第164話「天下の大悪人、魃怪を尋問する」
俺たちが東郭に帰ってから、数日後。
魃怪への尋問が始まった。
「これがあなたの望んだ結果か。魃怪」
雷光師匠は、牢の中の魃怪を見据えて、告げた。
東郭の町の牢獄だった。
魃怪は木製の格子の向こうで、こちらに背中を向けている。
雷光師匠の質問には、答えない。
壁の方を向いて、無言で座っている。
かすかに身体が動いているから、生きてはいるのだろう。
東郭の町に戻った後で、秋先生は魃怪の治療を行った。
魃怪の身体はもう、ほとんど動かない。
彼女はもともと腕と脚に傷を負っていた。それを『窮奇』の技で無理に動かしたことで、さらに負荷がかかった。経絡もズタズタだ。
今は、左腕がわずかに動くだけ。
寿命は──秋先生の見立てでは、2ヶ月は保たないだろうということだった。
「あなたは仰雲師匠への復讐に──いや、逆恨みに、多くの者を巻き込んだ。盗賊たちもそうだし、あなたの配下の武術家たちもそうだ。それだけじゃない。多くの町の者たちが盗賊に襲われ、命を落とした。その結果、あなたはなにを得たのだ?」
雷光師匠は淡々とした口調で、牢の中の魃怪に呼びかけている。
師匠の側には俺と秋先生がいる。
秋先生は、興奮した魃怪が自傷に走るのを止めるため。
俺が同席するのは、その方が雷光師匠が落ち着くからだそうだ。
『天芳が側にいれば、私も「弟子の前で格好の悪いところは見せられない」って思うからね』
『悪いけど、側にいて欲しいんだ』
それが、雷光師匠の言葉だった。
そして今、雷光師匠は牢の前で、魃怪と向かい合っている。
「魃怪よ。あなたは言ったな。『わたくしは弟子の行く末を眺めるのみです。我が弟子は仰雲の弟子を超えて、天下にはばたくでしょう』と」
雷光師匠は魃怪の背中に向かって、語り続ける。
「だが、呂兄妹は私の弟子に倒された。あなたの弟子が天下にはばたくことはない。あなたの復讐心は弟子の才能を潰し、彼らの未来を奪っただけだった」
「…………」
魃怪の背中が、かすかに震えた。
雷光師匠は続ける。
「あなたは完全に失敗したのだ。結局『裏五神』は『窮奇』の技を操る組織──『金翅幇』に利用されただけだ。魃怪よ、あなたはそれで満足なのか!?」
雷光師匠の拳が、牢の格子を叩いた。
「五神の技を学んだ者が、『金翅幇』に利用されただけでいいのか!?」
雷光師匠は絞り出すような声で、叫んだ。
「少しでも無念だと思うのならば……あの組織について、知っていることを話して欲しい。このままではあなたの弟子たちが気の毒ではないか。あなたに弟子を思う気持ちがあるのなら……」
「はは……」
かすかな笑い声が、響いた。
「はは、はは、ははははははははははははっ!!」
やがてそれは、牢内すべてに届くほどに大きくなる。
魃怪が、こわれた内力を込めて発する声だ。
それが壁を、木製の格子を、びりびりと震わせている。
「仰雲の弟子よ。お前はなにもわかっていません」
肩越しに振り返った魃怪が、笑った。
「歴史に名を残すのは、この魃怪です。わたくしは天下を動かす組織に協力したのですからね。あの組織はわたくしから受けた恩義を、決して忘れないでしょう」
「……なに?」
「あれは天命を受けた組織でした。あの組織が、たかが情報をもらった程度で、秘伝の技をわたくしたちに教えると思いますか? 対価が必要なのは当然ではありませんか?」
「まさか……あなたは!?」
……ちょっと待て。
秘伝の『窮奇』を教わるための対価を『金翅幇』に払った?
