第161話「太子狼炎、兆家の罪を問う(2)」
「おそれながら……殿下……おそれ……ながら」
兆昌括は平伏したまま、同じ言葉を繰り返す。
彼の身体は、小刻みに震えていた。
太子狼炎の言葉は、兆昌括にとって予想外すぎた。
まさか太子狼炎の口から東郭の問題について語られるなど、思いもよらなかったからだ。
──東郭の防衛隊長だった兆昌括が、盗賊団と繋がっていたこと。
──彼らに情報を流していたこと。
それらはすべて事実だ。
だが、それが太子狼炎に知られるとは思わなかった。
兆昌括は東郭のことが太子狼炎に伝わらないように、細心の注意を払っていた。
『太子殿下は「不吉な者」と関わるべきではない』
それが兆家の方針だ。
兆昌括は全力で、それに従ってきた。
なのに──
「……父上」
彼は思わず隣にいる父親に視線を向ける。
兆石鳴は、硬直していた。
目を見開いたまま、床に額を押しつけている。
兆昌括が呼びかけても、答えない。
「おそれながら申し上げます!」
父を頼れないとわかった兆昌括は、声をあげた。
「発言を……お許しいただけますでしょうか」
「許す。顔を上げよ」
「確かにこの昌括は『裏五神』と名乗る盗賊団と……連絡を取り合っておりました。ですが!!」
兆昌括は顔を上げる。
彼は必死の形相で、叫ぶ。
「すべては、太子殿下のおんためでございます!!」
「……なんだと?」
「私が盗賊団と繋がりを持ったのは、太子殿下に『不吉』なものが近づかないようにするためなのです!」
兆昌括の声が、謁見の間に響いた。
太子狼炎も燎原君も、無言だった。
その反応に気を良くしたのか、兆昌括は語り続ける。
「私は太子殿下の盾であると自負しております。不吉を受け止め、太子殿下に近づけないための盾であると。そのためには清濁を併せのむ必要がございます!」
「貴公はこの狼炎の質問に答えていない」
太子狼炎は言った。
「私が聞いているのは、貴公が盗賊団と繋がることになった経緯と、その理由だ」
「いいえ……私はそのことついてお答えしているつもりです」
「なに?」
「私は『不吉』を防ぐ盾でございます。『不吉』はどこから現れるかわかりません。壬境族だけではなく、裏社会や闇の世界の者が殿下を狙うこともあり得ます。そのために私は、裏社会の者から情報を得る必要があったのです!」
「それが、貴公が盗賊団と繋がった理由か?」
「さようでございます」
「そのために兵士の配備状況や、他の町の防衛情報を流したと?」
「一時的なものでございます。裏社会の者の信用を得て、彼らを操るには、対価が必要だったのです」
「裏社会の者を操る……だと?」
「そうです。彼らを支配し、太子殿下をお守りする影の軍団を作り出すのが、私の目的でした」
「馬鹿な! そんなことができるものか!」
「王弟殿下も得体の知れない者たちを養っておられるではありませんか!!」
兆昌括は燎原君を見据えて、声をあげた。
「確かに、臣下の分際で王弟殿下と同様の行いをしたことは罪でありましょう」
彼は床に頭を叩きつける。
「ですが、殿下をすべての『不吉』からお守りするためには、手段を選んではいられなかったのです! 盗賊団を操ることに成功すれば、殿下をお守りする軍団を作ることができます。王弟殿下のように、彼らを客人として働かせることもできるのです。そうなれば──」
「昌括!!」
太子狼炎が一喝した。
兆昌括の身体が、びくり、と震えた。
「貴公はこの狼炎のために、影の軍団を作ると言ったな」
「はい」
「私に近づく『不吉』を防ぐために、それが必要だと?」
「おっしゃる通りでございます」
「だが、そのために他の町の商隊が襲われた。犠牲者も出ている。それについてはどう考える?」
「汚名は甘んじて受けましょう。ですが、殿下をお守りするためには──」
「ならば、貴公に問う」
太子狼炎の表情は変わらない。
