第158話「雷光、仰雲師匠の兄弟弟子と戦う(前編)」
──そのころ、雷光と玄秋翼は──
「『裏五神』──『忌麟死凶乱』」
魃怪の剣が、雷光の髪をかすめた。
「姉弟子!!」
「来るな! 翼妹!!」
技の威力が桁違いだ。
普通の人間ならば、こんな力は出せない。
出せたとしても、筋骨が保たないはずだ。
ならば、魃怪が使っているのは外法の技。
玄秋翼と天芳と化央が戦った、『四凶の技』なのだろう。
魃怪はそれに『五神剣術』の技を乗せている。
だから、速い。破壊力も高いのだ。
「その上、痛みを感じないとは……やっかいだな」
雷光の剣は何度も魃怪を傷つけている。
けれど、効果は薄い。
魃怪は痛みを気にせずに反撃してくる。
受ければ肉を裂き、骨を砕くほどの一撃を。
普段の雷光ならば受け流すこともできただろう。
問題は彼女の脚に、毒の影響が残っていることだ。
雷光が全力で技を使えるのは一度だけ。
その後は、玄秋翼の治療を受ける必要があるのだ。
「姉弟子! その者が使っているのは、やはり『四凶の技・窮奇』です!」
玄秋翼の声が響く。
「ただし『毒の気』を使ってはいません。他者の『気』を喰らうことで痛みを消し、自らの身体能力を増強しています! それが──威力を高め──」
「わかった。そのまま離れているのだ。翼妹!」
玄秋翼の声が遠い。
それは雷光と魃怪が、移動しながら剣を交えているからだ。
魃怪と戦えるのは雷光だけだ。
兵士はもちろん、玄秋翼でも魃怪には敵わない。
魃怪は両手に剣を持っている。
相手が魃怪ほどの達人となれば、玄秋翼の『流水』でも受け流すのは難しい。
1本ならともかく、2本は無理だ。
受け流せなかった剣が玄秋翼を絶命させるだろう。
「私が──隙を──点穴──」
玄秋翼の声が遠ざかっていく。
(うまく皆から引き離せた……いや、魃怪も翼妹を避けているのか)
魃怪は玄秋翼が点穴の達人だと知っているのだろう。
だから、彼女から離れるように動いている。
魃怪が恐れるのは雷光と玄秋翼の同時攻撃だ。
1本の剣を玄秋翼が受け流し、もう1本の剣を雷光が弾く。
無傷とはいかないだろうが、どちらかが魃怪を仕留めることができるだろう。
それを恐れた魃怪は、玄秋翼から離れる方向に動いているのだ。
雷光はそれを追う。
魃怪を兵士たちに近づけないように。
そして──森から出さないように。
「魃怪よ! 『裏五神』の盗賊団は終わりだ。観念して剣を捨てよ!!」
「終わりませぬよ」
魃怪の答えは、短かった。
「我が弟子が終わらせませぬ」
「……なに?」
「双子は窮奇を極め、やがて饕餮に至りましょう。ふたりは歴史の表舞台で、乱世を生き抜く英雄となるのです」
「乱世だと……そこであなたはなにを望む!?」
「仰雲の弟子を絶やすことのみ!!」
双剣がうなりを上げる。
魃怪の腕が鞭のようにしなり、強烈な一撃を生み出す。
それを寸前でかわして、雷光はまた剣を繰り出す。
魃怪の手足は仰雲によって砕かれている。
それが動いているのは、間違いなく窮奇の力だろう。
(……だが、その技は魃怪という怪物を生み出しただけだ!)
