第169話「天下の大悪人、北臨の人々に迎えられる」
「それでは、自分は東郭の町に戻りやす」
北臨に着いてすぐに、護衛の脩さんは言った。
「黄部隊長はお嬢のことをお願いします。お嬢は、部隊長の言うことをよく聞いてくだせえ」
「もうお帰りになるんですか?」
「碧兄が心配ですからな」
脩さんは碧寧さんの部下……というより、弟分だ。
だから、東郭の副部隊長になった碧寧さんを支えるために帰りたい、とのことだった。
「自分がこの町でできることはありません。ですが、東郭ならできることがあります。自分はそれを果たしたいんでさあ」
「ご立派です。脩さん」
「この齢でやっと落ち着いただけですよ。お恥ずかしい」
脩さんは照れたように、肩をすくめた。
「自分はお嬢のご両親と出会うまで、いっぱしの侠客を気取っておりやした。それで派手に失敗して、お嬢のご両親に助けられたんでさ。その後は碧兄の部下になって……お嬢のご両親の仇を捕らえて、やっとまともな人間になれたような気がしやす」
「……脩さん」
「そんなふうに思えるようになったのは、黄部隊長のおかげです。あなたさまには感謝してもしきれません」
そう言って脩さんは、俺に向かって拱手した。
「自分の命が必要なときはいつでも言ってくだせえ。侠客を気取るのはやめましたが、恩義ある方のために命を投げ出す気持ちは捨ててねえですからな」
「お気持ちだけで十分です」
「お嬢も、いつでも声をかけてくだせえ」
「脩叔父さまは、碧叔父さまを支えてあげて欲しいのです」
「……わかりやした。それではこれで失礼しやす」
「道中、お気をつけて」「碧叔父さまによろしくお伝えください」
「承知!」
そうして、俺たちは脩さんと別れた。
脩さんは何度も手を振りながら、北臨の兵舎へと歩いていった。
これから換え馬を受け取り、東郭に戻るそうだ。
「それでは、虹さんを黄家にお連れします」
「はい。黄天芳さま」
俺と馮千虹は並んで歩き出す。
久しぶりの北臨の町だ。
大通りには店が並んでいる。人も多い。さすがは都だ。
東郭から来た馮千虹はびっくりしてるんじゃないかな……と、思ったら……あれ? いない?
振り返ると、露店の前で立ち止まってる。
売り物を隅から隅まで眺めて、満足したように次の店に……って。
「……あの、虹さん」
「は、はいっ!」
「全部の店を見てたらきりがないですから」
「で、でもでも、店先に書巻がありますよ? 断片的なものじゃなくて、書巻そのものが……」
「気持ちはわかりますけど」
「あ、ああっ! 鳥を売っている店があります! 食用じゃなくて……愛玩用ですか? しかもこの羽の色は父さまからもらった書物にあったもので……鳥の種類は……」
「どこ行くんですか虹さん! そっちは道の反対側ですから!」
「…………ああっ。こちらには布が! この染め方は書物にあった……あ、こっちは鳥の羽を使った飾り物で……」
馮千虹の声が遠くなる。
大通りには馮千虹の興味を引くものがありすぎた。
馮千虹はあっちに行ったりこっちに行ったりで、落ち着かない。
そのうち小柄な彼女の姿が人波にまぎれて、見えなくなる。
ああもう。しょうがないな。
「『獣身導引』蛇のかたち──『狭地進蛇 (蛇は狭い場所が好き)』」
俺は蛇になりきって、人混みをすり抜ける。
馮千虹に追いつき、その肩をつかんだ。
「虹さん虹さん」
「え!? こんなものまで売っているんですか!? 都はすごいところです。あ、あちらにも──」
「虹さんストップ……じゃなかった、落ち着いて!」
「…………はっ」
馮千虹がやっと、俺を見た。
「ご、ごめんなさい黄天芳さま! こ、虹は……一体なにを……」
「夢中になるのはわかります。大きな市場に来たのははじめてなんですよね?」
「は、はい……」
「でも、迷子になったら大変ですから」
俺は馮千虹の目を見て、言い聞かせるように、
「ぼくは碧寧さんから虹さんを預かっている立場です。あなたをきちんと、碧寧さんのもとに帰す義務があるんです。だから、勝手にうろついたり、迷子になったりしないでください」
「も、申し訳ありません」
「わかってくれればいいんです」
「ところで」
「はい?」
「あの露店で売っている装飾品は──」
「……虹さん」
「は、はい!」
「まずは黄家に案内します。他のことは落ち着いてからにしましょう。いいですね?」
「わ、わかりました」
……あ、またきょろきょろしてる。
目移りするものが多いんだろうな。この場所は。
しょうがないな。
「失礼します。虹さん」
俺は馮千虹の手を握った。
「こうすれば迷子になることはないですからね。行きますよ」
「…………」
「虹さん?」
「は、ひゃいっ!?」