口調も、落ち着いている。
ただ、彼はずっと拳を握りしめていた。
力が入りすぎているのだろう。指先は真っ白になっている。
爪がてのひらに食い込み、うっすらと血がにじみはじめる。
それでも太子狼炎は感情を抑えたまま、告げる。
「貴公は盗賊団『裏五神』と『金翅幇』とが繋がっていることを知っていたか?」
「────!?」
兆昌括が顔を上げる。
限界まで目を見開き、太子狼炎を見つめる。
喉から流れ出るのは「あ」「ぅぅ」という、意味をもたない音だけ。
口だけが空気を求めるかのように、ぱくぱくと動いている。
そんな兆昌括に視線を合わせたまま、太子狼炎は続ける。
「『金翅幇』は『藍河国は滅びる』という教義を掲げる組織だ。奴らは壬境族に取り入り、我が国へ侵攻するようにそそのかしたと言われている。壬境族が戊紅族を併呑しようとした件にも、『金翅幇』が関わっている。貴公はそれを知っているはずだ」
「…………そ、それは」
「『金翅幇』がどうやって藍河国の情報を得ているのか、ずっと謎のままだった。だが、今回の件でわかった。東郭や周辺の町の警備状況を知っているのなら、彼らが町に潜入するのもたやすい。奴らはそうやって情報を収集していたのだろう」
「『裏五神』から『金翅幇』に情報が流れていた可能性もあります」
太子狼炎の言葉を引き継いだのは、燎原君だった。
「壬境族のゼング=タイガが狼炎殿下を襲撃したときにも、おそらくは──」
「それは本題ではない」
「殿下?」
「問題は兆昌括が我が国の治安を乱したことと、民を危険にさらしたことだ。この狼炎が襲われた件については……語らずともよい」
「失礼いたしました。殿下」
一礼して、燎原君は引き下がる。
兆昌括の顔は、蒼白だった。
平伏することさえも忘れたように、呆然と太子狼炎を見つめている。
その隣にいる兆石鳴は、動かない。
背中を丸め、無言でうずくまるっている。
その姿は、まるで一気に齢を取ってしまったようにも見えた。
「兆昌括よ」
「…………は、はい。殿下」
「貴公は闇の勢力を支配すると言ったな。だが、支配されていたのは貴公の方だった」
太子狼炎は感情のない声で、告げた。
「貴公は叔父上……燎原君のようになりたかったのか?」
「──!?」
「言ったであろう。『王弟殿下も得体の知れない者たちを養っている』と。貴公は叔父上にあこがれ、同じことをしようとした。違うか?」
兆昌括は答えない。
太子狼炎は、かすかに頭を振って、
「だが、貴公には無理だ。叔父上は客人を厳しく選別している。有能であっても、信頼できぬ者を近づけることはない。それは人をよく見て、その者の心根までも見抜くことができる者にのみ可能なことだ。貴公や……この狼炎には不可能なのだ」
「…………殿下」
「貴公は、おのれの器を見誤った。その結果、多くの被害を出すことになった。その罪を許すことはできぬ」
「…………申し訳……ございませんでした!!」
床を激しく打つ音がした。
兆昌括が額を床にたたきつけた音だった。
──燎原君は信頼できぬ者を近づけることはない。
──それは、その者の心根までも見抜く力があるからこそ可能なこと。
──この狼炎には不可能。
その言葉は刃のように、兆昌括を突き刺した。
それは太子狼炎が、兆昌括に権力を与えたことを悔やむ言葉だとわかったからだ。
「兆昌括に告げる。貴公が『裏五神』と繋がるに至った経緯と、奴らに伝えた情報をすべて話すのだ。この狼炎から『不吉』を遠ざけたいと思うのなら、それが一番の手段だ」
「…………はい。殿下」
もはや、言い逃れる手段はなかった。
兆昌括は平伏したまま、かすれる声で話し始めた。
──東郭の防衛隊長として赴任した兆昌括が、盗賊の討伐に失敗したこと。
──その後、東郭を出発した商隊が襲われる事件が多発したこと。
──失敗が続けば、自分を防衛隊長に推薦した父の名を汚すと考えたこと。
