第165話「天下の大悪人、未来の最強軍師をスカウトする(前編)」
それから数日後、俺は碧寧さんの家を訪ねていた。
碧寧さんの姪御さん──ゲーム『剣主大乱史伝』の最強軍師、馮千虹と会うためだ。
碧寧さんの姪御さんは16歳。
ゲーム開始は10年後だから、そのころは26歳になっているはずだ。
だけどゲームに登場する馮千虹は10代後半だった。
年齢に、かなりの開きがある。
もしかしたら碧寧さんの姪御さんは、同姓同名の別人なのかもしれない。
でも……彼女は孤山の情報をくれたんだよな。
あの情報はすごく役に立った。
あとで兵士たちに聞いたら、馮千虹が指摘していたところには、本当に罠が仕掛けてあったそうだ。
碧寧さんの姪御さんの分析能力はただ者じゃない。
彼女がゲーム軍師の馮千虹かどうかは別として、会ってみる価値はある。
そう思った俺は、姪御さんに会わせてもらえるように、碧寧さんにお願いしたんだ。
「大恩ある黄どののご依頼です。姪を説得いたしましょう」
碧寧さんはあっさりとうなずいてくれた。
「ですが、黄どのが千虹に、どのようなご用があるのでしょう?」
「姪御さんには才能があります」
「……確かに、千虹は頭のいい子ではありますが」
「このところ国のまわりでは不穏な組織がうごめいています。それらに対抗するためには、才能ある人材を活かすべきだと思うのです」
碧寧さんの姪御さんには才能がある。それは確かだ。
だから俺は、彼女にアドバイザーになって欲しい。
彼女がゲームの馮千虹と同一人物でなくても構わない。俺には、状況判断に長けた軍師が必要なんだ。
万が一、碧寧さんの姪御さんが、ゲームの馮千虹と同一人物だった場合、放ってはおけない。
在野に置いておいたら、間違いなく英雄軍団がスカウトに来る。
碧寧さんの姪御さんが『金翅幇』を信用するとは思えないけど……あの組織はどんな手を使うかわからないからな。
もしも馮千虹が『金翅幇』の側についたら、あの組織はさらに強力になってしまう。そんな事態は避けなきゃいけない。
知力と策略で馮千虹に対抗できるのは、壬境族のトウゲン=シメイだけだからな……。
『剣主大乱史伝』の攻略サイトでは『馮千虹とトウゲン=シメイの両方を軍師にすれば、あっさりと天下は平定できるだろう』なんて書かれてたくらいだ。
もちろん、ゲームでは馮千虹とトウゲン=シメイの両方を軍師にするのは不可能なんだけど。
──俺が碧寧さんの姪御さんに会いたいのはそういう理由だ。
もちろん、ゲームのことは碧寧さんには話せない。
だから「とにかく、才能ある姪御さんに興味があるのです」と説明したんだ。
そして──
「お話は……よくわかりました」
俺の話を聞いた碧寧さんは、うなずいた。
「つまり黄どのは千虹を評価してくだっている、ということですな?」
「そうです」
碧寧さんの問いに、俺はうなずいた。
「将来的には碧寧さんの姪御さんに、相談役になってもらいたいと思っています」
「なんと!?」
「もちろん、ぼくがもう少し高い官職を得て、部下を養えるようになった場合です。今は無理です。でも、今のうちに碧寧さんの許可をいただいて、ご本人に話も話を通しておきたいのです」
「どうして……姪をそこまで評価してくださるのですか?」
「孤山の攻略の際に、姪御さんの情報が、とても役に立ちましたから」
「そ、それだけで?」
「姪御さんは情報をもとにして、的確な助言をくださったのです。まさに『帷幕にありて、善く天下を知る』の器だと思っております」
「…………おお」
「そのような方に相談役になっていただけたら、ぼくも安心して仕事ができると思うんです」
「なるほど……」
碧寧さんは納得した様子だ。
「黄どのは千虹の才能を評価してくださった。だから相談役にしたい、と?」
「はい」
「高い官職についた後に雇用して、将来はお側に置いてくださる、と」
「はい。そんな感じです」
「確かに……齢も近いですし、よいかもしれません」
「では、碧寧さんの許可をいただけると?」
「無論です。ただ……姪には少し変わったところがありまして」
碧寧さんは口ごもる。
それから、彼は頭を振って、
「とにかく、本人の気持ちもありますからな。まずは、実際に会っていただきましょう」
「わかりました。姪御さんのご都合の良い日に、うかがいます」
そうして、俺はアポイントを取ることに成功したのだった。
そして今。
俺は碧寧さんの家の椅子に座り、お茶を飲んでいる。
碧寧さんは家の奥に行っている。
姪御さんと話をしているみたいだ。声が聞こえる。
「……脩おじさまは、虹の年齢を話してしまったんですか!?」
「……脩も悪気はなかったのだろう」
「……ご近所には年齢を偽っているのですよ。小さな虹ちゃんで通っているんです。なのに……」
「……大恩ある黄どのに、偽りを申すわけにはいくまい」
「……それは……そうですけど」
やがて、静かになる。
足音がして、家の奥から人影が現れる。
