第147話「天下の大悪人、東郭の裏の事情を知る」
しばらく、沈黙があった。
俺も碧寧さんも、李灰さんが口を開くのを待っていた。
やがて──
「……私は貴公が来たことで、私は盗賊たちと手を切ることを決めたのだよ」
李灰さんは俺の方を見ながら、絞り出すような声を発した。
「貴公が来たことで、王弟殿下の目が東郭に向けられることとなった。その状態で盗賊と関わるなど、できるわけがなかろう」
……あ、そういうことか。
俺は燎原君の部下の炭芝さんと一緒に東郭にやってきた。
さらに、燎原君が作業員を派遣して、営所の改築まで始めてしまった。
それで李灰さんは『燎原君の目が東郭に向けられた』と判断した。
盗賊との関係を断ち切る好機だと思った、ということか。
「待たれよ。李灰どの」
碧寧さんが李灰さんに詰め寄る。
「李灰どのは……この地に赴任した後で、盗賊たちとの繋がりについて知った。その上で、奴らと手を切ることを決めたと?」
「……その通りだ」
李灰さんはうなずいた。
「黄天芳が不審者を見つけたのは、奴が私と会った後だ。奴は私をおどしに来たのだ。『これまで通りに情報を差し出せ。さもなければ、お前を殺し、すべてを明らかにする』と言ってな」
東郭の町では少し前に、人事移動が行われた。
兆昌括が解任されて、後任として、李灰さんが赴任してきた。
だから盗賊たちは確認にきたんだろう。
これまで通りの繋がりを続けるかどうかを。
さもなければ李灰さんを殺し、すべてをバラすと脅すために。
「では、李灰さまにうかがいます」
俺は拱手して、たずねる。
「盗賊との繋がりとはどのようなものなのかと、誰がそれを作り出したのかを教えてください」
「……言えぬ……言ってしまったら……私の家族は……!」
李灰さんは頭を抱えた。
言われなくても、答えはわかっている。
ただ、李灰さんがそれを口に出すわけにはいかないんだろうな。
不審者たちと繋がっていたのは兆家の人たちだ。
兆家は李灰さんの前に、東郭の防衛を担当していたんだからな。
そして李灰さんは兆家の部下でもある。
だから、言えない。
言ってしまったら、たぶん、報復を受けるからだ。
「李灰さまに申し上げます」
俺は李灰さんを見ながら、告げる。
「李灰さまが兆家の報復を恐れるのはわかります。でしたら、王弟殿下に相談してみるのはどうでしょうか……」
「王弟殿下にか……だが……」
「王弟殿下の近くには狼炎殿下もいらっしゃいます。殿下は寛大な方です。事情をお伝えすれば、李灰さまを守ってくださると思います」
俺は拱手して、告げた。
李灰さんが、おどろいたような顔で、俺を見た。
「北の地で、こんなことがありました。兆家の部下である景古升さまが、参謀の薄完を止められずに出撃したのです。その後、景古升さまと部下は敵の罠にかかり、傷を負いました」
俺は説明を続ける。
「狼炎殿下は、景古升さまを許されました。景古升さまが、兆家の部下である薄完に逆らえなかったという事情をわかっていらしたからです。薄完は処罰されましたが、景古升さまは狼炎殿下の側近として、今もお仕事をされています」
これは、俺も後から知らされたことだ。
北臨で景古升さんと出会って、びっくりした。
あの人が太子狼炎直属の兵士になっていたんだから。
太子狼炎はたぶん、変わったんだろう。
今のあの人なら、ちゃんと話を聞いてくれると思うんだ。
「…………それは、本当のことか」
「黄家の名誉にかけて」
俺はもう一度拱手して、話を続ける。
「李灰さまは、東郭に赴任されたばかりです。不審者と接触したのも一度だけ。そして、兆家に逆らえなかったという事情があるのであれば、狼炎殿下はご理解くださるはずです」
「…………ああ」
「教えてください。李灰さま。東郭でなにが起きていたのかを」
「……………………わかった」
李灰さんはがっくりと肩を落として、うなずいた。
それから、これまでの東郭でなにが起きていたのかを、話しはじめたのだった。
これまで東郭の防衛隊長をしていたのは、兆昌括だった。
彼は不審者──謎の武装集団と交渉して、ある取り決めをしていた。
