第155話「天下の大悪人、孤山の拠点を攻略する(1)」
──孤山の山頂付近で──
滝の音が響いていた。
孤山を源泉とする、深い流れの滝だ。
『五神』の技を極めようとする者は、この滝の側で導引を行うと言われている。
──降り注ぐ水しぶき。
──鳴り響く滝の音。
──不安定な岩場。
──身体を冷やす、山の風。
それらに意識を奪われることなく、獣になりきる。
静かな山の『気』を取り込む。
それができてこそ、名実ともに達人となれる。
それが魃怪の教えだった。
もっとも、盗賊団『裏五神』に所属している武術家は数人だけ。
他は寄せ集めの盗賊たちだ。
彼らは元々、別の盗賊団に所属していた。
その組織を、突然やってきた魃怪と武術家たちが乗っ取ったのだ。
彼らは盗賊団の首領を殺したが、盗賊たちには手を出さなかった。
これからは利益を公平に分配すると告げて、配下として残したのだ。
盗賊たちに、古い組織への忠誠心はなかった。
彼らにとって、首領は誰でもよかった。
結果としては、魃怪たちのやり方のほうが、都合がよかったのだ。
魃怪の弟子たちは強い。彼らと一緒なら、商隊を襲うのもたやすい。
東郭の町との繋がりもできた。
兵士の情報が入ったことで、仕事が安全に行えるようになった。
元々の盗賊団にいるよりも、楽な暮らしができるようになったのだ。
盗賊たちがおどろいたのは、魃怪の弟子たちが食事の支度をしてくれたことだった。
普通、盗賊団では料理は下っ端の仕事だ。
上の人間が、部下の食事の世話をするなどありえない。
だから盗賊たちは、魃怪が自分たちを大切にしてくれるのだと信じることができた。
盗賊団『裏五神』の首領は、ふたりいる。
名は呂乾と呂坤。
双子の姉弟だ。齢は二十代に満たないと聞いている。
ふたりは、魃怪の一番弟子だが、盗賊たちには親切だった。
料理も彼らの担当だ。
部下の武術家を指揮して、いつも料理をふるまってくれる。
酒が少ないのが玉に瑕だが、贅沢は言えない。
彼らの料理は味がいいし、なにより健康にもいい。
どうして首領が料理を作っているのかと聞くと──
『我々の絆を深めるため』
『君たちの力を、有効に発揮してもらうため』
『我々はひとつ』
──そんな言葉が返ってくる。
双子のどちらに聞いても、同じ答えだった。
もっとも、どちらが答えているのか、盗賊たちにはわからない。
呂乾と呂坤は、まったく同じ顔をしている。
声も態度も、武術を使う動きさえも。
名前さえも、時々、入れ替えている。
「どちらが呂乾さまで、どちらが呂坤さまなのですか?」
そんなことを、魃怪に訪ねた者もいる。
その者は剣で斬られて、重傷を負った。
『その問いは争いを生む』
『呂乾と呂坤は、ふたりでひとり』
『最強が同一人物ならば、争いは起こらない』
それが、魃怪の答えだった。
多少の問題はあったが、盗賊団『裏五神』は勢力を拡大してきた。
仲間も増えた。
このまま、闇の世界で勢力を広げていくのだと思われた。
首領たちが東郭の町で、敵の武術家と遭遇するまでは。
──東郭との繋がりが切れた。
──協定が破れた。
そう考えた『裏五神』は、東郭の近くにあった拠点を放棄した。
魃怪たちは話し合い、この地を離れることを決めた。
森の拠点では、移動の準備を整えているはずだ。
さらに魃怪は、ふたりの首領に指示をだした。
山の拠点で、武術の最終伝授を行うように、と。
だから呂乾と呂坤は部下を連れて、この地にやってきたのだ。
今、首領ふたりは滝の近くで、導引を行っている。
奇妙な導引だった。
まるで、飢えた獣が二匹いるようだった。
彼らはおたがいに声をあげ、おたがいの手足に歯を立てている。
そうすることで力を高めるらしい。
盗賊たちは、導引中の呂乾と呂坤の護衛をするのが仕事だ。
山道に罠を仕掛け、敵の侵入を防ぐ。
それでも敵が来たときは、迎え撃つ。
そのように、魃怪から命じられているのだった。
そして、盗賊たちの見ている前で──
「「──うるぉぉぉ」」
不気味なうなり声と共に、首領たちの導引が終わった。
ふたりは静かに、滝の横に端座する。
「やることは終わりましたかい? 首領」