『四凶の技・窮奇』は誰も幸せにしていない。
ただ、魃怪に、逆恨みを晴らす手段を与えただけ。
『裏五神』の盗賊団を生み出し、多くの被害者を出しただけだ。
「逆恨みのために振るう武術に、なんの意味がある!!」
雷光は叫んだ。
「仰雲師匠の弟子を絶やして……それからどうするのだ!? 魃怪!!」
「わたくしは弟子の行く末を眺めるのみです。我が弟子は仰雲の弟子を超え、天下にはばたくでしょう。わたくしの人生はそれだけでよいのですよ!!」
「あなたの人生には仰雲師匠への怒りと復讐しかないのか!?」
「あの人はわたくしを見なかった」
「見ていたとも! 仰雲師匠はあなたを傷つけたことを、ずっと後悔していた。だから私という弟子を育てたあとで、武術を捨てたのだ!!」
雷光は魃怪の双剣をかわす。
彼女の剣が、魃怪の袖を斬る。
反撃が来る。雷光は脚の痛みをこらえながら跳ぶ。
一秒前まで雷光のいた場所を、双剣が切り裂く。
「そして仰雲師匠は医術を学び、人を救った。あなたも仰雲師匠に会えば助けてもらえたはずだ!」
「関係ないのですよ。そんなことは」
「なに?」
「仰雲は偉大すぎた。あの人は、私を見ていなかった。遠くを……もっと多くの人々を見ていた。そのような者の前では、自分の小ささを自覚してしまうもの」
『麒麟』に似た技で双剣を振りながら、魃怪は語り続ける。
「わたくしは偉大すぎるあの人と並び立ちたかった。それが叶わないとわかったとき……わたくしは、あの人に永遠の傷を残すことで、自分の存在を焼き付けることにしたのです。この魃怪こそが、仰雲を傷つけられる唯一の者だと、人々に示すために」
「それが仰雲師匠を襲った理由か!?」
「けれど、その願いも叶わなかった」
魃怪の剣と雷光の剣が絡み合う。
弾く。逸らす。撃ち合う。
雷光の服が裂け、魃怪の皮膚から血が流れる。
それでもふたりの剣は止まらない。
「ならばわたくしは、あの人に匹敵する名を残すしかないでしょう? そうでなければ、あの人とは釣り合わないのですから」
「……仰雲師匠に匹敵する名を……だと?」
「仰雲は人を救い、多くの者の中にその名を残した。同じようにわたくしは弟子を育て、その弟子が天下を救う。弟子はわたくしの名を語り継ぎ、多くの者の中にその名を刻む。ほら、わたくしと仰雲は並び立つものとなるでしょう?」
魃怪は夢見るように、告げた。
「金翅幇はわたくしに技を授けてくれた。それを活かし、わたくしは仰雲と並び立つ者になる。わたくしを見なかった仰雲と、わたくしが対等の者になるのです。そんな未来に……あなたのようなものがいてはいけない!!」
双剣が加速する。
雷光の脚は、鈍い痛みを発している。
普段ならば無視できるほどのものだが、相手は魃怪だ。
わずかな隙が致命傷へと繋がってしまう。
雷光は薄氷を踏むような斬り合いを続ける。
一歩踏み外したら命を失う。
それを意識しながら、雷光は『五神歩法』で走り続ける。
「それはあなた自身の意思なのか? 魃怪よ」
雷光はたずねる。
「盗賊たちを操り、弟子を育て、歴史の表舞台に立つ者とする。あなたは私を殺し、その後は弟子の行く末を見守るだけの人生を送る。それは、本当にあなたの願いなのか?」
「ええ。それがわたくしの『天命』」
「違うだろう!?」
雷光は、天芳から聞いた話を思い出していた。
──金翅幇は『藍河国は滅びる』という教義を掲げて、ゼング=タイガに取り入った。
──壬境族を動かし、藍河国に攻め入らせた。
──その結果、ゼング=タイガは死んだ。
金翅幇は人を操る。
天命という言葉で、あるいは『四凶の技』を餌にして。
魃怪もまた、彼らに操られているだけなのかもしれない。
「それに……窮奇を極め、饕餮に至る……だと?」
それが事実なら、金翅幇が『四凶の技・窮奇』を広めている理由もわかる。
