第17話「天下の大悪人、弟子入りを果たす」
「待っていたよ。黄天芳。まずはあいさつをしよう」
広間で話をしたあと、俺は応接間に案内された。
そこにいたのは20歳前後の女性と、俺と同い年くらいの少年だった。
雷光先生と、その弟子の翠化央だ。
雷光先生は長椅子に寝そべりながら、俺を手招きしてる。
「私の名は震雨。本名はあまり好きではないから、雷光師匠と呼んでくれたまえ」
「黄天芳と申します。弟子入りの許可をいただき、ありがとうございます」
俺は両手を重ねて拱手する。
「うむ。いいあいさつだ……って、化央。君もあいさつをしなよ」
「……翠化央です。以後、よろしく」
翠化央は、むっとした顔で、じっと俺を見ている。
雷光先生は長身の女性だ。長い髪を頭の後ろで結んでいる。
すらりとした身体を紫色の袍で包んでいる。
腕も脚も細い。
力なんかなさそうに見えるのに……この人は、あの燕鬼をあっさりと退けた。しかも、狭い路地の中を縦横無尽に駆け回っていた。攻撃力も高く、移動能力は最強。この人に狙われたら、まず逃げられない。
燕鬼が逃げ延びたのは、雷光先生が俺をかばって動きを止めたから。
それだけだ。
雷光先生の後ろにいる翠化央は、小柄な少年だった。
身長は俺より少し低いくらい。髪を三つ編みにして、後ろに垂らしている。
雷光師匠の弟子というからには、彼も武術使いなんだろう。
でも『剣主大乱史伝』に、翠化央というキャラはいない。
ゲームには無関係な人なのかな。
「私が君たちに武術を教えるのは『お役目』を確実に果たしてもらうためだ」
長椅子に身を横たえながら、雷光師匠は言った。
「もちろん、藍河国のための仕事をするのだから報酬は出る。望むなら燎原君にお願いして、願いを叶えることもできるだろう」
そう言ってから雷光先生は、軽い口調で、
「まぁ、この雷光も燎原君の部下だから、弟子にも藍河国のために働いてもらう。代わりに報酬はちゃんと払う、そういうことだね」
「はい。精一杯、務めさせていただきます!」
「この翠化央。命を賭して役目を果たします!!」
「固いなぁ。化央は」
雷光師匠は指先で、翠化央の背中をつっついた。
「『固いものほど壊れやすい。硬軟を使い分けよう』って教えたばっかりじゃないか」
「はい! 申し訳ありません!!」
「それだってば」
苦笑いする雷光師匠。
「化央。せっかく弟弟子ができたんだから、喜びなよ」
「師匠のお言葉ですが、それは無理です」
「なんで?」
「師匠から武術を教わるのは、僕ひとりのはずでした。なのに突然、別の弟子が現れて……僕が武術を教わる時間が減ってしまったのです。うれしいはずがありません」
「そこまで気にしなくてもいいと思うよ。指導の時間は、ちゃんとふたりぶん用意するつもりだから」
「それでもです。僕はすぐに武術を覚えて……『お役目』を果たしたいんです」
翠化央はうつむいて、そんなことを言った。
なんとなくだけど、気持ちはわかる。
翠化央──いや、化央師兄は雷光師匠のたった一人の弟子だった。
これまではマンツーマンで、武術を教えてもらってたんだろう。
でも、これからは、雷光師匠は俺の相手もしなきゃいけなくなる。
『お役目』にこだわっているところをみると、師兄は真面目な人なんだろう。
そんな人の邪魔はしたくない。
師兄が『剣主大乱史伝』に登場しない人ならなおさらだ。
『黄天宝破滅エンド』に関係ない人なら、普通に仲良くなれるかもしれない。
だから──
「ぼくは、師兄のお邪魔をするつもりはありません」
俺はしばらく考えてから、師匠と師兄に言った。
「ぼくが学びたいのは歩法と体術です。ぼくの望みは生き延びることで、戦うことではありません。雷光師匠が修めた武術の、その一部を教えていただければ十分です」
「歩法と体術だけ……なのか?」
「はい。その通りです」
俺は化央師兄に一礼して、
「ぼくは多くは望みません。師兄の時間を奪うつもりもありません。『お役目』をこなせるだけの武術を教えていただきたいのです」
「……そ、そうなのか」
「はい」
「…………う、うん。それなら、いいんだ」
納得してくれたみたいだ。よかった。
雷光師匠は様々な武術を会得してる。
『四神歩法』は、そのひとつでしかない。
