第149話「黄天芳、託される」
──天芳視点──
太子狼炎は静かに、報告を聞いていた。
声を荒げることも、怒りをあらわにすることもなかった。
俺たちがいるのは、東郭にある営所のひとつ。
普段は李灰さんの直属部隊が使っている場所だ。
いつもは李灰さんが座っている椅子に、今は太子狼炎が腰を下ろしている。
部屋にいるのは太子狼炎の他に、俺と碧寧さん、それに李灰さん。
太子狼炎の背後には景古升さんと、狼騎隊の范圭さんがいる。ふたりは太子狼炎の護衛役だ。
ちなみに雷光師匠と秋先生は、別室に控えている。
兆家の内情に関わることだから、まずは太子狼炎と側近が話を聞く、ということになったからだ。
李灰さんはずっと、平伏していた。
縛っていた縄は解かれている。
太子狼炎がそれを望んだからだ。
『拘束されたままでは、心の内を語ることはできまい』
『話を聞く前から、罪人として扱うべきではない』
『まずはすべてを語るがいい。その上で、貴公に罪があるかどうかを定める』
──それが、太子狼炎の言葉だった。
だから俺も碧寧さんも、口をはさまなかった。
というか碧寧さんは感動してた。
「……私は、もっと早く、殿下に直訴するべきだったのかもしれない」
碧寧さんは俺の隣で、そんなことをつぶやいていた。
やっぱり太子狼炎はゲーム『剣主大乱史伝』の狼炎王とは、違う人物になったのかもしれない。
なにが太子狼炎を変えたのかはわからないけれど、今の太子狼炎は信頼できる。
彼は自分の言葉で、碧寧さんを感動させている。
それは本当にすごいことだと思うんだ。
「──防衛隊長、李灰よ。貴公の話はよくわかった」
李灰さんの報告を聞いたあとで、太子狼炎は口を開いた。
「兆昌括が武装集団と結びついていたこと。兵士や町の情報を流していたこと。これらは許しがたき罪である。そして……六人部隊の碧寧よ」
「は、はい。太子殿下!」
「貴公の妹夫婦が殺害されたことへの怒り、察するに余りある。この狼炎も夕璃姉さん……いや、大切な者が失われたのならば、怒りに我を忘れることだろう。そのような怒りを抱えながら、東郭の守りについてくれていたこと、大義であった」
「もったいないお言葉です!」
「この狼炎は、兆家を裁くことを約束する」
太子狼炎は碧寧さんに視線を向けたまま、宣言した。
碧寧さんが床に膝をつき、叩頭する。
俺も、同じように床に膝をつく。
「武装集団も放置せぬ。速やかに兵を動かし、討伐するとしよう」
「……太子殿下に申し上げます」
不意に、李灰さんが声をあげた。
「この李灰が武装集団との繋がりを隠していた罪、万死に値します。どうか、いかようなりとも……」
「貴公は、功により罪を償え」
太子狼炎の答えは、短かった。
「燎原君──いや、私の叔父上ならば、そう言うであろう」
「し、しかし、殿下。それでは他の者が納得しないかと……」
「ならば、すべてが終わった後で貴公の罪を問う」
「……終わった後で、とは」
「まずは兆家と関係が深い者を洗い出し、この狼炎の前に連れてくるがいい。私が直々に話を聞く。貴公の罪を問うのは、貴公がすべての仕事を終えたあとだ」
「……承知いたしました! 殿下のおっしゃる通りにすることを誓います!」
李灰さんは床に額をこすりつけた。
たぶん、感動したんだと思う。
俺もびっくりしてる。
太子狼炎が李灰さんを処刑したりはしないと思っていた。
けれど、『功により罪を償え』まで言うとは思わなかったんだ。
やっぱり、太子狼炎は変わったのか。
この人が王になれば……藍河国破滅エンドは完全に回避できるかもしれない。
だとすると……俺がすべきなのは、太子狼炎をサポートすることだろう。
俺が前面に出る必要はない。
俺は太子狼炎と碧寧さんをサポートして、武装集団を速やかに捕まえよう。
そうすれば李灰さんの罪も軽くなるはずだ。
李灰さんが防衛隊長を続けられるかどうかはわからないけれど……たぶん、ある程度の地位には残ることになるだろう。もしかしたら碧寧さんが防衛隊長で、李灰さんがそのサポート役になるかもしれない。
そうなるのが、一番いいんじゃないだろうか。
碧寧さんが東郭の防衛隊長になれば、ゲーム『剣主大乱史伝』のルートからは完全に外れることになる。碧寧さんが東郭を陥落させることはなくなる。