ひとつ。武装集団は、東郭を襲わないこと。
ひとつ。武装集団には対価として、まわりの町の兵士の巡回スケジュールを教えること。
ひとつ。武装集団が兆昌括と接触しやすいように、東郭の兵士の警備状況も伝えること。
──そのような取り決めだったそうだ。
きっかけは商隊を襲う武装集団に、兆昌括が手を焼いたことだった。
奴らは神出鬼没だった。
音もなく現れ、人々を襲い、金品を奪う。
兵士たちの懐に飛び込み、傷を負わせる。目撃者は殺す。
増援の兵士たちが来たら、素早く逃げる。
そんな連中が東郭のまわりに出没していたことが、兆昌括の焦りを呼んだそうだ。
兆家は太子狼炎の外戚だ。
彼らの失敗は、太子狼炎への評判にも関わる。
兆家が守る町が武装集団に襲われていたら、『太子狼炎は不吉の太子』の評判が広まってしまう。
兆昌括は、そう考えたらしい。
もうひとつの理由は、兆昌括が燎原君を強く意識していたことだ。
兆昌括は、燎原君に憧れている。
あの人のように客人を集めて、国の力に──正確には、太子狼炎の私兵にしようと考えた。
それで武装勢力を手懐けようとしたそうだ。
……いや、いくらなんでも無茶だろ。それは。
武装勢力を手駒に……って、なに考えてるんだ。兆家の連中は。
燎原君が多くの客人を集められるのは、人徳があるからだ。
あの人は一流の政治家で、人材を愛している。
だからそれを慕って多くの人が集まってくるのだし、燎原君自身も客人を大切にして、彼らの才能を活かせるように気を遣っている。
俺の願いを聞いて、東郭に作業員を送ってくれたのも、その一環だ。
普通の人間に、燎原君と同じことができるわけがない。
だけど……兆昌括は、そうは考えなかったらしい。
彼は、自分には人望があると思ったんだろう。
武装集団に言うことをきかせて、私兵にできるくらいの人望が。
だから彼は武装集団と接触して、『東郭と、東郭から出た商隊を襲わないように』という取り引きをしたそうだ。
その見返りが情報提供だった。
東郭の兵士の情報と、まわりの町の情報を、あの人は武装集団に伝えていたんだ。
それはたぶん、最悪の選択だったのだろう。
武装集団と取り引きをしてしまったら、やめることができなくなるからだ。
まあ、そうだよな。非合法な取り引きなんだから。
そのことを公表されたら、間違いなく失脚する。
それだけじゃない。太子狼炎の外戚の醜聞になってしまう。
しかも、武装集団の方はいつでもそれを公開できる。
『公開する』とほのめかすだけで、利益を引き出すことができてしまう。
兆昌括が東郭の防衛隊長の任を解かれたとき、彼は焦った。
高官たちに頼み込み、次の防衛隊長を、兆家の部下の李灰さんにした。
そして、李灰さんには、武装集団とこれまで通りの関係を続けるように指示したそうだ。
東郭に不審者が入ってきたのは、引き継ぎをするためだった。
李灰さんから、新たな兵士の情報を聞き出そうとしていたんだ。
だけど、李灰さんは情報を渡さなかった。
李灰さんは着任したばかり。しかも燎原君が東郭に興味を持ち始めている。
その状態で情報を渡すのは危険だと判断したそうだ。
不審者は……納得はしなかったようだけれど、とりあえずは引き下がった。
その後、奴が東郭から脱出しようとしたところで、俺と戦うことになったというわけだ。
「……わからないことがある」
碧寧さんは、ずっと、李灰さんを睨んでいた。
怒りをこらえているような表情だった。
それでも声を荒げないのは、一連の事件が、李灰さんのせいではないとわかっているからだろう。
「東郭から出た商隊を襲わないという取り決めのしたのなら、なぜ、私の妹夫婦は殺されたのだ?」
「……わからぬ」
李灰さんは、頭を振った。
真っ青な顔で……それでも、碧寧さんから視線を逸らさない。
まるで、斬られても仕方がないと思っているかのようだった。
「相手は盗賊であり、武装集団だ。約束を完璧に守るとは限らぬ。金に困っていたところで碧寧の身内を見つけたのかもしれぬ。碧寧の身内が、奴らにとって価値のあるものを運んでいたのかもしれぬ。いずれにせよ……私にはわからぬことだ。すまぬ」
