じっと。
「狼炎殿下には信頼できる方々が必要なのです。どうか、あの方のために……」
「話を急ぎすぎだ。夕璃」
燎原君が軽く手を挙げて、夕璃さんの言葉を止めた。
「黄天芳は兆家のことを知ったばかりだ。その言い方では、とまどうばかりだろう」
「……申し訳ありません。お父さま」
「私とお前の考えは同じだ。黄天芳には、私から話すとしよう」
燎原君は夕璃さんにうなずいてから、俺の方を見た。
俺は一礼して、次の言葉を待つ。
それから、燎原君は少し口調を緩めて、
「君に、宮廷で起きていることを伝えたいのだが、構わないかな」
「……宮廷で起きていることですか?」
「そうだ。今、藍河国の宮廷では権力構造の大きな変化が起こっている。理由はわかるかな?」
「それは……」
権力構造の変化……?
誰が偉くて、誰か上の地位に就くの問題だよな?。
その変化が起こる理由といえば……。
「兆家の方々が亡くなられたから、でしょうか」
さすがに、それくらいは俺にもわかる。
兆家は太子狼炎の外戚だった。
そして、兆石鳴は以前、王都周辺を守る『奉騎将軍』の地位についていた。
解任されてはいたけれど、いつかは元の地位を取り戻していたと思う。
次期国王の外戚には、それだけの力があるんだ。
だけど、兆石鳴は死んだ。
嫡子である兆昌括と一緒に。
生き残ったのは末子だけらしい。
つまり、兆家の人々がいなくなったことで、その地位が空いたということになる。
「君の言う通りだ。兆家が力を失ったことで、権力の空白ができたのだよ」
燎原君は話を続ける。
「その空白に入り込もうとする者は多い。言葉を飾らずに言えば、兆家のあとがまを狙って権力争いをしているわけだ。狼炎殿下の側に仕える地位と、都の周辺を守る将軍の地位をね」
「え? なんで? こんなときに?」
思わず、素の言葉が出た。
俺は慌てて口を押さえる。
「し、失礼しました。王弟殿下の前で……」
「構わない」
燎原君は苦笑いした。
「君がそういう人物だから話をしたのだからね。こんなときに権力争いを……そう思える君だからこそだ」
「おそれいります」
「では、言葉の続きを聞かせてくれたまえ」
「……よろしいのですか?」
「構わない。君の言葉で、語ってほしい」
「わかりました」
俺は顔を上げたまま、告げる。
「狼炎殿下がご親戚を失ったときに権力争いをしている理由が、ぼくにはわかりません。また『藍河国は滅ぶ』という教義を掲げている組織のこともあります。その者たちは盗賊団と繋がり、藍河国の情報を集めていました。そんな者たちが暗躍しているときに権力争いをする理由が、ぼくにはまったく理解できないのです」
「私も同意見だ」
「わたくしも、同じ考えです」
燎原君と夕璃さんが、うなずいた。
「『金翅幇』という組織のこともそうだ。詳しく調べ、皆に情報共有するべきだと思っている。だが……それも難しい状況だ。まずは高官たちを落ち着かせなければ、対策を取ることさえもできない」
兆家のあとがまというのは、それほど魅力的なのだよ……と、燎原君は付け加えた。
太子狼炎の周辺も、騒がしくなっている。
本人としては兆石鳴の喪に服したいところだけれど、それはできない。
兆石鳴も兆昌括も、罪を犯して罰せられたからだ。
その者たちの喪に服すことは、王家が与えた罰が間違いだったと受け取られかねない。
だから、太子狼炎はこれまで通り、執務を続けている。
そんな太子狼炎に近づこうとする者が、数多く現れているそうだ。
都を守る『奉騎将軍』の地位も空白になっている。
今は代理の者が一時的な地位に就いている。
その者を正式な将軍にするか、別の者を『奉騎将軍』にするかでも揉めている。
──そんなことを、燎原君は話してくれた。
「できれば、今の狼炎殿下に妙な人間を近づけたくない。これは殿下の叔父としての気持ちだ」
「お気持ちはわかります」
「だが、権力の空白をそのままにしておくわけにはいかない。誰かを『奉騎将軍』に就任させなければいけない。権力欲がなく、太子殿下に取り入る気持ちを持たぬ者を。その者が若くても構わない。いずれは『奉騎将軍』に任命するという名目で、防衛責任者の副官として任命するのがいいだろう」
「……はい」
燎原君の話はわかった。
ただ、俺にその話をする理由がわからない。
夕璃さんは俺に『狼炎殿下の力になってほしい』と言った。
つまり俺に『奉騎将軍』の地位を……というのはあり得ない。
俺には実績がない。部下がついてくるわけがない。
それなのに燎原君は『奉騎将軍』の話をしている。
つまり、その地位に就くのは、俺の知っている人物ということになる。
「私が、誰を『奉騎将軍』にしたいか、君にはわかるかね?」
「……わかります」
俺はゆっくりと、うなずいた。
「王弟殿下が『奉騎将軍』にふさわしいとお考えなのは……ぼくの兄上、黄海亮ですね」