俺が──黄天芳が東郭を焼き払うこともなくなるはずだ。
よし。それでいこう。
まずは俺の気づいたことを、皆で共有すればいいな。
「──おそれながら、狼炎殿下に申し上げます」
心を決めて、俺は太子狼炎に声をかけた。
「武装集団の件でお伝えしたいことがあります。直言をお許しいただけますでしょうか」
「海亮の弟か。いいだろう。許す」
「ありがとうございます」
俺は床に額をつけてから、告げる。
「ぼくが不審者と戦ったとき、東郭の防壁の外には数名の敵がおりました。その者たちの人数ですが、5名前後だったと思います。弓兵が2名。その他が3名といったところでしょう。男女の別はわかりません」
これは『万影鏡』の効果でわかったことだ。
奴らが防壁に矢を放ったとき、強烈な殺気を感じた。それが2名分。
そのほかに、3人分の気配を感じた。
この情報は碧寧さんと李灰さんにも伝えてある。
ただ、太子狼炎にも直接、伝えておきたかったんだ。
「つまり、不審者が1名。それを補助する役目の者が5名前後。約6名の者があの場にいたと思われます」
「承知した。東郭まで出向いてきたということは、その者たちは武装集団の中心人物かもしれぬな」
「おっしゃる通りです」
「海亮の弟よ。貴公は武装集団が拠点にしていた洞窟を見つけたそうだな」
「はい。そこには遺留品がありました」
「そうか。だが、その場はもぬけの殻だったと……」
「そうです。奴らはたぶん、南西の方角に逃げたのだと思います」
「……なに?」
「馬の足跡が残っていましたから」
馬の足跡は、黒馬の『朔月』が見つけてくれた。
あいつは壬境族では、配下の馬を率いて戦っていたからな。部下がついてきているか、予定通りに移動しているか、いつも気にしていたらしい。
そのせいで、仲間の足跡に注意するようになったんだろう。
不審者がこちらをだますために、ダミーの足跡を残していったのかもしれないけど……その可能性は低いと思う。
奴らは遺留品を残していったからな。たぶん、慌てて撤収していったんだろう。足跡を消す暇がなかったと考える方が自然だ。
「南西か。その後、奴らがどこに行ったのかが問題だな」
「はい。ですから、ある人の知恵を借りようと思います」
「……なんだと?」
「奴らは特殊な武術を使っていました。ぼくは、その武術に心当たりがある人を知っています。その人なら、奴らが潜伏していそうな場所を知っているかもしれません」
その人とは、もちろん雷光師匠のことだ。
不審者に武術を教えたのは、仰雲師匠と同門だった人物の可能性が高い。
となると、仰雲師匠とその人は、同じ場所で修行をしていたはずだ。
雷光師匠なら、その修行場を知っているかもしれない。
仰雲師匠は同門の人物を傷つけた後、武術を捨てて、山へと姿を消した。
つまり、その後は修行場が使われなくなったわけだ。
仰雲師匠がいなくなった修行場を、敵が拠点にしていることもありえる。
同門の人物は仰雲師匠の手によって、再起不能にされているからな。たぶん、身体は不自由なはずだ。
そういう人が他人に武術を教えるなら、慣れた場所を選ぶんじゃないだろうか。
つまり──
「南西の方向にある武術の修行場が、武装集団の拠点の可能性が高いと思うのです」
これはただの推測だ。
でも、ハズレでも別に構わない。俺が恥をかくだけだからな。
兆家のことで大騒ぎになっている今なら、俺の恥なんか誤差の範囲だろう。
武装集団『裏五神』は放っておけない。
最速で居場所を見つけ出して、捕まえないと。
それに……ひとつ、ひっかかることがある。
武装集団の連中は、東郭に自由に出入りできる状態だった。
奴らは自由に町中で、情報収集ができたんだ。
その情報が、他の者に流れていたことも考えられる。
──たとえば、金翅幇に。
ずっと気になっていた。
金翅幇が、どうやって藍河国の情報を手に入れていたのか。
以前、太子狼炎と海亮兄上が北の地で民の護衛をしていたときに、ゼング=タイガはピンポイントで襲ってきた。
あいつらは、そこまで詳しい情報を、どうやって得たのか。
もしかしたら、武装集団同士が繋がっていて……『裏五神』から金翅幇に情報が流れていたのかもしれない。
今のところ、これもただの推測だ。
