第168話「天下の大悪人、仕事の引き継ぎをする(後編)」
その後も、仕事の引き継ぎは続いた。
俺が不在の間、東郭の防衛副隊長は、碧寧さんが代理を務めることになった。
推薦したのは李灰さんだ。
『碧寧には側で、私を見張っていてもらいたい』
それが、李灰さんの言葉だった。
かつて『裏五神』と取り引きをしていたのは兆家の嫡男、兆昌括だった。
そして、李灰さんは以前、兆家の部下だった。
李灰さんは『裏五神』との取り引きとは無関係だった。でも、兵士の中には、彼を疑う者もいる。だから碧寧さんに、自分を見張ってほしいそうだ。
「碧寧ならば、私に厳しい目を向けてくれるだろうからな」
俺が挨拶に言ったとき、李灰さんはそんなことを言っていた。
「太子殿下は私に『すべてが終わった後で貴公の罪を問う』とおっしゃった。それまでは防衛隊長として役目を果たすのが、私の罪滅ぼしなのだろう。ならば、それを全力で果たすまでだ」
「李灰さまは『裏五神』討伐の指揮を執られました」
俺は言った。
「その功績は、狼炎殿下も認めてくださると思います」
「『裏五神』を滅ぼしたのは黄どのと、黄どのの師匠たちだ。私の功績ではないよ」
「ですが……」
「功績があるとしたら、黄どのたちの邪魔をしなかったことくらいだ。それを誇りとして、刑に服することとする」
「……李灰さま」
李灰さんは、もう覚悟を決めているようだった。
でも、李灰さんは事情を知らずに、東郭の町に赴任してきている。
その上で『裏五神』と手を切ると決めている。悪い人じゃない。
藍河国にとって必要な人材だと思う。
太子狼炎は李灰さんに『功により罪を償え』と言った。
だったら……『裏五神』討伐の指揮を執ったことを『功』として認めてくれるように、俺から話をしてみよう。それは李灰さんの減刑にも繋がるはずだ。
10年後のことを考えたら、東郭の町は安定していて欲しいからな。
そんなことを思いながら、俺は李灰さんのもとを後にしたのだった。
次に俺は、雷光師匠に会いに行った。
師匠は毎日、魃怪のいる牢屋に通っている。
証言を得るためと、魃怪の様子を確認するためだ。
『魃怪は仰雲師匠の同門の弟子だ。だったら、自分が最期を看取るのが筋だろう』
それが、雷光師匠の意思だった。
もちろん雷光師匠は、秋先生の治療も受けている。
『武術家殺し』の毒は抜けたけれど、今回の戦いで無理をしたからな。
魃怪を倒すためとはいえ、雷光師匠は奥義を使ってる。
奥義の名は『青竜身顕現』。
青竜になりきって、『青竜のかたち』の技を途切れることなく繰り出すものだ。
……すごい技だったんだろうな。
できれば、この目で見たかった。
俺がその場にいたら『病み上がりなんですから無理しないでください』と言って止めてたかもしれないけど。
「なかなか時間が取れなくてすまなかった。天芳はもうすぐ、北臨に帰るのだね」
「はい。皆さんへの挨拶と、仕事の引き継ぎを済ませた後になります」
俺が訪ねたとき、雷光師匠は牢屋から戻ってきたばかりだった。
彼女はおだやかな表情でお茶を淹れて、それから、
「魃怪は、今日もなにも語らなかったよ」
「そうですか」
「ああ」
「でも、雷光師匠はおだやかな表情をされていますね?」
「そうかな? いや……そうかもしれないね」
雷光師匠はお茶をひとくち飲んでから、
「私は魃怪が、そのうち口を開くと思っているからね」
「そうなんですか?」
「あの人の心はもう折れている。天芳と話したあとは、強気な言葉を口にしなくなっているからね。きっと、君の言葉が胸に刺さったんだろう」
「そうなんですか? でも、ぼくは普通のことを言っただけなんですが……」
「普通というのが大切なんだよ」
雷光師匠はじっと俺の方を見て、
「武術家は常に強さをめざしている。新たな技を学び、それを極め、他者より強くなろうとしている。それが武術家の習性だ」
──静かな口調で、そんなことを言った。
「介州雀という男が『渾沌の秘伝書』を望んだのもそうだろう。翼妹の話では、彼は秘伝書が焼かれたとき、こわれたように叫んでいたらしいね。まるで、秘伝書に取り憑かれているかのように」
「はい。泣きわめいているみたいでした」
「様子が目に浮かぶよ。武術家はああいうものに弱いからね。魃怪や呂兄妹も『四凶の技・窮奇』の誘惑に勝てなかったんだからね。だけど、君は違うだろう?」
「……え?」
「弟子入りしたときもそうだった。よく覚えているよ。君は歩法だけを学ぶために、私に弟子入りしたのだからね」
「そうですね。ぼくは星怜を守って一緒に逃げられるようになりたかったんです」
「そんな君だから、秘伝書の誘惑にかからないんだ」
雷光師匠はそう言って、笑った。
「君は『渾沌の秘伝書』にもこだわっていない。強さにも、秘伝の技にも執着していない。君は武術家としては異端といえる」
「悪い武術家ってことですか?」
「そういうわけじゃないよ。まあ……変わり者なのは間違いないね」
雷光師匠は優しい表情で、俺の頭をなでた。
「けれど、異端の武術家である君は呂兄妹を倒してしまった。強さと秘伝の技に執着していない君が、それらに執着している者たちを倒したんだ。それは魃怪にとっては、すさまじい衝撃だっただろう。それに……」
ふと、雷光師匠は俺の目をのぞきこむ。
「強さと技に執着していないという点では、君は仰雲師匠とよく似ている」
「ぼくが仰雲師匠に、ですか?」
「魃怪は言っていたね。君の目が、仰雲師匠の目とよく似ていると」
「はい。自分では、よくわかりませんけど」
「私も言われるまでは気づかなかったよ。確かに、似ているかもしれないね。仰雲師匠もはるか遠く……未来を見るような目をすることがあった。君の目は、そのときの師匠の目に似ている」
俺が未来を見るような目をしているって……雷光師匠、鋭いな。
確かに、俺は10年後の未来を見ている。
俺は未来の『破滅エンド』を回避するために動いているんだから。
でも……仰雲師匠が同じ目をしていた理由はわからない。
あの人は武術の達人で、その後、医術の達人になった。
そして仙人になるために山に入って、この世界から姿を消した。
仰雲師匠が見ていた『未来』って、どういうものだったんだろう?