「手をつなぐのは駄目でしたか? 服の袖をつかんだ方が……」
「い、いえ。問題ございません。このままで大丈夫なのです」
「そうですか?」
「ひゃい……」
「じゃあ、行きますよ」
「おともいたします……」
馮千虹は素直に、俺の隣を歩き出す。
俺が怒ったと思ったのか、きょろきょろすることはなくなった。
つないだ手が熱い。
見た目が子どもの馮千虹は、体温も高いみたいだ。
「しっかりついてきてくださいね。虹さん」
「はい……黄さま」
こうして俺は馮千虹を連れて、黄家へと向かったのだった。
「おかえりなさい! 兄さん!!」
黄家に帰った俺を真っ先に出迎えてくれたのは星怜だった。
北臨に戻ることについては、先に書状で知らせてある。
馮千虹を預かってもらうために、母上に話をしておく必要があったからだ。
帰るのがいつになるかは、書状では伝えていない。
仕事の引き継ぎにどれだけ時間がかかるか、わからなかったからだ。
でも、星怜が玄関の外で待っているということは……。
「星怜……毎日ここで待ってたの?」
「いえいえ、そんなことはしませんよ。兄さん」
「本当?」
「…………本当です」
「そっか」
「それより紹介してくださいませんか? そこにいる女の子が馮千虹さまなのですよね?」
「うん。雷光師匠と秋先生の推薦で、燎原君にお目通りする予定なんだ」
「かわいい方ですね」
星怜は目を輝かせてる。
「歓迎します。わたし、ずっと妹が欲しかったんです。自分より小さな……こんなかわいい妹が……」
「そうなの?」
「では、ごあいさつをさせてください」
星怜は少しだけしゃがんで、馮千虹と視線を合わせた。
「わたしは黄家の養い子で、柳星怜と言います。よろしくお願いします」
「こ、虹は、馮千虹と申します。東郭の防衛副隊長、碧寧の姪にあたります」
「わたしのことは姉だと思って、仲良くしてください」
「は、はい。ありがとうございます!」
「馮千虹さまは才能を認められて、北臨に来られたのですよね……」
星怜はおだやかな表情で、馮千虹の手を取った。
「わたしより年下なのに、王弟殿下への推薦を受けるほどの才能をお持ちなんて……すごいです。馮千虹さまは、まだ10歳くらいですよね? なのに……」
「……えっと」
馮千虹は助けを求めるように、俺を見た。
そういえば書状には、馮千虹の年齢のことは書かなかったな。
本人のプライバシーだから仕方ないんだけど。
彼女の実年齢と外見年齢が違うのには複雑な事情があるし。馮千虹も、あまり人には知られたくないだろうから。
というわけで──
「はい。虹も……ずっと姉妹が欲しいと思っていました」
馮千虹は、とても無難な答えを返した。
年齢のことには一切触れていない。
考え抜かれた答えだった。さすがは未来の最強軍師だ。
「いたらないところもあると思いますけれど、よろしくお願いします」
「ありがとうございます。千虹さまとお呼びしていいですか?」
「もちろんです。虹も、星怜さまとお呼びしても?」
「はい。仲良くしてくださいね。千虹さま」
そう言って星怜は、笑った。
それから彼女は、俺の方を見て、
「それじゃ兄さん。まずはお身体を休めてください。それと……あとで久しぶりに、一緒に導引をしたいのですけど……」
「いいよ。ただ、先に用事を済ませてからになるけど、いいかな?」
「はい。兄さん!」
こうして俺と馮千虹は、黄家で落ち着くことになったのだった。
家で休んでいると、黄家に使者がやってきた。
燎原君からの使いだった。
「王弟殿下は黄天芳どのが東郭で見つけた人材について、話を聞きたいとの仰せだ」
使者は言った。
「これは、武術家の雷光どの、医師の玄秋翼どのより書状を確認された上でのことである。まずは王弟殿下のもとで、話をするように」
「承知しました。すぐに支度をします」
雷光師匠と秋先生は俺の願いを聞き入れて、燎原君に紹介状を書いてくれた。
馮千虹が燎原君の書庫を使えるようにするためだ。
書状は俺より先に北臨に到着している。
だから燎原君は、俺が北臨に帰ったことを知って、使者をよこしたんだろう。
「すぐに虹さんを呼んできます。少しお待ちください」
「いや、まずは黄天芳どのを、とのことだ」
「ぼくだけを、ですか?」
「うむ。それが王弟殿下の希望である」
「わかりました」
俺は母上と星怜、馮千虹に事情を伝えてから、家を出た。
燎原君に会うことになるのはわかっていた。
だから心の準備もしていたし、着替えも用意していた。
すぐに支度ができたのはそのためだ。
それから、俺は馬車に乗り、使者と一緒に燎原君の屋敷へと向かった。
いつものように謁見用の広間に行くのかと思ったら……違った。
案内されたのは、屋敷の奥にある個室だった。