『裏五神』の連中を捕らえてみなければ、本当のことはわからない。
とにかく、今は全力で『裏五神』の居場所を探し出さないと。
そのための情報は提供した。
あとは、太子狼炎がどう対応するかだけど──
「──顔をあげよ。黄天芳」
しばらくして、太子狼炎が言った。
俺は床から顔を上げる。
椅子に座っていた太子狼炎が、立ち上がるのが見えた。
「貴公の考えはわかった。納得もできた。貴公の進言の通りに、武装集団の調査を行うであろう」
「ありがとうございます。太子殿下」
「だが、この狼炎は北臨に戻らねばならぬ」
太子狼炎は俺たちを見回して、そんなことを言った。
「私は兵士たちから証言を得た後、すぐに北臨に戻り、兆家と決着をつけなければならぬ。この狼炎の戦場は東郭ではなく、北臨にあるのだ」
「承知いたしました」
俺はまた、一礼する。
「ぼくたちは引き続き、武装集団の調査を行います。太子殿下によい報告ができるように、力を尽くすことをお約束いたします」
「貴公の心はわかった。この狼炎は、それに応じた対応をする」
そう言って、太子狼炎は腰のあたりに手を伸ばした。
「范圭、それに景古升よ。意見はあるか?」
「ございません」
「太子殿下のご判断にお任せいたします」
壁際に立っていた范圭さんと景古升さんが答える。
「李灰も、碧寧も、それでよいな?」
「は、はい。太子殿下」
「狼炎殿下のお心のままに」
俺の隣で李灰さんと、碧寧さんが床に額をつける。
俺も同じようにしようとすると、ふと、太子狼炎が首を横に振った。
太子狼炎は、ゆっくりと俺に近づいてくる。
その動作は堂々として、気品に満ちている。
太子狼炎は俺の前に立ち、じっと俺を見ている。
それから腰のあたりから、リング状のものを取り出す。
玉で作られた環──いわゆる佩玉だ。
太子狼炎はそれを、俺の前に突き出した。
……って、なんで?
「この佩玉は以前、誕生祝いに叔父上からいただいたものだ。表面に狼に似た傷があるので、この狼炎にふさわしいと言ってな。当時は……太子に傷がついたものを渡すのかと腹が立ったものだが、今は気に入っている」
太子狼炎は、そんなことを言った。
「玉についた傷を見れば、これが私のものだと一目でわかる。この玉を与えられた者が、この狼炎の名代であることも、皆に伝わるはずだ。これを海亮の弟に──いや、黄天芳に預ける」
「太子殿下?」
「この狼炎は北臨に戻る。その間、貴公は私の代理として調査を行うのだ。よいな」
……いや、おかしいだろ。
俺は碧寧さんや李灰さんのサポート役のつもりだったのに。
なんで太子から佩玉を差し出されてるんだ?
「皆も聞くがよい。黄天芳は武装集団の者を撃退し、今また、奴らの本拠地についての推測を述べた。その見識は評価すべきである。ゆえに、この狼炎は黄天芳を調査の中心人物とする。異論があるものは述べよ」
「ごさいません!!」
真っ先に声をあげたのは碧寧さんだった。
「黄天芳どのは我が六人部隊の長であります。その方が東郭の兵を率いるのであれば、全力でお助けするのが部下の役割かと!」
「この李灰は……太子殿下に従います」
李灰さんも同意する。
景古升さんも、『狼騎隊』の范圭さんも、満足そうにうなずいてる。
ふたりも、俺が太子狼炎の代理になることに異論はないらしい。
……仕方ないか。
どのみち『裏五神』の調査には、雷光師匠と秋先生の力を借りることになるからな。ふたりの知識を活かすには、俺が兵を率いる立場にいた方がいい。
俺が間に入れば、ふたりの意見を兵に伝えやすくなるだろう。
『裏五神』を捕らえるのに太子狼炎の権力を借りられるなら、使わせてもらう。
もっとも、俺が太子狼炎の力を借りるのは今回だけだ。
ゲーム『剣主大乱史伝』の黄天芳は、狼炎王の権威を借りて好き勝手していたからな。
同じルートに進むのはまっぴらだ。
あくまでも、これは『裏五神』を倒すまでの一時的な措置。
そういうことにしておこう。
「承知いたしました」
俺は両手で、太子狼炎から玉の環を受け取った。
「太子殿下のご命令により、黄天芳は武装組織の討伐に全力を尽くします!」
俺は緊張を隠して、そんなことを宣言したのだった。
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