「はじめまして、黄天芳さま。寧伯父さまの姪の、馮千虹と申します」
現れたのは、幼い少女だった。
外見は10歳前後。どう見ても16歳には見えない。
薄い褐色の髪をお団子にまとめている。
着ているのは、少しサイズが大きい袍だ。
身体に合わないのか、指が袖から出てない。
ぶかぶかなのに着ているのは、客人を迎えたえの正装だからだろう。
少女──馮千虹は大きな目をまばたかせて、俺を見ている。
見た目は、確かに幼い。
でも……顔はゲーム『剣主大乱史伝』に登場する少女軍師、馮千虹そのものだ。
ゲームの馮千虹も童顔だった。
彼女を8歳くらい若くすれば、目の前の少女と同じになる。
そっか。やっぱり碧寧さんの姪御さんが、ゲームに登場する馮千虹だったのか。
「お時間をいただいてありがとうございます。ぼくは東郭の町の防衛副隊長を拝命している者で、黄天芳と申します。碧寧さまにはいつもお世話になっています」
俺は馮千虹に向かって、拱手した。
「孤山での戦いでは、貴重な情報をありがとうございました。おかげで戦いを有利に進められました。犠牲者を出すことなく『裏五神』を無力化できたのは、馮千虹さまの情報のおかげです。部隊の者たちにかわって、お礼を申し上げます」
「…………は、はい」
馮千虹はおどろいたように、目を見開く。
それから彼女は拱手を返した。
「あの……黄天芳さま」
「はい。馮千虹さん」
「虹と呼んでください」
「え?」
「身近な人には、そう呼んでいただいているのです。あなたには、両親の仇を討ってもらった恩義があります。どうか気安く、虹と」
「あ、はい。では、虹さん」
「黄天芳さま。あなたは、虹の年齢を知っていらっしゃるのですよね?」
「そうですね。脩さんから聞きました。16歳です、と」
「……この姿を見て、なんとも思わないのですか?」
子どものような姿の馮千虹は、俺の前でくるりと一回転してみせた。
「16歳なのに童女のような虹を見て、おかしいとか、不思議だとか……」
「事情があるのですよね?」
「あります」
「わかりました。納得します」
「それでいいの!?」
「人に言えない事情は、誰にだってありますから」
俺は『転生者』ということを隠している。
小凰だって、奏真国の姫だということを秘密にしてる。
人に言えない秘密は誰にだってあるんだ。
「詮索はしません。虹さんは孤山での戦いで、ぼくたちを助けてくれました。それがすべてです」
「ほら、気負うことはなかっただろう?」
奥の方から、碧寧さんがやってきた。
お茶を淹れ直してくれたのだろう。彼は湯気が立つ茶器を手に、笑っている。
「黄どのは本質を見抜く目をお持ちなのだ。だからこそ『裏五神』と兆家との繋がりを見抜いて、私たちの仇を倒してくださったのだよ」
「は、はい。寧伯父さま」
「そのような方が、お前を欲しいと言ってくださっているのだよ」
「こんな虹をですか?」
「そうだ。まずは黄どのを信じて、お前の事情を話してごらん」
「…………わかりました」
馮千虹は俺の方に向き直る。
それから彼女は、深々と一礼して、
「虹がこのような姿をしている理由を、お話します」
「いいんですか?」
「寧伯父さまは虹を育ててくださった方です。その寧伯父さまが信じている方なら、虹も信じます」
馮千虹の小さな肩が震えていた。
まるで、秘密を明かすことを恐がっているようだ。
「虹は16歳です。でも、見た目は10歳くらいですよね?」
「はい」
「虹の成長が遅いのには、理由があるのです……」
それから馮千虹は、自分の事情について話し始めた。
馮千虹は、おさない頃から知識欲が旺盛だった。
それは生まれつき身体が小さくて、外で遊ぶことが少なかったのがその理由だ。
同年齢なのに体格が違う他の子どもたちとは、友だちになれなかった。
そんな娘のために、旅商人だった父親は、色々なことを教えてくれたそうだ。
この世界の書物は高価だ。
だから父親がくれたのは書物の断片だったり、旅先で聞いた話を書き留めたものだった。
旅商人の父が、帰ってくるたびに渡してくれる、たくさんの書き付け。
それらは馮千虹の世界を広げてくれた。
行ったことのない地方の知識や、人々の文化。
軍事的な情報や、戦いについての噂話。
不思議な導引法や、武術の技のこと。
たまに商人仲間から、地図をもらってくることもあったらしい。
それらの記録を読んでいるうちに、彼女は頭の中で、いろいろなものを再現できるようになったそうだ。
彼女は特に、地図を見る能力に優れていた。
地図を見ただけで、その土地の風景が頭の中に思い浮かぶ。
両親や碧寧さんが現地に行ってみると、馮千虹の言葉通りの風景だったりする。
その才能に、みんなおどろいていたそうだ。
気を良くした馮千虹は、今度は導引法や健康法にも手を出した。
もちろん、彼女の手の中にあったのは断片的な知識だ。
そのすべてを片っ端から試していたら──
「……身体の成長が、遅くなってしまったみたいなんです」
そう言って馮千虹は、ため息をついた。