ゲーム『剣主大乱史伝』に登場する雷光師匠は、壁を貫通して相手にダメージを与える技や、高速移動しての分身攻撃なんかを使ってた。
最も強いのは、味方との合体攻撃だ。
味方の技と呼吸を合わせて、その弱点を補うように剣を振るう。その技はまさに変幻自在。あまりに強すぎるので『雷光禁止縛り』なんて遊び方もあるくらいだ。
だけど、俺にはそんな強さは必要ない。
学びたいのは歩法と体術だけ。
それなら、兄弟子の邪魔にならないと思うんだ。
「兄弟子にはこのように申し上げましたが……いかがでしょうか、師匠」
俺は雷光師匠の方を見た。
「ぼくの望みは歩法と体術を学ぶことなのですが、それでよろしいでしょうか」
「あ、うん。いいんじゃないかな」
あれ?
雷光師匠がびっくりしたような顔をしてるけど……なんでだ?
「ところで天芳くん」
「はい。師匠」
「君はこれまで、どのような武術を修めてきたんだい?」
「武術はなにも学んでいません」
「……いや、それはおかしいだろう?」
雷光師匠は首をかしげた。
「君は私が助けに行ったとき、大人3人に抵抗していたよね? しかも、そのうちふたりは武術使いだ。武術を修めていないのなら、君は私たちが来るまで、どうやって時間を稼いでいたんだい?」
「申し上げるのは、お恥ずかしいんですけど……」
「指導の参考にするためだ。言いたまえ」
「ぼくは市場で買った書物を見ながら修行をしていました。内力を高める導引の書物です」
「市場で買った導引の書物?」
「はい。『四つの獣の身体をまねて、天地の気を導引する』と書かれていました。ぼくはその書物を『獣身導引』の書と呼んでいます」
俺は言葉を選びながら、答えた。
「蛇、猫、鶏、亀を真似ることで自然と一体化し、多くの気を取り入れるものです」
「ああ、あれかぁ」
師匠は、ぱん、と、手を叩いた。
「知っている。いや、知っているとも。私の師匠が書いたものだからね」
「師匠の師匠が?」
「うん。私の師匠は貧乏でね。自作の武術書を売り払って、日銭をかせいでいたことがあるんだよ。健康法に使えそうなものをね」
「そうだったんですか……」
意外だった。
そっか。『獣身導引』の武術書は、雷光師匠の師匠が書いたものだったのか。
それが回り回って、俺のところへ来た。
おかげで、俺は内力を身につけて、星怜を助けることができた。
……不思議な縁だ。
「ただ、当時の師匠は貧乏だったから、書いた書物をちゃんと点検していないことがあってね」
「……え?」
「念のため、君の『気』の強さと、経絡の状態を確認してもいいだろうか」
「もちろんです」
「どれどれ……」
雷光師匠は俺の手を取った。
目を閉じて、軽く自分の指に力を入れる。
ずしん、という、重みが伝わって来る。
これは……雷光師匠の『気の力』だ。
重くて、強い。押し返そうとすると……逆に引っ張られる感じがする。
まるで波のようだ。
強弱も、重さ軽さも自由自在。だからこそ強いんだろうな。
「異常はないね。それに、よく鍛えているようだ」
「ありがとうございます」
「これだけ内力があれば、化央とともに武術を学ぶのに十分だ。ふたりは良い兄弟弟子になると思うよ」
「……師匠がそうおっしゃるなら」
化央師兄は渋々、といった感じで、うなずいた。
それから雷光師匠は手を振って、
「今日はここまでだ。天芳は明日から、私の宿舎に通いなさい。みっちり修行をしたら、燎原君の『お役目』を頼むことになるだろう。いいね」
「はい。雷光師匠!!」
「化央は天芳を修行場まで案内してあげるように」
「師匠のお言葉にしたがいます」
「うん。ふたりとも、いい返事だ」
雷光師匠は、俺と、化央師兄の肩を叩いた。
こうして俺は雷光師匠への弟子入りを果たしたのだった。
──天芳と化央が去ったあと、雷光は──
「強めに『気』を送ったはずなんだが、びくともしなかったね……」
雷光は天芳の内力を確認したときのことを思い出していた。
経絡にも気の流れにも、異常はなかった。
「彼が初心者だということは、ありえないのだけど」
天芳の内力は強力だった。
故郷で武術を学び、1ヶ月間、雷光の元で修行をした化央と同じくらいに。
ならば黄英深の『天芳は生まれつき内力が使えなかった』という言葉を、どう考えればいいのだろう?
