第148話「太子狼炎、燎原君を説得する」
──数時間前 (太子狼炎視点)──
東郭の町について調べたあと、狼炎は燎原君の屋敷を訪ねた。
「申し訳ありません。王弟殿下は客人との話が長引いておりまして……」
屋敷の家宰は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「太子がお出でになったことをお伝えいたします。少々お待ちを──」
「そうか。では隣室で待たせてもらおう」
「殿下にそのようなご無礼はできません」
「構わぬ。叔父上にも都合があろうからな」
「しょ、承知いたしました!」
太子狼炎は屋敷の者に案内され、別室へと通された。
何度も来たことがある。来客が待機するための部屋だ。
そこで茶を飲みながら待っていると、声が聞こえた。
よく通る声だった。
おそらくは、声に内力をこめているのだろう。
(叔父上の客人には武術の達人がいると聞いているが、その者だろうか)
無意識に耳を澄ませると、話の内容が聞こえてくる。
「──この玄秋翼と雷光が、東郭の町に向かうことをお許しください!」
「──お願いします。王弟殿下!!」
狼炎は茶を飲み干してから、うなずく。
「叔父上に伝言を頼みたい」
そして彼は、隅で控えていた家僕に声をかけた。
「次のように伝えて欲しい。『ぶしつけながら、話が聞こえてしまった。この狼炎が相談したいのも東郭の件についてだ。話に参加してもよいだろうか』──と」
家僕は一礼し、早足で隣室へと向かう。
許可はすぐに下りた。
太子狼炎は、燎原君と雷光と玄秋翼の会話に参加することになったのだった。
「東郭の町に不審者が出入りしている……か。解せぬ話だ」
狼炎が隣室に移動した後、燎原君は改めて、話の内容を教えてくれた。
黄天芳が送ってきた文書についてのことだった。
──東郭の町に不審者が現れたこと。町の外にも、仲間がいたこと。
──不審者は手慣れた様子で、町に入り込んでいたこと。
──黄天芳がその者と戦い、撃退したこと。
──東郭では、不審者についての調査が行われるらしいこと。
以上だった。
(海亮の弟が虚言を弄するとは思えぬ。だが、報告が事実だとすると……東郭ではなにが起こっているのだ?)
東郭は兆昌括が治めていた町だ。
そこで異常なことが起きているのならば、放置できない。
そして、燎原君の客人ふたりも、東郭に行くことを望んでいる。
調査を行うならば、今が好機だろう。
「叔父上に申し上げる」
そう考えた狼炎は、燎原君に向かって、告げた。
「私はこの目で東郭の状況を確認したい。協力をお願いできぬだろうか」
「急な話ですな。殿下」
燎原君は落ち着いた声で答えた。
「理由をうかがってもよろしいですか」
「東郭についての記録と、実際の状況に違いがある。どうしてそのようなことになっているのか、直接、確認したいのだ」
「それは臣下のするべきことです。太子殿下のお役目ではございません」
「この狼炎は太子だ! 国を正しく動かすためには、現場を知ることも必要ではないか!?」
「現場からの報告をもとに判断するのも、太子殿下のお役目です。王や宰相──国を動かす者が、すべての現場を確認するのは不可能です。部下の報告を聞き、そこから真実を導き出すのが、殿下のお役目ではございませんか?」
「……相変わらず手厳しいな。叔父上は」
狼炎は、思わず拳を握りしめた。
──燎原君を説得するのは言葉が足りない。
──自分はまだ、ためらっている。
──無意識に、口にするのを避けている言葉がある。
それがわかっているから、狼炎は苦い顔になる。
本心を隠したままでは、燎原君は説得できない。
そう考えた狼炎は、心を決める。