導引が終わったのを見て、盗賊のひとりがたずねる。
「指導者さまの言っていた『伝承』が終わったなら、ここを離れましょうや」
「いつ、東郭の兵士たちが来るかわかりません」
「罠は仕掛けました。しばらくは安全だとは思うんですが……」
盗賊たちは心配そうな顔だ。
彼らは、この先のことを聞いていない。
新たな拠点を見つけて、盗賊団として仕事を続けるのか。
それとも──指導者や首領と関係がある組織と、連絡を取るのか。
なにも知らない盗賊たちは、不安を抱えているのだった。
「──問題はなにもないな。呂坤」
「──なにを心配しているのかわからないね。呂乾」
双子の首領は歌うようにつぶやく。
肩口で切りそろえた茶色の髪を揺らし、ぼんやりと部下たちを見ている。
紅をさしたような唇は、うっすらと笑みを浮かべている。
普段なら余裕の表情に見えただろう。
首領に任せておけば安心だと、そう思えたはずだ。
けれど状況は変わった。
東郭の町は味方ではなくなった。
あの町との有力者との繋がりが、藍河国の上層部に漏れた可能性もある。
だとしたら、この場所に討伐軍が来ることもあり得る。
だから──
「『伝承』は終わったのでしょう? 長居は無用ですぜ」
盗賊のひとりは、慌てた口調で言った。
「そもそも『伝承』なんてものが必要かどうかもわかりませんがね。首領がたは、十分に強いんでしょうが」
「──君たちは」
「──わかっていないね」
「わかってますって。指導者さまもたいしたものですぜ。腕と脚の古傷を無視して武術が使えるんですから。おふたりを見つけ出し、最強の武術家に育てた手腕も」
「まだ」
「ボクたちは完全じゃない」
「いや、十分お強いでしょうが!?」
いらだったように、盗賊が叫ぶ。
まわりでも賛同の声が上がる。
──われら『裏五神』は最強の盗賊団。
──ここで逃げても再起はできる。
──別の盗賊団を取り込んでもいい。
──魃怪と呂兄妹なら、その盗賊団の首領を殺せる。
──また、盗賊団を乗っ取れば『裏五神』はさらに発展する。
盗賊たちは、そんなことを語り続ける。
「計画が失敗したのは残念ですがね。すべて終わったわけじゃありませんよ」
「「…………」」
盗賊の言葉を聞いた、呂兄妹の表情が変わる。
『裏五神』の目的は、東郭の町を彼らの拠点にすることだった。
あの町の権力者は、『裏五神』と繋がっていた。
『裏後神』が東郭を襲わない代わりに、まわりの町の情報を流すという契約を結んでいたのだ。
そのことは権力者の汚点となる。
あの者は、契約について周囲に明かすことはできない。
それが『裏五神』の武器になる。
いずれ力関係は逆転していたはずだ。
『我々と繋がっていることを明かされたくなければ、東郭に我らの居場所を与えよ』
そう言って、そんな要求を通すこともできたのだろう。
それにより、『裏五神』は東郭内部に浸透し、あの町を拠点とする。
時を待ち、表舞台に出る。
それが『裏五神』の目的だった。
だが、計画は失敗したのだ。
「計画が失敗したのは残念ですが、再起はできるんですぜ。表舞台には出られなくても、闇の世界の支配者になれるんですぜ!!」
盗賊は呂兄妹に語りかける。
「だから、さあ、逃げましょうぜ! 『伝承』とやらは終わったんでしょう!?」
「──まだ」
「──最後の仕上げが残っている」
滝の近くに座っていたふたりは、ゆらり、と立ち上がる。
前触れも、予備動作もない動きだ。見慣れた盗賊たちも、ぎょっとする。
「……呂の兄貴たちにうかがいます」
盗賊のひとりが、たずねる。
「『裏五神』はこのままですよね?」
「──もちろん」
「──『裏五神』はこのままだよ?」
「わしらは闇の世界を統べる大盗賊になるんですよね?」
「──君たちはボクたちにとって」
「──大切な存在だよ?」
呂兄妹は薄笑いを浮かべて、盗賊たちを見た。
「「伝承の仕上げを行う」」
呂兄妹の声が、揃った。
「──君たちの手足は萎える」
「──君たちの五臓六腑は枯れる」
「「『窮奇』の三──『白牢亡心』」」
呂兄妹の掌が、盗賊のひとりを叩いた。
盗賊の身体が地面を転がり……そのまま、動かなくなる。