「話を戻そう。魃怪の心が折れた理由だったね」
雷光師匠は苦笑いして、また、お茶を飲んだ。
「それはふたつある。ひとつは『異端の武術家に、自分が心血注いで育てた弟子が敗れた』こと。もうひとつは、弟子を倒したのが、仰雲師匠によく似た目を持つ君だったこと。特に後者が大きいね。理由はわかるかな?」
「魃怪が仰雲師匠に完全敗北したことになるから……ですか?」
「その通りだよ」
雷光師匠はうなずいた。
「若き日の魃怪は仰雲師匠を奇襲して、返り討ちにあった。その後の人生を費やして育てた弟子は、仰雲師匠によく似た君に敗れた。結局、魃怪は2度、仰雲師匠に敗れたことになるんだ」
「あの人が『四凶の技』に手を出さず、普通に弟子を育てていたら、どうなったでしょうか?」
「武術世界で名を挙げていただろうね」
「そっちの方がよかったですね……」
「そうだね。あの人はまっとうな方法で、仰雲師匠を超えるほどの弟子を育てればよかった。そうすることで仰雲師匠を見返すこともできたんだ」
だけど魃怪はその道を選ばなかった。
『金翅幇』と繋がり、『四凶の技』の実験台になることを選んだ。
魃怪はもう長くはない。
たぶん……死ぬまで敗北感を抱えて過ごすことになるんだろうな。
「いずれにしても、私はこの地で、魃怪が口を開くまで待つつもりだ」
雷光師匠は言った。
「呂兄妹からも情報を得られるかもしれないからね。わかったことはすぐに知らせる。君は安心して北臨に行きなさい」
「ありがとうございます。師匠」
俺は雷光師匠に頭を下げた。
「東郭のことを、よろしくお願いします」
「承知した。君は、自分のやるべきことをやりなさい」
「わかりました。北臨でお役目を果たしてきます」
「うん。でも、その前に君にはすることがあるよ?」
「……え?」
「狼炎殿下のところに行く前に、化央に会っておきなさい」
雷光師匠は苦笑いしながら、
「化央のことだ。君のことをすごく心配しているだろう。顔を見せて安心させてあげるといい」
「はい。雷光師匠」
「あと、私がちゃんと『化央に会うように』と言ったことも伝えるように」
「そうなんですか?」
「私は弟子に尊敬される師匠でいたいからね」
そう言って雷光師匠は、笑ったのだった。
2日後、俺は北臨に向けて出発した。
メンバーは俺、護衛役の脩さん。それと馮千虹だ。
馮千虹は『裏五神』との戦いで功績を立てている。
そのことを燎原君に伝えて、書庫の出入りを許可してもらうつもりだ。
俺の考えを伝えると、馮千虹はすごくよろこんでた。
興奮しすぎて鼻血を出しそうになってたくらいだ。
きちんと鼻を拭いてからは、俺に抱きついてお礼を言っていたけど。
馮千虹には国を支える最強軍師になって欲しいからね。
今のうちに、思う存分、読書を楽しんで欲しいんだ。
馮千虹にはこれから『獣身導引』と『天地一身導引』を学んでもらわないといけない。
そのためにも、彼女にはしばらくの間、黄家に滞在してもらおうと思ってる。
もちろん、それは家族の許可をもらえればの話だ。
難しいようだったら、北臨にある秋先生の宿舎を借りることになっている。
そのあたりは秋先生の許可をもらってあるから問題ない。
それからのことは、太子狼炎がなにを言ってくるかで決まる。
俺に『任を命じたい』って、なんなんだろう。
それに、今の北臨の状況もわからない。
太子狼炎が人手を必要とするようなことが起こっているんだろうか……?
そんなことを考えながら、旅は続き──
俺たちは無事、藍河国の首都、北臨へとたどりついたのだった。
次回、第169話は、次の週末くらいの更新を予定しています。