窮奇は強力だが、欠点もある。
なにより『天元の気』に弱い。
だから金翅幇は、窮奇を多くの者に使わせているのだろう。
そうすれば技の長所や短所、限界もわかる。
その情報をもとに技を改良すれば、さらに高みをめざすことも可能だ。
そうすることで金翅幇にいる『四凶の技』の使い手は、さらに上位の技──饕餮に至ろうとしているのかもしれない。
(仮にそうだとしたら……なんと邪悪な)
かつての魃怪を誤らせたのは、武術家の業だ。
武術家は強さを求める。最強になりたがる。
『獣身導引』を学ぶ者たちが、相争ってきたのもそれが理由だ。
魃怪は自分には仰雲ほどの才能はないと気づいた。
だからせめて、仰雲に傷を残そうとした。
武術家である仰雲が、自分のことを忘れないように。
仰雲ほどの武術家に傷を残したという名声を得るために。
その結果、魃怪は返り討ちにあった。
彼女は結局、武術家の業に動かされたようなものだ。
強さを求めすぎる者は、罠にかかる。
金翅幇の誘惑に勝てずに、禁断の技に手を伸ばす。
おそらく金翅幇は、武術家の業につけ込む組織なのだ。
(だとすると……金翅幇の誘惑に勝てる武術家など……)
……いる。
雷光の弟子の天芳だ。
彼は弟子入りするときに言っていた。
「ぼくは歩法だけ学べれば十分です」と
天芳には強さへの欲がない。
それはたぶん……彼がはるかな高みを見ているからだろう。
彼が見ているのは天下と、国の行く末だ。
そんな天芳を雷光は誇りに思う。
だが、同時に、不安も感じてしまう。
高みをめざす天芳を見て、側にいる者たちが……天芳を大事に思う者たちが、さみしくならないか、と。
魃怪が思ったように「置いて行かれたくない」と考えはしないかと。
だから──
(あとで天芳に忠告しておこう。『身近な人を、もっと大切にしなさい』と)
笑みがこぼれる。
思わず、死地にいることを忘れそうになる。
(弟子とは得がたいものだ。死地にいても、心を安らかにしてくれるのだから)
雷光は『五神歩法』の『潜竜王仰天』で跳躍。
魃怪の剣を避けながら、森の奥へと、たどりつく。
そこは周囲を木々に囲まれた空間だった。
樹の上には見張り台がある。
森の中で侵入者を取り囲み、集団で迎え撃つための場所なのだろう。
「────ここは!?」
魃怪が脚を止めた。
自分が危険な場所に引きずり込まれたことに、気づいたのだろう。
「どうしてこんな場所に? わたくしは有利な場所を選んで動いていたはずなのに……」
「有利な場所を選んで動いていたから、こうなったのだ」
雷光は、この場所のことは知っていた。
森の拠点に来る前に、調査を行ったからだ。
そして、今の雷光がもっとも力を発揮できるのは、この場所だった。
「あなたはずっと、翼妹から離れるように移動していた。それを利用して、私たちはあなたをここに誘導したのだよ」
魃怪は、雷光と玄秋翼から挟み撃ちを受けることを恐れていた。
だから彼女は玄秋翼から離れるように移動していた。
それに雷光は気づいていた。おそらくは、玄秋翼も。
玄秋翼がこまめに居場所を変えていたのは、そのためだ。
彼女はそのたびに雷光に呼びかけていた。魃怪に自分の居場所を伝えるために。
そうすることで、雷光が戦いやすい場所へと、魃怪を誘導していたのだ。
雷光もまた、その動きに合わせていた。
だから魃怪をここに連れてくることができたのだ。
(魃怪は『窮奇』で身体の痛みを消している。だから『五神歩法』で走る私についてくることができた)
だが、それは横の動きの話だ。
平面的な動きならば、手足にさほどの負担はかからない。
「立体的な動きならば……どうだ!? 上下の動きについてこれるか!? 魃怪!!」
そして雷光は『潜竜王仰天』で、地面を蹴ったのだった。
次回、第159話は、明日か明後日くらいに更新できたらいいなぁ……と思っています。