星怜の事件のあと、雷光は天芳を将軍府まで送り届けた。
そのときに黄英深は言ったのだ。『内力が使えるようになったからといって、無茶を』と。
気になった雷光は、英深から事情を聞いたのだ。
「天芳が内力を使えるようになったのは、私の師匠が残した『獣身導引』のせいだろうね」
頬杖をついて、雷光はお茶を口にする。
苦すぎる茶を好むようになったのは師匠のせいだ。
雷光の師匠は、死ぬまで貧乏性が抜けなかった。出がらしでも味わえるように、できるだけ苦い茶を淹れていた。その癖が移ってしまったのだ。
「どうしたものですかね。師匠。あなたの孫弟子は、『獣身導引』で不思議な技と内力を手に入れてしまったようですよ」
『獣身導引』が内力を身につけるための導引法なのは間違いない。
けれど、それは気休め程度。
天芳のような内力が身につくはずはないのだ。
なのに天芳は妹を逃がすために、ふたりの武術家と渡り合った。
特に黒ずくめの男──燕鬼は、凄腕の短剣使いだった。奴は逃げるときに、同時に十本の短剣を投げていた。そんな奴が、狙いを外すなどありえない。
本来なら燕鬼の短剣は、天芳の足を貫いていたのだろう。そうすれば天芳は逃げられなくなる。あとは口を押さえて拉致すればいい。燕鬼たちならそうするはずだ。
だが、奴の短剣に斬られた天芳の足は、軽傷だった。
燕鬼の短剣は、足をかすめただけだった。
つまりそれは──天芳が燕鬼の攻撃をかわしたということだ。
天芳が、廉という男の蹴りを防いだのもそうだ。
あの男は、蹴りを得意とする武術を学んでいた。
天芳は奴の蹴りを『獣身導引』の亀のかたちで防いだらしいが……そんなことができるとは思えない。
普通にやった場合、『獣身導引』は内力をわずかに増やすだけのものなのだから。
「つまり天芳は、気づかずに秘伝の修行法をやってしまったということかな」
素質がなければあの導引は、真の力を発揮しない。
それを発動させてしまったのなら、天芳には天賦の才能があるということになる。
となると……天芳と一緒に修行をさせれば、化央を大成させることができるかもしれない。
「問題は、化央がどう思うかだね」
化央は天芳を警戒していた。
武術を学ぶためとはいえ、あの修行法を化央が受け入れるかどうか──
「いや、待てよ。黙ってやればわからないよね……?」
化央は強くなることを望んでいる。しかも、できるだけ早く。
天芳に秘伝への適性があるなら、それを活用しよう。
「彼らが私たちの流派を発展させてくれるかもしれませんよ。師匠」
雷光は長椅子に手を伸ばし、立てかけてあった長剣に触れた。
これは、師匠の剣を模して作った劣化品だ。
師匠の剣を雷光は、使いこなすことはできなかった。
「私が……あなたの死後も生き続けてきたのは、このためだったのでしょうか」
雷光はまた、苦すぎるお茶を飲む。
自分の師匠の顔を思い出し、彼女は優しい笑みを浮かべる。
そうして彼女は、弟子たちをどんなふうに指導しようか、考えはじめるのだった。
次回、第18話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。