第160話「太子狼炎、兆家の罪を問う(1)」
──そのころ、首都の北臨では──
「やっと、太子殿下はお目通りを許してくださったのですね。父上」
「浮かれるでない。昌括よ」
兆家の親子──兆石鳴と兆昌括は王宮へと向かっていた。
太子狼炎から呼び出しを受けたからだ。
太子狼炎はここ数日、病で伏せっていた。
燎原君の屋敷を訪ねたときに熱を出したそうだ。
その後は王宮に戻り、眠り続けていたとのことだった。
兆石鳴は見舞いの品を贈ったが、すべて送り返された。
ただ、書状だけは受け取ってもらえた。
書状には、兆石鳴が叔父として、どれだけ太子狼炎を大切に思っているか。犬馬の労を尽くすつもりなのかが記しておいた。
太子狼炎は、その書状を読んでくれたのだろう。
だから、病が癒えたあとで、兆石鳴と兆昌括を呼びだしたのだ。
「狼炎殿下は、きっと強い君主になられるであろう」
兆石鳴は遠い目をして、つぶやいた。
「兆家はあの方を支え続けなければならぬ。不当な異名に苦しむあの方にとっては、血のつながりこそが唯一の救いとなろう。これまでも、そして、これからもな」
「わかっています。父上」
兆昌括は明るい口調で答える。
「それゆえに、兆家は大きくならなければならないのです。王弟殿下を超えるほどに」
「狼炎殿下をお支えするのが第一だ。忘れるな」
「お言葉ですが、それだけでは不足だと考えます」
「……なに?」
「即位された後の狼炎殿下は大きな存在となります。あの方を支えるためには、我らも大きな存在にならなくてはなりません。そのために、あらゆる手を尽くすべきなのです」
「順番を間違えるな。昌括よ」
「────!?」
兆昌括の身体が、びくり、と震えた。
父である石鳴の視線が突き刺さったからだ。
兆石鳴は、元『奉騎将軍』だ。
大きな戦いを経験したことはないが、彼が長年、武人であったことに変わりはない。
その視線に気圧されたのか、兆昌括が膝をつきそうになる。
「兆家は狼炎殿下を支えることだけを考えればよい。あの方のためだけを思い、あの方の敵を最優先で攻め滅ぼすのだ。狼炎殿下のことをもっとも考えているのは兆家で、あの方にもっとも近しいのも兆家なのだ。いっとき、他家が寵臣となったとしても、いずれ狼炎殿下は我々のことを思い出してくださる」
「は、はい。父上」
「血のつながりはなによりも重い。我々だけが、狼炎殿下を理解しているのだから」
「…………承知しております」
そうして兆家の親子は王宮に入った。
門を通り、謁見の間へと進む。
そこで待っていたのは太子狼炎と『狼騎隊』の景古升と范圭。
そして、燎原君だった。
「…………どうして王弟殿下が?」
兆石鳴は疑問を抱きながら、太子狼炎の前へと進み出る。
昌括と共に床に膝をつき、深々と頭を下げる。
「お呼びにより参上いたしました。兆石鳴、および兆昌括でございます」
名乗りをあげた兆石鳴は、太子狼炎の言葉を待った。
太子狼炎は兆石鳴の正面に立っている。距離にして十数歩。
普段と変わらない距離なのに、なぜか、遠くに感じる。
太子狼炎が大きく息を吸うのがわかる。
なにかをこらえるように、踵が床を叩く音も。
「来てもらったのは他でもない。この狼炎は、兆家の者たちに申し伝えることがあるのだ」
やがて、太子狼炎は口を開いた。
兆石鳴が横目で見ると、昌括が笑みを浮かべているのが見えた。
彼には長男が考えていることがわかる。
『兆家の復権』──その言葉だろう。
兆石鳴の脳裏にも同じ言葉が浮かんでいる。
なのに、不思議だった。
どうして自分の身体が、かすかに震えているのか。
どうして太子狼炎の言葉が、ひどく冷たいものに感じるのだろうか……。
「太子である藍狼炎の名において、貴公らの罪を問う」
「────!?」
「つ、罪ですと!? なにをおっしゃいますか。殿下!?」
無言で目を見開く兆石鳴と、反射的に顔を上げる兆昌括。
思わず兆石鳴は手を伸ばして、兆昌括の頭を押さえつける。
兆石鳴は武人だ。
戦場の空気を感じ取ってきた彼にはわかる。
状況が変わったのだ……と。
まるで、喉元に刃を突きつけられているような感覚だった。
太子狼炎は軽い気持ちで兆家の罪を問うているのではない。
内々に済ませるつもりなら、謁見の間に呼びだしたりはしないだろう。
しかも、燎原君までもが同席している。
その上で狼炎は『藍狼炎の名において』兆家を叱責している。
それは太子狼炎が、兆家に罪があると、確信していることを意味していた。
「兆昌括に告げる」
兆家の非礼を無視して、太子狼炎は続ける。
「貴公は、東郭の町の防衛隊長であったとき、『裏五神』と名乗る盗賊団と繋がっていた。その上で職権を利用し、盗賊団に兵士たちの情報を流していた。東郭のみならず、近隣の町の防衛についての情報も。それによって『東郭に関わる者たちは襲わない』という協定を結んだと聞いているが、相違ないか?」
静かな口調だった。
声を荒げてもいないし、大声を出してもいない。
ただ、事実のみを、淡々と告げている。
だから、兆石鳴にはわかった。
太子狼炎が口にしているのは……事実なのだ。
「おそれながら申し上げます!!」
兆昌括が声をあげた。
「太子殿下におかれましては、そのようなデタラメをどこで……」
「この狼炎みずからが東郭に出向き、確認した」
太子狼炎は答えた。
「私は東郭についての記録と、実際の状況に違いがあることに気づいた。だから叔父上──燎原君の協力を得て、東郭まで出向いたのだ。実際の状況を、この目で確認するために」
「…………な!?」
「東郭の防衛隊長の李灰からも話を聞いた。また、他の者が盗賊たちが拠点としていた洞窟で、兵士たちの情報が書かれた木簡をみつけた。それもこの目で確認している」
「そ、それは……」
「すでに東郭の兵たちは盗賊団を捕らえるために出動している。今ごろは主立ったものたちを捕らえているころだろう。その者たちから証言を引き出せば、すべての事情が明らかになる」
「殿下は……すべての責任が私にあるとおっしゃいますか!?」
こらえきれなくなったのだろう。
兆昌括は顔を伏せたまま、叫んだ。
「この昌括は殿下の従兄弟でございます! 兵士たちがなにを言ったかは知りませんが……」
「従兄弟でなければ刑吏に引き渡している!!」
太子狼炎の声が響いた。
その言葉に殴られたように、兆石鳴と兆昌括は床に額をたたきつける。
「兆家はこの狼炎の血縁であり、亡き母の身内である。だからこうして、私みずからが話を聞いているのだ。それを……理解せよ」
絞り出すような声で、太子狼炎は告げる。
そして、太子狼炎は口調を改めて、
「太子である藍狼炎より、兆家の者たちに告げる。東郭でしてきたことについて、すべてを話せ。貴公らが私の縁者であり、国を思う者ならば、包み隠さずにすべてを語るのだ」
「……太子殿下」
「貴公らを断罪することは免れぬ。だが……この狼炎は、必要以上に貴公らを憎みたくはない。だから、すべてを話して欲しい……兆家の者たちよ」
謁見の間で太子狼炎は、そんなことを宣言したのだった。
次回、第161話は、次の週末くらいの更新を予定しています。
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