「…………首領、なにを。これは……?」
盗賊の男性は倒れたままだった。。
顔色は蒼白。呼吸は今にも止まりそうだ。
「君たちの食事はボクと師匠が管理していた。『気』を食べやすいように」
「君たちの『気』はボクたちの力になる」
「「これまでありがとう。さようなら」」
ふたりは次々に、集まった盗賊たちを叩いていく。
それだけで盗賊たちは『気』を奪われ、地面に倒れ伏す。
背中を向けて走り出す盗賊もいるが、逃げ切れない。
気づくと彼らの行く手を、呂乾と呂坤のどちらかがふさいでいた。
双子は『裏五神歩法』の使い手だ。
武術を使えない盗賊が彼らから逃れる手段は、ない。
やがて、盗賊すべてが倒れ伏すまで、数分とかからなかった。
「…………首領……どうして」
「…………わしらが、なにをしたと」
「…………食事、とは?」
盗賊たちがうめき声をあげる。
「ボクたちは、君たちと違うから」
「ボクたちは、表舞台に出ることになっているから」
淡々とした口調で、呂兄妹は続ける。
「ボクたちは、天命を担う組織に行くから」
「ボクたちは、魃怪さまを裏切った奴の弟子を殺すから」
「「ボクたちは、君たちとは違う場所に行くことになるんだ」」
そう言って呂兄妹は、盗賊のひとりに触れた。
「ががっ」と、奇妙な悲鳴が上がる。
顔が完全に血の気を失い、その盗賊は呼吸を止める。
「ボクたちは、完全な存在になる」
「ボクたちは、無敵の武術家になる」
「「天命に従って、歴史に名を残す」」
ふたりはゆっくりと、別の盗賊に近づく。
そうして、ふたりめの盗賊から『気』を奪おうとした、とき──
ピィィィィィィッ!!
甲高い音が響いた。
誰かが鳴らした笛の音だった。
「「────っ!?」」
反射的に呂兄妹は盗賊たちから離れる。
背中合わせになり、警戒態勢を取る。
そして──
「間もなく兵士が来る。お前たちはもう、包囲されている」
ふもとへ通じる道の方から、声がした。
即座に呂兄妹は『裏五神歩法』を発動。
使う技は『堕竜王倚天』──五神を滅ぼす言葉を加えた跳躍技。
呂兄妹は左右に分かれ、声の主に襲いかかる。
「『五神歩法』──『潜竜王仰天』!」
目の前の樹から、ふたつの人影が飛び出した。
ひとりは剣を手にしている。
もうひとりは、その人物の背中にしがみついている。
少年の剣が、呂乾と呂坤の刀をはじき返す。
そのまま少年と少女は着地。
樹木を背にしながら、呂兄妹を見上げる。
「もう一度繰り返す。お前たちは包囲されている」
「逃げ場はないのです。もうすぐ、藍河国の兵士たちが来ます!」
少年と少女は呂兄妹を見据えて、告げる。
「あと、盗賊たちは重要な証人だ。皆殺しにされたら困る」
少年の剣が、銀色の光を放った。
──『白麟剣』
その言葉が呂兄妹の脳裏をよぎる。
魃怪から聞いたことがある。自分の師匠が持っていた秘宝だと。
いつか魃怪が剣を抜き、天下に名をとどろかすはずだった剣だと。
なのに、仰雲のせいで得られなかったものだと。
「──作戦変更。あの少年を殺す」
「──呂乾はすぐ怒る。冷静であるべき」
「──魃怪さまの敵はボクたちの敵。呂坤は師匠への敬愛が足りない」
「──その気持ちを説明しない呂乾が悪い」
「──一番悪いのは、あの少年たちだけど」
「──伝承の儀式に割り込んできた、あいつらだけど!」
双子の兄妹は、やみくもに斬りかかることはしない。
『同門殺しの雲』──仰雲の弟子は強敵だ。
殺すためには、伝承したばかりの技を使うべきだろう。
それこそが、自分たちが正統の『五神剣術』に勝利したことを意味するのだから。
「──名を名乗れ」
「──仰雲の関係者。殺す前に名前を教えて」
「ぼくの名は黄天芳だ」
「玄冬里。仰雲さまに医術を学んだお母さまの娘なのです」
少年と少女は宣言した。
「──ボクは『不滅幻老』魃怪の一番弟子。呂乾」
「──呂乾は嘘をついている。師匠の一番弟子は、この呂坤」
名乗りを終えた呂兄妹は、動き出す。
そして『五神』の技を受け継ぐ者たちは、滝の前で対峙するのだった。
次回、第156話は、明日か明後日くらいに更新できたらいいなぁ……と思っています。