それってまさか……。
「あなたは五神の技を『金翅幇』に伝えたのか!?」
「ええ……ええ!!」
魃怪は喉を反らして高笑いする。
「伝えましたとも。一部ですが、確かに伝えました!! これで後世に残るのは仰雲の技ではなく、わたくしの技です!! 天命を受けた組織が、この魃怪の教えを受けたのですからね!!」
「あなたはそうまでして……仰雲師匠に復讐したかったのか!?」
「わたくしは仰雲を超えたかっただけ。ああ、もしも仰雲が生きていたなら、今度こそわたくしから目を離せなくなっていたでしょう。天命の組織はわたくしの武術を未来に残してくれるのですから! 歴史に残るのは仰雲の五神の技ではなく、わたくしの五神の技なのですから!!」
魃怪は『金翅幇』に、自分が知る五神の技を伝えた。
金翅幇は自称『天命』を受けた組織だ。
奴らの教義の通りに藍河国が滅び、奴らが国を打ち立てることになったら──世に残るのは、魃怪が伝えた五神の技ということになる。
仰雲師匠が伝えた五神の技は、歴史の闇に消えていく。
そうすることで自分は仰雲を超えるのだと、魃怪は言った。
「あの組織の情報など……教えるわけがありません」
笑いすぎた魃怪の息が、乱れはじめる。
「さあ、わたくしを殺しなさい! 私は死して永遠に名を残すものとなりましょう!! あの組織はわたくしを讃え、わたくしの名を残すでしょう!! 歴史に残るのは仰雲の五神の技ではなく、わたくしの五神の技です!! あなたたちがなにをしようと、それはすでに決まったことで──」
「いや、あなたの名前は残らないんだけど」
気づくと、俺はそんな言葉を口にしていた。
俺は、ゲーム『剣主大乱史伝』を何度もクリアしたから、知ってる。
あのゲームに『魃怪』という言葉は、ただの一度も登場しない。
主人公の介鷹月も、そんな名前は口にしていない。
介鷹月のステータスにも『五神の技』は出てこない。
ゲームのなかで『四神歩法』が使えるのは雷光師匠だけだ。
介鷹月も移動速度が速かったから、多少の歩法は学んでいたんだろう。
それでも、雷光師匠にはまったくおよばなかった。
魃怪が『金翅幇』に歩法を教えたのは確かだろう。
だけど、それは歴史にほとんど影響を与えていない。
というか『金翅幇』は、魃怪に感謝なんかしてないんじゃないかな……。
「歴史に残るのは雷光師匠の武術だ。歴史の闇に消えるのはあなたの名前だ。『金翅幇』の連中は、あなたの名前を口にすることもないと思う」
「ははは。なにをばかなことを……」
「そうなるんです。間違いなく」
「……お前は、なにを言って……」
魃怪の目が、俺を見た。
それをまっすぐに受け止めながら、俺は続ける。
「歴史の闇に消えるのは魃怪、あなたの方だ。あなたは歴史になんの影響も残さない。『金翅幇』は、あなたのことを忘れる。あなたは未来になにも残せないんです」
「嘘をつくな!!」
「本当です」
「…………でたらめ、を……言うな」
「それが真実なんですよ。魃怪さん」
「……お前……お前は」
魃怪が目を見開く。
奴の息が、荒くなる。身体が小刻みに震え始める。
「お前の目は……仰雲に似ている」
魃怪がこっちに身を乗り出そうとして、倒れる。
縛られたままの左腕で床を掻いて、俺の方に近づいて来る。
「仰雲もそうでした。あの人は……時々、はるか先を見据えているような目をしていた。わたくしが隣にいるのに、まるで……思いを遠くに馳せているような。だからあのひとの中にわたくしがいないとわかった……わたくしは……」
「『金翅幇』は、あなたに感謝なんかしない」
「…………お前は……お前は、なんだ! お前は誰だ!?」
「ぼくは雷光師匠の弟子、黄天芳だ。呂兄妹を倒したのは、ぼくだ」
「………………お前が、双子を」
「ぼくは『金翅幇』の人間とも戦ったことがある。だからわかる。あいつらは、あなたに感謝なんかしない。あなたのことなんかすぐに忘れる。あいつらは他者を利用するだけだ。あいつらが見ているのは『天命』だけだ。あいつらは、目の前にいる人間を見ていない」
『金翅幇』は呂兄妹を『窮奇』の実験台にしてる。
あのふたりに『超硬気功』を使わせて、その成果を介鷹月が得るつもりだったんだろう。
俺がそう考える理由は、呂兄妹が『窮奇』と『超硬気功』の弱点を知らなかったからだ。
──『天元の気』という天敵があること。
──『超硬気功』では、打撃技を防ぎきれないこと。
『金翅幇』が呂兄妹を仲間だと思っていたのなら、それくらい教えていただろう。
なのに、ふたりはそのことを知らなかった。
ふたりは俺の打撃技を、ほとんど警戒していなかった。
『金翅幇』は魃怪たちを実験台にしただけなんだ。
「ぼくは真実を言っている。信じるかどうかは、あなた次第だけど」
「…………雷光の弟子が、偉そうに」
「そうですかね」
「お前こそ、歴史の闇に消えるがいいのです!!」
魃怪は俺を見据えながら、叫んだ。
