第145話「雷光と玄秋翼、燎原君に願い出る」
──同時刻。燎原君の屋敷にて──
「王弟殿下にお願いします。東郭の町に行くことをお許しください!」
「駄目です。姉弟子。『武術家殺し』の毒が完全に抜けたわけではないのですよ?」
屋敷の一室で、雷光は燎原君に願い出ていた。
側で彼女を制止しているのは玄秋翼だ。
朝早く、天芳の実家から雷光のもとに、書状が届けられた。
天芳が書いたものだった。
おそらくは柳星怜の鳩が、天芳の書状を北臨へと運んでくれたのだろう。
内容は次の通りだ。
『東郭の町で不審者を見つけました。
そいつは「五神歩法」「五神剣術」によく似た技を使っていました。
もちろん、雷光師匠の繊細な技とは違います。
力まかせで大雑把な技でした。似ているのは、技のかたちだけです。
その者は手慣れた様子で、東郭の町に侵入していました。
敵は、ぼくが「五神歩法」「五神剣術」の使い手だと気づいたようでした。
ぼくのことを「同門潰しの雲の弟子」と呼びました。
「同門潰しの雲」とは、仰雲師匠のことかもしれません。
不審者を追い詰めたのですが、残念ながら逃がしてしまいました。
怪我はしていません。心配しないでください。
気になるのは「同門潰しの雲」という言葉です。
あれが仰雲師匠を表す言葉だとしたら、あの不審者は、仰雲師匠と同門の人の指導を受けたのでしょうか? 雷光師匠にお心当たりはありますか?
あったら、教えてください。お願いします。
ただ、雷光師匠が東郭にいらっしゃる必要はありません。
師匠は「武術家殺し」の治療に専念してくださるように、お願いします。
師匠を心配する弟子、天芳より』
──東郭に不審者。
──不審者が使った技が、雷光の技に似ていた。
──その者は、仰雲師匠と同門の者から、指導を受けたのかもしれない。
そんな連絡を受けて、雷光が黙っていられるわけがない。
即座に彼女は燎原君に、東郭に行く許可を求めに来たのだった。
その雷光を止めようとしているのが玄秋翼だ。
彼女は天芳から『雷光師匠が無茶をしようとしたら止めてください』という書状をもらっている。
もちろん、それがなくとも止めていただろう。
雷光はまだ治療中の身の上だ。医師として、目を離すわけにはいかない。
「落ち着きなさい。雷光」
燎原君は威厳に満ちた声で、告げた。
「天芳や妹弟子に心配をかけてはいけないよ」
「ですが……」
「気持ちはわかる。私も東郭のことは気になっていたからね」
燎原君はうなずいて、
「黄天芳から支援を頼まれるまでは、気にもとめていなかったが……あの町には妙なところがあるのだよ」
「……妙、とおっしゃいますと?」
「東郭周辺の治安の良さは評判になっている。だが、他の町と比べて良すぎるのだよ。まわりの町を出た商隊は盗賊に襲われることもあるが、東郭ではそういうことが起こっていない。兆家はどのようにそれを成し遂げたのか、気になるのだ」
「今は、不審者が出入りしているようですが」
「それもまた不思議な話だ。黄天芳の話によると、不審者は手慣れた様子だったのだろう?」
「はい。書状にはそのようにあります」
「ならば、何度も東郭に侵入していたはず。なのに……どうして、これまで誰も気づかなかったのだ? 東郭は治安の良い町だ。ならば、兵士たちは厳重に町を守っていたはず。なのに、どうして侵入者に気づかない? その不審者は町でなにをしていたのだ? 誰かと接触していたのか? その相手は……?」
思考に沈むように、燎原君は目を閉じる。
それから、彼は頭を振って、
「私の方でも調査員を送り込むことにこととする。兆家を刺激しないように、密かに」
「はい。王弟殿下」
雷光はうなずいた。
彼女は苦々しい表情で、怪我をした脚をさすっている。
『武術家殺し』の毒は根が深い。
定期的に毒を抜き、身体の『気』を調整する必要がある。
そうしなければ後遺症が残る可能性があるのだ。
もちろん、後遺症といってもささいなものだ。
かすかな脚のしびれや、小さな痛み程度だろう。
だが、達人同士の戦いでは、それが致命的な隙になる。
しびれや痛みに気を取られた一瞬に、命を奪われるかもしれない。
だから、雷光の治療は慎重に行わなければいけないのだ。
「雷光よ。君は不審者が使った武術について、心当たりはあるのか?」
「……不審者に武術を教えたのは……おそらく、魃怪と名乗る女性でしょう」
「魃? 干魃をもたらす妖怪のことか?」
「はい。私の師である仰雲の、『雲』と対をなす名です」
『雲』は雨をもたらす。
その文字を宿した『仰雲』に対抗するため、同門の女性は『ひでり』の意味を持つ『魃』を名乗ったと聞いている。
本当の名前は、雷光も知らない。
「魃怪は弟弟子だった仰雲師匠に襲いかかり、返り討ちにあいました。仰雲師匠は腕に傷を負いましたが、代わりに魃怪の片足と片腕に深手を負わせて、いくつかの経絡を破壊したそうです。仰雲師匠は……ずっとそれを悔やんでいました」
「その話は、この玄秋翼も聞いております」
雷光の話を、玄秋翼が引き継いだ。
「その後悔から、仰雲師匠は武術を捨てたと言っていました。その後、師匠は医術を学ばれたのですが、もしかしたらそれは魃怪の傷を癒すためだったのかもしれません」
「天芳の技を見て『同門潰しの雲』という言葉を発したのならば……おそらくその者は魃怪の弟子でしょう。不審者の技が雑なのは、魃怪の身体がきかなかったのが原因だと思います。不自由な身体では、弟子に技をうまく伝えることができなかったのでしょう」
雷光は苦々しい口調で、告げる。
そして──
「魃怪が相手ならば、やはり……私が行かねばなりません」
「姉弟子……それは」
「頼むよ。翼妹。一生のお願いだ。一緒に来て欲しい」
「…………姉弟子」
「翼妹が一緒なら治療を続けることができるだろう? もちろん、戦いに出るつもりはない。情けないが……翼妹と天芳が頼りだ。どうか……力を貸してくれないだろうか」
雷光は床に額をこすりつけた。
最高の武術家で、姉弟子。
その雷光が、目の前で叩頭している。
声を震わせながら。必死に。
そんな姉弟子の姿を見ていた玄秋翼は、静かに、うなずいた。
そして──
「わかりました。私も天芳と冬里が心配ですからね。一緒に行きましょう」
「翼妹……」
「この玄秋翼からも、王弟殿下にお願いいたします」
それから玄秋翼は、燎原君へと向き直る。
「私が常に姉弟子の側について、治療を行います。この玄秋翼と雷光が、東郭の町に向かうことをお許しください」
「お願いします。王弟殿下!」
雷光と玄秋翼は、燎原君に願い出たのだった。
次回、第146話は、明日の同じくらいの時間に更新する予定です。
(発売日前後なので一週間くらい前から、連続更新の準備をしています)
書籍版の正式な発売日は明日、8月25日です。
よろしくお願いします!