そこで待っていたのは、椅子に座った燎原君だ。
後ろには側近の炭芝さんが控えている。
そして、燎原君の隣の椅子に座っているのは──
「お目にかかるのははじめてですね。黄天芳さま」
「もしかして……夕璃さま、ですか」
「はい。妹君の星怜さまには、よくしていただいております」
同席していたのは、燎原君の末娘の夕璃さんだった。
彼女のことは星怜から聞いている。
身分差はあるけれど、友人として仲良くしてくれている、って。
夕璃さんの年齢は、星怜より少し上のはず。
けれど、目の前にいる夕璃さんは、大人の女性の雰囲気を漂わせていた。
長い髪を結い上げて、銀色の髪飾りを着けている。
身に着けているのは繊細な刺繍がほどこされた服だ。どれくらい高価なものなのか想像もつかない。おそらくは、燎原君の客人が仕上げたんだろうな。
俺は目を伏せて、拱手する。
夕璃さんが同席しているとは思わなかった。
知っていたら、星怜からあらかじめ彼女の話を聞いておいたんだけど。
「すまない。夕璃を同席させるつもりはなかったのだがね」
燎原君は言った。
「貴公の話をしたら、どうしても同席したいと言ってきかなくてな。許してやってほしい」
「いいえ。大丈夫です」
そう答えるのがやっとだった。
妙な感じがした。
普段、燎原君が客人と会うときとは、状況が違う。
場所は謁見の広間ではなく、屋敷の奥にある小部屋。
いるのは燎原君と、その娘さんと、側近の炭芝さんだけ。
従者も家僕も、完全に人払いされている。
まるで人目を避けようとしているかのようだ。
「貴公を呼んだのは、東郭で起きた事件について聞くためだ。あの事件の発覚から解決までの間に、君は大きく関わっている。君が見たもの、聞いたものについて教えてほしい」
「承知いたしました」
俺はうなずいた。
「ですが……その前にひとつうかがってもよろしいですか?」
「構わない」
「東郭の町には、直接、狼炎殿下がおいでになっております。現場からの報告もあがっているはずです。なのに……どうしてぼくに?」
「状況が変わったからだ」
「状況が?」
「兆家の方々が亡くなられた」
燎原君は、静かな口調で告げた。
「兆昌括どのには、盗賊団と結びついていた罪で自害が命じられた。だが、自害のための剣が下賜される前に、彼を兆石鳴どのが処断されたのだ。その後、太子殿下の命令に背いた罪を負って、兆石鳴どのは自害された」
「…………え」
「兆家の本家で生き残ったのは、末弟の兆巽丘どのだけだ。彼はこれから北臨に呼び戻され、兆家の嫡流を継ぐことになるだろう」
「……そんなことが、あったのですか」
「うむ。君が東郭に赴任している間に、北臨も大きく動いたのだ。だから、おたがいの情報を交換しておく必要があると思ったのだ」
「ぼくと王弟殿下がですか?」
俺は思わず、そんな言葉を口にしていた。
けれど、燎原君はうなずいて、
「これは夕璃の提案したことでもあるのだよ」
「わたくしは……黄家の方々に、狼炎殿下の支えとなっていただきたいのです」
夕璃さんは言った。
目を伏せて、まるで、祈るような口調で。
「黄海亮さまは狼炎殿下のご友人でいらっしゃいます。そして、黄天芳さまは多くの手柄を立てていらっしゃいます。わたくしはあなた方に、狼炎殿下の力になっていただきたいのです」
「……もったいないお言葉です」
夕璃さんって、こんな人物だったのか。
燎原君の娘さんだから、ただのお嬢さまじゃないと思っていたけど。
ゲーム『剣主大乱史伝』に登場する夕璃は、NPCだった。
登場回数は多くない。
英雄軍団を激励するときに登場するくらいだ。
『北臨を陥落させて、狼炎王を終わらせてさしあげてください』
ゲームの夕璃はそんな言葉を口にしていた。
あれは狼炎王を憎む言葉だと思っていたんだけど……違うのか?
ゲームの夕璃にとって、狼炎王は大切な人物だったのか?
だから……もう、狼炎王を救えないとわかったときに、楽にしてあげたいと思って……あんな言葉を口にしたんだろうか?
わからない。
ただ、俺と夕璃さんの利害は一致してる。
太子狼炎を助けたいのは俺も同じだ。
あの人が立派な王さまになれば『藍河国破滅エンド』を防ぐことができるんだから。
「承知いたしました」
俺は燎原君と夕璃さんに向かって、拱手した。
「恐れ多いことながら……ぼくの知っていることを、王弟殿下と夕璃さまにお伝えいたします」
そうして俺は、東郭での事件の詳細について、語り始めたのだった。
今週は1話だけの更新になります。
なので、次回、第170話は、次の週末くらいの更新を予定しています。
書籍版2巻の作業も進んでおります。
詳しいことが決まりましたらお知らせしますので、ご期待ください!