「わかった。ならば、はっきりと申し上げよう」
狼炎は燎原君に向かって、拱手した。
「この狼炎は兆家の行いから、目を逸らしたくないのだ」
そうして狼炎は、はっきりと告げた。
「兆石鳴は捕虜を死なせた。そのせいで、金翅幇なる組織への手がかりが失われた。また、兆家の指示で参謀の薄完が暴走し、景古升の部隊を危険にさらした。結果として、景古升は降格され、薄完はその身で罪を償うこととなった」
狼炎は呼吸を整えながら、言葉を続ける。
「兆家そのものに対しても、この狼炎は罰を与えた。だが、それでは足りなかったのかもしれぬ」
「と、おっしゃいますと?」
「兆家がなにをしてきたのか、この狼炎は目を逸らすことなく、確かめるべきなのだ」
狼炎は燎原君に向かって、告げる。
すぐ側に雷光と玄秋翼がいるが、気にならない。
すでにこの狼炎は『不吉の太子』
ならば『不吉』から目を逸らすことこそが、恥。
そう思いながら、狼炎は言葉を口にしていく。
「兆家は東郭をよく治めていたという。ならば、不審者の侵入を許すのは不可解だ。どうしてそんなことになっているのか……あの地で兆家がなにをしていたのか、知りたいのだ」
兆家は、この狼炎の外戚である。
狼炎が王になれば、兆家はさらなる権力を持つことになる。
そうなった場合、責任は狼炎にある。
ならば、その前に、彼らがなにをしてきたのかを、この目で確かめるべき。
──そんなことを、狼炎は燎原君に向かって、語った。
「東郭で兆家が問題を起こしているなら、私みずからが確かめねばならぬ。他の者では兆家に対して遠慮があろう。この狼炎が動けば、真実を見つけ出すことができるのではないだろうか」
そこまで口にしてから、狼炎は、
「私は手柄を立てたいわけではない。むしろ逆だ。兆家の罪は、彼らを甘やかしてきた狼炎の罪でもある。人々は改めて、この狼炎を『不吉の太子』と呼ぶかもしれぬ」
「…………」
狼炎の言葉に、燎原君はじっと耳を傾けている。
それを確認して、狼炎は続ける。
「それでも、不吉から目を逸らし続けるよりはましだと思う。どうだろうか、叔父上。この狼炎が東郭に向かうことに協力してもらえぬだろうか」
そう言って、狼炎は話をしめくくった。
狼炎は目を伏せたまま、燎原君の反応を待つ。
しばらく、誰も口を開かなかった。
燎原君も、同席している雷光も、玄秋翼も、無言のまま。
そして、短い沈黙のあと──
「狼炎殿下のお考えこそ、尊いものだと存じます」
──燎原君はおだやかな表情で、うなずいた。
「承知いたしました。狼炎殿下がお忍びで東郭に行けるように手配いたしましょう」
「よいのか? 叔父上」
「殿下が決断されたのです。叔父として……いえ、第一の臣下として、そのお手伝いをするのは当然のことです」
「臣下? 叔父上が、この狼炎の第一の臣下と?」
「私が勝手に思っているだけですよ。殿下の、第一の臣下でありたいと。今の殿下のお話を聞けば、誰でもそう思うことでしょう」
燎原君は膝を叩いて、笑った。
それから彼は雷光と玄秋翼を見て、
「聞いての通りだ。雷光、玄秋翼。君たちは狼炎殿下に同行し、東郭の調査を行うように」
「承知しました! 王弟殿下!!」
「狼炎殿下と王弟殿下に感謝いたします」
雷光と玄秋翼は、燎原君と太子狼炎に一礼する。
「狼炎殿下。この雷光と玄秋翼は、それぞれ武術と医術に長けております。雷光の方は多少の怪我をしておりますが、並の武術家なら一蹴できるでしょう。東郭まで、このふたりが殿下をお守りいたします」
「わかった。よろしく頼む」
「殿下はしばらくの間、我が家に滞在することにいたしましょう」
燎原君は不敵な笑みを浮かべて、