「お前のような小物が歴史に名を残すことはない!! 双子を倒したからといって、思い上がったのでしょうが……無意味です!! あなた程度の武術家はどこにでもいるのですから。あなたの名前はこの時代で消える。あなたの名前は歴史に残らない!! あなたはどこにでもいるつまらない人間として、生きて、死んでいくだけの存在だ!!」
「それでいいよ」
「…………なに?」
「ぼくはすごい武術家にならなくてもいいんです。そのことは、弟子入りするときに雷光師匠にも伝えてあります」
俺の言葉を聞いた魃怪が、雷光師匠に視線を向ける。
雷光師匠がうなずく。
「…………なんなのだ。お前は!?」
魃怪は信じられないものを見るような目で、俺を見ていた。
「『どこにでもいるつまらない人間として、生きて、死んでいくだけの存在』と言いましたね。ぼくの願いは、そういう存在になることです。今は東郭の防衛副隊長なんかやってますけど、本当はそんなの、柄じゃないんですよ」
俺はゼング=タイガを斬った。壬境族の運命にも関わってしまった。
だから俺は逃げることと、小役人を目指すことをやめた。
『金翅幇』対策のために、全力で動くことを決めた。
歴史に名前なんか残したくない。
『金翅幇』が消えれば、俺は表に出る必要はなくなる。無名のままでいい。
『藍河国破滅エンド』が消えれば、俺は、どこにでもいる人間になる。
それでいいんだ。
「ありがとう。魃怪さん。あなたの言葉で、ぼくは自分がなにを目指しているのかを思い出せた」
俺は魃怪に向かって、拱手した。
「だけど、あなたの名前は歴史には残らない。これは確実だ」
「…………う、うぅ」
「あなたが本当に歴史に名を残したいのなら『金翅幇』のことを話して欲しい。そうすればあなたは、藍河国の敵を滅ぼすのに手を貸した者として、歴史に名を残すかもしれない。絶対じゃないし、ぼくが決められることでも……ないんだけど」
「………………よまいごと、を。お前は……」
がくん。
魃怪の身体が、倒れた。
彼女は荒い息をつきながら、身体を震わせる。
秋先生が尋問の終わりを告げた。
これ以上は、魃怪の身体が保たない、ということだった。
俺と雷光師匠は牢を出ることにした。
秋先生はこれから、魃怪と呂兄妹、他の盗賊たちの治療をするそうだ。
そうして、俺と雷光師匠は長い廊下を通り、東郭の官舎を出たのだった。
「うーん。やっぱり、牢獄は空気がよくないね」
雷光師匠は大きく伸びをして、深呼吸。
脚の動きはまだ少しぎこちないけど、回復はしてるみたいだ。よかった。
「ありがとう。天芳」
「え?」
「君がいてくれたから、私は我を失わずに済んだんだ」
雷光師匠は、おだやかな笑みを浮かべた。
「魃怪は私を怒らせようとしていた。怒らせて、自分を殺させようとしていたんだろうね。牢にいて、身動きのできない者を殺せば、私の心に傷がつく。魃怪はそれを狙っていたんだと思う」
「そうだったんですか?」
「ああ。だけど、そんな挑発に乗る私じゃないよ。弟子の君も側にいてくれたからね。ずいぶんと落ち着いていられた」
「お役に立ててよかったです」
「役に立ったどころじゃないよ。天芳」
不意に、雷光師匠は真面目な顔になり、
「君の言葉は、魃怪に痛烈な一撃を加えたんだよ」
「……え?」
「魃怪と話していたときの君の目は、まるで、未来を確信しているようだった」
「確信ではないです」
俺は言葉を濁した。
「ただの直感です。『金翅幇』の介州雀や、『金翅幇』に操られたゼング=タイガと戦ったぼくの、ただの……思いつきみたいなものです」
「それでも、君の心からの言葉は、魃怪の心に響いたと思う。もしかしたら……」
「え?」
「もしかしたら、魃怪は知っていることを話すかもしれない。だから翼妹は尋問を止めたのだろう。魃怪の消耗を防ぐためにね。心を折られた魃怪が、いずれは口を割るかもしれないと思って」
雷光師匠は牢のある建物に視線を向けた。
「魃怪が、君に心を折られたことを認めるのが先か……彼女の生命が限界を迎えるのが先か、ということになるだろう。私は、前者であることを願うよ。そうでなければ彼女に巻き込まれた者たちが……あまりにもむくわれない」
「雷光師匠……」
「さて、固い話はここまでだ」
空気を変えるように、雷光師匠は、ぽん、と手を叩いた。
師匠は、近くにあった樹の根元に腰を下ろして、
「君が呂兄妹とどんなふうに戦ったのか、詳しく教えてくれないかな。君がどれくらい成長したかを知りたいし、なにか指導できることもあるかもしれない。どんな技を使ったのか実演してくれるとうれしいな」
「はい。師匠!」
それから俺は、呂兄妹の戦いについて話し始めた。
ふたりで話をしていると冬里が、秋先生の様子を見にやってきた。
せっかくだから冬里も一緒に、戦いの話をすることにした。
そうして俺と冬里はふたりで、呂兄妹との戦いで使った技を再現して──
雷光師匠はそれを見て、感心したり、ちょっとしたアドバイスをくれたりして──
やってきた秋先生も、それに参加して──
俺は、久しぶりにふたりの師匠から、のんびりと指導を受けることができたのだった。
次回、第165話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。