「ああ。その通りだ」
「黄海亮さまは、狼炎殿下から友人とされております。ですが、あの方はただの一度たりとも、その立場を利用されたことがございません」
夕璃さんが、燎原君の言葉を引き継いだ。
「また、黄海亮さまは『飛熊将軍』黄英深さまのもとで実績を積んでいらっしゃいます。あの方ならば都を守る将軍としてふさわしいでしょう。また、あの方が側にいらっしゃれば、狼炎殿下も安心されるでしょう」
「でも……よろしいのですか?」
俺は思わず口を挟んでいた。
「それでは黄家の力が強くなりすぎます。そうなったら──」
たぶん、黄家は相当なやっかみを受けることになる。
そりゃそうだ。
当主である黄英深は『飛熊将軍』。
その長男の黄海亮は、次期『奉騎将軍』候補。
ひとつの家から、ふたりも将軍を輩出することになるんだから。
『奉騎将軍』の地位を狙っていた者からは、ねたまれることになるだろう。
……父上と兄上、大丈夫なのかな。
ふたりとも真面目で、素直な性格だからな。
足下をすくわれないか心配だ。
「不満を持つ者たちは、私の方でなんとかする」
燎原君は、きっぱりと宣言した。
「黄家の方々は武官だ。権謀術数には弱いだろう。だから、その部分は私が補う。とにかく今は権力の空白を埋めて、国を安定させるのが先だ。そうでなければ謎の組織への対策もできない」
「王弟殿下が、黄家のために力を貸してくださるんですか?」
「藍河国と狼炎殿下のためでもある」
「……感謝いたします」
俺は平伏した。
燎原君がバックアップしてくれるなら安心だ。
兄上が『奉騎将軍』になっても大丈夫だと思う。
むしろ兄上が出世することで、黄家は最高の味方を得ることになる。
「私は、黄家の方々を信頼している」
燎原君は言った。
「だから、君にも役目があるのだよ。黄天芳」
「……え?」
「君には、私と黄家、そして狼炎殿下を繋ぐ役目を頼みたい」
「お願いいたします。狼炎さまのお側には……信頼できる方が必要なのです!」
燎原君と夕璃さんが、俺を見ていた。
燎原君は落ち着いた表情だ。
その目は、静かに俺を見ている。
これまで多くの客人と出会い、その才能を見抜いてきた目で。
燎原君の目からは、深い海のような底知れなさを感じる。
まるで、心の中まで見透かされているようだ。
……俺が転生者だってばれないか、心配になるくらいに。
夕璃さんはすがるような目で俺を見ている。
彼女は本当に太子狼炎を心配しているみたいだ。
そういえば夕璃さんは太子狼炎の従姉でもあるんだよな。
彼女が太子狼炎を心配するのは当たり前なのかな。
ふたりの後ろでは炭芝さんが、俺に向かって拱手してる。
あの人は燎原君の腹心だ。
なのに若輩者の俺に対して、何度も礼をしてる。
これは……それほど重要な提案ってことなんだろうな。
「必要な人員は手配する。望むなら、君が自由に部下を任命しても構わない。私と狼炎殿下と黄家を繋ぎ、いつでもやりとりができるようにしてほしい。無論、その人員を使って『金翅幇』への対策を取ってもかまわない。それは君の自由だ」
「そこまでの力を、ぼくに……ですか?」
「国を安定させるためには、私たちと黄家の協力関係が必要なのだよ」
俺が黄家と燎原君と……太子狼炎を繋ぐ役目を……か。
それが必要なことだというのは、わかる。
黄家を守るためにも。
太子狼炎が、落ち着いて政治ができるようにするためにも。
それは『金翅幇』対策にも役に立つ。
俺が『金翅幇』の情報を、燎原君と太子狼炎に伝えられるようになるわけだし。
そもそも国を安定させなければ、『金翅幇』対策もできないんだから。
でも……俺が太子狼炎の側で仕事をすることには危険がともなう。
ゲームの黄天芳は太子狼炎の側近だった。
そして、あいつは国を傾けて……滅びへと導いた。
ゲームの黄天芳が本当に大悪人だったのかどうかはわからない。
『四凶』のことも『金翅幇』のこともあるからな。
あいつは国の崩壊を止めようとして、失敗しただけなのかもしれない。
それでも、俺が太子狼炎の側に行くことは……ゲームキャラの黄天芳と、近い立場になることを意味する。
『危険』
『破滅エンド』
『処刑』
『牛裂き』
『轢死体』
──色々な言葉が頭をよぎる。
だけど……それはもう、逃げる理由にならない。
俺は壬境族のことにも、ゼング=タイガの死にも関わっている。
たぶん、兆家の人たちの死にも。
だから──
「承知いたしました。王弟殿下。夕璃さま」
──俺はふたりに向かって、拱手した。
「ぼくは……黄天芳は、謹んでお役目を拝命いたします」
俺は燎原君と夕璃さんに対して、そんな答えを返したのだった。
次回、第171話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。