「妹夫婦のことを、兆家は中央に報告していたのだろうか……」
碧寧さんの問いに、李灰さんは答えなかった。
言葉にする必要はないと思ったんだろう。
兆昌括が求めていたのは『東郭は治安がいいという評判』だ。
碧寧さんの妹夫婦の事件は、その評判と矛盾する。
たぶん、事件のことは、誰にも報告していないんじゃないだろうか。
「……私が防衛隊長に任命されたのは……ただの出世だと思っていた。地味だが、仕事をしてきた成果が認められたのだと」
李灰さんは顔をおおって、うめき声をあげる。
「こんな事態になっているとは思わなかったのだ。碧寧には……悪いとは思っている。だが、貴公の家族が死んだのは私が赴任する前のことだ。私に罪がないとはいえぬが……だが……どうにもできなかった……すまぬ」
「わかった。李灰どの」
碧寧さんはため息をついた。
それから、ぎりり、と、奥歯をかみしめながら、
「つまりは……自分の仇と兆家が繋がっていたのだな。それを知らずに自分は……長年、兆昌括の元で働いてきたのか。なんと愚かな!」
「すまぬ……碧寧。すまぬ」
「李灰さまにうかがいます」
二人の話が途切れたのをみて、俺は声をかけた。
「兆家と結びついている武装集団に名前はあるのですか?」
「ああ。不審者が話してくれた。『裏五神』と」
「『裏五神』ですか」
これで確定だ。
不審者が使っている武術は、仰雲師匠と関係がある。
奴らを放っておくわけにはいかない。
あいつらと兆家との繋がりが、ゲームの黄天芳が東郭を焼くきっかけになったのかもしれないからな。
兆家の悪事を暴いて、『裏五神』を止める必要があるんだ。
「李灰さま。狼炎殿下の前で証言をしていただけますか?」
「…………ああ。だが、兆家の者に知られたら」
「それはぼくがなんとかします。王弟殿下のお力を借りることになるかもしれませんが」
とにかく、燎原君に連絡を取ろう。
燎原君なら、李灰さんと太子狼炎が会う機会を用意してくれるはず。
星怜の鳩を使えば、兆家に知られずに連絡を取ることができるだろう。
そんなことを考えていると──
『ぶるるる。るるる』
近くにいた朔月が、鼻を鳴らした。
長い首を伸ばして、空を見上げている。
それに釣られて頭上を見ると……白い鳩が飛んでいた。
星怜の鳩だ。
鳩は俺を見つけると、まっすぐに降りてくる。
腕を伸ばすと、鳩はそこに着地。くるるるる、と鳴いて、俺に頭をこすりつける。
「もう戻ってきたのか。ごくろうさま」
『くるるる』
「ん? 返信があるのか? これは──」
俺は鳩の脚に結びつけられていた書状を開いた。
二通ある。一通は星怜からのものだ。
俺が預けた書状を燎原君の屋敷に届けたことと、近況報告が書かれている。
そして燎原君から返事を預かってきたことも。
納得して、俺は二通目の書状の書状を開いた。
そこに書かれていたのは──
「狼炎殿下がこちらにいらっしゃるそうです」
──俺は李灰さんと碧寧さんに、書状の内容を告げた。
「護衛として、ぼくの師匠ふたりも同行するそうです。東郭の町の状況を重く捉えて、調査を行いたいと書かれています。東郭の防衛隊長と副隊長は、狼炎殿下の指揮下に入るようにと。また、この情報を知らせるのは、防衛隊長および黄天芳直属の部下までにとどめておくようにと」
雷光師匠は『偽五神』あらため『裏五神』の調査のためにやってくる。
秋先生はそのお目付役と、治療係。
太子狼炎が来るのは、調査が国の公のものであることを、皆に知らせるため。
それと……たぶん、兆家に横やりを入れさせないためだ。
だから少数の者にしか知られないように、お忍びでやってくるのだろう。
「……すごいな。太子狼炎は」
あの人にはやるべきことがわかってる。
太子狼炎が即位したら、この国はゲームとはまったく違う歴史をたどるんじゃないだろうか。
書状を読みながら、俺はそんなことを考えていたのだった。
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