──外戚である兆家の失敗が、太子狼炎の『不吉』を増やすことに繋がることを恐れたこと。
──そのために、盗賊団『裏五神』に接触し、協定を結んだこと。
その他、彼が『裏五神』に流した情報。
奴らに渡した金銭。
奴らを東郭に招き入れるための道筋を作り出したこと。
兆昌括はすべてを、太子狼炎と燎原君の前で語り続けた。
その間、太子狼炎は無言だった。
平伏する兆昌括の背中から視線を逸らし、うつむいていた。
さっきまで握りしめていた拳は解かれている。両手は椅子の脇息を、強く握っている。
まるで──両手で耳を塞ぐのを、必死にこらえているかのように。
「…………以上でございます」
そうして、兆昌括は話を終えた。
しばらく誰も、口を開かなかった。
太子狼炎も燎原君も、兆昌括も、その父の兆石鳴も。
護衛として控えている『狼騎隊』のふたりも。
「──私の方でも、東郭の者たちから証言を取っております」
沈黙を破ったのは燎原君だった。
「『裏五神』と関わっていたのは兆昌括どのと、直属の兵士数名だけでした。兆石鳴どのは、東郭に来ておりません。他の者の証言からも、今回の事件に兆石鳴どのが関わっていないのは明白かと」
「……そうか。ありがとう、叔父上」
太子狼炎は長いため息をついた。
彼は、これから口にする言葉をおそれるかのように、小さく頭を振る。
それから──
「太子である狼炎が、兆昌括に告げる」
太子狼炎は兆家のふたりを見据えたまま、宣言した。
「これから告げることは国王陛下も、宰相である燎原君も承知の上である。そう心得よ」
「は、はい。殿下!」
「では、申し伝える」
数秒間の沈黙のあと、太子狼炎は宣言する。
「貴公は自宅に戻り、謹慎せよ。一両日中に使者が、剣を持って貴公のもとをたずねるであろう」
「…………承知いたしました。殿下」
兆昌括は震える声で答えた。
罰を受けた者が、王家の者から剣を賜ることには、意味がある。
それは『この剣で自害せよ』というものだ。
──高位の者が、刑吏をわずらわせるべきではない。
──牢獄に入る前に、剣や毒で自害する。
それが藍河国の慣例だった。
「私めは、殿下のご命令に……従います」
「そして、兆石鳴」
「ははっ」
「貴公が東郭での事件に関わりがないことは知っている。だが、兆昌括を東郭の防衛隊長に推薦したのは貴公だ。一切の罪なしといかぬ。わかっているな?」
「存じ上げております」
「この北臨から出て行くがいい」
太子狼炎の言葉は、短かった。
「北臨と、その周辺の町に住むことは許さぬ。遠くの地で静かに暮らせ。この狼炎が貴公と再び会うことはない」
「…………殿下」
「これまでのことに礼を言う。兆叔父」
太子狼炎は席を立った。
それが──謁見終了の合図だった。
兆昌括はただ、平伏を続けていた。
床にたたきつけた額が赤くなっている。
それでも彼は、顔を上げられなかった。
兆石鳴は呆然と、立ち去る太子狼炎の背中を見つめていた。
やがて侍従たちがやってきて、兆家のふたりに退出を促す。
兆石鳴はおぼつかない動きで、兆昌括は侍従の手を借りて、立ち上がる。
遠ざかる太子狼炎の背中に向けて、兆石鳴は拱手する。
外戚であり、側近であった者の──最後の挨拶だった。
「……貴公らが……ただの身内であったなら」
兆石鳴の耳に、かすかな声が届いた。
太子狼炎の声だった。
その言葉は太子狼炎に付き従う者の足音に紛れて、消える。
見えなくなった太子狼炎に向けて、兆石鳴は拱手を続ける。
そして彼は──ぐったりとした兆昌括を連れて、謁見の間を後にしたのだった。
いつも「天下の大悪人」をお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回、第162話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。