知識欲はある。好奇心も溢れるくらいある。
ただ、身体が小さいから、あまり遠出はできない。
地図で見た土地をその目で見るのも難しい。
だけど導引法や健康法はすぐに実行できる。
その成果を自分で確認することもできる。
それで彼女は導引法や健康法に、『はまって』しまったらしい。
両親が盗賊に殺されてからは、それがさらに度を超すようになった。
健康になって強くなれば、自分で両親の仇を討てるかもしれない。
そう思って、知っている限りの導引法と健康法をごちゃ混ぜで実行していると──
「もっと成長が遅くなってしまいまして……」
「……なるほど」
「具体的には……3年で1歳分くらいしか成長しないのです」
「そういうこともありますよね」
ゲーム『剣主大乱史伝』の馮千虹が10代後半を名乗っていた理由がわかった。
彼女はあらゆる導引法をごちゃ混ぜでやっていた。
そのせいで、身体の成長が遅くなっていたんだ。
だけど、そのことは英雄軍団の誰も知らない。
だから馮千虹は、外見にふさわしい年齢を名乗ったんだろう。
おそらくは、まわりを混乱させないように。
「虹は……黄天芳さまが思っているほど、賢いわけではないのです」
馮千虹は苦笑いを浮かべていた。
「好奇心のままにあらゆるものを吸収していただけ。思いのままに実験をして、失敗して、身体の成長を止めてしまった愚かな子なの。だから……」
「よくわかりました」
「わかってくださいましたか?」
「はい。ぼくと虹さんは似たもの同士です」
「え?」
「ぼくも導引法の本を手に入れて、そのまま実行したことがありますから」
「……黄天芳さまも……ですか?」
「虹さんの気持ちはわかります。書物に書かれていることって、すぐに試したくなりますよね?」
「で、でも、虹は失敗をして……」
「それは虹さんが得た知識が断片的だったからです。欠けた部分は、これから補えばいいんですよ。そしたら、身体も成長するようになるかもしれません」
俺はたぶん、運が良かっただけなんだろう。
将軍の家に生まれたから『獣身導引』の書物を手に入れるだけのお金があった。
将軍の子どもだから、商人も相手をしてくれた。
たまたま手に入れた導引書が本物だった。それだけだ。
もしも俺が馮千虹のように旅商人の子どもに生まれていたら、断片的な知識しか得られなかったかもしれない。
それでも俺は、導引を実行しただろう。
『黄天芳破滅エンド』を回避するために。
その結果、馮千虹と同じように、身体の成長を止めていたかもしれないんだ。
「ぼくの師匠は『気』と内力の専門家です。虹さんの『気』や経絡を診てもらいましょう。そうすれば、成長が遅くなっている原因がわかるかもしれません」
「は、はぁ」
「逆に……もしかしたら虹さんは、不老長寿の導引法を発明したのかもしれませんよ? 成長が遅くなっているのではなく、寿命が延びているのかも」
「え、ええっ!?」
「仙人は数千年の寿命を持つと言われていますよね?」
「た、確かに。その通りなの。五穀を断ち、霞を食べて寿命を延ばしていると……」
「数千年の寿命を持つ者にとっては、数年など一瞬です。虹さんの成長が遅いのは、身体が仙人に近いものになっているからかもしれません」
「ま、待って。虹がやっているのは『蛇のかたち』の導引法と、丹田蛟の呼吸法なの。それと月光に身体をさらす法も……」
「『蛇のかたち』の導引法は、ぼくもやっています」
「黄天芳さまも?」
「そういえば……脱皮する蛇は、長寿や不死を象徴すると言われていますよね?」
「父さんの書物にもそんなことが書いてありました! 待っていてください。今、持ってきますから……」
「千虹。それに黄天芳どの。少し落ち着いた方がよいのでは……?」
「「…………はっ」」
俺と馮千虹は顔を見合わせた。
いけない……話に夢中になりすぎてた。
でもなぁ。
俺と馮千虹はたぶん、似た者同士なんだ。
馮千虹は知識欲を満たすためと、両親の仇を討つために。
俺は『黄天芳破滅エンド』を避けるために。
おたがいに知識を探し求めて、手に入れた知識を実践していた。
俺がうまくいってるのは、将軍の子だったからと、師匠たちに出会えたから。
だけど馮千虹は独力で、これだけの知識と知恵を身に着けている。
ゲームに登場する馮千虹も、たぶん、そうだったんだろう。
彼女は独学でゲーム最強の軍師になったんだ。
その才能と努力は、俺には想像もつかないものだったはずだ。
その馮千虹が師匠について、たくさんの書物で勉強をはじめたら、どれだけのものになるのか……すごく興味がある。
彼女の才能を放っておくのは、藍河国にとっての損失だと思うんだ。
「碧寧さん、虹さん。ぼくに提案があります」
俺は姿勢を正して、一礼する。
それからふたりに、俺が考えていることを話し始めたのだった。
次回、第166話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。