「口実は……そうですね。我が家を訪問された太子殿下が体調不良となり、休まれる。その後、殿下は東郭に出現されるわけですが、それは『体調が回復されたので遠乗りに出かけられた』ということにいたしましょう」
「この狼炎が東郭に出向くことを隠すためだな?」
「謀は密なるを善しとすると言いますからな」
「承知した。それで、父上には?」
「国王陛下は、私が説得いたしましょう」
「叔父上には手間をかける」
「臣下として、太子殿下をお助けするだけのことです」
燎原君は深々と頭を下げ、拱手した。
「太子殿下はどうか、なすべきことをなされますように。今の殿下ならば、ことを誤ることはありますまい」
「過大評価はやめよ。この狼炎はまだ未熟者だ」
「ならば、それも含めて見極めさせていただきます」
「やはり……手厳しいな、叔父上は」
「ご不満ですかな?」
「いや、手厳しいくらいが、この狼炎にはちょうどいい」
狼炎はまっすぐに燎原君に視線を向けて、うなずいた。
「私はすみやかに東郭に向かうこととする。雷光、玄秋翼よ。この狼炎に手を貸してくれ。貴公らの弟子からも話を聞かせてくれると助かる」
こうして太子狼炎は、東郭に向かうことになったのだった。
そして、数日後。
東郭の町に到着した狼炎を待っていたのは、防衛隊長の李灰と、副隊長の黄天芳だった。
黄天芳は黒馬に乗っている。
見覚えのある馬だ。確か壬境族の太子の愛馬だったはず。
その馬は、今は黄天芳に従っている。
事態の変化を実感しながら、狼炎は黄天芳に向かってうなずきかける。
異様なのは、黄天芳の隣にいる人物だ。
狼炎も顔を知っている。東郭の防衛隊長、李灰だ。
だが、どうして彼は、平服を着ているのだろうか。
黄天芳には、彼の部下と李灰に、狼炎が来ることを話すようにと伝えている。ならば防衛隊長は正装で出迎えるべきだろう。
現に黄天芳はそうしている。彼の後ろにいる部下たちも。
なのに、どうして防衛隊長だけが平服なのか。
どうして、身体の前で両手を縛っているのか。
どうして、裁きを待つような表情で、俯いているのか。
狼炎にはそれがわからないのだった。
「燎原君の使いで来た。雷光と玄秋翼である」
声をあげたのは武術家の雷光だった。
今の狼炎は武術家の姿をしている。
彼が来ることを知っているのは黄天芳と李灰と、その他数名だけ。
だから雷光が一行の代表として、あいさつをしているのだ。
「防衛隊長と副隊長に出迎えるように申していたはずだが……その者はなんだ? まるで罪人のようだが……天芳。なにが起こっているんだい?」
雷光の口調がやわらかいものになる。
弟子の前では、堅苦しい口調は続かないものらしい。
そんな雷光を前に、黄天芳が拱手する。
彼は狼炎に視線を向けながら、
「防衛隊長の李灰さまは、高貴なるお方に罪を告白したいとおっしゃっております。そのため、罪人として、ここまでいらっしゃったそうです」
「……罪人、だと?」
「はい。李灰さまがお仕えする、高貴なる家に関わる件で」
防衛隊長の李灰が仕える、高貴なる家。
それは兆家のことでしかありえない。
狼炎は思わず目を見開く。
(……やはり、海亮の弟はあなどれぬな)
動揺を抑えながら、狼炎は雷光の方を見る。
彼がうなずくのを合図に、雷光は、
「話はわかったよ。まずは、落ち着ける場所へ案内してくれないかな。その上で話を聞こうじゃないか」
「承知しました。では、こちらへ」
黄天芳と部下に導かれ、狼炎たちは東郭の町へ。
そうして狼炎は、防衛隊長の李灰から、この町の裏の事情を聞くことになるのだった。
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